【暗中模索の妥当解】
病院は数年前に土足を解禁。幸いにもベッドの下に私のスニーカーがあったので、痛みに耐えながら何とか足をねじ込む。服はわりと血塗れだが、朝に適当に引っ掴んだジーンズと、今流行りのショート丈のトップス。一度恐怖で漏らしてしまっているし、血塗れの服装のままなのはなんでだろうか? と思う。
確か怪我をして意識のなくなった人の服は、他に外傷がないかの確認のために、鋏などで切られると聞いたことがある気がする。と言ってもその場その場で判断は違うのだろうとも思うし、考えても意味のないことなのだろう。
ひとまず動きづらい患者衣やスリッパではなかったことに感謝しながら、ゆっくりと病室の扉へ向かう。なんとなくスマホで時間を確認すると、時刻は十五時二十四分。確か最後に時間を確認したのは
それはなんでだろうかと不審な行動に考えを巡らせるが、それも本人に会い、目を合わせれば解決するはずだ。近付いた扉に耳をそばだててみると、おそらく近くに
「四〇三号室……」
自分がいた病室を見ると、四〇三とプレートには書かれていた。つまり四階。先程窓から見た景色で四階くらいだろうなとは思っていたが、ここから痛む足で階段を下りる自信はない。となればエレベーターだが、どうやらこの病院は各フロアの造りは一緒のようで、病室を背にする形で右側に四〇二、四〇一と病室が並び、その先にナースステーション。ナースステーションを背にする形で右手奥、ちらりとエレベーターホールが見える。エレベーターや階段、どちらを使うにしてもナースステーションの前を通らなければならないということになる。
呼び止められるかな──と思いながらナースステーションに近付いていくが、どうやらそれは杞憂だったようだ。ナースステーションの電話やナースコールは鳴りっぱなしで、看護師さん達が慌ただしく動き回っている。何人かの看護師さんと目が合ったが、慌ただしさから目を逸らされた。それもそうだろうなと思う。あんな大惨事があってからまだ二時間くらい。私が患者衣に着替えさせられていなかったのも、手が回っていなかったからなのかもしれない。病室を出た際はタイミングよく誰もいなかったようだが、今はバタバタとし始めている。この様子ならこのまま行けるなと、エレベーターホールへ向かったところで──
「ああ! 四〇三の……、橙野さん! 気が付いたんですね!」
一人の女性看護師さんが私を見咎め、近付いてきた。せっかくあと少しだったのだが、逃げる訳にも行かないので振り返る。とりあえず言い訳は──
「ト、トイレって……」
「お手洗いなら反対ですよ! 四〇五号室の前です!」
「あ、ありがとうございます」
「応急処置だけでごめんなさいね! 終わったら病室に戻っていてください! 順番に対応していますから!」
看護師さんはそう言うと、慌ただしくその場を立ち去った。ふぅ──と、強制的に病室へ戻されなかったことに安堵のため息を吐き、そのままエレベーターホールへと向かうが、あれ……? あの薄くて斑な黒い
それを見た私は、ああそういうことかと納得する。飛鳥中央大の附属病院は、この春から新病棟が稼働していた。奈々が入院していたのは旧南館B棟で、ここは新館。よくよく見てみれば、旧館と造りはほぼ同じだが綺麗な印象を受ける。手すりや扉の形などもバリアフリー対応のように見えるし、そういえば窓から見た景色も違ったなと思う。
確か旧館、新館共に北館と南館があり、それぞれA、B、C、Dと棟が分かれていたはず。旧北館に関しては全ての取り壊しが決まっており、今は使用していないということを思い出した。おそらく私がこの回復期リハビリテーション病棟にいるのは、ちょうどこの病棟の病室がいくつか空いていたからだろう。そこへあの大惨事での負傷者を受け入れたことでの、先程のナースステーションの慌ただしさというわけだ。おそらく奈々がいた旧南館B棟の無事だった患者も移動させただろうし、もしかすれば旧南館B棟も閉鎖などの対応になるのかもしれないなと思う。
そこまで考えたところで、そういえば──と、重要なことを思い出した。確か糸生さんの記憶で見た結束さんは「通報で駆け付けてみれば、確かに多数の死傷者がいた。だが犯人の姿はない」と言っていたはず。そうなるとあの
「考えても仕方ないよね……、ほんと頭おかしくなりそ……」
様々と起きる不可解な出来事の連続に、私の脳はキャパオーバーだ。だがそんな不可解な出来事の謎も、奥村遥人の目を見ることである程度分かるはずだ。
カチッと音を立て、エレベーターのボタンを押す。エレベーターは二基あり、どちらも三階にあって下へ向かっている。病院は地下二階まであるので、運が悪ければ四階に来るまで少し時間がかかるなと思う。そんなエレベーターを待つ私の耳に、「今どこにいるんだ
「ちょうどこっちに向かってるだと? ニュースで見たのか? ──たまたま? ならテレビでも携帯でもいいからニュースを見てみろ。大変なことにな──ああ、そう、そうだ。私達の出番ってわけだが、お前にも手伝って貰おうと思ってな。それよりなんでたまたまこの病院に向かっていたんだ? ──前から調べてた? ──ああ、そういうことか。相変わらずの情報網だな、お前は。それで? 七戸の母親はなんて? ──ああ、そうか。まあそりゃ心当たりなんてあるわけないだろうさ。その情報が本当なら、七戸には同情するよ。溺愛する妹がおかしくなって一家離散なんてな。──ああ、ああ、そうだ。今のところこっちは何も分かっていない状況だ。だが少し怪しいやつがいてな。時間があったら調べて欲しい。名前は奥村──」
そこまでで、エレベーターホールに下りのエレベーターが到着したピンポンという音が鳴る。おそらく結束さんが口にした七戸とは七戸鳴海のことだろうし、奥村とは奥村遥人だろう。もう少し聞いていたかったのだが、到着したエレベーターに乗り込んで一階のボタンを押した。
一階へ向かうエレベーターの中、結束さんの口から思いがけず二度も聞いた七戸鳴海のことを考える。病室で聞いた話と電話の内容からすれば、七戸鳴海は妹がおかしくなり、おそらく親が離婚でもしたのだろう。そのうえ妹を溺愛していたと言っていた。ある日わけも分からず溺愛する妹がおかしくなり、親も離婚。もしこれが誰かの仕業だと知ったならば、許せないだろうなと思う。そうして七戸鳴海は、どうにかしてこの不可解な出来事が
私の中には一つ、浮かんでいる考えがある。それは七戸鳴海と奥村遥人にも、何か特殊な力があるのではないかということだ。私に特殊な力があるのだから、他にそういった力を持っている人がいてもおかしくない。それがどんな力なのかは分からないが──
そう考えることで、まるで
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