第11話.草木を焼く

 小鳥のさえずりに誘われて意識を覚醒したガブリエラはキシキシと痛む身体に顔を顰めながら身を起こした。そこがソファであることを認識して「あぁ……」と情けない呻き声を上げる。

 ろくな食事もせず、入浴もせず、着替えもせず、寝台で眠ることもせず。新たな生活の第一歩があまりにも杜撰過ぎた。苦労して寝台のマットを運び入れてくれた面々にも申し訳が立たない。


「駄目だなぁ、もう……」


 はぁ、と大きく息を吐いて窓際に歩み寄った。まだ灯ったままのオイルランプが室内を照らしていても、外の世界で燦々と朝日が輝いていることは薄ピンクの布越しにもわかる。引いたカーテンがレールを走る軽快な音が静かな部屋に響いた。


(朝だ……)


 わかってはいたものの小屋の周囲も立ち並ぶ中木も、その奥に覗き見える荒れた畑も何もかもが明るい光の下に存在している。小屋の周辺に目を走らせて不審なものがないことを確認してから、窓を開放して空気の入れ替えを行った。


(ひんやりとして気持ちいいな)


 凝り固まった身体をぐっと伸ばしてほぐす。しっとり水分を含んだ空気を胸いっぱいに吸い込めば頭の中まですっきりした。


「かまどの火起こし、食器の片付け、朝食の準備、洗顔、着替え」


 室内中を指差しで確認する。騎士として暮らしている間に身に付いた習慣だ。実際に声に出すまではしていなかったけれど。

 ジェラルドがくべていった薪はすでに灰になっているので新しいものを取りに行かなくてはならない。意を決して解錠し、小屋の外に足を踏み出した。


「これは……」


 思わず漏れてしまったのは感嘆の声。

 色艶良く茂った木々の葉たちが目映い陽射しを浴びて光の波を作っている。時折そよぐ柔風が葉をゆらゆらと揺らす度に波はうねり、ちかちかと瞬きを繰り返す。こんな光景は見たことがなかった。

 眩しさに目を細めながら小屋の角を曲がり、そこにずらりと居並ぶ苗鉢を見てはっとした。


(そうだ、苗にも水をあげないと)


 種苗店の店主から植え付けまでの管理についても説明を受けていた。土が乾いていたらしっかりと水やりをしてあげること、と。

 苗鉢の前に屈んで、じっと目を凝らす。土の表面が白っぽくなっているのは乾燥しているからだ。傍らにひとまとめにしてある農具の中からじょうろを掴み取り、ポンプから汲み上げた水を溜めていると跳ねた水滴が顔にかかって肩が震えた。


「こんなに冷たいけれど大丈夫か……?」


 生まれて初めての灌水かんすい作業はずしりと重たいじょうろの感触を味わいながらのものだった。

 そっと傾けてちょろちょろと流れ出す水を小さな苗鉢ひとつひとつに与えていく。土の上に溜まった水がじわじわと染み込んでいき、全て吸い込まれると陽光を弾いた土の表面がきらきらと輝いた。間もなく土を通った水が鉢底からぽたぽたと流れ落ち、砂利の隙間に消えていく。

 たったそれだけのことなのにガブリエラはいたく感動してしまった。


人間わたしたちでいうところの食事だな)


 土が乾けば水をやり、生長を促すための肥料をやり、病気を予防するために薬を撒き、突風で倒れないための支えを作る。手の施し方は人間に対して行うことと非常に似通っている。

 そんな風に考え出すと一人きりの侘しさが途端に軽減した。ガブリエラの手に生長の鍵を握られた植物たちを守ってやらなければ、という使命感が沸々と滾ってくる。


(早く畑を整えてあげなくては)


 小さな鉢から広い畑に移し替えてのびのびと育ててあげたい。そのために今日から行動を起こすつもりでいたが、俄然やる気が沸いてきた。足早に抱えた薪をキッチンのかまどに組み上げ、ランプから種火を取って着火する。

 幸い、騎士としてナイフを扱う訓練は受けているし、遠征先で調理の経験もあるのでその気になれば朝食の支度は容易だった。乾燥させた肉と野菜を器用に切り分けて小鍋で煮込みスープを作る間に、種苗店で購入した指南書をテーブルに広げた。


(今日はこれを実戦してみよう)


 あるページを熟読したガブリエラは決心した。

 そうと決まれば話は早い。早々に食事と片付けを済ませて身支度を整える。着用するのはジェラルドに贈られたブラウスと乗馬パンツ。昨日購入した靴底が真っ平らな軽いブーツを履き、手には下ろしたてでまだ固い革手袋を嵌めた。

 手近なランプをひとつ掴んで、再び小屋を出る。向かうは荒畑だ。


「え?」

「おや」


 中木の木立を回り込んだところで人と遭遇した。思わず発した間抜けな声に相手も気付き、反応を示す。

 見たところ、三十代半ばくらいの男性だろうか。頭髪が栗色、全身を包む作業着が茶色という出で立ちなために木々と同化して発見が遅れてしまった。


「私設警備団の方でいらっしゃいますか?」


 男が腰ベルトに青ガラスのランプを吊り下げているのでそう尋ねてみた。


「えぇ。あなたがガブリエラお嬢様でいらっしゃいますね」

「警備をしていただいているのにご挨拶が遅れ、申し訳ありません。ガブリエラ・オークスと申します」

「いえいえ、ジェラルド坊ちゃんからお聞きしていますから、お気遣いなく」


 ガブリエラの騎士然とした挨拶に男は朗らかに笑う。人懐っこそうだがあまり特徴のない顔立ちは潜入捜査に向きそうだ。


「しかしワーケンダー領からわざわざ足を運んで下さっているのでしょう? ご協力に感謝します」

「これが我々の食い扶持ですから。それにこの地を踏むことが出来るのは光栄なことですよ」


 いつかのマリアンヌのように遠い目でエンバス領を見つめる彼にもこの地に対する思い入れがあるのかもしれない。


「名乗り遅れました、俺はロンと申します。今日は他に二人、警備に当たっています。必ず一人はゲート近くの見張り小屋に待機していますから、何かあればお声掛け下さい」

「ありがとうございます。不慣れなことも多いのでお力添えいただければ助かります」

「ガブリエラお嬢様にはしっかりお仕えするようにとジェラルド坊ちゃんから言い含められておりますので、遠慮なく何なりと」


(あの丸眼鏡め)


 現状、お嬢様ではないことをよく知っているはずなのに変な呼称だけは徹底しているようだ。やり辛くて仕方ない。


「ところで、これからどちらへ?」


 動きやすい軽装でオイルランプを手にしたガブリエラをロンが不思議そうな眼差しで見つめている。


「野焼きをしに畑へ」


 男の目が驚きで見開いた。

 ほら、お嬢様の呼び名にふさわしくないではないか。



◇◆◇



 ロンが仲間の警備団員に「これから火の手が上がるが心配しないように」と伝達に走ってくれる中、ガブリエラは荒れた畑の前でその光景を一望していた。


(もう打ち遣られと呼ばせはしないからな)


 管理小屋までの行き来で畑の脇を何度か通っているが、その地を踏み締めたことは未だにない。

 かつて王太子だった人が耕した……かもしれない畑に真新しいブーツで足跡を付ける。ガブリエラの重みで土がぼろりと崩れていく感触が足裏に伝わる。でこぼこした盛り上がりが歩行を困難にするが、構わず踏み込んで畑を突き進む。

 王家から派遣された者たちが最低限の世話をしていた、とジェラルドは推測していた。その痕跡であろう畑の一角に積まれた枯れ草と枯れ枝の山、それを今から燃やして灰にするのが畑の再生の第一歩だ。


「意外と重たいな」


 延焼を防ぐため、なるべく畑の真ん中で火を点けようと枯れ草と枯れ枝を移動させることにしたのだが、まとまった量の枯れ枝は存外ずっしりしていた。ずるずると引きずって運んでいると足元が疎かになってよろめいてしまう。


「ガブリエラお嬢様、お手伝いしましょうか?」


 見張り小屋がある木立の合間からロンが声を張り上げる。


「いえっ……」


 お構いなく、と続けようとしたけれど、かつてこの地を見放したエンバス王太子が脳裏をよぎった。一人で全てをやり遂げようとして無理が祟ってはの人のように早々に投げ出すことになってしまうのではないか、と。


「申し訳ありません、少々手を貸していただけますか?」

「もちろん! 力だけは自慢出来ますからね」


 大股でずんずんと畑を渡ってきたロンは両手でごっそりと枯れ枝を掴んでガブリエラを振り返る。


「どこに置けばよろしいです?」

「そうですね、この辺りに纏めていただけますか?」

「了解です」


 ガブリエラが移動中の枯れ枝を投げ出して早足で場所を示すと、その落とした枝までもを拾い上げて新たな山を築いてくれた。


「枝は俺に任せてお嬢様は枯れ草を運んで下さい」


 逆に指示を出されてしまったが素直に従う。ロンが次々と枯れ枝を移動させるものだから、負けじと枯れ草を両手に抱えて畑を往復する。乾いた草の匂いは馬小屋の干し草を思い出させてガブリエラを懐かしい気分にさせた。


「では点火しますので、下がっていて下さい」


 場所を移してこんもりと盛られた草木の山を前にロンへと告げる。どうやら彼は着火も見届けるようだ。

 乾いた小枝をランプに差し込み、もらい火を足元の枯れ草にそっと置いた。ガブリエラが後退あとずさって距離を取る間にも炎は枯れ草の上を這うように広がり、次第に積み重なった枯れ枝に襲い掛かっていく。パチパチと爆ぜる音が増す度に火は勢いを付ける。眼前の小山がガブリエラの背丈をゆうに超すほどの赤い炎に包まれるのはあっという間のことだった。


「ガブリエラお嬢様、煙を浴びてしまいますよ」

「予想外の火力でした」


 もうもうと上がる白煙から逃げるように更に数歩下がるが押し寄せる熱気がすごい。気紛れなそよ風によって炎は容易く向きを変えるので、距離を置いても頬がちりちりと熱されて痛痒い。

 枯れ草はすでに黒く焼け焦げているが、太い枝が燃え尽きるには当分時間が掛かりそうだ。


「ロンさん、少し火を見ていて下さいますか?」

「はい、構いませんがどうされました?」

「小屋から農具を取ってきます。すぐに戻りますので」

「なるほど、了解です」


 ただじっと待っているだけでは時間がもったいない。

 まだ踏み慣れない硬い土の上を急ぎ足で歩く。

 周囲を漂う草木の焼ける独特な匂いは、王女の香水に鼻を慣らされていたガブリエラにはとても新鮮に感じられる。


(嫌いじゃないな、この匂い)


 知らず笑顔を浮かべながら小屋への足取りを速めたガブリエラだった。

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