【可変虹彩の精神潜行】
虚ろな目の奈々と視線を合わせた私に、濁流のように流れ込んできた、
奈々が私のマンションから出て──
大学に忘れ物の課題を取りにいき──
大学の玄関でスマホを見ると、四月二十一日、午後十八時五十分と表示され──
急いで正門の外へ出て──
少し歩いたところで黒いワゴン車が隣に来て──
降りてきた全身黒ずくめの男に羽交い締めにされ──
ワゴン車の中に引きずり込まれ──
──────
────
──
「うえぇ……」
私は込み上げる吐き気を抑えきれず、病室の外、トイレまで走ってげぇげぇ吐いた。 凄惨で悪趣味でグロテスクで──
あまりにも常軌を逸した内容の記憶。
私に流れ込んだ記憶の中、ワゴン車に連れ込まれた奈々は強姦されたうえで
ワゴン車の中には、様々な工具や道具が溢れていた。ドライバーやペンチ、
「うえぇ……げほっげほ……うぅ……うえぇ……」
以前興味本位で見たスプラッター映画や、悪趣味なB級映画の比ではないほどに生々しくグロテスクな記憶の映像。
吐き気が止まらない。今朝方、食欲がない中で胃に押し込んだフルーツグラノーラを全て吐き、後はびしゃびしゃと胃液を吐く。胃液の中に血が混じり、ぽたりぽたりと鼻血も滴って頭痛もする。涙もとめどなく溢れ、おそらくその場で十分程度だろうか、吐いて、嗚咽してを繰り返し、幾分か気持ちが落ち着いてきたところで、そうだ警察──と思いつく。
そうしてスマホをポケットから取り出し、警察に電話をかけようとしたところで、「なんて言うつもりなのよ私は……」と脱力し、個室トイレの扉にガタンッと背中を預けた。
そう、私が見た記憶の映像で奈々は殺された。だけど奈々は生きているし、拷問された形跡など一つもない。もし拷問されて廃人になってしまったのなら、病院でその痕跡を見逃すことなんてないはずだし、そもそも奈々は多数の人が見ている中で唐突におかしくなったのだ。
そのうえ記憶の映像で奈々が確認した日時は、
つまりあの記憶の映像は時間的に矛盾していることになる。もし仮にあの記憶が本当にあったことだとしたら、奈々は午後十六時四十五分におかしくなって医務室に運ばれ、そのまま病院に。それからしばらくしてむくりと起き上がり、元気に大学に向かって課題の忘れ物を回収し、午後十八時五十分頃にスマホで時間を確認して、大学の正門近くで黒いワゴン車に拉致。殺されたように見えていたが、殺されてはおらず、強姦と拷問を受けた上で解放され、再び病院まで戻って──
「そんなわけない!!」
自分の有り得ない考えに腹が立ち、ガンッ! と、スマホを壁に投げ付ける。そう、絶対に有り得ない。倒れた娘を見守る両親や看護師さんに気付かれずに病院を出るなんて不可能だし、なにより記憶の映像で見た奈々は、様々な工具や道具によって直視できないほど──
「うえぇ……」
吐くものがないはずなのに、また吐いてしまう。だけどよくよく考えて──いや、よくよく考えてみなくとも、この記憶の映像は私の幻覚か白昼夢だと考えられる。元から少し特殊な力を持った私が、精神的なストレスで見た幻覚と考えた方がしっくりくる。
うんそう、絶対にそうだと呟いて、がらがらとトイレットペーパーを巻き取り、顔と便座を拭いて流す。壁に投げ付けたスマホを見ると、少し画面がひび割れていた。時刻は午後十二時二十四分と表示されている。
私はふらふらとする足取りでトイレの手洗い場まで向かうと、再び顔を洗った。やはり冷たい水が肌に触れる感覚が気持ちよく、幾分か重たい脳内をクリアにしてくれる。相変わらず少し頭痛はするが、顔を上げて鏡に映る自分の顔を見る。
「さっきより動いてる……?」
鏡の中、瞳の虹彩が霧のように蠢く。心なしか病室で見た時よりも動きが活発な気がするが──
鏡の中の自分と目を合わせていると、病室で見た知らない記憶の映像が再び浮かぶ。私が大学の玄関前で赤黒い目玉のようなナニかに怯え、その場にへたり込んで震え出し、それを奈々が抱き起こすという映像だ。
なぜかは分からないが、先程病室で見た時よりも鮮明な映像。大学構内の葉桜へと変わったソメイヨシノの様子や、暖かな日差しや心地よい風も感じてしまうほど。さらにその続きの記憶も流れ込んできた。
手を繋いで私の家へと向かう奈々と私──
どうやら奈々は奥村君に頼まれ、私を七戸鳴海から引き離したようで──
そのことについて、奥村君は桜が好きなんだと奈々に茶化され──
家へと着いて、一時間ちょっと楽しく談笑し──
大学に忘れ物を取りに行った後で、家族と焼肉だと言って帰る奈々──
帰って欲しくはないけど、笑顔で手を振る私──
私はその後ベッドへと倒れ込んで眠り──
起きてスマホを見ると、奈々から「てすけて」という意味不明のメールが届いていて──
もしかして「たすけて」の打ち間違い? と思った私が奈々に電話しようとして──
その際、スマホに表示された日時は四月二十一日、午後二十時四十五分──
ブツンッと、そこで記憶の映像は途切れた。病室で見た時よりも生々しい感情や、色や音。覚えはないが、本当に経験したことのように感じられるリアルさ。どうやらこの意味の分からない記憶の映像でも、奥村君が七戸鳴海から私を引き離してくれたようだが──
ここまでの記憶の映像を見た私の頭に、ふとある考えが浮かぶ。
「奈々の記憶と繋がる……?」
奈々の瞳を見つめ、流れ込んできた記憶の時間や流れと繋がるように思えた。実際には奈々は四月二十一日の四限目の授業後に病院へ運ばれている。だが流れ込んだ私と奈々の記憶の映像を繋げると、
「頭、おかしくなりそ……」
どれだけ流れ込んだ記憶の映像が矛盾しなかろうが、現実とは矛盾している。奈々は生きているし、私は昨日、奈々と一緒に帰ってなんかいない。もちろん家で楽しく談笑もしていないし、奈々から「てすけて」というメッセージも届いていない。試しにスマホで奈々とのやり取りを確認するが、やはりそんなメッセージは存在しない。
疲れてるんだ私と呟き、トイレを出る。精神的に疲れたことでの幻覚や白昼夢。それ以上でも以下でもない。虹彩の変化は気になるが、気にしたところでどうしようもない。
廊下に出ると、看護師さんがこちらに向かって歩いてくる。私は「こんにちは」と明るく挨拶したのだが、看護師さんが私の酷い有り様な顔を見てだろうか、「大丈夫ですか? どこか具合でも?」と心配そうに尋ねる。その際、看護師さんの首元、チラりと絆創膏の端が見えた。ネームプレートには
「いえ、ちょっと色々あって疲れてしまっただけで……」
「ああ、あなた、冴島奈々さんの友人の──」
「はい。
「元気だして下さいね、橙野さん。原因はまだ分からないけど……、冴島さん、体は元気だから」
「はい……。ありがとうございます」
「何かあったら相談してくださいね」
そう言って頭を下げ、立ち去ろうとする看護師──浜辺さんを、「あの……」と言って引き止める。
「どうしました?」
「私の目……、私の目なんですけど、変じゃないですか?」
「目?」
浜辺さんが私の目を覗き込み「変じゃないですけど……、泣き過ぎて少し腫れてますね」と心配そうな顔をして、「擦ったらダメですからね?」と微笑んで立ち去る。
私はその後ろ姿を見送りながら、嘘でしょ……? と呟いた。話している間、浜辺さんは私と何度か目が合ったはずなのに、
正直しっかりと目を合わせれば、異常だと分かるくらいには虹彩は動いていたはず。もしかして元に戻った? と思い、スマホのインカメラで確認するが、やはり霧のようにぐねぐねと蠢いていた。
そのうえ、浜辺さんとしっかり目を合わせたことで、
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