第4話

「ねえ、アイディアって、どんなの?」

「しぃっ、知らない人だよ、タロー」

 だしぬけに、真ん中の部屋から声がした。ベッドの下に隠れている者の声だった。こちらはなんと、二人いるらしい。爪の女は、話しかけてもらえたことを素直に嬉しいと感じた。

「でも、アイディア、なんだよ。きっと良いことだよ」

「怖い人かもしれないよ、タロー。気を付けなくちゃ」

 そこで、墨色の女性が割って入った。

「ジローくん、この人は悪い人じゃないよ。そんな気が、しますけどねぇ。」

 そして優しく笑っている。

 タローとジローは、真ん中の部屋のベッドの下に二人して隠れていて、顔を出す気配はないが、この訪問者に関心があるようだ。爪の女は、この二人の愛嬌あふれる丸みのある声に好感を抱いた。


 倒れた本棚の上で苔に覆われている者は、一番右の部屋で、無言で耳をそばだてると決めて、この会議に参加せず慎重な方針だ。


「私のアイディアの話、聞きたい?」

 爪の女は、主に墨の女性のあたたかな態度に元気づけられて、もう喋りたいのであった。元は話好きである。ぼんやりしたような返事でも人型の者がするのなら、嬉しさも愛着もわく。こんなに人間が懐かしいと思ったことはない。


 爪の女は話しはじめた。思い出せる限りむかしのことから掘り出そうと思った。その方が順を追った自己紹介ができると読んだ。口にしたくないことはできるだけ除いて、楽しいページから始めることにした。それでも舌が回りすぎて、うっかり辛苦に触れる部分もあったものの、結果的には深掘りせずに済んだ。


「わたしは、綺麗でいたかったの」

 彼女は少し照れながら言った。今はもう爪の一本しかない自身が、かつては体の全てに気を配っていたなどと、比較の幅が開きすぎていると感じたのだ。


「これは、からだがあったときの話なんだけど」

 こうして爪の女は話し始めた。


 爪の女にまだ身体全部があった頃、彼女は胸まで伸ばした豊かな髪、柔らかく癖をつけるのが本当に好きな女で、ネイルに満足しても少しするとすぐ変えたくなったし、服の色合いや長短を、あれこれ試してみるのが日課だった。

 生まれは田舎だが、この別嬪は光や華やかさに惹かれるように、都会に出て行った。

「めっちゃ可愛い」

 人目に触れればそう評されて甘やかされる。そうなると、メイクをはじめとして、美にまつわる試行錯誤の類にもっとのめり込む。体重計の数値が好ましくなければ食事を調整し、容姿のためには時間を惜しまず、その研究のために彼女はよく働いた。

ただ、その成果のほとんどを感性に頼っていたために、ことばで説明するのは難しかった。

「どうやってアイメイクしてるんですか?」

「え、適当だよ。シュッ、ってしてる」

 コツを聞かれても、擬音的な表現で答えて愛想よく微笑むのみである。女は非常にやさしく親切に対応したつもりでも、理解できることばを貰えなかった方には反感が残る。

「メイクの仕方は独り占めなんですね」

 賃金が高く、美に触れていられる仕事は、競争の世界でもあった。皮肉の分からない女は、よく同僚から冷笑を浴びた。意地悪を言われているのはなんとなく分かっても、そもそも闘争や勝利に気の向かない性質で、揚げたままの白旗はボロボロに傷付けられるままである。

 女はそこまで話すと、しゅんとする間も自身に与えず、気持ちを上向きに切り替えてみせた。


 女への交際申し込みは後を立たなかった。当人はその理由についてよく推理することもなかったのだが、美しい外見と、そのゆるやかに巻いた髪もそのままの、柔らかい内面が人を惹きつけていたのだ。

 とはいえ、恋愛に関しては少し複雑な心理を持っている彼女のこと、頼られるのがどうにも苦手である。自分が頼るのは良いが、相手に甘えられると気持ちが冷めてしまう。いつでも教えてもらう、世話をされる側で居たがり、それが崩れる関係は一切認められないところがあった。

 金の無心をされたり、住みかに居座られたりすると、なおさらもうダメである。どんなに哀れっぽい嘆願をされても、どうしても同情心が持てなかった。涙に演技がかったものさえ感じて、とにかく遠ざけておきたくなった。

 幸いにも、渦中に相談を持ち掛ける相手はたくさんいた。トラブルになるたび、誰かが解決への主力になって動いては、悲しいことに次のトラブルになるか、離別の岐路へと進むのだった。


 そのようなわけで難航した恋愛方面だが、人口多い都会で、人目に触れるような仕事をしていたおかげで、かなり都合の良い相手が見つかった。最後に彼女が選び、選ばれたのは、ずいぶん年上の男である。

「おれの帰りを、マンションで待ってて。綺麗でいてくれたら、他に何もいらないから」

 この一言が決め手となり、彼女はその男と交際するようになったのだ。

「いいの?本当に綺麗にしてるだけでいいの?」

「いいよ。おれ、毎日は帰ってこれないけど、それはごめんね」


 ラメを乗せることもある彼女の長い睫毛にも、維持費はそれなりにかかる。おしゃれさを追及すれば、それなりの対価を払わねばならなかった。その縛りがあって、女は自由に楽しみの中を羽ばたけないでいた。潤沢な資金の提供を行える男性が、その年上の人だった。

「これ使って。何でも買っていいからね」

 一枚のカードを貰い、彼女は、彼氏名義のマンションに住んだ。その頃の気持ちといったら、王子様に見初められたシンデレラのようで、実際、その部屋は夜景も美しく城のようだった。壁紙には繊細な模様が一続きに、彼氏が見繕ってきた自慢の絵画がかけてあるし、勢いよく出るお湯を浴槽にたっぷり溜めて二時間を風呂で過ごしたところで、何の障害もない。


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