第8話.伯爵に会う

「いやぁ、本当に寝るとはね」

「……仕方ないだろう。色々と気が張っていたんだ」


 ジェラルドに揺り起こされたとき、馬車はすでにワーケンダー伯爵家の前で停車していた。

 王都の北部に位置するワーケンダー領はランゲ橋から続く街道に沿って広がっており、ワーケンダー伯爵家のある中心部までは馬車でも数時間で辿り着ける距離にある。その時間をガブリエラは丸々うたた寝に費やしてしまったようだ。


(……不覚だ。結局寝顔を見られてしまった)


 嫁入り前の娘がおいそれと男性に見せるものではないのに、よりにもよってジェラルドに見られるなんて。ガブリエラにだって恥じらいはあるし、これをネタにからかわれるのもごめんだ。

 ブンブンと頭を振って眠気を吹き飛ばす。手櫛で髪を整え、気を取り直して馬車から降りると、そこにはすでにワーケンダー伯爵家の執事が待ち構えていた。


「お帰りなさいませ、ジェラルド坊っちゃん。ガブリエラお嬢様、ようこそお越し下さいました」


 慇懃にこうべを垂れる執事に胸に手を当てた礼で返す。わざわざ門外まで出迎えに来るということは、王女殿下のネックレス――今はガブリエラの所有物だが――を受け入れることが伯爵家にとっても大きな意味を持つのかもしれない。


「じゃあ、例の一品にも降りてもらおうか」


 ジェラルドにつられてもう一台の馬車を振り返る。『蒼き涙』とそれを抱えた兵が乗る馬車は十名の騎兵による鉄壁の守りで固められている。彼らが真剣にネックレスを護衛している一方で眠りこけてしまった自分が恥ずかしい。

 任務を全うした兵が慎重な足取りで下車する様子を見届けてジェラルドが合図を出す。それを受けた執事が先陣を切って歩き始めた。


(いよいよだ)


 列を成して頭を下げる使用人たちの合間をジェラルドに続いて歩く。歴史を感じさせる重厚な屋敷をしばらく進んだ先、応接間で待ち受けていたワーケンダー伯爵とガブリエラは初めての対面を果たした。


「ようこそ、我が領へ。当主のロッド・ワーケンダーだ」

「この度は拝謁の機会をお与え下さり、ありがとうございます。ガブリエラ・オークスと申します」

「まぁまぁ、まずは腰を落ち着けようか」


 ジェラルドと似た銀髪を持つロッドは涼やかな碧眼のせいか息子よりも冷然とした印象を感じさせるが、その見た目とは裏腹に声音は優しいものだった。

 勧められた通り、ロッドの対面のソファにジェラルドと並んで腰掛ける。続いて私設団兵の手によって革張りの箱が中央のテーブルにゆっくりと置かれた。


「確認しても?」

「はい、ご覧下さい」


 ガブリエラ自ら錠を外して蓋を開け、ロッドが見やすい向きへと箱を滑らせる。瞠目したロッドの唇から感嘆の声が漏れた。


「確かにエメリア王女がお使いになられていた『蒼き涙』だね。間近に見ると一層の迫力だ」

「これひとつでどれだけの民が救えるんだろうね」

「こら、ジェラルド」


 唐突に皮肉を飛ばしたジェラルドを父がたしなめる。


「口を慎みなさい。それに今の『蒼き涙』の所有者はガブリエラ嬢だ。彼女にこれを売り払えとでも言いたいのかい?」

「そんなわけないでしょう。これはガブリエラの働きが認められた大事な証だよ? だからうちで預かろうって話じゃないか」


 唇を尖らせて反論している。双方の気持ちは有り難いが親子喧嘩は止めてもらいたい。


「このような重宝をお預かりしていただくことでワーケンダー伯爵家のご迷惑にはなりませんでしょうか?」

「保管しておくだけなら大した手間ではないよ。元々屋敷の警備には力を入れているからね。ただ君には定期的に現物の確認に足労を願うことになるけれど」

「はい、それはもちろんいといません。いつでもお呼び下さい」


 ロッドの目を見つめて確約する。ネックレス、そしてガブリエラの身の安全と天秤に掛ければ数時間の移動など大したことではない。

 「ありがとう」と箱を押し返す仕草をされたので蓋を閉じて錠をかけた。これでガブリエラ自身も当分見ることはなさそうだ。


「ところで、だ。君のご両親は今回の件をご存知なのかい?」


 来たか、と心中に緊張が走る。


「私にはわかりかねます。消息は知れず、連絡を取っておりませんので」

「ずっと?」

「はい。オークス家が没落の憂き目にあってから一度も、です」


 前方からは碧眼の眼差しが、隣からは鉛色の眼差しがちくちくとガブリエラを刺してくる。

 彼らのような貴族――ジェラルドに至っては同じ学園に通っていた――にはオークス家が隣国との取り引きで大掛かりな詐欺に遭い、立ち行かなくなったことは知られている。

 当主が逮捕されたことで貴族としての責務を果たせず、名は残っても貴族籍は剥奪された。その際に一家は離散し、父も母も弟も行方は知れない。


「君が騎士の道を進んだことは?」

「当時、エメリア王女殿下にお声掛けいただいたことは話してありました。他に選ぶ道はなかったのでそのまま騎士職に就いただろうことは予見出来ているのではないかと」


 ふうん、とロッドが唸る。

 家族が散り散りになったことに驚いているのか、連絡すら取り合わないオークス家の面々に思うところがあるのか。明かした事実が今日の話し合いに影響を及ぼさなければ良いのだが。


「もしガブリエラの血縁を名乗る者が現れて、『蒼き涙』を見せろと言ってきたらどうすればいい?」


 ジェラルドがじっとりとした目つきでそう尋ねてきた。


「こちらの方々に本当の血縁者かどうかの判断はつかないでしょうが、一律に追い返して下さって構いません。もし私の目の前に本物の家族が現れたとしても必ず断ると断言出来ます」


 ロッドとジェラルドの両者に目線を送りながら答えた。


「それはエンバス領に関しても?」

「一歩も侵入を許さないつもりでいる」


 ガブリエラの宣言に満足したのか、ジェラルドは大きく頷いた。その拍子にずり落ちた眼鏡を指で戻して笑う。


「じゃあ僕も相談役として気に掛けておこう。僕がエンバス領に通すのは身元の明らかな者だけだから安心して」

「ありがとう」


 話の流れがエンバス領に移ったことを受け、居住まいを正したガブリエラはロッドに向き直った。


「エンバス領への私設警備団派遣と、その指揮をワーケンダー伯爵家が執って下さるとのお話をジェラルド殿からお聞きしております。重ね重ねお礼申し上げます」

「いや、礼には及ばないよ」


 緩く首を振るロッドは穏やかな笑みを湛えて続けた。


「ここだけの話だが、の地には我々も思うところがあった。かつての自領が長らく見向きもされずにいるというのはなかなか堪えるものだ。それが今や君の手に渡り、君の許可を得て彼の地に携われる。非常に幸運なことだと考えているよ」

「そう仰っていただけるのは大変心強いです。私にもお役に立てることがありましたら尽力いたします」

「まずはエンバス領の発展だね。期待しているよ、ガブリエラ嬢」


 うっ、と呻きそうなところをすんでで抑えた。親子で重圧を掛けるのは止めてもらいたい。


「はい、精一杯励む所存です」

「頼りになるかはわからないが、せいぜい相談役をこき使ってくれればいい」

「すでに大活躍だよ。ね、ガブリエラ?」

「う、うん、まぁ……」


 自己申告されて素直に頷けずにいるとロッドに笑われてしまった。


「書斎にワーケンダーの歴史書や領内の経営に触れた書物が置いてあるから、興味があるなら目を通すといい。今日は宿泊していくのだろう?」

「はい。ご厚意に甘えさせていただきます」

「ジェラルド、案内して差し上げなさい」

「言われずとも、だよ。じゃあガブリエラ、行こうか」


 なし崩し的に会談は終わりを告げる。最後に深く頭を下げて応接間を後にした。



◇◆◇



「ねぇ、ガブリエラ」

「……んん?」

「そろそろ区切りを付けて終わりにしよう」

「あー、うん」

「返事のわりに目と手は動きっぱなしじゃないか。ちゃんと聞いてる?」

「あー、うん」


 ふぅ、と大きく息を吐く音が聞こえた。次いでガブリエラの読む書物がトンと大きな手で押さえ付けられる。


「勉強熱心だね、ギャビーは」


 頭上から低い声が響いてぞわりと肩が震えた。


「その呼び方はよしてくれと言っている」

「君が人の話を聞かずに読書しているからだろう」


 目に見えてむっとしたジェラルドは昼間よりも簡素な服に着替えていた。髪もしっとりと濡れているように見える。

 書斎の窓から覗く空にはすっかり夜の帳が下りていた。会談の後に案内された書斎で気になる書物に手を伸ばしたガブリエラは途中で夕食を挟んで再びここに戻ってきた。そうして机に向かって読書に没頭するうちに随分と時間が過ぎてしまったようだ。


「そんなに僕に愛称で呼ばれるのが嫌?」


 行儀悪く机に腰掛けたジェラルドが非難めいた目でこちらを見下ろしてくる。


「嫌だ」

「何が嫌だって言うの」

「嫌いなんだ」

「……僕が?」


 領地経営に関しては強引なくらいに話を進める男が何を気弱なことを言っているのか。内心で悪態をつくことはあってもジェラルドに向けて嫌っている態度など見せたことはないだろうに。


「違う、『ギャビー』という愛称が」

「でも学園時代、君の親しい友人には呼ばせていたじゃない」


 伯爵との間にも上った話題だからか、ずけずけと昔話に踏み込んでくる。ガブリエラにとって、ある一点を除いてはあまり思い出したくない過去だというのに。


「確かに、長年付き合いが友人たちには昔からそう呼ばれていた。だが父が詐欺事件に遭い、オークス家の今後が不鮮明になり始めた頃、彼女たちは途端に私を『オークスさん』と呼び始めた」


 蜘蛛の子を散らすようにガブリエラの周りから友人はいなくなっていった。


「彼女たちの振る舞いは貴族としては合格点だろうな。あのときの私には落ちぶれる未来が見えていたのだから」


 そんな折り、救いの手を差し伸べる者もまた学園の中にいた。

 その後の人生の道標みちしるべを煌々と照らす存在。

 苦い終わりを迎えた学園生活の最後に大きく輝きを放ち、今もガブリエラの目指す先にいる尊き人。


「私は姫様……エメリア王女殿下に騎士学校への編入を勧められて生きる道を見失わずにいられた。姫様が一介の同級生に過ぎない私に心を砕いて下さったことは、私だけでなく他の者にも衝撃を与えたのだろうな」


 ふっと皮肉な笑みが浮かんでしまう。


「かつての友人たちは編入試験に向けて勉強する私を囲んでこう言ったんだ、『すごいわね、ギャビー』と」


 黙って話を聞き入るジェラルドを見上げた。眼鏡の向こうで鉛色の瞳がガブリエラを見返してくる。


「だから嫌いだ」

「僕は君に媚びへつらいたいわけじゃない」

「だとしても嫌いなんだ」


 行きの馬車でジェラルドが話した学園でうたた寝をするガブリエラの姿は、編入試験の対策で昼夜問わず勉学に励んでいた頃を指している。

 心身共に疲れ果てていた学生の身空には、将来の安泰が約束された友人たちの掌返しは堪えるものだった。そんな苦い思いを蘇らせる愛称などいらない。


「じゃあ嫌われないように名前で呼ぼうかな。ガブリエラ、明日からエンバス領での生活が始まるんだ。そろそろ寝て」

「あぁ、そうだな。夢中になり過ぎた」

「興味を引くものがあったなら似た本を探して届けるし、いつでもここに来てくれて構わないから」


 読みかけの書物がジェラルドの手によってバタンと閉じられる。その音につられるように潜んでいた眠気が顔を覗かせた。

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