後編

【思考停止のエスケイピズム】


 ──二〇一八年、四月三十日、午後十六時三十四分、都内某所


「それで一人でいると幽霊が現れて、毎日夢の中で犯さ──ああいや、えっと……、せ、性的なことをされる……ってことかな?」

「は、はい……」

「え、えっと……、それで夢の中で橙野とおのさんを拷問して食べる……と?」

「はい……」


 七戸君が遺体で発見され、犯人と思われる奥村遥人おくむらはるとが首を吊った状態で発見されてから一週間。私は毎日のように悪夢にうなされていた。夢の中で私は七戸君に強姦され、拷問される。そのうえ夢の中の七戸君は私の──

 私の肉を食い千切り、食べるのだ。

 唇や胸、おしりや陰部など、その日によって食べる部位は違うが、必ず歯を立てて食い千切る。夢だと分かってはいるのだが、恐怖や痛みは目が覚めるまで本当に体験しているかのように感じるし、夢だからこそ、どんなに苦痛でも途中で目を覚ますことが叶わない。

 ただ、その行為には恐怖や苦痛を覚えるが、七戸君を怖いとは思っていない。なぜならおそらくこの夢は、私の罪悪感が見せている夢だと思われるからだ。七戸君が殺されたのは私のせいだという、罪悪感が見せる悪夢。


「それで……、その幽霊が七戸鳴海だと?」

「そうです。私が一人でいると七戸君の幽霊が現れます。悪夢は毎日ですね」

「実際に現れる方の幽霊は遺体と同じ酷い状態で、夢の方は生前の綺麗な状態なんだっけ?」

「はい」


 発見された七戸君の遺体は酷い状態だった。両腕は切断されて肘までしかなく、脚も膝から先がない。両目は抉られ、口元は下顎がなく、残った上顎には一本も歯がない。胴体もめちゃくちゃに肉を抉られ──

 今は奥村遥人が配信した動画は削除されてしまったが、そこに七戸君の遺体がしっかりと映っていたらしい。あれから捜査状況は明かされていないが、おそらく七戸君も拷問されて殺されたのだと思うし、それはやはり奥村遥人になのだろう。ネットでは七戸君がどんな拷問をされたのか──などの悪趣味な言葉が飛び交い、私はなるべく見ないようにしている。


「でもなんで夢で橙野さんに酷いことするのが七戸鳴海なのかな? 話を聞く限り、女の子達に拷問してたのは奥村遥人だと橙野さんは思ってるんだよね? そうなると、夢で酷いことをするのが七戸鳴海だというのがよく分からないんだけど……」

「それは……、私の罪悪感が見せている悪夢……なんだと思います。罪悪感が七戸君の姿になって……」

「罪悪感?」

「はい。私のせいで七戸君は……」


 そう、罪悪感。おそらく七戸君が殺されたのは私のせい──なのだと思っている。

 あくまで想像でしかないが、あの日、奥村遥人は私と七戸君が話しているのを見ていたのだと思う。そのうえで、私が七戸君に奥村遥人の正体を話したとでも思われたのだろう。私から何を聞いたのかを聞き出すために七戸君を拷問し、殺害した。だがここで奥村遥人はミスを犯した。七戸君の言葉を信じるなら、奥村遥人は半年の間に五回時間を戻すことが可能。五回戻した後は、半年経つまで力を使えなくなる。すでに今月は五人犠牲になっていた。つまりあの日、奥村遥人は半年後まで時間を戻せなくなっていたことになる。そのうえこれまでの私の経験からだが、おそらく戻せる時間は四時間ほど。これは私の記憶の差異を考えて出した時間だ。そうなると例え半年後に時間を戻せるようになったとしても、七戸君を殺してしまう前までは戻せない。罪をなかったことに出来なくなっての自殺──ということだろうか。

 そんなミスする? これまで上手くやってきたのに? それでわざわざ自殺の動画配信なんてする? と疑問は残るが、私にはこれ以外の答えが見い出せない。一週間、考えに考えた答えがこれなのだ。


 七戸君や奥村遥人の知人ということで警察の事情聴取も受けたが、詳しいことは教えて貰えなかった。それなら警察官の記憶を見ようともしたのだが、流れ込んで来た記憶は真っ白で何も分からない状態。そのうえ激しい頭痛に襲われて吐きそうになり、トイレへ駆け込んで吐血した。いつものように鼻血も出たし、かといって調べたところでおそらく原因不明なのだろうなと思い、そのことは警察に言わずにおいた。

 どうやら今の私は記憶を見ることが出来なくなっているようで、いつの間にか虹彩の動きも鈍くなっていた。今出来ることと言えば、前のように相手の性質や感情の色を見ることだけ。ただ、前と違うことも一つある。それは幽霊などの姿が朧気に見え、触れることが出来るということ。見つめることで姿がはっきりと確定することもないし、ただただ幽霊が朧気に見え、触れると生暖かい感触がする。


「橙野さんのせいじゃないと思うけどな……。どちらかと言うと橙野さんは巻き込まれた側じゃないかな?」

「違います。私が巻き込んだんです」

「そう思いたいだけじゃない? 自分を責めるのは楽だけど、俺には橙野さんが考えるのをやめているように見えるけど……」

「そんなこと……ないです」

「まあひとまず悪夢のことは置いといて、なんで七戸鳴海は橙野さんのところに? 恨みがあるのは犯人にだよね? それに一人でいる時にしか現れないのはなんでなのかな? 他の幽霊は周りに人がいても見えてるんだよね?」

「それは……」


 私が一人でいる時にだけ、七戸君は姿を現す。四肢の失われた体で這い寄り、呻きながら私に縋るのだ。下顎も舌もないせいでなんと呻いているのかは分からないが、おそらく恨みを晴らしてもらいたいのだと思う。必死に何かを伝えようとしているのが、私に触れる生暖かい感覚でも分かる。そんな姿を誰にも見られたくないという思いから、私が一人でいる時にしか姿を現さないのかもしれない。

 私はそんな七戸君が可哀想で、現れた七戸君の幽霊を抱きしめ、一緒に寝ている。異常だと思われるだろうし、だけど巻き込んでしまったのは私。私が抱きしめることで少しでも七戸君の苦痛が和らげばと思うが──

 七戸君が求めているのはおそらく復讐だ。いまだに七戸君の周囲には赤黒いもやが渦を巻き、奥村遥人に対する怒りや敵意を失っていない。

 ただ、私にはどうにも出来ない。奥村遥人は意識不明のまま警察の管理下にあるし、手出しのしようがない。もし仮に意識を取り戻したとしても、すぐに逮捕されるだろう。半年後にまた時間を巻き戻せるようになったとしても、罪が確定した今の状況ではどうしようもない。四時間しか時間を戻せないのだから、奥村遥人はもう詰んでいる。仮に時間の巻き戻しを駆使して逃げ出せたとしても、そこからは逃げ続ける人生。それが分かっていたからこそ、奥村遥人は自殺を選んだのだと思う。


「うーん……、やっぱり橙野さんがそう思いたいだけに感じるなぁ。七戸鳴海が恨みを晴らしてほしくて──とは思えない」

「そんなことないです。きっと頼れるのが私だけだから……」

「でも七戸鳴海が纏っているのは、恨みの赤紫のもやじゃなくて、赤黒いもやなんだよね? 怒りや敵意、もしくは悪意や激情性だっけ?」

「そうです」

「悪意や激情性だとは思わない?」

「七戸君は……、いい人なんです」


 私は自分に言い聞かせるように、そう呟いた。確かに私は考えることから逃げているのかもしれない。こうして少し話しただけでも、様々な矛盾や謎が浮かび上がる。だがもう疲れたのだ。七戸君はいい人で、奥村遥人は残酷な殺人鬼。それでいい。正直私だって奈々の復讐をしたいとは思うが──

 後は警察が調べ、奥村遥人に適切な罰を与えてくれる。判断も罰も、下すのは私ではなく警察だ。現れる七戸君の幽霊も可哀想だとは思うし、だからこそ抱きしめているのだが、もう耐えられない。心が持たない。私のせいだと分かっているが、悪夢だって見たくない。

 そんな状況をどうしていいのか分からず、心身共に疲弊していた私がネットで探し当てたのがここ、「桜子おうこ執筆事務所」だ。実体験を元にしたホラー小説を数多く出版している作家、桜子先生の事務所で、私の家がある北区の隣、板橋区にある。

 視線を横に向ければ、桜子先生の作品である「忌女きじょまとはるけがもり」「夜刀やとまがいえ」「人鬼ひとおにまふとがさと」などが並ぶ。事務所自体はとても整った綺麗な場所で、入口から入ってすぐが作業スペース。奥がパーテーションで仕切られた応接スペースになっていて、高そうな黒い革張りのソファと、ガラス天板のローテーブルが置かれている。

 そうして今、ローテーブルを挟んで困ったように私に質問しているのが桜子先生なのだが、正直頼りない印象が否めない。見た目は栗色のボブカットにくりっとした二重。低い身長に華奢な体と白い肌で、声も少し高め。男性ということなのだが女性にしか見えず、質問もしどろもどろ。ではなぜ私がこの頼りない桜子先生に相談しているのかと言えば──


 私の身に起きている異変はいわゆる霊障と呼ばれる現象だと思われるので、はじめはそういった専門家に頼るつもりでいた。のだが、ネットで検索しているうちに見つけたのがここだ。桜子先生の作風からだろうか、霊障に関する相談が後を絶たないということなのだが、私が目を留めたのはそこではない。ホームページに記載されていた桜子先生の助手の名前、佐伯鷹臣さえきたかおみという文字が目に留まったのだ。

 そう、時間を戻す前に会った刑事、結束ゆいつかさんが電話で話していた鷹臣たかおみという名前と同じ。結束さんが所属する特殊公安という部署は、心霊などが関わる事件を担当する部署だと私は思っている。ホラー小説家と心霊系の事件を担当する刑事。その二人と関わりのある鷹臣という人物が、私には同一人物に思えた。佐伯鷹臣の短いプロフィール欄には、「霊障などのご相談を多く頂いておりますが、今後そういった内容のお問い合わせは佐伯鷹臣宛にお願い致します」と書かれていて、気付けば私は桜子執筆事務所に電話をかけていた。

 電話に出たのは桜子先生で、そういえばなんと言えばいいのかを考えていなかった私は、「はじめまして。橙野桜とおのさくらと言います。糸生いとうさんと結束さんの知り合いなのですが……、そちらに鷹臣さんがいらっしゃると聞きまして……」と伝えた。これで「糸生さんや結束さんという方は知りませんが、鷹臣ならいますよ」とでも返ってくれば、想像が外れたことにはなるが、それはそれで一度相談に行ってみればいいだけの話。ただもし仮に想像通りならと思っていたところで、「冬湖とうこさんと倫正みちまさの?」と返ってきた。結束さんの名前は知らなかったが、糸生さんは糸生冬湖と名乗っていたし、やっぱりだと私は確信した。

 とりあえず「はい」と短く返事をし、悪夢のことを伝えると、暇だったのかすぐに会ってくれることになった。件の鷹臣さんは外出中らしく、戻って来るまで桜子先生が話を聞くということになったのだが──

 私の嘘はすぐにバレた。私がここに訪れるまでの間に、桜子先生が糸生さんや結束さんに確認を取ったらしい。時間が戻ってしまっているので、二人は私のことを知らないのだからバレるのは当然だ。ここに訪れて開口一番、桜子先生に言われたのは、「なんで嘘を吐いたの?」だった。なのでまずはこれまでの流れを説明することになったのだが、時間の巻き戻しなども含め、桜子先生は疑わずに全て信じてくれた。

 私が「信じてくれるんですか?」と問いかけると、「ものだから」と言って苦笑いされ──

 そうして今に至る。


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