第13話

 ジローは顔をあげ、タローの元へと移動しかけ、はたと足を止めて角部屋の女性を見やった。

「おばあちゃん!」


 この騒ぎで、卒塔婆のような海藻が一掃されていたのだ。部屋の隅には、ひとつの宝石箱の台座だけが残されていた。いくつかアクセサリーがしまえるようになっているが、蓋はどこかへ行ってしまって、指輪を立てる箇所が露出している。

 そこには一つだけ、指輪が立ててあった。宝石のはまった指輪が胸を張って座っており、太陽光を受け取って、数えきれない光の線を点滅させている。ジローは壁の上から、その輝きに気が付いたのだった。

 爪の女は墨の女性の上半身に熱烈な気持ちでいたし、タローとジローの解放が喜ばしくて心も潤んでいたから、プリズムの輝きを知るのが遅れた。


 墨の女性は、自分の下半身を目で辿った。浮世絵に描かれたお化けさながら、女性は指輪から発生している。宝石に寄り、膝をついて見入ると、少しさびしそうに笑った。

「そう、私、ダイヤモンドになったのよ。そうだったわ」


 二頭の動物がやってきて、指輪を一緒になって覗き込んだ。

「おばあちゃんは、宝石だったんだねえ」


 血色のある顔をして、ある土地で、歌って暮らした人たちのことを、墨の女性は思い出す。

ある少女などは、生まれてまもなく、ずっと南の土地へ何カ月もかけて航海し、物が掴めるようになると田畑を耕した。そこには誰の骨にも染みるほど、いつも、歌があった。


 赤子だったその子と、大人たちが遠い外国でひとつの村を作ったとき、眼前に広がるのは、現地民も足を踏み入れない雑木林だった。痩せた百姓たちは木を切り、石を拾い、固い大地にクワを入れ、種を蒔いた。みんな帰れないのだ。食べる夢を見てやってきた人たちはみんな、ふるさとを思った。

「どういうことなんだ。土地があると聞いてきたのに。木のそばに野菜を植えろというのか」

 開拓され、木石が取り除かれた、柔らかい土があるとの触れ込みで集められた人々だ。そこに富があり、ある者は下の兄弟の学資金のため、またある者は親の医療費のために、何カ月間も揺れる足元に耐えて、辿り着いたのだった。

太陽光の通らない森を切り開いて、全く自然の状態から田畑を作らねばならない。船ではどんなに気難しいことで知られた人でも、協力なしには木の一本も倒せはしない。


 ふるさとの土の色を、親類や友人の顔を、なつかしい気候を思うたび、音痴でさえ口ずさんだ。それだから日中、村の中はいつでも上手や下手も関係なく、音階で満ちていた。

「ふるさとのことばを忘れないように、いつでも歌ったわ」

 墨の女性はにこりと笑って、そこに悲嘆の色はない。歌のことを思い出して、なつかしい喜びに心を浸していたのだった。喜び、それはとりわけ、自分のふるさとが話題に上るとき、ふるさとの歌を聞くとき、想像する景色から派生しているあたたかい感情だ。


 彼女は歌ってみせた。独特の音階で、独特の発声である。ひとつ聞けば、その国の由来であると分かるような特徴に溢れて、流れるような旋律に、山からこだまするような音だった。

「おばあちゃん、上手ね」

 まだ少し濁った海の中、歌声が響いていく。爪の女は、涙が出るような感じがした。


 村の人々は外国の文化と交じりあい、その国のことばを覚え、少しでも取引を優位にしようとした。暮らしていくため、より雨漏りしない家のため、野菜や樹木の苗と交換するためには、論じるまでもなく必要なことだ。


 病にかかるかどうかを、人は選べない。

「私の骨は、ふるさとに運んでちょうだい」

 床で、慣れた外国のことばで、少女は息も絶え絶えに何度も言った。叶える手がかりなど何一つないまま、大人たちは心から約束する。水も飲めず、体も起こせず、終わりは安らかではなかったけれど、その後の反響が強かった。

 その土地に墓が少なかったのは、そういうわけなのだ。骨を大事にしまっておいて、いつかふるさとに帰る日に、みんなで一緒に行くという。この少女の後、骨はせめてふるさとへと願う人も増えた。生前の希望に従って、墓に納めるか帰国を待つか、意思が尊重されたのだった。

「いつかみんなで帰ろう」

 さよなら、またね、の挨拶がわりに、ふるさとのこの言葉を使うようになったのは、そのような歴史あってのことである。


 ある時、その国で論争があった。自国の富を奪う、外国から船に乗ってやってきた人間たちが主人公だ。神聖な森を切り開いて、田畑にしてしまった外国人の話だ。家まで建てて、結婚したり、人口を増やしたりしている。悪魔を思わせる旋律の歌を口ずさむ、邪悪な隣人たちのことだ。

 結論的には火と血があって、かつて少女だった、そして後に続いて希望を託した骨たちは、村を離れた。彼女らは生前に希望が言えただけ、まだ良かったのかもしれない。問答無用で、自らが耕した土地に服を着たまま埋もれた人のことを思えば、そうとも言える。

 ふるさとに帰りたい骨たちは、構成成分を調べられたり、薬になったり、ついには一つに混ぜられて、砕かれ、人工宝石の材料になった。悲鳴は仲間にしか聞こえない。泣き声にまみれたダイヤモンドは指輪になって、たくさんの人の指を渡り、たくさんの宝石箱に座った。

 墨の女性は一人ではないのだ。ふるさとに帰りたい村の人間が寄り集まって、一つの宝石になったのである。

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