【≠赤紫色の霧状霊】
私の考えでは七戸君も特殊な力を持っているはずだ。そう考えなければ様々なことの辻褄が合わない。
「どうせ殺されるか自分で死ぬしかないんだし、やれることはやっておこ……」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。それにもしかすれば、七戸君と話すことで何か突破口が開けるかもしれないとも思う。例えば七戸君の特殊な力が、奥村遥人に対抗出来る力だったとしたら──と。
七戸君が纏う禍々しい赤黒い
その時の私は
まあ分かったところでどうにもならないんだけどねと呟き、ベッドの下に置かれたスニーカーに足をねじ込む。時間が戻ったことで怪我をしていないし、朝に適当に引っ掴んだジーンズと今流行りのショート丈のトップスも、少し血の跡があるくらいでそれほど汚れていない。
何より時間を戻す前、漏らしたことで違和感のあった下腹部もスッキリとしている。そのことに漏らしすぎだよね私、と少し自嘲気味に笑って立ち上がった。実は私は高校時代のトラウマのせいか、強い恐怖を感じるとすぐに漏らしそうになってしまう。カウンセラーの先生によれば、いつか心の傷が癒えれば自然と治るということだが──
「あ、新里さんからだ」
歩き出す前に確認したスマホに、新里さんからのメッセージが届いていた。奈々が大学の医務室に運ばれた際、今後何かあったらと連絡先を交換していたのだ。メッセージを開いてみると、「また一人倒れたわ。一年の
その時刻を見た私は、もしかすれば──と駆け出していた。そう、先程病室を訪れた看護師さんは、「これから急患が来るから」と言っていた。タイミング的にその急患は川口さんの可能性が高いし、やはり時間を戻す前、既に奥村遥人は犯行を終えていたのだと思う。そうでなければあの付着した血の跡の説明がつかないし、その時の犠牲者が川口さんなのだろう。奈々のためにやることはやると決めた。七戸君に会う前に、運ばれて来るであろう川口さんの記憶を読んで情報を得ようと急ぐ。
病室を出てみれば、どうやらここは奈々がいる旧南館B棟の二階。周囲には薄く斑な黒い
「そういえば生田さんの生霊もいるんだよね……」
あの時の恐怖を思い出し、そう呟いてしまう。川口さんの記憶を読んだ後で、生田さん本人の記憶も読もうかと一瞬思うが、体が震えて拒否反応を示す。
確か前に生田さんの生霊に襲われたのは十二時三十分過ぎ。今は十四時を過ぎているので、階段にいなければいいなと思いながらそちらに向かう。とりあえずナースステーションには、「体調大丈夫そうなので、一度売店に行って戻ってきますね」と声をかけた。
エレベーターホールまで来てみたが、階段からはあの薄く斑な黒い
さすがに階段を使うのはあの時の恐怖が思い出され、エレベーターで向かうことにし、カチリとボタンを押した。
乗り込んだエレベーターの中、この後のことを考える。とりあえず搬送された川口さんの友達のふりでもして目を合わせ、記憶を読む。それで何か新たなことが分かればと思うが、想像通り
そうこうしているうちに一階に到着したポンピンという音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。だがそれと同時、私は腰を抜かしてその場にへたり込んでしまい、「なんでここに……」と震える声が漏れる。そう──
いるのだ。
生田さんの生霊が。
エレベーターの扉が開いた先、薄く斑な黒い
ただ前と違って赤紫色の
私の頭の中には、血に塗れた長い髪や、皮膚が半分ほど剥がれた顔。裂けた口角と半分ほど削げた鼻に、空洞のような左目と真っ赤な右目。骨が見えるほどに肉が抉れた四肢と、指が数本しか残らない手など、あの悍ましい姿がありありと浮かぶ。
「見ちゃだめ……」
これまでのことを考えれば、私が見つめることではっきりとした形を成してしまうはず。ひとまず私は目を閉じ、左側の壁伝いにエレベーターの外へ出た。そうしてこのまま壁伝いに進めば入口まで行けたはずだと、目を閉じたまま進む。途中、壁伝いにふらふらと歩いているからだろうか、「どうしました?」「大丈夫ですか?」と看護師さんか患者さんに声をかけられたが、目を開ける訳にはいかないので「大丈夫です。ちょっと眩しくて目を閉じてるだけです」と、訳の分からないことを言ってしまう。おそらく変なやつだと思われただろうと思う。
そのままゆっくり進み、あと少し、あと少しで玄関だろうと思ったところで、正面からずず、べちゃりと音がし、あはぁ──と、あの悍ましい笑い声が聞こえた。
ひっ、と私の口から短い悲鳴が漏れる。這う音はさらに近付き、ふいに右足首を掴まれたような生暖かい感覚。よく幽霊などは氷のように冷たいと言われているが、
「ひっ……」
私の脳裏に最悪の考えが浮かぶ。
生田さんの生霊が体をよじ登って来ている──と。
そう思った次の瞬間には、私は尻もちをついてその場に倒れてしまっていた。そんな倒れた私の体の上を、ずず、ずず、と、生田さんの生霊が這い上がる。そうして耳元に生暖かいものを感じ──
おく……むらくん……、
にかい……に……、
いなかっ……たよぉ……?
もし……かして……、
うそ……なのぉ……?
──と、生田さんの生霊の声がした。これを聞いた瞬間、私はあまりの恐怖でまた少し漏らしてしまった。なぜかは分からないが、生田さんの生霊も時間を巻き戻す前のことを覚えている。明確に私を認識し、私が言ったことを嘘だと疑っている。気付けば私は目を瞑ったまま、「嘘じゃないです嘘じゃないですぅぅぅぅぅぅ……、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃ……」と、震える声を何とか絞り出していた。そんな周りから見れば奇行でしかない私の様子に、ざわざわと人が集まってくる。看護師さんも数人「大丈夫ですか?」「落ち着いてください」と声をかけてきたのだが、どうすればいいのかが分からない。耳元では「きいて……る……? お……くむらく……んは……?」と生田さんの生霊の声がするし、逃げたいが腰が抜けて動けない。そんな中、首に生暖かい感覚。どうやら生田さんの生霊が私の首を絞めているようだが、姿がはっきりしない状態だからか、苦しくもないし痛くもない。これなら逃げられる──と思うが、やはり恐怖で硬直した体は上手く動かない。さらには顔に息がかかったような生暖かい感覚までした。おそらく今、生田さんの生霊は私の顔を覗き込んでいる。
その潰れた空洞の左目で。
その真っ赤に充血した右目で。
その皮膚が半分剥がれた顔で。
怖いもの見たさ──というのは本当にあるようで、今、目の前はどうなっているのか目を開けそうになる。だが目を開けてしまえば、生田さんの生霊は形を成してしまう。そうすれば私も殺されるだろうし、周囲に集まった人達も殺されてしまう。もう一度生田さんの生霊に嘘を吐く勇気もないし、何も出来ない自分に涙が滲む。いつもそう。いつもそうだ。いつだって私は何も出来ずに震えてきた。そうして誰かに助けて貰い──
「奈々のために頑張るって決めたのに……」
涙をぼろぼろ零しながらそう呟いた。私よりも、もっともっと痛くて、怖くて、辛い思いをした奈々。そんな奈々のために、自分に出来ることをしようと決めたはず。脳裏には、「チューしちゃいたい」と言っておどけた奈々の笑顔が浮かぶ。明るくて、元気で、可愛くて、いつも私を気にかけてくれた奈々。
「チューしちゃいたいのはこっちだよ……」
脳裏に浮かんだ奈々の姿が、私に少しだけ勇気をくれた。相変わらず耳元では生田さんの生霊の声がするし、私の奇行を心配する看護師さんの声も聞こえる。そんな中、震える足に力を込めて立ち上がり、なおも私に絡み付く生田さんの生霊に向け、「生田さんも怖かったんだよね……」と震えながら声を絞り出す。
「……私に何が出来るかなんて分からない。ううん、時間を戻せる相手になんて、出来ることは一つもないと思う。だけど……、奈々と生田さんのためにも、必ず奥村遥人が何をしたのかは突き止めてみせるから」
私の言葉に周囲がざわつき、「え? なになに?」「本当に大丈夫?」「なんなのあの子」などと聞こえてくる。看護師さんも「ど、どうしたの?」と困惑の声を出し、本当に頭のおかしい人に思われたのだろうなと思う。ただ、生田さんの生霊がふっと私から離れた感覚がして、足元から「おくむらくん」と叫ぶ声や、悍ましい叫び声が聞こえた。目を開けることが出来ないので、足元で生田さんの生霊がどうなっているかは分からない。
だがとにかく私はこの隙にと思い、駆け出した。……のだが、駆け出してすぐ、私の腕が掴まれて「
「し、七戸君!? どうしてここに!?」
「え? 持病の薬を貰いにだよ。橙野さんこそ目を閉じてどうしたの?」
「ええと……、と、とにかく一緒に走って! ああ違う! 私を旧館のA棟まで連れて行って!」
「え? ああうん、分かったよ」
ぐんっ、と私の腕が引っ張られ、七戸君が玄関の外へ向けて駆け出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます