第7話.ネックレスを賜る
届け出た休職願いが受理され、騎士の職務に一旦の区切りを付けて迎えた第一日目。管理小屋への引っ越しを翌日に控えたその日、ガブリエラは王城の騎士団長室にいた。
「これまでお世話になりました。本日より職務を離れますが、騎士団の益々の発展をお祈り申し上げます」
「まぁまぁ堅苦しい挨拶はいい。お前も頑張れよ、ガブリエラ」
「はい、団長。ありがとうございます」
今はもう騎士服ではなくブラウスにロングスカートという極々普通の出で立ちだったが、習慣が染み付いてしまっているせいか、つい敬礼が出てしまう。
そんなガブリエラを年配の騎士団長は苦い笑みで見つめていた。
「せっかく姫様をお守り出来たと喜んでいたのに残念な結果になっちまったな」
「そんなことはないと言っては嘘になりますが……ですが、姫様や陛下が願われるのであれば、あの地を守ることを私に課せられた使命と信じて励むのみです」
騎士団長はガブリエラが抱える王女殿下への忠誠心を熟知している。王女襲撃事件を経て一層強く護衛意識に燃えていたことも、エンバス領を拝領したが故に後ろ髪を引かれる思いで休職することもお見通しなのだ。
「無理はするな。それとたまには顔を見せに来い」
「はい、必ず」
最後に丁寧な礼を残して団長室を辞した。
今日はこの後も予定がしっかりと詰まっている。そのため、駆けない程度の早足で次の目的地となる調印室へと向かった。
◇◆◇
「では、この署名を以てエメリア王女殿下の『蒼き涙』に纏わる全ての権利をガブリエラ・オークスのものとする。けして悪用などせず、重宝するように」
「はい、有り難く頂戴いたします」
厳かに静まり返った調印室のテーブルでガブリエラはたった今、自分の名を記した羽根ペンを置いたばかりだった。
王女殿下より下賜されたネックレス『蒼き涙』が今後ガブリエラの所持するものと約束する証明書は国によって保管される。盗品ではないという正式な証だ。
まだインクが乾ききっていない証明書を銀盆に乗せた大臣が、壁際に置かれた大きな金庫の前で待機する補佐官に合図を送る。待っていたとばかりに恭しい手つきで開かれた金庫から重厚な革張りの箱が運ばれてきた。
「こちらが『蒼き涙』となる。最後に確認を」
「その前にひとつお願いがございます。この『蒼き涙』とエンバス領を賜るに当たり、ある方に相談役として助言をいただいております。その方を今この場にお呼びしても?」
覚えろと言われた言葉をそのまま丁寧に吐き出す。大臣が鷹揚に頷いて相談役の入室を許可したので、ガブリエラ自身で調印室の扉を開いてこの指示を飛ばした張本人を迎え入れた。
「わたくしめも立ち会いさせていただきます」
ずかずかと歩いてきたジェラルドに大臣と補佐官が瞠目する。相談役と聞いてもっと年配の人間を想像していたのかもしれない。しかし隣の男はそんな視線も気に留めず、しかつめらしい表情で箱の蓋を押し開けた。
(勝手に開けるな!)
「素晴らしい一品ですね。確かに『蒼き涙』で間違いないでしょう」
ジェラルドの態度に気を取られているうちに披露されたネックレスは自ら発光しているのかと見紛うばかりに眩かった。一粒一粒が際立った宝石はその個体でどれだけの価値があるのだろうか。
エメリア王女のネックレスを下賜される、という事実に喜んでいたが、この財宝を手元に置くことの恐怖を今更ながらに感じてくる。とても一人で手に負えるものではない。
「それではわたくしめの方でこちらを運び出しますので、兵を召喚いたします」
「君がか?」
一方的に事を進めようとするジェラルドにとうとう大臣が口を出した。
「はい。ガブリエラ殿との話し合いにより、こちらの一品はワーケンダー伯爵家でお預かりすることで決着しております。これより領内へ移送いたします故、急ぎますので失礼いたします」
作り笑いで言い切ったジェラルドは扉を開けて二人の兵を呼び入れた。
ガブリエラはこの二人に事前に挨拶を済ませている。かつて騎士団に所属し、規定年齢で退職した彼らは現在ワーケンダーの私設警備団で活躍する熟練の兵だそうだ。年齢を感じさせない立派な体躯でネックレスを預けるのに申し分なかった。
「お世話になりました。失礼いたします」
彼らが持ち込んだ鍵付きのトランクケースに革張りの箱ごと丁寧に収める。運搬は兵に任せ、大臣らに挨拶だけして調印室を後にする。
ふぅ、と大きな溜息が零れた。国に忠誠を誓っている身でも堅苦しい場は苦手だった。それに今日の予定はこれからが本番と言っても差し支えないのだから。
「馬車を待たせてあるから行こう。ガブリエラ、忘れ物はない?」
「ないと思う」
「じゃあ付いてきて」
急かされて向かった馬車停めには二台の馬車と十人の騎兵が待ち受けており、その物々しさにガブリエラを驚かせた。皆ワーケンダー伯爵家の紋を身に着けており、一般的な馬車の利用者に比べると異色を放っている。
勧められるがまま先頭の馬車に乗り込めばジェラルドと二人きりの空間が出来上がった。
「随分人を集めたな。仰々しくないか?」
「わざと人目に付けているんだよ」
「何故?」
「『蒼き涙』の行き先がワーケンダーだと知らしめるために。大臣の口からもいずれ広まると思うよ」
(そうか、前も言っていたな)
騎士宿舎から撤退したガブリエラが下賜されたネックレスをどのように保管するのか。単純に考えれば街の金庫となるが長期間預けるとなると金が掛かるし、ものがものなだけに預かってもらえる保障もない。
となると自宅での保管が候補に上がり、ガブリエラの住まいが狙われる可能性が高まってくる。その危険を回避するためにワーケンダー伯爵家に預けるのであり、事実を喧伝することでガブリエラの身を守ることにも繋がるのだ。
「厄介事を持ち込んでしまって、伯爵にご迷惑は掛かっていないか?」
「王女殿下が愛用された品を預かれるんだ、迷惑どころか光栄な話だと喜んでいるよ」
「それなら良いのだが」
緊張の息を細く吐く。
これから『蒼き涙』をワーケンダー伯爵家に運び込むと共に、伯爵に直々に挨拶をする予定でいる。ネックレスの保管のみならず、エンバス領に関してもすでにあれこれと取り計らってもらっているため、礼の言葉をどれだけ用意しても足りなく思えて気が重い。
話をとんとん進めていく当の本人はしれっと窓の外を眺めているけれど。
「しばらく走るんだし寝ておいたら?」
「ジェラルドの前で寝られるわけないだろう」
街を抜けた馬車から川が見える。ランゲ橋に差し掛かっている。
「どうして?」
「どうしてって、寝顔を見られたくない」
至極真っ当な回答をしたはずなのにジェラルドはにやにやと笑い出した。無愛想者がこんな笑い方をするときは嫌な予感しかない。
「君のうたた寝姿なんて何度も見ているけどね」
「は? どこで?」
「学園で。頬杖をついて窓の外を見ながらうとうとしていたのを知ってるよ」
「うっ……」
心当たりがあり過ぎた。
ある時期、寝る間も惜しむという言葉通りに勉学に励んでいて身体が追い付かなくなっていた。窓際の机でそよ風を受けているだけで睡魔に誘い込まれるほどに肉体が休息を欲していた。
当時のガブリエラを気に掛ける者などいないと思っていたのに、よりによってこの男に見られていたとは。
「あの頃の僕は髪が短かったとガブリエラは回想していたけれど、そんな君の髪は今よりもずっと長かったね」
馬車の振動で揺れる赤茶色の髪は肩の上でさらさらと音を立てている。今では
「あ、君の領地だよ」
ランゲ橋を渡り終えて街道を進む馬車が木柵に紛れる開閉ゲートの前を通過していく。エンバス領に入るための唯一の出入り口だが、やはり馬や馬車で駆け抜けていくだけではなかなか気付きにくい。
「いずれあのゲートも作り替えてしまおうか。人の出入りはともかくとしても、荷物の運び入れが厄介だ。ガブリエラが住み始めてからはもっと利用頻度も上がるだろうしね」
「昔ながらのものを変えてしまうのか? もったいない気がするが」
「昔と今じゃ利用目的が変わっているんだ、その辺りは柔軟に対応しないと」
次期伯爵家当主としての決断だろうか。
ここ数日で彼の物事の運びは非常に迅速だと見て取れた。すでに頭の中で計画を描いているのか、躊躇いもなく提案即決していく。
そのお陰でガブリエラも随分と助けられているのだが、いつか彼が急な落とし穴に嵌ってしまわないかと心配になる気持ちもある。順調に進んでいたはずの話が突然流れ去って手元から全てが消えてしまわないかと。
「馬での出入りを可能にするのはどうだろう。木を何本か切り倒して、足元を整えて。買い物にも行きやすくなるんじゃない?」
「あぁ、それは確かに」
「馬ならワーケンダーから貸し出せるしね」
名案だ、とでも言いたげに頷くジェラルドは小窓に流れる景色を眺めている。
そんな彼を真似てエンバス領のものからワーケンダー領のものへと移り変わった木立の群れを見つめているうちにガブリエラは眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。