第5話.羽根箒を振るう

 エンバス領の視察を行った翌々日。

 騎士職の引き継ぎ作業で午前を費やし、午後には再び『打ち遣られの領地』にガブリエラは降り立っていた。先日の別れ際、管理小屋の清掃を早々に済ませるようにとジェラルドに言い含められていたからだ。

 時間の取れる明後日――つまり今日訪れることを伝えると、手伝いを派遣するからと相談役は言ってくれた。まだ腕の傷が痛むガブリエラには大変に有り難い申し出だった。


 街道からゲートを潜り、見張りの警備兵に挨拶をして、萎れた草をさくさく踏み鳴らしながらエンバス領を突き進む。荒れた畑は相変わらずだが今は後回しで管理小屋に向かう。休職までは間もなくで、一刻も早く新しい住まいを整えなければならない。


(出来れば今日中に済ませたいところだが)


 掃除の後には荷物の運び入れや今後の生活に必要なものを揃える必要がある。頑張らなくては、と気合を入れて花を付けた中木を回り込み、管理小屋の正面に回る。すると閉ざされた扉の前でお仕着せに身を包んだ女性が屋根を見上げている姿が視界に飛び込んできた。その足元には大きな鞄や箒が寝かせて置いてある。


「失礼、どなたでしょうか?」


 大方の予想はついているものの、そう声を掛ける。ガブリエラの呼び掛けに反応して振り向いたのは目がくりくりとした五十前後の女性で、こちらを見るなり「あら!」と人好きのする笑顔を浮かべた。


「初めまして。ガブリエラお嬢様でいらっしゃいますか?」

「おじょっ……? いえ、ガブリエラ・オークスならば私ですが」

「ジェラルド坊っちゃんに仰せつかって参りました、マリアンヌと申します。本日はこのお屋敷の清掃をお手伝いするよう申し付けられております」


 丁寧に腰を折って頭を下げる様は、長らくワーケンダーに仕えているであろう彼女の背景を思わせる。


(また坊っちゃん、か)


 あの無愛想が常日頃そんな風に呼ばれているとは面白い。ジェラルド本人はどんな態度で返すのか、それもまた興味がある。


「わざわざご足労いただき、感謝します。今日はよろしくお願いいたします」

「ええ、ええ、もちろんですとも。お怪我をされていると伺っておりますから、どうぞこのマリアンヌにお任せ下さいませ」


 一層眩しい笑顔でにこりと微笑んだマリアンヌは足元に置いた鞄から掌に収まるほどの革のケースを取り出し、ガブリエラへと差し出してきた。


「こちらはジェラルド坊っちゃんよりお預かりしました、お屋敷の新しい鍵でございます。昨日中に交換は全て終わっているとのことです」

「昨日中に? そんなに早くですか」

「はい。坊っちゃんときたら、それはもう自分のことのようにテキパキと段取りを整えておいででしたから」


 ガブリエラの知らないところで相談役としての辣腕を振るっているらしい。

 内心で色々と文句をつけてしまっているが、彼は現状から最良の落とし所を見つけてくれているのだと思う。そして口を出すばかりではなく、実行に移して物事を滞りなく進めている。


(今度会ったらきちんと礼を言わなくてはな)


 そう決意して受け取ったばかりの革のケースを開く。真新しい真鍮の鍵が陽射しを受けて黄銅色をきらりと瞬かせた。


「では解錠します。もちろん私も出来る限りを尽くしますが、マリアンヌさんの動きやすいように作業なさって下さい」

「かしこまりました」


 同じく真新しいドアノブの鍵穴に鍵を差し込んで手首を返す。かちゃりと軽快な音を立てて錠は開かれた。ケースに鍵を戻してポケットに仕舞い、扉を開け放てばまた古い木の香りがふわりと漂う。長らく騎士宿舎で生活しているため忘れていたが、人が住まう家にはそれぞれ独特の匂いがある。この管理小屋にはこの建材の香りが染み付いているのだろう。


「それでは、失礼いたします」


 扉の前でお辞儀をしたマリアンヌはつかつかと室内に進んでいき、先日ジェラルドがしたのと同じようにカーテンと窓を開け始めた。途端に小屋の内部に光が差し込み、床も壁も家具をも照らしていく。それらをぐるりと見回して、うんうんと大きく頷いたマリアンヌが戸口のガブリエラを振り返る。


「カビもなく、埃もそう積もっておりませんから拭き掃除と掃き掃除で十分事足りるかと思います。早速始めても構いませんか?」

「はい。では私も……」

「お待ち下さい、ガブリエラお嬢様」


 室内に一歩踏み入ろうとしたところでこちらに掌を見せたマリアンヌに待ったをかけられる。ガブリエラがその場で留まったことを確認すると、彼女は持ち込んだ鞄から大きな布包みを取り出した。


「ジェラルド坊っちゃんからお預かりしております。大事な制服をお汚しになられないよう、こちらにお着替えいただくようにとのことです」


 う、と思わず呻いてしまう。視線をそろそろと下に下ろせば、そこには見慣れた騎士服が。今日もこの装いで来ることをジェラルドは確信しており、その上で着替えまで用意したということか。


(これはこれは、随分と優秀な相談役様だ!)


 有り難い心遣いであるはずなのに、渡された布包みからはそこはかとなく嫌味を感じる。いや、ガブリエラの思い過ごしなのかもしれないが、でもきっと多分、ここに彼がいたなら「またその格好で来たの?」くらいは言われた気がする。


「さぁさ、そちらの寝室でお着替えなさって下さい」


 半開きの扉を手で示されて仕方なくそちらへ向かうことにした。

 先日は戸口でジェラルドの動きを見守っていただけなので実際に小屋に入るのはこれが初めてだ。床板が鳴らす、かつかつと小気味好い音が存外心地良い。

 寝室は寝台とクローゼットと窓があるだけの簡素な部屋だった。しかも寝台は土台の木組みだけでマットや掛布は見当たらない。ひとまず木組みの上に渡された布包みを広げ、着替えに取り掛かる間にぼんやりと思考を巡らせた。


(ここでエンバス王太子が寝泊まりは……考えにくいか)


 ワーケンダー領時代からあったというならエンバス王太子もこの小屋の存在は知っていただろうが、王族が利用するには質素な造りだ。王太子の従者や兵が利用した可能性なら考えられるが……と思いかけて、ふと別の思考が湧く。

 そもそも従者なり何なり王太子以外の人間が立ち入っていたなら、たったの二ヶ月でこの地を捨てるような運びになるだろうか。それこそ上に立つ者として領地維持の指令を与えておけば、後の世に『打ち遣られの領地』などと呼ばれることもなかったのではないだろうか。


(いや、私が考えても詮ないことだな)


 後世になっても尚『浮世離れした王太子』と言わしめる王族に一介の騎士の理解が及ぶはずもない。

 ただ、もしもエンバス王太子がこの部屋を使用していたのだとしたら。同じ小屋で暮らし、同じ寝台を利用したと、ちょっとした自慢話になるのではないか。ガブリエラの関心はせいぜいその程度のことだった。


「お待たせしました」


 着替えを終えて寝室を出ると、すでにマリアンヌは羽根箒を使って壁の埃を払い落としている最中だった。


「あら、着丈もぴったりでお似合いでございますね」


 と褒めてくれるのはジェラルドが用意したらしい白シャツと乗馬パンツ。確かに身体に合っていて動きやすいことは確かだ。


「私に出来そうな作業はありますか?」

「今わたくしがしておりましたように、この羽根箒で壁を撫でて下さいますか? 片手で済みますから」


 腕の怪我をおもんぱかってのことらしい。出血は止まって傷口が塞がるのを待っている状態だが、力を込めると痛むし無理をすれば繋がりかけている皮膚がまた裂けてしまう。無理をさせまいとする心遣いに有り難く感謝して羽根箒を受け取った。


(あれ、案外楽しいな、これ)


 無傷の腕で掲げた羽根箒で壁の高い位置をひと撫ですれば、貼り付いていた埃が拭い取られて壁紙本来の白さを取り戻す。その目に見えてわかる作業の結果がガブリエラの好奇心と意欲を刺激して、次へ次へと腕を動かしてくれる。

 居間らしき部屋の壁面を白くし終え、寝室に作業の場を移すとガラス窓の向こうにマリアンヌの姿があった。窓から見える管理小屋の裏手には、彼女の背丈を超す規模の木枠が組まれている。屋根が付いていること、枯れ枝が散らばっていることから薪小屋だと推測された。

 きょろきょろと辺りを見回すマリアンヌを見守っていると視線に気付かれてしまった。にこやかな笑みでとことこと窓辺に近付いてくる。


「薪が少のうございますので手配いたしますね」

「いえ、そこまでお気遣いいただくわけには」

「ジェラルド坊っちゃんから備品の確認もしておくようにと申し付けられておりますから、必要なものがございましたら遠慮なく何なりと。あぁ、そちらの寝台のマットは手配済みだそうですから、どうかご安心下さいませ」


 相談役はどこまでも優秀らしい。

 では片付けを続けましょう、と言い置いてマリアンヌは散乱した枯れ枝を拾いに戻っていった。ガブリエラも片手を大きく振り上げて埃払いの作業を続ける。


 漠然としていたこの小屋での生活が徐々に現実味を帯び始めている。ジェラルドの協力で形成されつつある新生活の礎は一人で築くには骨が折れるものだったに違いない。

 その根源となるエンバス領と領主の任が、何故ガブリエラに与えられることになったのか。


(姫様のお側でずっと仕えていたかったのだけどな)


 ガブリエラのそんな気持ちをエメリア王女本人にも汲んでもらえているものと思っていたのだが、図々しい思い込みだったようだ。


(しかし、まだ騎士の職が絶たれたわけではない)


 あくまで休職という形で王女の側を離れるだけだ。

 自分の努力次第ではそう何年と掛からずに復職出来る可能性だってある。


「そのための第一歩だな」


 剣を羽根箒に持ち替えたガブリエラは目の前の埃と戦うことに集中した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る