【不俱戴天のティーシポネー】
病院へ向かう途中、そういえば──と、七戸鳴海が力を手に入れた経緯のことを考えていた。ホワイトボードには二〇一〇年四月に、七戸鳴海が家族旅行で訪れた中国で
それによれば太歳とは、中国の民間信仰や日本の陰陽道で祀られる神の名。木星の鏡像であり、仮想の天体。祟り神でもあり、木星と呼応して土中を動く
ああそういえば、神様だから
そのうえこの太歳神は、仏教で言うところの
ただ、鷹臣さんの考察には面白いものがあった。まず一つ目は、粘菌ではないか──というものだ。粘菌とは、菌と表記されてはいるが、菌類ではなく、植物や動物でもない独立した生き物。アメーバの仲間。粘菌は単細胞生物なのだが、複数個体が集まって集団で行動している。条件によっては巨大化も。その巨大化したものが肉状に見え──というもの。ただこれでは不老不死になるという伝説や、実際に七戸鳴海が特殊な力を得た答えにはなり得ない。
二つ目が、実際に特殊な力を持った人間の肉なのではないか──ということだ。七戸鳴海の得た特殊な力は時間の巻き戻し。つまり時間に干渉する。その力を持った者が過去に死亡し、肉塊となった。そうして時間に干渉する力が肉塊に作用し、時間経過による腐敗を防いでいた。中国には実際に太歳と呼ばれる正体不明の肉状の食材もあるようで、そこへその肉塊が紛れ込み、七戸鳴海が食べたことで時間の巻き戻しの力を得た──というもの。
私にはこっちの考えの方がしっくりくる。
ただ、そもそも私だったらそんな怪しい肉状の物体なんて食べないけどと思う。だが七戸鳴海はカニバリズムの性質を備えている。肉状の物体が魅力的に見えてしまったのだろう。
奥村君の記憶によれば、七戸鳴海は中国で出会った同い年くらいの男の子に太歳を渡されたようだ。男の子は「これを食べれば不老不死になるらしいぜ」と言って渡してきたのだが、顔はニヤケていたし、「食ってみろよ」と割と強引だったようだ。まあつまり、男の子は手に入れた気持ちの悪い肉状の
最悪な方にしか傾かない偶然に、乾いた笑いしか出てこない。この最悪な流れでいけば、もしかすれば奥村君の無罪を証明する証拠なんてないのかもしれないな、とも思ってしまう。その時はどうしようか──と考え、考えたくもない嫌な考えが浮かぶ。いや、考えたくもないなんて嘘か。ぞくりと嫌な感覚がして、後ろから抱きしめられるような生暖かい感触。
「殺そ。みんな殺そ。クズは殺すしかないの」
私の言葉かそれとも言わされたのか。肩の上に重みが載る。そちらに視線を移せば、原型を留めない程に顔が腫れ上がった女性が、じっとりと私を見ていた。女性は私を背後から抱きしめたまま、耳元で「ころそ、ころそ」と囁く。
「殺されたの?」
「なぐ……られて……なんど……も……なん……ども……」
「怖かったね」
「いたかっ……た……くるし……かった……あのクズ……が……」
「そうだね。なんでクズばっかりなんだろうね」
「ころ……そ……ころし……て……ころし……」
ふっと、女性が私を抱きしめる生暖かい感触が消える。認識しないようにしたのだ。もしかすれば私は、成仏などをさせてあげられるのかもしれないが、今はやり方が分からない。周りを見てみれば、そこかしこに恨みがましい目をした霊の姿が朧気に見える。耳には怨嗟の声も響き、まとめて認識しないようにした。頭が痛み、鼻血が出そうな感覚。おそらく乱用すれば、また血を吐いて倒れるのだろうなと思う。
「クズは殺すしか……」
漏れ出す言葉を止められない。心が憎悪で支配されていくのが分かる。私は──
---
病院へと到着した私を、ぞくりと嫌な感覚が襲う。まるで絶対的な捕食者がこちらを見ているような
あの時のだ──と自然に声が漏れ、体が震える。
そう、時間を巻き戻す前、奈々が私の手を取って七戸鳴海から助け出し、大学の玄関で見たあの赤黒い目玉。
この目玉のような赤黒い
目玉のように見えるのはたまたまなのか、それとも理由があるのかは分からないが、そう考えれば確かに納得はいく気がする。大学の玄関で
それに殺したいほどに憎い七戸鳴海を目の前にして、奥村君には赤黒い目玉は現れていない。奥村君の記憶を把握した今だからこそ知っているが、あの時の奥村君は七戸鳴海を殺したくて殺したくて仕方がなかった。だが奥村君は自分の行為に罪悪感を覚えることが出来る人間。まだ確定するには検証数が少なくてなんとも言えないが、やはりあの赤黒い目玉はサイコパスかつ、特殊な力を持った者の悪意や激情性などのなれの果て──なのかもしれない。
おそらくこちらを睨んでいるように見えるのは、どこから見てもそう見えるのだろう。
そうして赤黒い目玉を見て思うのが──
「奥村君が危ない!!」
そう、
と、私は無我夢中で駆け出していた。考え得る限りで最悪の展開。横浜久嗣が時間の巻き戻しを使えるようになり、奥村君の力も継承し、これで七戸鳴海殺しの証拠すらなかったら──
新南館の五階にたどり着いた私は、赤黒い目玉が見えた窓の病室を目指す。そこはすぐに判明した。警察官が警備する病室があり、そこから禍々しく赤黒い
「どいて下さい!!」
私は駆ける勢いのまま、奥村君の病室の扉を開け放った。それと同時、警察官に羽交い締めにされたが──
「お願い! 助けて!!」
私の叫びに呼応するように、女性の霊が警察官に纒わり付く。私は原型を留めない程に腫れ上がった顔の女性に「ありがとう!」と伝え、転がり込むように病室へと入った。そこにはベッドの上、無数の管に繋がれた奥村君の姿だけ。だが──
「見えてるんだから!!」
そう、姿は見えないが、赤黒く渦を巻く
「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
叫びながら人の形をした空間、横浜久嗣に飛び付いた。だが一歩遅く、横浜久嗣の腕が振り下ろされ──
奥村君の体、心臓の位置にぷつりと穴が開く。ナイフも透明になっているせいで、裂けた肉の中がよく見える。
「ふざ! ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
そこからはよく覚えていない。姿の見えない横浜久嗣を、めちゃくちゃに殴った気はする。拳の皮が捲れ、血が吹き出してずきずきと痛んだ気もする。首を絞め、口汚い言葉を叫んだ気もする。気付けば横浜久嗣は私の下で息も絶え絶えにぐったりとし、姿も見えるようになっていた。そうして私は駆け付けた警察官に取り押さえられ、それと同時に気を失ってしまう。気を失う瞬間、「時間を巻き戻されてしまう──」と絶望し、どろんと淀んだ横浜久嗣の目と私の目が合う。そのまま沈む意識を浮上させることは出来ず、私の視界は暗転した。
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