第12話.畑を耕す

 火の番をロンに任せて管理小屋に戻ったガブリエラは、苗鉢の横に一纏めに置かれた農具の中からくわすきをそれぞれの手に取った。重力が先端の金属部分に掛かるので思わずつんのめりそうになる。


(長剣とは違うものな)


 重み自体に問題はないが、農具を扱った経験がない。指南書に書かれていた耕し方を思い出しながら畑に戻ると、幾分か火の勢いが弱まっているのが見て取れた。


「お待たせしました」

「いえ、構いませんよ。見ているだけでしたからね」


 腕組みをして炎の山を眺めていたロンがガブリエラの姿を認めて姿勢を正す。明らかに彼が年長者であるはずなのに、かしこまられてはこちらの方が居心地が悪い。


「警らの最中に足止めをして申し訳ありませんでした。大変助かりました」

「我々に出来ることなら何でもお手伝いするように、がジェラルド坊ちゃんのご指示ですから。これしきのことは朝飯前です」


 本当にまだ朝飯を食ってないんですけどね、と高らかに笑うロン。どんな食事を彼らが摂っているのかは知れないが、いつか自給自足で野菜が賄えるようになったとき、彼らにも振る舞える日が来ればいいな、と思う。


「では巡回に戻ります。ガブリエラお嬢様がお怪我をされるとジェラルド坊ちゃんが大層心配なさいますから、くれぐれもお気を付けて」

「ありがとうございます。心得ました」


(まったく、警備団の方にまでどんな伝え方をしているのやら)


 ジェラルドには過剰にガブリエラを持ち上げるような発言は控えるよう、言い含めておかなければならないようだ。ロンはガブリエラの心中も知らず、朗らかな笑みのまま萎れた草の道に戻っていった。


「よし、やってみようか」


 未だ揺らめいている炎を横目に、ガブリエラは管理小屋から一番近い畑の端に移動した。

 まずはこの一角に手を加え、畑として再生活用する。野菜を上手く育てることが出来たなら徐々に栽培の範囲を広げ、また育成する種類も増やしていこうという算段だ。

 靴底に当たる土の感触はやはりごつごつしている。エンバス王太子が放棄したこの畑、使い物になりますように、と願いながらまずは鍬を握って振り下ろしてみた。


「んっ、結構な手応えがあるな」


 ざくりと音を立てて突き刺さった鍬を手前に引くにはなかなかの力を要した。しかし騎士として訓練に励んできた成果がこんなところにも発揮される。長らく雨風に晒されていたであろう表土がぼろぼろと崩れ落ち、一段色の濃い内部の土が露わになっていく。


(土に空気を含ませてやることが大事、だったか)


 指南書の文言を反芻して、じりじりと後退しながら乾いた土を掘り返す。やや中腰気味の姿勢を保っていると次第に腰が重くなってきた。


(慣れない体勢を続けるのは辛いな……道具を変えてみようか)


 鍬を置いてフォーク型の鋤に持ち替える。こちらは上から振り下ろすのではなく、土に突き刺して使うものだ。

 決めた地点に鋤を突き立て、足裏に体重を載せてフォークを地中にぐっと押し込む。柄を手前に倒すことで土が持ち上がるので、それをひっくり返せば固まりがほぐれる。

 一見鍬を扱うよりも楽に思えたが、硬い土を持ち上げる作業を繰り返すうちに腕に疲労が蓄積していくのをガブリエラは自覚していた。


「楽な仕事であるはずがないな」


 ふぅ、と大きな息を吐いて地にぺたりと尻を落とす。騎士の任務でもなければ直に地面に座るなどあり得ないことだったのに、何故だか今はこれが当たり前のように思えるから不思議だ。

 じんわりと火照った頬を吹き抜ける風が冷ましてくれる。運ばれてくるのは土と草と煙が入り交じった、嫌いじゃない匂い。


「不思議だな……」


 朝から昼にかけてのこの時間帯、エメリア王女に仕えていたなら王宮で周囲に向けて神経を尖らせていた頃合いだろうか。

 パチパチと爆ぜる木の音を聞きながら掘り返した土の上に座り込むことになるとは想像もしていなかったし、疲れたからと勝手に休憩を挟むことが許される環境があるだなんて思ってもいなかった。


(それを言うなら騎士も同じだな)


 幼少時に剣を握る未来は思い描かなかったし、尊き方のお側に仕えるなんて童話の中の夢物語だった。


(いや、没落そのものがありえない話だったか)


 帰る家も血を分けた家族もそこにずっとあり続けるものだと思っていたから。

 おかしな話だ。家が没落の憂き目に遭ってガブリエラ自身もどん底に陥ることになるかと思いきや、姫に拾われ、騎士として身を立て、今では王家所縁の一領地の主。

 誰に咎められるでもなく、畑に座り込んで一息入れている。


「うん、やっぱり不思議だ」


 よし、と声に出して鋤を支えに立ち上がった。好き勝手に休めるからこそ、働きどきも自分で見つけなければならない。

 その後、鍬と鋤を身体の疲れに合わせて使い分けながら地道に掘り返していくうちに、周囲の空気が変化したことにガブリエラは気付いた。はっと頭を上げて確認すると赤々と燃え上がっていた火はなりを潜め、黒く燃え尽きた草木の間々でぷすぷすと燻るだけに鎮まっている。

 終わったか、と逸る気持ちで煤けた小山に駆け寄った。


「このまま置いておけばいいのか?」


 うっすらと白煙をくゆらせる小枝を鋤の切っ先でつんつんと突いてみた。すると鎮まったかに思えた火が最後の抵抗とばかりにぱちんと大きく破裂して、ガブリエラをぎょっと驚かせた。思わず仰け反ったその眼前を白い灰がひらひらと舞う。


「ガブリエラ!」


 続けて響いた大声に肩がびくりと弾む。

 今度は何だ、と振り返ると、見張り小屋の方角から茂る青草の合間を縫ってジェラルドが駆けてくる姿を目撃してしまった。


「何事だ、ジェラルド!」

「それはこっちの台詞だよ! 煙がっ……」


 後を続けたいようだが息切れで無理そうだ。しかし足の速度を緩めずに近付いてくる彼は何とか言葉を絞り出した。


「はぁっ……街道を通った馬車の御者からエンバス領で煙が……はぁ、上がってるって報告が入って、だからっ……」

「あぁ、これのことか」

「……え?」


 畑まで辿り着いたジェラルドはガブリエラの指先が示すものを見て眉間に皺を寄せた。


「……野焼き?」

「そう。ようやく火が収まりかけたところだ」


 細く揺れる煙をしばし見つめたジェラルドが、がくりと項垂れる。これ見よがしに大きな溜息を吐きながら。


「何なの、君は。心配させないでよ」


 かと思えば素早く顔を上げ、ガブリエラをぎゅんと睨み付ける。丸眼鏡の奥の鋭い瞳で。

 彼はおそらく王城からやって来たのだろう。大臣補佐官らしい上物の貴族服に身を包んでいる。にも関わらず、ずかずかとまだ荒れたままの畑に艶めいた革靴のままで踏み込んできた。


「まさかジェラルドに報告が行くとは思っていなかったのだが」

「僕の相談役としての名が知れ渡っているってことでしょう。喜ばしいことだよ」

「全く嬉しそうな顔をしていないじゃないか」


 むっと口を結んだまま、ガブリエラの傍らにやって来て高い位置から見下ろしてくる。どう見ても喜んでいない、そんな感想を抱いていると。


「灰が付いてる」


 自分のものではない長い人差し指がするりと頬を掠めた。


「ちょっ……何をする!?」


 咄嗟に顔を背けたが生温かい感触は確かに頬に残った。


「ああもう、動くから崩れて擦れたじゃないか」


 そう言って今度は手の甲でガブリエラの頬を強めに撫でる。白い筋を写し取ったその手は一旦離れかけたが、次の瞬間にはガブリエラの赤茶の髪をぐしゃぐしゃと掻き回し始めた。


「やめろ! 何をするんだ!」


 腕を払って抵抗するも、身長の差で上手くかわされてしまう。お陰で肩までの短い髪はぼさぼさに乱れ、ついでにガブリエラの心にまで荒波を起こしていった。

 動きの緩まった腕をばちんとはたき落とす。土の付いた革手袋が貴族服の綺麗な袖を汚す可能性を考慮する余裕もなかった。


「人の頭や顔にみだりに触れるな!」


 睨め付けるガブリエラとは対称的にジェラルドは白けた目をしている。


「ちゃんと帽子を被りなよ。灰や土が付いているし、陽射しを直に浴び続けるのは身体に良くない」

「帽子はひとつも所持していない」

「え、ひとつも?」


 冷めた表情をしていたかと思えば、途端に目を見開いて驚きを露わにしている。人の顔や頭に突然触れたり気分をころころと変えたり、一人で忙しない男だ。


「もう、早く言ってくれれば昨日のうちに買えたのに」


 ぶつぶつと呟きながらふいに足元に視線を落としたジェラルドは何かを探す素振りを見せた。


「ガブリエラ、消火用の水は?」

「用意していないが」

「……もう、本当に君は。消えかけてはいるけど火を見ていて。僕が汲んでくる」

「いや、服が汚れるだろう。私が行く」

「別に汚れたって構わないよ」


 それ以上の反論は受け付けないとでも言うように、さっさと管理小屋に向けて歩き出してしまった。

 一人残されたガブリエラは手櫛で髪を整えながら、一纏めにした銀髪を揺らして遠ざかるジェラルドを見て思う。


(あんなことをする男だったか?)


 学生時代に比べればいくらか距離が縮まったとはいえ、こんなにも気安く接するような人柄ではなかった。

 そうだ、そもそも同級生として同じ学び舎に通っていた頃だって、親密な付き合いがあったわけではない。目が合ったり、必要事項を伝え合ったり、それに付随した会話を交わすことはあった。けれど私生活に踏み込むことはなかったし、身体的な接触など以ての外だ。


(再会したときはどうだった……?)


 うーん、と唸る。

 ガブリエラが騎士学校に編入したのが、かれこれ五年前のこと。学業を修め、見習い期間を経て王女の護衛騎士に抜擢されたのは二年前の二十歳のとき。ジェラルドがいつから王城に上がっていたかは知らないが、大臣補佐官としてガブリエラの前に姿を現したのは一年と少し前くらいだったか。


(再会当初はあの胡散臭い話し方で……)


 学生時代には掛けていなかった丸眼鏡を装着して自らを『わたくしめ』と称し、記憶にない作り笑いなんかを浮かべていた。

 しかし任務から離れた折り、王城内でばったり顔を合わせたジェラルドは旧友との再会を懐かしむような砕けた口調で声を掛けてきた。


(学園時代より口数が増えていた気はするが、今ほど無遠慮ではなかったはず)


 ずけずけと鋭く突っ掛かってきたり、ガブリエラの過去に触れたり、愛称で呼ぼうと試みたり。そんな態度が見られるようになったのは、このエンバス領を下賜されると決まったあの日からだ。


(相談役を請け負うことでジェラルドも本性を曝け出したということか?)


 いずれは領地の経営で収益を生まなければならない。上辺だけの付き合いではいられないと判断したのだろうか。

 だとしても、だ。


(顔には触れないだろう、常識的に考えて)


 頬に付いた灰を払う。一見すれば子どもにするような扱いとも取れるが、何となく彼の言葉や表情にガブリエラを小馬鹿にした雰囲気は感じられなかった。

 いっそのこと、鈍臭いとからかわれたならガブリエラも思いきり悪態をついて終われるのに、そうではないからジェラルドという男に触れられたという事実が強く残ってしまう。


(目が笑ってないから、たちが悪い)


 冷ややかにも見える鉛色をした切れ長の双眸は至って真剣だった。


(苦手だ、あの瞳)


 木桶に汲んだ水を運んでくるジェラルドを眺めながら、こっそりと思った。

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