【理路確定のオブザーバー】


 事務所のパーテーションで仕切られた応接スペース。そこへ置かれたホワイトボードの前に鷹臣たかおみさんが立ち、金縁の丸眼鏡の奥の鋭い目が手元の手帳を睨んでいる。革張りのソファには私と糸生さんが並んで座り、ガラス天板のローテーブルを挟んだ向かい側には桜子おうこ先生。桜子先生は頼りなくそわそわしているのだが、相変わらず女性にしか見えない容姿だなと思う。

 実はこの桜子というのはペンネームで、本名が奥戸雪人おくどゆきひとだということを聞かされたのはついさっき。奥戸おくどを音読みすることでオウコとなり、字面がいいからと桜子にしたようだが、その安直な感じに少し笑ってしまった。女性のような見た目でペンネームも女性のよう。なのに一人称は俺。女性に見えてしまう外見がコンプレックスで、わざと一人称を俺にしているらしいのだが、それならせめてペンネームを男性的な名前にすればいいのにと言ったところ、「そ、そう言われればそうだね」と焦っていたところも面白いし、今では頼りないと言うよりはかわいいと思ってしまう。

 そんな中、私が糸生さんに「桜子先生って面白いですよね」と耳打ちしたところで、鷹臣さんが手元の手帳をぱたんと閉じ、「では答え合わせといきましょうか」と視線を上げた。

 鷹臣さん達は、七戸鳴海や奥村遥人の家から押収した様々な証拠品や私が話した相談内容によって、すでにある程度の真相には辿り着いていると聞かされている。つまりこのまま鷹臣さんの進行に任せれば、私は自分で考えずに真相に近付ける。近付けるのだが──


「あの、鷹臣さん。話し始める前に私の方からも確認したいことがあります」


 このまま話を聞いていれば、何も考えずに真相に辿り着けはするのだろう。昨日の私はそれを望み、この事務所を訪れた。怨霊や猟奇殺人、時間の巻き戻しや不可解な死と自殺。大切な友人の身に起きた残酷な真実と、それが繰り返されてきたという異常性。私はその全てに疲れ、考えることを放棄して逃げていた。だが立ち向かうと決めたのだ。だからこそ、考えることを丸投げにせずに自分でも考えたい。


「自分でも考えたいんです。だめ……でしょうか」

「いえ、大丈夫ですよ。こちらも橙野とおのさんの疑問に答えることで、事件を振り返ることが出来ますからね」

「ありがとうございます。鷹臣さん達はどこまで事件について分かっているんですか? 奥村遥人おくむらはるとの自殺に関してはどう……」

「分かっているのは七戸鳴海しちのへなるみの殺害及び奥村遥人の自殺偽装による殺害未遂までですね。誰が──という確証までは達していませんし、証拠もありません」

「やっぱり自殺は偽装なんですね……」

「やっぱりということは、やはり橙野さんも疑問に思っているんですね」

「はい。でも私の場合はなんとなくです。なんとなく奥村遥人の犯行には思えなくて。今になって思えば、奥村遥人は七戸鳴海の犯行を止めようとしていたように思います。それで考えられるのが、奥村遥人も私と同じ力を持っている──ということです。そう考えれば色々と辻褄が合うので」


 奥村遥人も虹彩が蠢いていたのだが、私はそれを特殊な力を持つ人の変化だと思い込んでしまった。それを特殊な力という広い括りではなく、私と同じ力だったら──と考えることで、辻褄が合う。つまり奥村遥人は私と同じ力だからこそ虹彩が蠢き、七戸鳴海は同じ力ではないから虹彩が蠢かなかったということだ。それによってやはり七戸鳴海が持つ特殊な力は時間の巻き戻しだと推察出来るし、被害に遭うのが五人までだと断定しているようなセリフにも説明がつく。今となっては奥村遥人の手や口元に付着していた血液も、特殊な力の副作用による鼻血や吐血だったと考えることが出来る。

 

「僕も橙野さんと奥村遥人の特殊な力は同じだという認識ですね。記憶の絶対保持。いわゆる超記憶症候群と呼ばれるものに近いと考えられます。さらに瞬間記憶能力、カメラアイとも呼ばれ──と、どうにも僕は話を長くしてしまう癖がありますね。簡単に言えば、見た記憶を細部まで絶対に忘れないということです。それに加えてもう一つ特殊な力を有しています。これはどう表現すればいいのか難しいのですが、おそらく魂に干渉出来る力──なのだと思います。それによって橙野さんは他者の記憶を覗き見ている」

「魂に干渉ですか? ただ単に記憶を覗き見るのではなく……」

「他者の記憶を覗き見た際、俯瞰、つまり客観的な視点での映像なんですよね? 記憶を覗き見ただけなら、見える映像は主観的な視点での映像となるはずです。となればなぜ俯瞰した映像なのかと考えた際に、橙野さんの他者の性質や感情を色で見る能力と結び付けることで答えに辿り着きます。と言ってもこれは推論でしかなく、蓋然性の高い──」


 鷹臣さんがそこまで言ったところで、糸生さんが咳払いをし、「また悪い癖が出てるわよ。端的に」と割と冷たく言い放つ。


「──つまり橙野さんは魂を観測出来るんです。他者の内から滲みだし、体の外で揺らめく魂を。それによって感情や性質を色で視認し、さらには魂に刻まれた記憶を覗き見る。俯瞰した映像なのは、体の周囲に揺らめく魂の記憶を覗き見ているからです。目で見た記憶ではなく、魂に刻まれた記憶を。魂の色に関してはおそらく通常は無色で、性質が強ければ元から色が見え、感情の動きによっても色は現れる。無色の状態でも滲み出した魂は揺らめいている──といったところでしょうか。この特殊な力に関しての考察は、奥村遥人の家にも自身の能力の考察として文章が残されていました。そこには怨霊や幽霊といった類いに干渉し、実体化させる力もあると書かれていたので、やはり橙野さんと奥村遥人は同じ力を持っているのだと思われます。虹彩の変化に関しては、この力を持った人に現れる変化程度の認識でいいとは思いますが、僕の考えでは物体や事象の認知のために脳の前頭前野から視覚関連領野に送られる信号が関係──」


 ここで再び糸生さんの咳払いが響き、鷹臣さんが眼鏡をかちゃりと上げた後で「すみません」と呟く。


「……つまり私は魂を観測し、干渉し、記憶を覗き見て……、それらを写真や動画のようにはっきり記憶し、忘れることがないってことでいいんでしょうか?」

「そうなりますね。と言っても橙野さんはまだ奥村遥人ほど力を使いこなしていないように見えます。奥村遥人の家に残されたデータでは、常に色が見えていると書かれていたので」

「じゃあやっぱり糸生さんはそれを確認するために……」


 糸生さんがしつこく時間を確認したことや、一度聞いたはずの相談内容を聞き返したのは、私の記憶に関する力を確認しようとしたということだろう。そう思い、糸生さんを見ると「確証を持ててから話そうと思って……、ごめんなさい。橙野さんには適当なことを言いたくなかったから」と申し訳なさそうに目を伏せた。なので私はそんな糸生さんを抱きしめ、「ありがとうございます」と感謝を伝えた。


「それで糸生さんにも聞きたいことがあるんです。時間を巻き戻す前なので記憶にはないと思うんですが……」


 そう、気になっていた時間を巻き戻す前の糸生さんのセリフ。奥村遥人に対して言った「今日は冴島さんや橙野さんと面会出来ないって伝えたんだけれど、なんで待ってるのかしらね? わざわざあんな車まで……」の「わざわざあんな車まで」の部分。


「記憶にないからはっきりとは答えられないけれど、わざわざと言うからには理由があるわよね。その状況で私がそれを言ったのだとしたら……、例えばナンバーがわナンバーだった……とかかしら? 桜子先生、いえ、奥戸おくど君からの報告で時間を巻き戻す前、奥村遥人が病院に黒いワゴン車で来ていたことは聞いたわ。その時点での私は奥村遥人をよく知らなかったはず。となればどんな車を所有しているのかも知らないはずだし、車を見てわざわざと発言するのはおかしい。つまりぱっと見で分かる違和感を覚えたってことよね。あんな車……と発言したことからも、やっぱりわナンバー、レンタカーだったと考えられるわ。確か奥村遥人は二時間以上も駐車場で待機していたのよね?」

「はい」

「そうなるとやっぱり『わざわざ』ということになりそうね。ワゴン車は人と荷物を運ぶために作られた車の総称。広い荷室と床面が低いのが特徴よ。普通は目的があって乗る車なの。つまり目的があって乗る車なのにも関わらず、奥村遥人は駐車場でただ待機していた。そのうえでナンバーがわナンバーなら、『わざわざあんな車まで』って発言するのも頷けるわ。もちろん奥村遥人がたんなるワゴン車好きだという可能性も考えられるけど、違和感を覚える案件ではあるわ」


 糸生さんの推理を聞いて、純粋に凄いなと思う。実は今の段階で私は、奥村遥人の乗っていた車をしっかりと思い出していた。それは近付いた際に見たナンバーも含めて。だが私は車に詳しくなく、わナンバーというものが分からなかったので違和感を覚えてはいなかったし、ナンバーというものを意識したことがなかった。だからこそ私にはただの黒いワゴン車に見えていたし、糸生さんが発言した「わざわざあんな車まで」という発言に引っかかっていたのだ。その引っかかりを、僅かな情報だけで糸生さんは言語化してくれた。ワゴン車、二時間以上駐車場で待機、その時点で自分は奥村遥人のことをよく知らない、自分が「わざわざあんな車まで」と発言したという情報だけで。


「わナンバーってレンタカーだったんですね」

「知らなかったの?」

「はい。だから糸生さんが『わざわざあんな車まで』って発言したことが後々になって気になって……。でもこれで私の中でまた一つ、奥村遥人が犯人じゃないっていう確信が持てました。意識して記憶を探ってみれば、奈々に近付いてきた黒いワゴン車のナンバーはわナンバーじゃなかったので。ナンバーなんて気にしたことがなかったので、勝手に同じだと思い込んでいました」


 ここまでくれば、やはり犯人は奥村遥人ではなく、七戸鳴海だと確定したようなもの。つまり時間の巻き戻しも七戸鳴海ということになる。それを確認するために、私は決定的なことを聞くことにする。「七戸鳴海は黒いワゴン車を所有していて、後部座席には私が言っていたような道具がありましたよね?」と。


 私のその言葉に、鷹臣さんが短く「はい」と答えた。正直ある程度の真相に辿り着いている鷹臣さん達にとって、私のこの確認作業のような行為はあまり意味をなさないのだろうとは思う。だが私の疑問に答えることで、事件を振り返ることが出来ると言って、私の意思を尊重してくれる。鷹臣さんや糸生さん、もちろん桜子先生も含めて素敵な大人達だなと思う。他者を慮り、寄り添い、一緒に進む。こんな大人達と出会っていたら……、いや、こんな大人達もいるんだともっと早くに気付いていたらなと思う。

 そうして目の前の大人達が素敵だからこそ、欲望のままに犯行に及んでいた七戸鳴海が許せない。恐怖からではなく怒りで震えてしまうし、奈々の……、被害者達の苦痛や恐怖を考え、自然と拳に力がこもる。

 だがこれで終わりではない。その狂った七戸鳴海を殺害し、奥村遥人に罪を着せて殺害しようとした人物がいるのだ。真実を明らかにしなければ奥村遥人が裁かれ、この事件の裏で蠢くもう一人の犯人が野放しとなる。私のやることは、奥村遥人の無実の証明ともう一人の犯人を見つけることだ。


 

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