第10話.夜を迎える
「待った、これは買い過ぎじゃないか」
「外にも常夜灯は必要でしょう。これでも足りないくらいだよ」
そう言ってはランプを大量に注文し。
「このティーセットいいね。緑色が欲しい。ガブリエラも好きな色を選びなよ」
「何故ジェラルドのカップが必要なんだ」
「え、僕にお茶も飲ませないつもり?」
そう言っては好き放題に食器を買い集め。
「僕の好きな茶葉だ。買っておこう」
「何故ジェラルドの好みで選ぶ?」
「あ、やっぱり僕に飲ませないつもりなんだ?」
とうとう嗜好品にまで手を伸ばし。
「うん、ひとまず必要なものは買い揃えたかな?」
エンバス領から王都に戻り、生活用品の調達に赴いた結果。
買い過ぎて荷馬車を借りるはめになったというのに、目の前の男は非常に満足顔だ。一方でガブリエラが大きな出費に頭を痛めているにも関わらず。
「無駄遣いは控えたいんだが」
「大丈夫、補助金で賄える金額だから。そもそも無駄なものなんてないよ」
(勝手に茶葉を買った人間が言うことか?)
ランプ、食器、タオル、石鹸、桶、衣類、食料品、小型家具、寝台のマット、新品のカーテン、その他諸々。確かに必要なものは買い揃えたが、一番上にちょこんと鎮座した紅茶の葉には首を傾げざるを得ない。
「あとは種と苗と……あぁ農具も必要だね」
「茶葉を買うより優先すべきものでは」
至って真っ当な指摘は無視された。随分と都合のいい耳をお持ちのようだ。
次で最後だよ、というジェラルドの指示によって馬車が向かったのは、一般の店舗とは異なる趣の種苗店だった。店舗自体はこぢんまりとした小屋だが、隣接した広場にこそ目玉となる商品がずらりと並んでいる。小さな鉢に植わった生長途中の苗が一面を覆い尽くす様は圧巻だった。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
にこにこと愛想の良い笑顔で老齢の男性に話し掛けられた。年季の入った前掛けを見るにこの店の店主のようだ。
並ぶ苗の区別さえつかないガブリエラは素直に教えを請うことに決めた。
「野菜の種と苗を探しているのですが、全くの初心者でも育てられそうなものはありますか?」
「もちろんございますよ。畑の大きさは
「それなりにありますが、まずは少量で上手く育てられるかを確認しようかと」
「ふむふむ。土の質はどのような?」
でこぼこと盛り上がった荒畑を思い出す。
「まだ耕していないので何とも言えませんが、土の塊がごろごろとした硬そうな見た目をしています」
「からりと乾いていましたか?」
「そうですね、ここ数日の様子を見た限りでは」
店主は頷くたびに目尻の皺を増やしていく。こんな問答でもわかることがあるのだとしたら、その道に精通した玄人の凄さを尊敬せずにはいられない。
「水はけがしっかりしていれば、きちんと耕して土壌改良を行うだけで案外何でも育つものですよ。でもそうですねぇ……根張りが良くて病気に強いものを選びましょうかねぇ」
「収穫まで早いものはありますか?」
「もちろんご用意しておりますよ。お客様のお好みに合わせて選びましょう」
何とも頼りになる店主はガブリエラから好みの野菜を見事に聞き出し、育てやすい品種を選出してくれた。ついでにとお願いした農具や肥料、指南書まで懇切丁寧な説明で一通りを揃えてくれたので、畑が整えばすぐにでも作業に取り掛かれそうだ。
荷馬車への積み込みにも手を貸してくれた店主は人好きのする笑顔で言った。
「ご入り用の際にはいつでもどうぞ」
「また必ず参ります」
きっちりと礼を告げてワーケンダー家の馬車に戻る。対面に座ったジェラルドを見て彼の存在を忘れていたことに気付いた。
「
「君の好きな野菜を知らなかったからね」
「ジェラルドの好みは反映しなくて良かったのか?」
「僕の?」
勝手に茶葉を買うくらいなのだ。どうせ収穫した野菜も食べる気でいるはずだろうし、相談役として収穫物の質を確かめるのも仕事の一環だと思っていた。
そんな気持ちで発した問いに何故かジェラルドは眼鏡の奥の瞳を細めている。
「野菜は何でも好きだからガブリエラと同じもので構わないよ」
「上手く育てられる保証はないが」
「初めてならそれも一興。待ち遠しいね」
珍しく機嫌が良さそうな口ぶりだ。そんなに野菜が好きだったのか、と新発見をしたつもりのガブリエラを乗せた馬車はエンバス領に向けて軽快に走り出した。
◇◆◇
ガブリエラやジェラルドのみならず、ワーケンダー家の御者に荷馬車の御者、配置されている私設警備団の面々までもを駆り出して、購入した品々は管理小屋まで運び込まれた。
「やっぱりゲートは早急に拡張するべきだね。非常用ならまだしも、定期的に使うにはあれじゃ狭すぎる」
寝台のマットを通すのに苦戦したせいか、ジェラルドが苦々しげに呟く。確かにゲートも木々を潜る小道も荷物の運び入れをするには随分狭かった。
(エンバス王太子もあの不便な道を辿ったのか? 想像がつきにくいな)
管理小屋を使用したか否かでジェラルドと意見を交わしたが、あの道とも言えぬ道をかつての王太子が行き来していたというのも、また考え辛いことだった。いっそのこと、エンバス王太子は領地に出入りしていなかったと言う方がしっくりくるほどに。
「片付けの手が止まってる」
じろりと睨め付ける視線で注意されて、慌てて作業を再開する。床やテーブルを乱雑に埋めている品々を片付けなければ荷物の山に囲まれたまま夜を迎えることになってしまう。搬入を手伝ってくれた者たちには寝台のマットと小型家具の設置だけ手を借りて持ち場に戻ってもらったので今はジェラルドと二人きりだ。
「こんなに多くのものを一度に買ったのは初めてだ」
「僕もだよ。さすがにこれだけの量を買い揃える機会なんてそうそうないよね」
「買い換えることはあっても一から揃えることはな」
元いた屋敷にも宿舎にも大体のものは元から備えられていた。完全に新しい生活が始まるのだと、この身を取り巻く下ろしたての物品たちが物語っているようだ。
ガブリエラが雑貨を棚に仕舞い込む一方、買い溜めたランプのひとつひとつにオイルを流し入れていたジェラルドが「よし」と呟いた。
「火を起こそう。暖炉とかまど、どっちがいい?」
「かまどの方が有り難い」
「わかった」
外に出たジェラルドは薪と枯れ枝を抱えて戻ってくると、慣れた手付きでかまどに組んでいく。火打ち石と火打ち金の扱いにも長けているようで、あっという間に火種から踊るような炎が燃え上がった。
それを枯れ枝の一本で拾い上げてランプの芯に次々と着火していくので途端に室内が明々と照らされた。
「やはり火が入ると明るさが全く違うな」
ガブリエラが感嘆している横でジェラルドが室内のあちこちにランプを設置していく。次いで厚めのガラスを用いた四角い大きなランプたちを順々に外へと持ち出す。平たい場所に念入りに置き場所を定めている様子が窓から覗き見えた。
ゆらゆらと灯火が揺れるだけで人の住んでいる気配が濃くなるのだから面白い。
「今ある分だと小屋の周りで精一杯だけど仕方ないか」
「ありがとう。随分と明るくなった」
「夜間は居間と外の灯りを絶やさないように気を付けて。警備の兵からも小屋の周囲が見えるようにしておきたいから」
わかった、と首肯するガブリエラに満足したのか、ジェラルドは真新しいカーテンの取り付けに掛かった。薄いピンク色はガブリエラの好みで選んだ。
「兵は三人常駐させていて、巡回の兵は青ガラスのランプを持つ決まりになっている。もしそれ以外の灯りが外で動いているのを見つけたら施錠の確認をして一歩も外に出ちゃ駄目だよ」
「夜に青いランプは見辛くないのか?」
「普通のランプも持たせているよ。あくまで目印用だから」
なるほどな、と感心した。騎士職に就いたガブリエラはエメリア王女の護衛任務しか経験しておらず、巡回警備の現場に立ったことがない。警備には警備の特別な知識や技術があるのかもしれない。今は騎士の任務から離れることになってしまったが、機会があれば専門的な話を警備兵に聞いてみたい、とこっそり思う。
意外にも素早く作業をこなすジェラルドのお陰で、空が夕暮れに染まる頃には粗方の片付けは終わっていた。
「じゃあ僕は王城に帰るけど、いい? 施錠をしっかりとして外は出歩かないで」
「大丈夫だ、ちゃんとわかっている」
「この部屋のランプも点けたままだよ?」
「わかった、わかったから」
帰り支度を整えたジェラルドが戸口でぐちぐちとうるさい。子どもではないのだから言われた意味は理解しているし、ちゃんと実行に移すつもりだというのに。
「騎士だった自分を過信しちゃ駄目だからね」
終いにはそんな言葉を言い置いて管理小屋を後にしていった。遠ざかる背中を見て(最後まで嫌味だな)とむっとするも、すぐに扉を閉じて施錠する。その足で屋内の窓を全て見て回り、錠が下りていることを確認して人心地ついた。
「一人かぁ……」
ソファにとすんと腰掛けて長い息を吐いた。ジェラルドと話していたときより小さな声であるはずなのに、やたらと耳に響く。溜息の余韻が消えると重い静寂が訪れて、本当に一人きりなのだと実感する。
パチン、と薪が爆ぜてはっとした。
「そうだ、お茶でも飲もうか。ジェラルドが選んだ葉っぱもあるし」
のろのろと立ち上がり、小鍋を持って浴室に入る。外に出ずに水を汲み上げられるのは本当に便利だ、と一人になって益々強く思う。
かまどに小鍋を据えて再びソファに腰を下ろすと疲れがどっと押し寄せてきた。ぼんやり眺める窓の外では夜の帳が下りつつある。
「カーテンを閉めなくちゃ……夕飯を食べて、風呂釜も沸かさないと……」
誰に聞かせるわけでもないのに声を発してしまうのは、この沈黙を破るのが自分自身しかいないから。かまどから漏れ聞こえる小さな音ではこの空間が心許ないから。
ガブリエラにとって正真正銘、初めて一人で迎える夜だった。
くつくつと湯の煮える音がして重たい身体を何とか起こす。茶葉と砂糖を用意して、買ったばかりのポットとカップを水ですすぐ。美味しい淹れ方まではわからないから、護衛任務中に見掛けた王女付きメイドの動きを記憶の中から引っ張り出して真似してみた。
「……
意気揚々と茶缶を積み上げていたジェラルドを思い出して小さく呟く。
一人になったとき、正確には騎士としてのガブリエラを意識せずに済むとき、言葉遣いや思考に五年前のそれが混じってしまう。まだ貴族の身分が約束されていた頃だ。
特に今は昨日今日で溜め込んだ疲労と今後に対する不安、迫り来る夜への緊張感で全身から騎士として培ってきた精神力がごっそり抜け落ちている気がする。
ゆるゆるとした動きで買い溜めた食料品の中から甘いパンを探り当て、小さな欠片をろくに味わいもせずに苦い紅茶で流し込んでいく。何の有り難みもない食事だった。
「あっ、風呂釜を沸かすなら外に出なくちゃいけないのに……」
薪小屋に面した壁の一角に浴室用のかまどは設置されている。小屋の中からではどう足掻いても着火することは不可能だ。
空はすっかりと闇に染まりつつあり、ジェラルドが置いてくれたランプがあるとは言え、とても外を出歩く気にはなれない。ガブリエラは急いでカーテンを引いてソファの上でうずくまる。
(風呂釜は明るいうちに沸かす。風呂釜は明るいうちに沸かす)
同じ過ちを繰り返さないように心の中で自分自身に言い聞かせる。
幸先の悪い新生活に溜息を吐いて目を閉じるうちにガブリエラは今日という日に別れを告げていた。
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