【淫情厭悪のパンドーラ】


 信じていた人の裏の顔に吐き気を催す。もちろんそう生まれてしまったことの苦悩はあるのだろうが、だからといってそれが他者を傷付けていい理由にはならない。ましてや新里さん、いや、新里明里にいざとあかりは、身動きの出来ない奈々やその他の被害者を弄んでいるかもしれないのだ。許せない。本当に悔しくて、許せなくて、怒りで涙が滲んで体も震える。頭もずきずきと痛み、とにかくふつふつと憎悪にも似た感情が湧いてくる。表では笑顔で過ごし、裏では悪意と劣情に塗れた悍ましい行為に耽る。七戸鳴海の常軌を逸した犯行も思い起こされ、吐きそうな程に気分が悪くなる。

 そんな私の様子を見て、糸生さんが「大丈夫?」と心配そうに手を握ってくれた。暖かい手の温もりと、優しい声にも涙が滲む。とにかく今は真実を明らかにし、裏で蠢く犯人には罰を受けて貰わなければならない。私は糸生さんに「ありがとうございます。大丈夫です」と伝えて手を握り返し、鷹臣さんに「続けて下さい」と伝える。

 

「……分かりました。ですがこの事件は本当に悪意に塗れている。気分が悪くなったら休憩しますので、いつでも言って下さい」

「はい」

「では続けます。実は横浜久嗣よこはまひさつぐもパラフィリア障害群だということです。そうですよね? 冬湖とうこさん」


 覚悟を決めて続けて下さいと言った私だったが、鷹臣さんの言葉に絶句する。新里明里だけでなく、横浜……横浜久嗣もだとは思いもしなかった。七戸鳴海もおそらくそうなのだろうし、狂った情欲の渦がとぐろを巻いて蠢いている。


「ええそうよ。横浜さん……、いえ、横浜久嗣にも前歴があるわ。私が担当したの。パートナーへの過度な性暴力。類型で言えばサディズムね。だけど聞き取りで被虐性愛、つまりマゾヒズムであることも判明したの。サドマゾヒズムということね。押収したものの中には食人行為、つまりカニバリズムに興味を持っていることが伺える映像作品や書籍などもあった。それを見ながらパートナーと行為に及んでいて、ついサディズムの面を出してしまったと言っていたわね。まあつまり、普段はマゾヒズムを満たして貰っていたけれど、食人行為の映像を見ながら行為をすることでサディズムの面を抑えられなくなって──といった流れね。結局はパートナーが被害届を取り下げて、逮捕には至らなかったけれど……、そのパートナーって言うのが新里明里なの。彼女、バイセクシャルでもあったから。二人は性的倒錯者が集まるネット掲示板で出会い、意気投合して男女の仲になったようね。前から犯罪の温床になっていたネット掲示板なんだけれど、閉鎖に追い込んでもすぐに新しい掲示板が現れるからイタチごっこなのよね」


 気持ち悪い。欲望の渦がぐるぐると回り、繋がっていく。サディズムにマゾヒズム、はてはカニバリズム。映像作品を見ながら行為をしていたということは、新里明里もカニバリズムに興味があったということなのだろう。お互いに性を貪り、人肉を望む。そうして七戸鳴海も肉を食う。強姦し、拷問し、肉を。

 私は七戸鳴海に犯されながら肉を食われる悪夢を見ていたが、それには理由がある。時間を巻き戻す前、覗いた奥村遥人おくむらはると、いや、奥村君の記憶。それは凄まじい情報量で、まるで粉々に叩き割った鏡の一つ一つに映像が映し出されているようで、一つも正しく理解出来なかった。おそらくあれは奥村君の記憶と、奥村君が今まで覗き見た記憶の全て。瞬間記憶能力と超記憶症候群による凄まじい情報量の記憶なのだろう。それが今では少しずつ見えるようになってきている。もちろんいまだほとんどが見えないが、その中でまさに強姦し、拷問し、肉を食うかのような映像が紛れている。

 だから私はこの事件では、強姦や拷問だけではなく、という行為が含まれているのだと思った。思ったのだが、それを認めてしまえば奈々も肉を食われたということになってしまう。それが耐えられなくて、私はそれすらも見ないふりをした。怖くて、気持ち悪くて、意味が分からなくて、逃げた。真実なんて知りたくないし、勝手に終わってくれと願った。そんな私が見ていたのがあの悪夢だ。

 あんな悍ましい行為に性的興奮を覚えるなんて私には理解できないし、もはや別の生き物のように感じてしまう。共存なんて出来ないであろう別のに。

 

「新里明里はなんで被害届を取り下げたんですか」

「それは分からないわ。でもそれからも二人は定期的に体の関係を持っているようね」

「そうですか」


 気持ち悪い。愛し、愛されるための行為ではなく、ひたすらにお互いの肉を求め合う化け物のように思えてしまう。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。聞くほどに頭痛が強まり、吐きそうになる。もはやそう生まれてしまった悲劇に、同情すら出来ない。


「なんにせよ、今回の事件の重要人物である奥村遥人に関わっていそうな横浜久嗣と、そのパートナーである新里明里は怪しいの。でも決定的な繋がりや証拠が出てこないのよね。奥村遥人が横浜久嗣と連絡を取っていた形跡もないし、新里明里は七戸鳴海の事件からしばらくお見舞いに訪れていない」

「二人の当日のアリバイは」

「横浜久嗣はアリバイがないわ。彼、仕事以外でも病院に寝泊まりすることが多くて。監視カメラの死角はいくらでもあるから、確実なアリバイはないの。新里明里はアリバイがあるわね。その日、なんでか急に遠くに行きたくなって青森にいたそうよ。確認も取れてる」

「青森ですか? なんのために……」


 青森にいたのであれば、新里明里は七戸鳴海殺しには関わっていなかったということだろうか。やはり七戸鳴海殺しは横浜久嗣の怨恨によるもので、新里明里はただ単に性的な欲を満たすパートナーだっただけ──いや、ここまで来て無関係ということもないように思う。この事件の始まりは青森だ。青森に何かあるのだろうかと思ったところで、鷹臣さんが「ある程度橙野とおのさんも現状を把握したと思うので、答え合わせといきましょう」とホワイトボードを回して裏面を見せる。そこには過去青森から始まったであろう狂った因縁の流れが書かれていた。


「これは奥村遥人の家にあったデータや僕の調査結果を踏まえ、蓋然性の高い推論を踏まえて書いたものです。橙野さん自身が得た情報のみで到達出来るのは七戸鳴海まで。と言っても七戸鳴海を殺害したのは『あの人』だろうなというところまでは到達出来──と、また話が長くなってしまいますね。とりあえずこのホワイトボードに書かれた内容で何が起きているのか、どうすれば犯人を追い詰めることが出来るのかが浮かび上がります。手詰まりと言いましたし、怪しいのは横浜久嗣と新里明里だと言いましたが、僕の中ではもうほとんど確定しています。ああそれと、太歳たいさいという文字がありますが、それは後で説明します。とりあえず目を通し終わったら教えて下さい」


 鷹臣さんにそう言われ、ホワイトボードに書かれた流れに目を通す。



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【大前提】

 一、奥村遥人は過去に一度、七戸鳴海の記憶を全て覗き見ており、それによって作成したデータを保存していた。


 二、七戸鳴海はサイコパスであり、幼少期より自身を魅力的に見せる術に長けていた。歪んだ性的嗜好(バイストフィリア強姦性愛サディズム加虐性愛カニバリズム食人性愛)も持ち合わせており、それらは主に漫画やアニメ、小説などの創作物で発散出来る程度であり、元はパラフィリア障害群に分類されるレベルではなかった。※七戸鳴海の性欲の対象は妹の七戸鳴紗しちのへめいさにのみ向けられていた。七戸鳴紗を大切に思う気持ちは本物である。



・二〇一〇年四月

 七戸鳴海が家族旅行で訪れた中国で太歳を食べ、時間を巻き戻す力を得る。

 

・二〇一〇年~二〇一四年

 七戸鳴海が四年間で自身の能力を把握。太歳を食べた四月を起点に、半年ごとに五回時間を巻き戻せる。巻き戻す時間は四時間で、再使用までも四時間。この四年間で、七戸鳴海は二十回近く妹の七戸鳴紗を強姦して時間を巻き戻している。※この間に七戸鳴海の歪んだ性的嗜好が加速。バイストフィリア強姦性愛サディズム加虐性愛カニバリズム食人性愛がパラフィリア障害群に分類されるレベルに達し、強姦だけでは満足出来なくなってくる。

 この期間中の二〇一三年に一人、横浜妃奈よこはまひなが原因不明の精神疾患で倒れている。これはもちろん横浜久嗣の娘であり、。※この年に横浜久嗣は離婚し、青森から東京へ。そこで新里明里と出会う。


・二〇一五年、四月

 七戸鳴海が七戸鳴紗相手に四度の強姦と時間の巻き戻しを行う。抑えきれないサディズム加虐性愛カニバリズム食人性愛を別の一人で発散して時間を巻き戻す。この時に初めて七戸鳴海による、原因不明の精神疾患の被害者が発生。

 これを二〇一五年の十月、二〇一六年の四月、二〇一六年の十月と繰り返す。

 この期間中の二〇一六年八月、七戸鳴海の妹である七戸鳴紗と、奥村遥人の妹である鳴海小遥なるみこはるが部活動を通して出会い、友人関係に。※学校は別だったが、お互いに共通する鳴海なるみという部分をきっかけに仲良くなる。



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