第4話.引き続き視察する

「ところで君、どうしてそんな格好を?」


 踏み付けられた青草の道を先に行くジェラルドが肩越しに振り返りながら尋ねてきた。

 共に視察に回ることを決めるや否や、彼はすたすたとガブリエラの前を歩き始めた。曰く、かつてワーケンダー領であった頃の地理を頭に叩き込んできたからガブリエラが無闇に動き回るよりも効率が良いとのこと。心の中で(嫌味眼鏡め)と毒を吐きはしたものの、彼の言い分には一理あるので口は噤んでおいた。


「人目に触れても問題のない動きやすい服だから、これで良いかと思ったのだが」


 身を包む着慣れた騎士服を見下ろしながら答えると前方から大きな溜息が聞こえてきた。


「あのね、いいわけないでしょう? 任務時間外に騎士団の制服を着て何か問題に巻き込まれようものなら、君に厳しい処罰が下される可能性もあるんだよ?」

「だが、騎士服これが私の一番の身分証明でもある」

じきに休職するんだから、おいそれと着ちゃ駄目だよ」


 横目でじろりと睨まれる。眼鏡越しではないジェラルドの瞳はなかなかに鋭いので結構な迫力があるのだが、ガブリエラにとっては邪魔くさい視線でしかない。


「私自身は休職にすら納得していないけれどな。姫様を守るという重大なお役目をどうして取り上げられなくてはならないんだ」


 結局のところ、ジェラルドに言い包められる形でガブリエラは騎士職から一時的に離れることになった。辞職は嫌だと突っぱねて、どうにか妥協した結果だ。


「王家所縁ゆかりの地を拝領して、片手間に構ったり放っておく方がよほど罪深いと僕は思うけどね」


 こんな風に騎士としての忠誠心をちくちくと刺してくるのだから頷かざるを得なかった。


「本当に嫌味な眼鏡だな」

「ちょっと、人のことを眼鏡って呼ばないで」


 本音が零れ出てしまったが反省はしない。

 足が止まりかけているジェラルドの背中を拳で叩けば、ブツブツ呟きながらも前進を始めるのでそれに続く。

 意外と広い背中の彼はしっかりと準備を整えてきたようで、王城内で見掛ける小綺麗な格好ではなく、ざっくりしたシャツとズボンに年季の入ったブーツを合わせている。うなじで結われた長めの銀髪がどこか不釣り合いに感じられた。


「ジェラルドは随分慣れた様子の格好だな」

「当たり前でしょう。これでも伯爵家の嫡男として馬の世話や領内の手入れを子どもの頃から手伝っているんだから」


 前を向いて歩く彼の声が風に流されて聞こえてくる。草と土の匂いを乗せたこの空気がジェラルドにとって馴染み深いものだとしたら少し意外かもしれない。

 畑とおぼしき掘り返しの脇に伸びる萎れた青草の道を二人で進む。畑の北側には草原――かつてワーケンダー領だった頃に馬が駆けていたであろう放牧地が続いているようだが、今向かっている東側には僅かな距離を置いて中木ちゅうぼくが立ち並んでいた。時期柄、花を咲かせている木もあってほっと心が和む。


「こっちだよ、ガブリエラ」


 二方向に分かれている道のうちの一方にいざなわれる。中木を回り込むように連れて行かれた先には、生い茂った樹木に隠れるようにひっそりと佇む小さな一軒家があった。


「こんなところに家?」

「ワーケンダー領時代の管理小屋だよ。足元の草を見るに近年でも出入りは行われていたようだね」


 確かに踏み付けられた草の状態を見れば、ずっと昔の形跡でないことはわかる。行ってみよう、というジェラルドの声にガブリエラも歩を進める。

 一階建ての小さいながらもしっかりとした造りの家は、様式こそ古びてはいるものの建材に傷みは見られない。家の周囲には砂利が敷き詰められていて雑草が生えていないこともあり、『打ち遣られの領地』にある建物にしては綺麗に保たれているようだ。

 扉に辿り着いたジェラルドは遠慮なくノブに手を掛ける。


「ちゃんと解錠されている。ねぇ、ガブリエラ」


 靴底に砂利の感覚を楽しんでいたら気を引くように名を呼ばれた。


「何だ?」

「この家に付いている鍵という鍵を全て交換するけど構わない? 資材も人の手も全部こちらで用意するから」

「私は構わないが……それは必要なことなのか?」

「もちろん。ここが君の住処すみかになるんだからね」

「は?」


(何を言ってるんだ、この眼鏡は)


 何日か前にも同じ悪態をついた気がするが、それどころではない。


「言っている意味がわからない」

「休職する君がのうのうと騎士宿舎で過ごせるはずはないよね。だからここに住まいを移すんだ。他に帰れる屋敷なんてないでしょう?」


 ぐっ、と言葉を呑む。反論の余地が見当たらないからだ。

 休職に入るまでにもう日にちは幾らもない。騎士団から直々に退きを要求されたわけではないが、職務に励む仲間たちがいる傍らで都合良く宿舎で寝泊まりするのは図々しい話ではある。

 だからと言って、急にこんなところに住めと言われて素直に頷ける話でもないのだが。


「ちゃんと警らはさせるから。この家もガブリエラの使い勝手のいいように作り変えてくれて構わないし。さぁ、中を確認してみよう」


 手招きで呼ばれて、仕方なく扉の前に立つ。それを見届けたジェラルドが躊躇いもなくノブを引いて扉を開放した。

 途端にすっと漂う、古い木の香り。室内は薄暗く、戸口から差し込む光に埃が舞って見えた。


「カーテンと窓を開けようか」


 ずかずかと踏み込んでいく男の背中を見送って、ガブリエラは戸口から室内を観察した。管理小屋というだけあって無駄に広いわけではないが、四人掛けは出来そうな頑丈そうなテーブルや戸棚を備えたしっかりしたキッチン、ゆったり座れそうなソファが薄暗闇にぼんやり浮かんで見える。室内にも扉が二枚見えるので風呂や寝室が別にありそうだ。

 そうこうしているうちに室内を動き回るジェラルドが窓とカーテンを開け放って室内に光と新鮮な空気を送り込んでいく。

 明るく照らされた床も家具も思いの外に汚れておらず、物が少ないせいもあってか、こざっぱりして見えた。


「手入れはされているようだね。状態は悪くない」


 戻ってきたジェラルドはいつの間にかシャツの袖を捲っている。握ったときには細いと感じた手首は意外にも引き締まっていた。


「鍵を取り替えて軽く掃除をすれば、すぐにでも住めると思う。元々利用していたらしい地下水路も健在だったから、鍵の交換と一緒に水質検査もしておくよ。ガブリエラ、掃除は出来る?」

「馬鹿にしないでくれ。掃除くらい出来る」


 むっとして言い返すとジェラルドが相好を崩す。あまり笑顔を見せない彼にしては珍しい表情なので、ガブリエラの方がその反応に面食らってしまった。


「偉いね。じゃあ掃除は次に回すとして、続きを見て回ろう」


 しかし言葉の選択にイラッと来る。やはり馬鹿にされているようだ。


「どうして鍵を交換する必要が?」

「王家の息が掛かった人間とは言え、不特定多数が入り込んでいる可能性があるからね。用心に越したことはないよ」

「盗るほどの財産などないのに。ネックレスも伯爵家に預けるのだし」

「ネックレスの預け先を知らなければ真っ先に狙われるのはここでしょう?」

「……それもそうか」


 青草の道を歩きながらそんな言葉を交わす。先程の二方向に分かれた場所まで戻ると、まだ進んでいない方の道へジェラルドが足を向けたので後を追った。


「そもそも狙われるのは財産だけではないんだからね、ガブリエラ」

「というと?」

「君自身に危険が及ばないとも限らないってこと」


 うーん、と思わず唸ってしまう。

 おそらくジェラルドはガブリエラの身を心配して言ってくれているのだろう。だとすれば有り難い話ではあるのだが、だったら強引に話を進めないで欲しいと思う気持ちもある。

 気付けば掘り返された畑はすでに背後にあり、膝下まで伸びた草の中に続く道を突き進んでいた。


「こっちの方にも何かあるのか?」

「あると言えばあるし、ないと言えばないかな」


 思わせぶりな口調だが彼の背中越しに見る景色に特別変わったものは見受けられない。この領の果てを示す木立があるだけだ。

 立派に枝葉を広げる木々の前まで行き着くと、その幹に手を置いたジェラルドがこちらを振り向いた。


「ここに生えている木は元々植わっていなかったものだよ」

「どうしてわかる?」

「言ったでしょう、馬の放牧に使われていたって。現ワーケンダー領から旧ワーケンダー領まで地続きでね。それにほら」


 街道側で茂っている木々を指差して続ける。


「ここいら一帯の木立はワーケンダーの領地だった頃に一斉に植栽されたものなんだ。随分と古くに遡るから立派に育っているし、高木だから上背がある。この子たちは低木類のようだし、まだ若い方だよ」


 ぺしぺしと叩かれた幹は一見しっかりとしているように見えるが、街道沿いで見た木々のそれは確かにもっと太かった。揺れる緑葉の高さも違う。


「エンバス領になってから植えられたということか」

「そういうこと。でもね、エンバス領とワーケンダー領の境目はここじゃないんだよ」

「え?」

「本当はこの木立のもう少し先。小さな泉があって、そこを目印にして領を分けたとされている」


 木々の隙間から漏れ見える光に目を凝らすが、どのような景色が広がっているかは判別出来ない。しかしエンバス領の終わりがここではないとすると色々と厄介なのではないだろうか。


「木立と泉の合間にある土地はどうしていたんだ?」

「どうしようもなかった。今でこそガブリエラのものだけど、先日までは王家の預かる土地だったから手入れも何も出来ずにいたって」


 低木に遮られた僅か向こうは伸び放題の草地となってしまっているらしい。

 親切心で手入れを施そうにも横領や不法侵入で罪に問われる可能性があったに違いない。元々がワーケンダーの一部であったなら歯痒い思いがあっただろうと察せられる。


「手狭な領地で構わないなら、あちら側は返還してくれても良かっただろうにね。それすらも怠って何が領主なんだか」


 さらりと吹き抜ける風にジェラルドの言葉が流されていく。他人に聞かれていい話ではない。


「滅多な言い方をするものじゃないぞ」

「ここだけの話だから大丈夫。それにしても……この木そのものに意味はなさそうだね」


 ジェラルドは枝葉を見上げたり、根元を調べたり、何かを探っているようだ。

 国内でもよく見掛けるごくごく普通の樹木で、珍しい観賞用の植物というわけでもない。この木立があるお陰でエンバス領はぐるりと囲まれて切り取られたような空間を作り上げている。かつての王太子は人目のないこの空間に憩いを求めたのかもしれない。

 そんな考えを披露するとジェラルドは「なるほどね」と呟いた。


「ところでガブリエラ。この木立の向こうのエンバス領にワーケンダーの立ち入りを許可してもらえる?」

「もちろん構わない。いっそのこと、そちらに明け渡した方が良いと思うのだが」

「下賜されて早々に返還の手続きを取ると変な勘繰りが入るかもしれないから、止めた方が賢明だね。でも気持ちは有り難く受け取っておくよ」


 向こう側からも周囲を調査して後日結果を報告すると約束してくれた。

 そして二人は再び畑の方へと戻り、他の道を歩いて見て回った。いくつか存在する青草の道はどうやら警備の巡回ルートに使われていたようで、特に変わったものは見つからず。

 ジェラルドの言葉を借りるなら歩いて見て回れる程度の『手狭な領地』だが、正真正銘ガブリエラの手に渡ったひとつの領地だ。

 領主としての実感はまだまだないに等しいが、受け取った以上は二度と『打ち遣られの領地』などと呼ばせるわけにはいかない。

 土の匂いをふんだんに含んだ風に目を細めながら、ガブリエラはこれからの暮らしに腹を括った。

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