第13話.紅茶を味わう
ほぼ鎮火したかに見える野焼きの跡形にジェラルドが木桶の水を満遍なく振り掛けた。その円を描くような水の軌跡が美しく内心で感動していると、冷水を浴びた焼け枝がしゅうしゅうと鳴きながら水蒸気を吐き出した。
白煙が消えた代わりに周囲は湯気で煙って視界を白く染める。ジェラルドの手を借りることになってしまったが、畑再生の第一歩をようやく踏み出せた。
「次に野焼きをするときは前日までに知らせておいて。それと出来る限り、一人で行うのは止めて欲しい」
木桶を持った手をだらりと下げたジェラルドが言う。
「今日も着火まではロンさんにお手伝いいただいたのだが」
「ロンに?」
「枝を運んでいるところを見かねて手伝いを申し出て下さった。火が回ったところで巡回に戻っていただいたよ」
一瞬眉根を寄せるもガブリエラの説明に納得した表情を見せる。
「そうか。野焼きに限らずだけれど、人手が足りないときは詰めている警備団の誰かに声を掛けるといいよ。協力は惜しまないように伝えてあるからね」
「それに関してジェラルドに言っておきたいことが」
「待って、ちょっと貸して」
こちらの言葉を遮ったかと思えばガブリエラの手から鋤を奪い取り、静かになった焼け枝をフォークの先で転がし始めた。硬かったはずの枝がぽろぽろと崩れて灰になっていく。
「うん、もう大丈夫だ。あとは自然に冷めるまで放っておこう」
熱を逃がすためか、積み重なった枝を平らに均してジェラルドは続ける。
「さ、お茶でも飲んで休憩しようか」
「それは本来私が言う台詞では?」
「だって言ってくれないでしょう」
その気がないのだから言うわけがない。
そんなガブリエラの心情をきっとわかっているだろうに、またも管理小屋に向けてすたすたと歩き始めたので仕方なく付いていく。反論しても無駄だ、とそろそろ悟りつつあるガブリエラだった。
◇◆◇
「あれ、もう封が開いてる。飲んでみた?」
「あぁ、昨晩いただいた。でも苦みが強くて私の口には合わないかな」
ごくごく自然な動作で棚から紅茶の缶を取り出したジェラルドが目敏く気付いて尋ねてきた。だから素直に答えたのに、彼は訳知り顔をしてみせる。妙にイラッとさせる顔だ。
「分量や時間を間違ったんだろうね」
その可能性は大いにある。記憶の中のメイドを真似ただけで作法なんて度外視だった。図星をつかれて閉口するとジェラルドはへらっと軽く笑った。
「本当は僕も知らなかった。昨夜マリアンヌに指摘されたんだよ」
「マリアンヌさんに?」
「うん。ガブリエラに正しい淹れ方を知らせてないだろうって。だから僕が習ってきた」
(ジェラルドがお茶の淹れ方を? 習ってきただって?)
意外な言葉に驚いてキッチンに突っ立ったままでジェラルドの動向に見入ってしまう。本当に自らが淹れるつもりのようで、外のポンプで水を汲んだ小鍋を朝起こしたかまどの火にかけている。
「ガブリエラも飲む? ちゃんと淹れたら美味しいから」
「ごちそうになるが……せっかくなら正しい淹れ方を教えて欲しい」
「そうだね。隣においで」
彼にしては珍しく優しい微笑みを浮かべたので素直に従った。広くないキッチンで肩を並べる。
「茶葉は一人分でこのくらい。今は二人だから倍に増やすよ」
思いの外に大きな手が華奢なティースプーンを器用に
「水はよく沸騰させるのがいいらしい。あぁ、僕のカップも出してもらえる?」
昨日、勝手に選んでいた緑色のカップを戸棚から出してやる。手桶に汲んできた水ですすぎ、布巾で拭くところまで済ませたら「ありがとう」と感謝された。
やがて湯が沸き、ジェラルドがポットに注いでいく。
「しばらく待つよ」
(なるほど、時間も重要なのか)
胸元から取り出した懐中時計に視線を落とす横顔に学びを得た。参考にしたメイドたちに時計を見る素振りはなかったから、熟練の技というものなのかもしれない。
「よし、いただこうか」
カップに注ぐまでをジェラルドが行い、二人でテーブルに向かい合って腰掛けた。自身は口を付けずにこちらをじっと見つめているので反応を窺っているだろうことが想像出来る。昨晩の苦味がガブリエラの手を躊躇わせたが、マリアンヌの教えを信じてカップを持ち上げた。
「ね、美味しいでしょう」
驚きに目を見開いただけで満足げなジェラルド。こくこくと頷いて同意を伝える。
「次回はガブリエラにごちそうになるからね」
「わかった。研鑽を積んでおく」
「楽しみだよ」
そこでようやくジェラルドもカップに口を付け、束の間のティータイムが始まった。
「昨夜はどうだった? 一人で問題はなかった?」
内心でぎくりとする。問題なら大ありだ。しかし寝台で寝ることすらしていないと伝えたらどんな小言が来るかわかったものじゃない。だから余計なことは言わないと決めた。
「お茶を淹れるのは失敗したけれど、無事に過ごせたよ」
「夜に一人きりで怖いとかは?」
「気付いたら寝入ってしまっていたな」
「そう。夜間も警備を巡回させているし、ちゃんと頼りになる人間を選んでいるから、いざとなったら彼らを頼ってよ」
(あ、そうだ)
「それに関して話がある」
お茶を一口飲み下したジェラルドが小首を傾げる。服装といい、仕草といい、場所が
「マリアンヌさんやロンさんと話していて感じたことだが、ジェラルドは過剰に私を持ち上げて話を膨らませている節がある」
「そう?」
「領主としての箔付けが狙いかもしれないし、その心遣いは有り難いのだが、お嬢様とそやされるのは分不相応で居心地が悪い」
ガブリエラの主張をジェラルドは真剣な面差しで静聴していた。一拍置いて眼鏡のブリッジを指で押し上げ、ゆっくりと口を開く。
「じゃあ『領主様』と呼ばせる?」
「まだ領主として何の成果も生んでいないし、そもそもあの方たちの領主はワーケンダー伯爵だろう」
「まぁ正論だね」
「私を鼓舞するためにそんな呼び名を使わせているなら不要だと言っておく」
「そんなつもりはないんだけどね」
灰色の瞳を閉ざしてゆっくりと紅茶を味わい、再びガブリエラに眼差しを向ける。その余裕を持たせた振る舞いがガブリエラの動きを封じているかのようだった。
「いつかそんな扱いを受ける日が来るかもしれないでしょう? そのための予行演習かな」
「オークス家が再興するとでも? あり得ない」
「うん、それはあり得ない。まぁ深く考えないで。領主として成功したときに周囲の対応が変わるかもしれないってくらいに考えておいて」
「しかし……」
不意に学生時代の友人たちが脳裏を
「これからも付き合いのある方々とは垣根なく接していきたいのだが」
するとジェラルドの双眸が
「そういう意識はあるんだ?」
「それは当然だ。ワーケンダー家やそちらの領民とは長い付き合いになるのだろうし」
「うん、そうだね。じゃあ一考しておくよ」
ガブリエラの回答がお気に召したのか、ジェラルドは目に見えて機嫌を上向きにした。ガブリエラとしても対応を変えてもらえるのなら願ったり叶ったりなのでほっと気が楽になる。
香ばしい紅茶を味わっているうち、ジェラルドが「そろそろ仕事に戻らないと」と言い出したので見送ることにした。
「馬で駆けてきたのか」
「急ぎだったからね」
畑を通り過ぎ、木立の下を潜り抜け、開閉ゲートまで辿り着くと木柵に馬の手綱が括り付けられていた。黒毛の愛らしい目をした馬だ。
「やっぱりゲートの改装は必須だなぁ。毎回ここに繋ぐわけにもいかないし」
待たせてごめんね、と馬の背を撫でているジェラルドの横顔は優しい。幼い頃から慣れ親しんでいるだけのことはある。
「今日もしっかり戸締まりするんだよ。常夜灯を忘れないように」
「大丈夫だ、わかっている」
ガブリエラが頷くのをしっかり見届けてジェラルドは馬に跨がる。じゃあね、と言い置いて颯爽と馬を走らせる後ろ姿は、仲間の騎馬を多く見てきたガブリエラを感心させるほどの美しい騎乗だった。
その後、手入れ途中だった畑に戻ったガブリエラは鍬と鋤を振るって地道な耕起作業を再開した。ある程度の土を掘り返した後は鋤の先端でごろごろと固まったままの土を刺して砕いていく。よく乾いているためか、ざくざくと崩れていく様子が面白く、夢中になっているうちにそれなりの広さが耕せていた。
(よし、次は灰と肥料だな)
まずは管理小屋に戻って種苗店の店主に勧められた肥料と桶を抱える。再度畑に戻って真っ直ぐに野焼きの跡地に向かう。その行き道で掘り返した土とそうでない土の靴底に当たる感触が全く別物であることに気付いてガブリエラの心がわっと躍った。
(こんなに柔らかくなるなんて!)
明らかに足が沈んでいくのだ。こんなにも顕著に効果が現れるとそれだけでやる気は格段に上がる。
ティータイムの間にすっかり冷めたらしい
(楽しいな)
と、素直に思う。
灰を撒き、肥料を撒いて鍬で土に馴染ませる作業はけして楽ではない肉体労働だけれど、新たな発見と成果を得る喜びに満ちている。現に混ぜ合わさった土はまだ手付かずの畑に比べて色濃くふかふかとしていて、今日の作業の結果を誇らしげに示しているかのようだ。
「明日から野菜を頼む」
屈んでぽんぽんと叩いた土の表面は手袋越しに温かい。それもまたガブリエラの頬を緩めさせた。
騎士の訓練のように
今日の畑仕事はここで終わりとした。
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