第2話.繰り返し悪態をつく

 この国の威厳を表すかの如く雄大に設えられた謁見の間には王と王女、数人の大臣と文官、そして王女襲撃事件に関わった護衛騎士たちが集められていた。

 王女エメリアから改めて謝意が述べられ、次いで王が口を開く。


此度こたびの諸君らの働きに報いるため、褒賞を遣わす」


 ガブリエラを始めとした護衛騎士たちは深く頭を下げた。

 王直々の褒賞など、国に仕える者として最高の誉れだ。騎士の道を進んで良かった、と込み上げてくる熱い思いに身を浸す。

 大臣が端の者から順番に名を呼び、褒賞品の読み上げを行っていく。男性騎士には金一封を、女性騎士にはエメリア所有の品が下賜されることになっているようだ。


(一生物どころか、代々の家宝になるな)


 一番端に立つガブリエラの読み上げは最後のようで、仲間たちに贈られる品々を聞きながらそんなことを思う。朗々とした大臣の声、威勢良く返す仲間の声に聞き入っているうち、とうとうガブリエラまで順番が回ってきた。


「ガブリエラ・オークス」

「はい」


 頭を上げ、一歩前に踏み出す。

 目線を高座にいる王の足元に固定し、大臣の読み上げを待つ。しかし言葉を発したのは眼前の尊き方だった。


「騎士ガブリエラよ、その身を挺して王女を守り抜いたこと、王として深く感謝する」

「もったいなきお言葉にございます」

「一日も早い怪我の快復を祈っておる」

「ありがたき幸せにございます」


じかにお言葉までいただいてしまった!)


 制服の下の二の腕に巻かれた包帯にはまだうっすらと血が滲んでいる。傷口の周辺は明滅するような痛みと熱に侵されているが、王女の御身が無事であったならこれしきは瑣末事だ。

 騎士として最上級の栄誉を受けたガブリエラに大臣が言い渡す。


「ガブリエラ・オークスには褒賞としてエメリア王女殿下のネックレスが下賜されます」

「はい。謹んで頂戴いたします」


(何ということだ!)


 丁寧に頭を下げる一方、心の中では叫び声を上げていた。

 王女が身に着けるネックレスともなれば、そこに連なるのは全て一級品の宝石。留具や花座には混じりけのない金が使われている。

 王女殿下に拝謁したとき、人々の視線は自然と胸元の輝きに奪われるもので、婦人や令嬢の憧れの品でもある。そんな一品をたまわるとは。


(どこに保管すれば良いものか)


 まだ受け取ってもいないのに今後の心配をしてしまう。

 そんな折、大臣の隣に一人の男が歩み出るのが視界の端に映った。ガブリエラにも見覚えがある、青がかった銀の長髪を首元でひとまとめにした胡散臭い丸眼鏡の男。この場において勝手に動き回るなど許される行為ではない。となると、彼がこの場で何らかの動きを見せるのは当然のことで。


「続いてはわたくしめから」


 大臣と同じように目録を広げた男はそう宣言し、続けて手元の文章を読み上げた。


「ガブリエラ・オークスには追加の褒賞としてエンバス領地、並びに領主の任が下賜されます」


(領地と……領主の任?)


 追加の褒賞までは理解出来た。しかしその後に続いた言葉は意味不明だ。

 ガブリエラは王の御前であるにも関わらず、男の方に視線を向けてつい口走ってしまった。


「失敬。今、何と仰ったか?」

「ガブリエラ・オークスには追加の褒賞としてエンバス領地、並びに領主の任が下賜されます、と申しました」


(何を言ってるんだ、この眼鏡は)


 訊きたいのは同じ言葉の繰り返しじゃない。意味を問うているというのに。

 しかしこの場でひと悶着を起こすわけにも、目録を受け取る前に褒賞を突っぱねるわけにもいかない。


「お心遣い、ありがたく賜ります」


 追加の褒賞とやらの意図がわからないため、明確に拝領しますとは言い切らずに頭を下げれば、間もなく謁見の終了が告げられる。鏡面のような床石を見つめながら、自分に与えられるものが何を指しているか懸命に考えてみたが答えは出なかった。



◇◆◇



 王と王女、続いて大臣らが退室したのを見届けてから護衛騎士たちは謁見の間を後にした。皆が皆、褒賞という栄誉に授かれたことに瞳をきらきら輝かせている。ただしガブリエラを除いては、だが。


「目録をお渡しいたします」


 最後に謁見の間から出てきた文官の一人がそう声を張り上げた。

 王家の紋章が箔押しされた豪奢な封筒に先程読み上げられた目録が収められており、文官らが護衛騎士たちに配り歩いている。

 その様子を眺めるガブリエラの元に、あの男がやってきた。


「ガブリエラ・オークス殿」


 畏まった口調で名を呼ぶ男の手にはガブリエラの名が記された目録の封筒。すっと差し出されたそれを受け取ることはせず、丸眼鏡の奥にある鉛色の瞳を見つめた。


「ジェラルド殿、お尋ねしたいことがある」

「わたくしめにわかることでしたら」

「エンバス領地と領主の任の下賜、とは一体?」

「そのままの意味でございます」


 目の前の男、ジェラルド・ワーケンダーは穏やかな笑みを湛えて答えた。その敵意のなさそうな笑顔が作り物であることをガブリエラは知っている。


(丸眼鏡め、しらばっくれているな)


 このままでは埒が明かないと判断してジェラルドの目録を持った方の手首をがしりと掴んだ。服越しに握っても日頃身近にいる騎士たちに比べて細い腕の持ち主は、突然のことに「うわっ」と情けない声を上げる。

 しかしガブリエラは彼に構わずにぐいぐいと腕を引っ張り、謁見の間の入り口から少し離れた柱の影にジェラルドを連れ込んだ。


「急にどうしたの、ギャビー」

「その呼び方はよしてくれ」


 親しげに愛称で呼ぶ男をひと睨みしてから腕をポイと離す。握られていた場所をさすりはするものの怒った様子はないのでガブリエラは本題に入った。


「領地と領主の任を下賜とはどういうことなのか、説明して欲しい」

「そのままの通りだよ。エンバス領をガブリエラに与え、領主をガブリエラに任せるっていうね」

「いやいや、意味がわからない」


 王女を守った褒賞としてネックレスを賜るのは他の騎士の褒賞と比較して別段おかしいものではない。ガブリエラとしても代々の家宝として大事に守り続けるつもりでいる。

 しかし領地と領主の任を与えられる意味がわからない。


「今回の事件の最大功労者に特別な褒賞が贈られたとしても、おかしなことじゃないでしょう?」

「私は貴族でもなければ屋敷のひとつも持たない一介の騎士だ。分不相応すぎる」

「僕はそう思わないけどね」


 ジェラルドは丸眼鏡の奥で切れ長の瞳を細めて笑う。ガブリエラが知る限り、この男は無愛想と呼ばれる類の人種だった。先程の作り笑いとは違う自然な微笑みを見せたことに驚くが、知った風な口の利き方に若干の苛立ちも覚える。事の本質を見極めることをガブリエラは優先させた。


「第一、エンバス領と言ったらアレじゃないか」

「うん、まぁアレだね」

「何故、『られの領地』を私如きにお与え下さるというんだ?」



 『打ち遣られの領地』と呼ばれるエンバス領を国内で知らない者はいないだろう。

 その特徴は何と言っても王都の真隣に位置した土地であること。そのため、国内随一の街道にも隣接しており、交通の便が素晴らしく良い。

 王都に近いだけあって警備の面でも優れており、事件らしい事件が起きたという報告は一度たりともされていない。

 問題があるとすれば……七十余年の長きに渡って領主がいない、ということだろうか。



 かつてこの国にエンバスという王太子がいた。

 浮世離れしたこの王太子は、民心を知りたいという志から領地を持つことを渇望した。

 そうは言ってもそれぞれの土地にはそれぞれの領主がいて、領民を抱えながら領地経営を行っており、それを王族だからと掠め取るわけにもいかない。頭を悩ませるエンバスに、王都に隣接するとある領地の主が声を掛けた。


『我が領地の一部をエンバス王太子に献上いたします。どうぞご随意に』


 と。

 エンバスはその言葉と領地をありがたく受け取り、領地経営に乗り出した。



 幼い子どもたちが学園で習うのはこの辺りまでだ。

 現実には非情な続きがあり、エンバス王太子はたったの二ヶ月で領地経営を放り出してしまった。更にはさっさと王太子妃を迎え入れ、妃に夢中で領地の「り」の字すら口にすることはなくなり。時を経て彼が王となってもの地に再び脚光が浴びることはなかった。

 以降、宙ぶらりんになった土地は体裁の悪さからなのか元の主に返還されることもなく、新たな領主を定められるでもなく、最低限の見た目を保つための手入れと警備だけを施してずっと『打ち遣られの領地』になっている。

 王となっても大した功績を残せなかったエンバスが後の世の民草に『王太子』の敬称で呼ばれ続けているのはこの経緯が尾を引いているからだ。




「まぁちょうどいいんじゃないかな」

「何が?」

「ガブリエラは怪我をしていて護衛任務から退かなければいけないし、王家としては扱いに困った領地を手放すことが出来るし」


 その口ぶりに騎士としての怒りが沸いた。


「ジェラルド、褒賞として提示して下さっているものを厄介払いかのように言うのはいただけない。第一、私は騎士の職務から退くつもりはない。腕が動かせなくても出来ることは山とある」


 真っ当な主張をしたつもりだったが、ジェラルドは眉をそびやかしてガブリエラを見下ろした。


「領民もいない領地をほったらかしにするつもり? またあの地は名ばかりの領主に駄目にされるのかな?」

「なっ、名ばかり……」

「まさか拝領しないわけじゃないよね? 王女殿下もエンバス領の成り行きに心を痛めていらっしゃったようだけど」


 ぐぬぬ、と唸ってしまいたかった。

 王女殿下の名を出されるとガブリエラは弱い。


「……君は領主として働けと言いたいのか? 私は騎士を辞するつもりはない」

「腕の傷が癒えるまで、やってみてもいいんじゃないかな」

「深手ではないから完治までに大した時間は掛からないぞ」

「騎士の活動が出来ずに腐っているよりも、領地に向き合う姿を見せた方が心証はいいかもね」


(丸眼鏡め、ああ言えばこう言うな)


 またも王女を盾にした物言いに歯噛みしたくなるが、実際問題として領主の任を辞退することは無理だろうと考える。命令であれば断りようもあるが、恩賜おんしとして言い渡されたものを退けるのは王族の心遣いを無下にするも同然だからだ。

 エンバス領を下賜されたとしてもガブリエラにはこれを任せられる親族はいないに等しく、ならば自分自身で治めるしか術はない。そして長らく『打ち遣られの領地』であったエンバス領の下賜には何らかの意味があるはずで、追加褒賞そのものを辞退することは出来ないと踏んでいる。


「言い忘れていたけど僕がエンバス領経営の相談役だから、これからのことは僕と決めていこう」

「は?」

「あの地は元々どこの領地だったんだろうね」


 ひょろりと上背だけはあるジェラルドとしばし見つめ合う。

 今指摘されるまでガブリエラは失念していた。


「……ワーケンダー領だ」

「ご名答。だったら環境大臣補佐の僕が相談役に就くのは頷ける話だよね?」


(頷けない頷けない)


 首をブンブンと振って抗ってみるが、彼が目録を読み上げたという事実が逃れられない現実を裏付けしているのだろう。

 謁見の間から目録を受け取った騎士たちの足音が聞こえてきた。一歩下がってジェラルドと距離を置く。


「ではガブリエラ・オークス殿、こちらの目録を。領地経営の相談役として精一杯努めますので、このジェラルド・ワーケンダーに出来ることでしたら何なりと」


 逃げ道を断つつもりか、わざわざ声を張り上げて差し出された目録を引ったくったガブリエラは心の内で何度目かの悪態をついた。


(陰険眼鏡め)

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