第3話.視察する

「ここが『打ち遣られの領地』か……」


 ガブリエラは枯れ草色の瞳を凝らして眼前に広がる大地を見渡した。

 時折流れる柔らかい風が肩で切り揃えた赤茶色の髪を揺らしていく。風は見通しの良いこの地をひと撫でするように吹き抜けており、土と草の匂いを乗せて運んでいた。





 遡ること数日前。ジェラルドから受け取った目録に添えられていた確認同意書にガブリエラはサインした。

 記載された褒賞品の詳細を確認した上で、それを悪用しない旨を誓約する署名が求められる証書となっており、担当の文官に渡す手筈になっている。ガブリエラの場合は領地経営の相談役でもあるジェラルド・ワーケンダーがそれに当たり、渋々ながら同意書を手渡した。

 それから間もなくして彼から呼び出しがあり、環境大臣補佐官室を訪れたガブリエラに持ち掛けられた提案はこんなものだった。


「まず王女殿下のネックレスだけど、君の住まいは騎士団宿舎で帰る実家はないよね。だからワーケンダーの屋敷で預かって保管するのはどうだろう? もちろん他にアテがあるなら、そっちを頼ってくれて構わないよ」


 ジェラルドが相談役に就いたことに未だ納得のいかないガブリエラだったが、この申し出は素直に受けることにした。下賜されるネックレスは到底宿舎に置いておけるような代物ではなく、街の金庫に預ければ金が掛かるし、安全面を考慮しても心許ない。

 それならば身元のしっかりしているワーケンダー伯爵家にお願いする方が余程安心出来るからだ。


「エンバス領に関しては国王陛下と環境大臣の認可が下りて、今日付けで君の領地となったから」

「今日? こんなに早くにか?」

「元々領主も領民もいなくて引き継ぐものがないからね。もちろん、この早さでの移譲に問題はあるけれど」


 ジェラルドは一枚の書類を机上に引っ張り出し、指でトンと叩いた。


「まずはこの委任状に署名してくれる?」

「委任状? 文面を確認させて欲しいのだが」

「私設警備団を派遣するためのものだよ。警備に関してはワーケンダー伯爵家が指揮を執らせてもらうから」


 だからほら、とテーブルを挟んで向かい合うジェラルドにペンを押し付けられるが、そう易々とサイン出来るものではない。ガブリエラは首を振ってペンを押し返した。


「そこまで面倒を掛けるわけにはいかない。ジェラルド個人で片が付く話ならともかく、伯爵家にまで動いてもらういわれはない」

「あるんだよ、ガブリエラ」


 丸眼鏡のブリッジを指で押し上げると、その奥からじっと見つめてくる鉛色の瞳。


「王家の派遣した警備兵は昨日中にすでに撤退している。今朝には綺麗さっぱりだったそうだよ」

「私への移譲に合わせて、か?」

「そう。君が領主に着任早々、事件が起きようものなら相談役の僕の沽券に関わる」


(だったら止めてしまえ)


 心の中で独り言ちるガブリエラをよそにジェラルドの話は続く。


「犯罪者がワーケンダー領に流れてきては困るし、元を辿ればエンバス領はワーケンダーの土地なんだ。滅多な事態に陥らないようにと便宜を図りたい気持ちも汲んで欲しいね」


 反論の余地がなく渋面を作るガブリエラに更なる追撃が襲い掛かった。


「そもそも君一人では領内を見回ることも無理じゃない? 手助けしてくれる人なんて他にいないでしょう?」


 そうだ、彼の言う通りだ。

 騎士の職務を離れて頼れる相手は、今のガブリエラにはいない。きっとこの相談役の男を除いては。


「使えるものは使っておけばいいんだよ。だからほら、ね?」


 再び押し付けられたペンを仕方なく手に取る。

 拝領すると決めた以上、領主として出来ることはしなければいけないのだと思う。今現在の時点ですでにエンバス領はガブリエラにとって守るべき財産となってしまっているのだから。


「じゃあガブリエラ、相談役からの助言だよ。早々にエンバス領に出向いて自分の領地を視察すること。いいね?」


 ガブリエラのサインが入った委任状を丁寧な手付きで仕舞い込んだジェラルドにそう言い渡され、腕の傷も癒えないままにエンバス領の大地を踏み締めたのが冒頭でのガブリエラだった。





 王都を囲うように流れる川には各方面に向けて大小様々な橋が架けられている。

 そのうちの北西に架かる最も立派なランゲ橋が国内最大の街道に繋がっており、川向こうの沿道はすでにエンバス領の一部となっていた。

 ガブリエラは乗合馬車を利用し、ランゲ橋を渡りきったところで早々に下車した。降り注ぐ陽光に目を細めながら馬車が走り去っていく道を眺めてみる。

 街道の西側はなだらかな丘になっており、遠くでそびえる山が青く霞んで見えるほどに見通しが良い。丘の上では黄色い実を生らせた果樹が点在している様子もわかる。

 一方で街道の東側は道に沿って設えられた木柵に並行するように木立が延々と続いており、騎士の任務で幾度となくこの道に馬を走らせたガブリエラでも木々の向こうがどうなっているのか知る由はなかった。


「これが私の持ち物と言われてもな……」


 その実態の知れない地がガブリエラに下賜されたエンバス領だった。かつて王太子がこの地に何を望んだのかも明らかになっていない中で、いきなり領地として治めろと言われてもどうしようもない。とにかく相談役の言う通り、視察をしてみないことには何も始まらない。

 ジェラルドには今回の視察に当たり、聞かされていることがある。


『一見しただけではわかり辛いけど、木柵の一部が開閉ゲートになっている場所がある。そこをくぐった先の小さな見張り小屋に警備兵を置いてあるから話は通しておくよ』


 元々ワーケンダー領だった頃からそのゲートは設置されていたらしく、エンバスの手を離れて長らく経った今でも手入れや警備のために通用口として使用されていたそうだ。

 よし、と覚悟を決めたガブリエラは街道の路傍を歩く。木柵に目を凝らして進み続けていくと、木板の組み方が他と異なる場所はわりと簡単に見つかった。蝶番が取り付けてあることでここがジェラルドの指していたゲートだと確信して手を掛ける。軋みもなく、すんなりと開いたゲート内に身体を滑らせると、木々の間に三人も入れば手狭になりそうな本当に小さな小屋があった。人が歩いて踏み固められたであろう萎れた青草の道がそちらに伸びている。


「失礼、ガブリエラ・オークスと申します。ジェラルド殿にこちらを通る旨をお伝えいただいている手筈ですが」


 小屋の一面が覗き窓になっており、そこに向かって話し掛けてみる。すると髭面の屈強そうな男性がひょこりと顔を覗かせた。


「ああ、ジェラルド坊っちゃんからお話は伺ってますよ。美しい赤茶色の髪のお嬢さんがお出でになるってね。どうぞ、お通り下さい」


(坊っちゃん。あのジェラルドが坊っちゃんだって)


 内心でくすりと笑いながら警備の男性に礼を述べて先へ進む。点在する木々の合間を縫うように歩いていくと徐々に前方が明るくなり、やがて重たい影から開放されて日向へと抜け出した。


「ここが『打ち遣られの領地』か……」


 肌に春の陽気を感じながら、ガブリエラは自身が治めることになった地を一望する。密に植わった木々が目隠しとなって街道からは見えずにいたエンバス領の実態を確認するために。


「これは……畑?」


 独り言が風で鳴る葉擦れの音に掻き消される。

 真っ先に目に飛び込んできたのはでこぼこと剥き出しになった見るからに硬そうな土と、その所々に乱雑に茂った青草。一角には朽ちた枯れ草と枯れ枝が山積みになっている。

 荒土はガブリエラの足で百歩もあれば歩き終わる程度でさほど広くはない。周囲には膝丈の草が青々と茂っていて、その緑が奥まで続いている。ここに来るまでと同じように踏み付けられて出来たであろう草の道が遠目からでも何本か確認出来た。


「ひどい有り様だね」

「なっ……ジェラルド!?」


 すぐ後ろから馴染みのある声がして振り返ると、その男はいた。陽射しを受けた銀髪をちかちかと瞬かせているせいで目を細めてしまうガブリエラに気も留めず、丸眼鏡の奥からエンバス領を凝視している。


「どうしてジェラルドがここにいる?」

「ギャビーが視察するなら当然僕も付き合うよ」

「その呼び方はよしてくれ、と言ったはずだ」


 ここでようやくジェラルドの視線がガブリエラに向けられた。


「元同級生のよしみじゃないか」

「君にその呼び方を許した覚えはない」

「つれないね、ガブリエラは」


 大袈裟に肩を竦めるジェラルドにむっとするが、敢えて無視をして本題に入ることにした。


「ひどい有り様、とは何を指しての言葉だ?」

「ご覧の通り、この無惨に掘り返された大地のことさ」

「ワーケンダーの土地だった頃にはこの畑らしきものはなかった、と?」

「うん、そういうこと」


 再び眼前の景色に視線を移したジェラルドは鋭い眼差しを見せる。


「元々この辺りは馬の放牧に使っていたそうだよ。は軍馬の育成に力を入れているからね。ガブリエラが通ってきたゲートも当時の名残りのものらしいよ」


(そのための木柵と木立か)


 そう納得をする一方、お世辞にも綺麗とは言い難い開拓の跡に疑問が湧く。


「だとすれば、ここは王太子自らが開墾されたということか?」

「そういうことになるんじゃないかな。二ヶ月で放置されてしまったわけだし、何かを育てきったというわけではなさそうだけど」


 大地を耕すことで民の心を理解出来たのだろうか。

 それだけで満足してどうでもよくなってしまったのだろうか。

 何とも判然としない『打ち遣られの領地』の成り行きに首を傾げていると、一歩前に進み出たジェラルドがこんな提案をした。


「それじゃあ僕と一緒に見て回ろうか」


 断る理由は特にない。ガブリエラは素直に頷いた。

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