【不義劣情の過去】
楽しいドライブだった。普段行けないようなオシャレなお店でランチし、私が行きたいと言った水族館にも連れて行ってくれた。水族館で魚の説明をしながらはしゃぐ彼を見て、ああ、彼が好きなんだな、私、と改めて実感した。
だがそんな幸せな時間も、終わりを迎える時が訪れる。穏やかで、甘やかで、少し後暗いデートの帰り、彼は豹変したのだ。
人気のない駐車場に車をとめ、助手席を倒して私に覆いかぶさってきた。重なる唇と口腔内を這い回る舌。ただこの時の私はまだ、彼の真意に気付いていなかった。そうして重なる唇を離し、「こういうことはちゃんと奥さんと別れてからしたいです」と彼に告げた。すると彼は驚いた顔で、「え?」と間抜けな声を出す。続けて「別れるなんて言ったか?」と信じられないことを口にした。
頭が真っ白になったことを覚えている。確かに彼の口から別れるとは聞いていないが、奥さんがいるのに私とキスをするということは、そういうことなんだと思っていた。あの日教室で、奥さんと別れる決心をして私にキスをしたのだと思っていた。今日はドライブデートするだけで、それが誠意ある当たり前の行動だと思っていた。そもそも奥さんがいる状態で、高校生とドライブデートに行くこと自体がおかしいのだが。
ただ正直に言えば私も、キスくらいならと期待していた部分はあったと思う。キスなら不貞行為に当たらないだろうなと、奥さんの気持ちも考えずに軽率に行動した罰。
私は震える声で「奥さんと上手くいってないって……、別れるから私にこういうことしてるんですよね?」と問いかけた。だが彼は「ちっ」と舌打ちした後でさらに信じられないことを言う。「誘ってきたのは橙野だろ」と。
頭が真っ白な中、私は何とか「どういうことですか?」と声を絞り出した。彼が言うには、私が彼を目で追っていることには気付いていたと。橙野は自分に好意があるのだろうなと。結婚していると公言していたので、それでもいいということなのだろうなと。それでキスをしてみたら、それほど抵抗しないうえに、さらに求めるような目で自分を見てきたのだと。だから教室で続きをする訳にはいかないから、ドライブに誘ったのだと。
そう語る彼の周りには、赤みを帯びたピンクの
そんな私の体に、彼の手が無遠慮に触れる。こんな時に限って短いスカートを履いてきてしまった。恐怖で呼吸が浅くなり、硬直した体は上手く抵抗してくれない。耳元で「見せたくて短いの履いて来たんだろ」「誘った橙野も悪いんだからな」という彼の興奮した声が聞こえ、スカートの中、下着が無理やり下ろされた。
脱がせた下着を眺め「大人っぽいの履いてるじゃないか」という彼の言葉に鳥肌が立つ。劣情や情欲に支配された人は、こんなにも悍ましいのかと思い知る。正常な言葉選びも出来ず、欲望のままに発する言葉。彼の興奮した様子の言葉一つ一つに怖気立ち、動かない体で必死に抵抗した。「そのままじゃ痛いだろうから」と、下腹部に顔を埋められた時は、気持ち悪くて吐きそうになった。その際、悶える私の肘かどこかが助手席の窓の開閉ボタンに触れたのか、窓が少し開く。私は無我夢中で「助けてください!」と声を絞り出していた。
だが少し開いた窓はすぐに閉じられてしまい、思い切り頬を打たれ、「騒ぐな!」と言って首を締められた。彼の纏う赤みを帯びたピンクの
私、殺されるんだ──と思い、苦しさと恐怖から少し漏らしてしまう。それを見た彼は、「汚すなよ! 後でバレたらどうするんだ!」という怒声と共に、また私の頬を打った。そうして今朝、頑張って、迷って、よしこれだと選んだブラウスのボタンを引き千切られ、彼がズボンを脱ぎ──
「大丈夫ですかー? 何かありましたかー?」
まさに救いの声。人気のない駐車場なのにも関わらず、私の助けを呼ぶ声か、はたまた彼の尋常ならざる怒声を聞いてか、奇跡的に人が来てくれた。私に覆いかぶさっていた彼は「ちっ」と舌打ちし、急いでズボンを履こうとする。私は助けが来たことに安堵し、ようやく動かせるようになった体で外に転がり出た。
そこからは彼が私を置いて逃げ、助けに来た方が警察に通報し、彼は逮捕され、怒涛の日々が過ぎていった。
あの日にあったことは、気持ちの悪い舌の感触までよく覚えているが、その後のことはよく覚えていない。気付けば私は、被害者として周囲から憐れまれていた。中には「橙野から誘った」「ヤリマン」「ビッチ」「被害者ぶるな」などという声も聞こえてはきたが。
もちろん私は被害者ということにはなるのだろうし、未成年に手を出した彼が異常なのだということは分かる。ただ、「橙野から誘った」という言葉には強く反論出来ない。なぜなら当時の私が彼を求めていたのは本当だからだ。キスにも興奮したし、その先も想像した。もしかすればと思い、ドライブデートの日も大人びた下着を選んだ。仮に私が他人の性質や感情の色が見えず、彼が「妻と別れる」と言っていたら、私は彼の行為を受け入れていただろう。
あの日、あのドライブデート中、彼が豹変するまでは、私の心は確かに彼と不倫していたのだ。助けが来たことで挿入されずには済んだし、無理やりだったので、私側は不貞行為にはあたらないのかもしれない。ただ、どうしても心では私から誘ったのかもしれないとも思ってしまう。だからこそ教師による生徒へのわいせつ事件ということで決着したのだが、私の中では不倫したという感覚が残る。
そうしてあの日から、「見せたくて短いの履いて来たんだろ」「誘った橙野も悪いんだからな」という言葉が耳に残り、短いスカートを履けなくなってしまった。赤みを帯びたピンクの
「怖かったな……」
あの日の恐怖をありありと思い出し、そう呟く。何度も頬を打たれ、首を締められ、強姦されそうになり──
「でも奈々はもっと怖かったよね……」
自分の身に起きた過去の恐怖を奈々に重ねる。私は拷問も強姦も、ましてや殺されもしなかったが、それでも思い出して震えてしまうほどには怖かった。いったい奈々はどれほどの恐怖と苦痛を味わったのだろうかと思うと、涙が滲むし、怒りも込み上げる。こんなこと許しちゃいけない。いや、許せない。私の過去は自分のいたらなさもあったのだろうが、奈々は違う。突然襲われ、強姦され、拷問されて殺されたのだ。そんな奈々のために私に出来ることは──
「ない……か……」
思わず本音が漏れてしまう。奈々のために何か出来ることはないかと思うが、一つも思いつかない。
こうなったら時間を戻す前、奥村遥人を疑っていた
「はは……、信じるわけないよ……」
諦めの乾いた笑い声が口から漏れ、ベッドへと倒れ込んだ。そもそも先程も考えたように、悪意ある人物がタイムリープを使える時点で詰んでいる。ここに警察が介入したとして、なんになるのだろうか。やれることなんて一つもない。そう、一つもないのだ。犯行を知っているのに何も出来ないし、おそらく奈々はずっとあのまま。ふぐぅと声が漏れ、涙が溢れてくる。無力な自分が嫌になり、枕に顔を埋めてしばらく泣いた。
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ひとしきり泣いた私は、あることを思い出していた。それは時間を戻す前、「橙野さんも」「バレて」と奥村遥人が呟いていたことだ。私が奥村遥人が特殊な力を持っていることに気付いたのと同じで、向こうも私が特殊な力を持っていることに気付いたはず。おそらく特殊な力を持っている人物は、虹彩が霧のように蠢く。そうしてそれが分かるのは、特殊な力を持った人同士でだけ。そのうえ「バレて」と呟いたということは、犯行がバレたと思ったということだろうか。そうなると口封じに私を殺しに来るのではないか──と思ってしまう。いや、もともと奥村遥人は私を狙っていた節がある。奥村遥人に狙われるということは、強姦され、拷問され、殺されるということ。そんなのは耐えられない。ならいっそ屋上から飛び降りて死んでしまおうか──と思ったところで、
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