第18話

 この朝食にも慣れてきた。

 いや、好きになったと言っても過言ではない。

 寡黙だが、私の話に微笑んでくれる公爵と、公爵を愛している使用人たちが居る、この空間が。

 公爵のそばにいる使用人は、いつも同じ顔ぶれだ。

 護衛騎士も、第三近衛騎士団とは違う隊服を着ている、いつもの二人。

 なぜ朝食の場は、いつも固定メンツなのだろう?

「使用人達の勤務を、変更したそうだな」

「はい。勝手なことをして申し訳ありません」

「構わない。ここで、お前にできないことはない」

「ありがとうございます!お父様」

 なんて素敵な、権力者のセリフ。

 公爵は、日に日に顔色が良くなってきている。

 朝食の時間も長くなっているし、回復に向かっているのが分かる。

 だからこそ、踏み込めないでいる。

 エイヴィルの母親のことや、兄である皇帝との間に何があったのか。

 真相を知ってる人物が目の前にいるのに、聴取するのをためらうなんて。

 私らしくない。

 きっと、私にとって公爵は、それほど大切にしたい存在に、なってきているのだろう。

「明日、カーライル卿を連れて、街へ行ってみようと思っています」

「そうか」

 公爵が、私の後ろに控えるカーライル卿にチラリと視線を送る。

「護衛に服します」

「頼んだ。気をつけるんだぞ」

「はい」

「必ずローブを被るんだ。お前は目立つ」

「はい」

「馬車は公爵邸のものではなく、目立たないものを用意しよう」

「はい」

「欲しいものがあったら、全て購入して構わない」

「はい、お父様」

 抑揚のない話し方だが、エイヴィルを大切にしてくれているのが嫌というほど伝わってくる。

 食後は公爵と一緒に庭を散策し、部屋に戻った頃には昼になっていた。

 

「お疲れ様でした。お茶をお入れしますか?」

 ずっと私に帯同してくれていたマリアが、声を掛けてくれた。

「ううん、ありがとう。それより、エミリーを呼んできてもらえるかな」

「エミリーですか?かしこまりました」

 マリアは美しくお辞儀をすると、部屋を出ていった。



 コンコン

「公女様。エミリーを連れてまいりました」

 ドアの外で、マリアの声がする。

 やっぱり、自分の後輩を連れている時は、ちゃんとノックするのね。

「入って」

 キィ

「失礼いたします」

 マリアに続き、青ざめた少女が、入ってくる。

 この国の女性としては珍しく、肩にギリギリ届くくらいの短い髪の毛をしている。

「こ、公女様にご挨拶申し上げます」

「顔を上げてください。仕事中、呼び出してごめんなさいね」

「とんでもないことでございます」

「良かったら座って」

「そんな、私はこのままで」

「良いから」

 私は笑顔でソファーを指示する。

 エミリーは、エプロンをギュッと握ったまま、立ち尽くす。

「エミリー、座りなさい」

「…はい。マリアさん」

 マリアに促され、おずおずとソファーに腰掛けると、ビクリと身体を跳ね上げた。

 座面のあまりの柔らかさに驚いたようだ。

「マリア、お茶を入れてもらえる?」

 エミリーが勢い良く立ち上がる。

「そんな!私がお入れします」

「エミリーさん、良いから。貴方を呼んだのは私なんだから、気にしないで」

「…ですが」

「ね」

 私は、なるべく怖がらせないように笑顔を向ける。

「はい」

 再びソファーに腰掛けるが、沈み込みすぎる身体に、また驚いている。

 可愛らしい。

 でもその両手は、エプロンを握りしめ、ブルブルと震え続けている。


「手紙を贈りたいの。…いつものように」

 ビクリとエミリーが反応する。

「公女様!記憶が戻られたのですか!?」

「…いいえ。でも、その反応を見る限り、あなたが協力してくれていたのは確かなようね。」

「…っ」

「私がどうやって外部の人間と連絡を取り合っていたのか、知っていることを話してもらいたくて、あなたを呼んだの。私は何も思い出せていないから」

 エミリーは、探るように私を見ている。

「わ、私は何も知りません」

 顔が赤くなり、必要以上に大きな声を出している。

「エミリー、落ち着いて。ハーブティーを入れたわ」

 マリアが、そっとお茶を出す。

「け、結構です。飲めません」

 ダラダラと汗を掻く。

「エミリーさん、では、私の話を聞いてください。貴方は軍鳩の扱いに長けた、ウィルキンソン家の出ですね。二年前、ご両親は馬車での事故で亡くなられている」

 エミリーは深く下を向き、その表情はうかがえない。

「私は、皇女殿下と特別な方法で文通をしていた。そしてそれを貴方が手伝っていたのは、間違いないのだけれど」

「そ、それを誰に…」

「皇女殿下本人がおっしゃっていたわ」

「…」

 エミリーは黙り込んだ。

「また近々、皇女殿下から手紙が来ると思うの」

「…!」

「わ、私には、軍鳩の調教はできません。軍鳩は、鳩の帰省本能を利用して信書を送り合います。特定の場所に巣を作らせ、その場所から引き離し、餌を与え続けないと、鳩は調教師になつかないからです」

「そうなのね」

「軍鳩を使っての通信手段は、父に聞いただけで…」

「良くわかったわ。じゃあ、エミリーはどういう方法で、検閲が厳しい皇室との手紙のやり取りを手伝ってくれていたの?」

「それは…」

 エミリーは意を決したように立ち上がると、窓へ近づく。

 そして、エプロンを外し右腕にグルグルと巻くと、胸元から小さな笛のようなものを取り出し、口をつけた。

 何の音も聞こえない。

 マリアと目を見合わせてると、バサバサと羽音が聞こえた。

 爽やかな、黄緑色の木漏れ日あふれる窓枠の外の世界に、突然漆黒の鳥が姿を表した。

「キャア」

 マリアが尻餅をつく。

 この鳥は…カラス?

 いや、カラスはこんな瞳の色じゃない。

 この世界に来て、黒い鳥は初めて見た。

 エミリーの腕に留まり、数回優雅に羽ばたく。

「この子に呼び名はありません。調べてみましたが、何という種類の鳥なのかも、分かりませんでした。ある日、私の宿舎の窓枠に、弱った姿で現れたのです。手当をしたことで、とても懐いてくれました」

「この子が手紙を運んでくれるのね。どうやって?」

「この笛で出した信号で、決まった場所との往復が可能です。三箇所ほどでしたら覚えられます」

「凄い。往復ってことは、相手が手紙を書き終えるまで、その鳥は待っていられるってこと?」

「はい。相手方が用意した籠で待機します。もちろん、餌は与えてもらいます」

「なるほど。目的地点には、何か目印を置くの?」

「鏡を空へ向けて置いておけば、そこへ向かって飛びます」

「そうなのね。……鏡!!」

 私は思わず走り出す。

「ありがとう、エミリー!皇女殿下の元へ、一度そのカラスを飛ばしておいて」


「カラス…?」

「エミリー、あんな事件があって不安だろうけど、公女様は以前とは別人のようにお優しい方よ。心配しなくても大丈夫」

「…はい」




 バタバタバタバタ

 別館に、公爵邸に不釣り合いな足音が響く。

 この音は…。

「公女様!」

「あ、カーライル卿!ちょうどよかったです。一緒に来てください」

「かしこまりました」


 公女は、「ゲンバ」と呼んでいる例の部屋の前で立ち止まる。

 私が壊した扉の上から、扉と同じ大きさの重たい板が重ねられている。

 それを、壁に埋め込んだ鉄の鎖で支え、南京錠が掛けられている。

 公女は、ポケットから鍵を取り出すと、手慣れた様子で南京錠を外す。

 ガチャガチャ

 ガキン

「留置場を思い出すな」

「何かおっしゃいましたか?」

「あ、ううん。何でもないです。カーライル卿、お願いします」

 僕は、重たい板を横にずらす。

 キィ

 扉を開けると、例の禍々しい模様が、嫌でも目に飛び込んでくる。

 心配で公女に視線を送るが、当の本人は気にもとめない様子で、窓に駆け寄る。

 カーペットは処分したが、微かに腐敗臭がする。

 戦地で嫌という程嗅いできた匂いだが、慣れることは一生ないだろう。

 人は死んだら、ただの肉の塊になるということを、思い知らされる。

「カーライル卿、見てください」

 公女に近づくと、窓際に置かれたチェストを指示している。

 その上には、足の付いた鏡が一つ置かれている。

「ずっと気になっていたのです。部屋の真ん中に、これだけ大きな模様を描くために、ほとんどの家具は端に寄せられています。でも、このチェストだけは、窓際に残されている」

「確かに、不自然ですね」

「その答えが分かりました。このチェストは、窓際に鏡を設置するために残されたのです」

「この…鏡ですか」

 鏡は、窓の方向を向いている。

「この鏡は、エミリーが飛ばした伝書鳥が戻ってくるための目印なんです」

「軍鳩のようなものでしょうか」

「流石です、カーライル卿。つまり、あの日私は、誰かからの手紙が返ってくるのを、ここで待っていた」

「手紙を…」

「通常鳥は、夜は飛べません。つまり、私がここに居たのは、日が昇ってから、もしくは日が昇る間際。カーライル卿。この時期、日の出は何時頃ですか?」

「そうてすね。…五時少し前には明るくなり始めます」

「イザベラが私を見つけたのは、五時半頃だと言っていたので、かなり犯行時刻が絞られました!」

 公女は、嬉しそうに僕の手を握る。

「カーライル卿。第三近衛騎士団が戦地に居る間、残された団員たちが公爵邸の警備に従事していたと聞きました。先日も調査してくださいましたが、もう一度、この約三十分間の間に何か気付いたことがないか、確認していただけませんか?」

「承知いたしました」

「ありがとうございます」

 この笑顔のためなら、僕は何だって出来る。

「ところで、明日街で調べたいとおっしゃっていたことを、伺っても?」

「あ、はい。領地の治安について、知っておきたかったんです」

「治安ですか?公女様もご存知のとおり、公爵家の領地は、城下街に接しています。街は皇室の加護を一身に受けておりますから、領地も同じく平和だと感じます…」

「私も、馬車で通っただけですが、そのような印象を受けました。ちなみに、帝国には、治安維持を担う、一般市民の団体のようなものはあるのですか?」

「いえ、そういったものはありません」

「では、何か事件が起こった場合、どの様に解決するのですか?」

「そうですね…例えば誰かが怪我をさせられたとします。その犯行を目撃したのであれば、その場で報復します」

「え?」

「報復する力がないものが、その犯行を目撃した場合、教会に訴えて審議を依頼します。一般市民が正式な裁判を受けることは出来ませんからね」

「そうなんですね」

「ただ、大抵罪人は審議を受けずに終わります」

「なぜですか?」

「教会に辿り着く前に、被害者の家族や友人に報復されるからです」

「え?その、念のため確認しますが、その報復というのは」

「殺されてしまうということです」

「先程、城下街は平和だとお聞きしたばかりなのですが…」

「はい」

 公女は、可愛らしい口を開けたまま、動かなくなってしまった。

 あの時の、乱れた唇を思い出す。

「いずれにしても、私がお供しますので、ご安心ください」

 僕は無意識に、公女の頬に手を伸ばしていた。

 その瞬間、ノアの言葉が頭をよぎった。

(騎士だもんな)

 頭の中の声をかき消すように、右手を力いっぱい握った。

 ノアの自由が羨ましい。

 皇太子の権力が疎ましい。

 この気持ちを一体、僕はどうしたいんだろう。




「公女様。昨日はお暇を頂き、ありがとうございました」

「いいえ。ジルは喜んでいましたか」

「それはもう。公女様とカーライル卿にまで会えた上に、私と街を散策して、色々なものに触れて…興奮で昨晩は寝付きませんでした」

「ふふふ。それは良かったです。でも、ステファン先生にお子さんがいらっしゃると聞いたときは、本当に驚きました」

 私はいつものように、ベットにうつ伏せになる。

「本当です。私も初耳でした」

 マリアが、私の腰元の服をめくりあげながら口を挟む。

「隠していたわけではないのですが、驚かせてしまって申し訳ありません。彼は、路地裏で行倒れていたところを助けられ、私の診療所に運ばれてきたのです」

 ステファン先生は、いつものように傷口に軟膏を塗る。

「診療所って、公爵邸の敷地内にですか?」

「いえ、月に一度だけですが、街の診療所にも詰めています。何人もの医師が、交代で治療をしているんです。無償なので、参加する医師は少なく、出来る診療も限られていますが」 

「とても素晴らしいことです。ステファン先生」

「ありがとうございます。運ばれてきた時、ジルは既に意識がなく、暴行された跡がありました」

「なんですって」

 私は思わず起き上がる。

「あんな小さな子供を、一体誰が。許せない」

 ステファン先生は、懐かしむように微笑んだ。

「ジルを連れてきた男性も、同じことを言っていましたよ。肩に大きなタトゥーがあって、一見怖そうな人でしたが、公女様と同じく、とても正義感の強い方でした」

「そうなんですね。ジルは、それから一年間眠り続けた」

「はい。本当にギリギリの状態で、命を繋ぎ止めることが出来ました。意識のない人間に、栄養を届けるのには限界があるので」

 そうだよね。点滴とかがあるわけじゃない。

 ステファン先生は、本当にジルのために努力したんだ。

 明るくて、優しい。人のために学び、与え続けるお医者さん。

 暖かさで胸がいっぱいで、泣きそうになった。

「公女様。傷は完全に塞がりました。傷跡は残ってしまいますが、毎日軟膏を塗れば、少しは薄くなるかと思います」

「本当にありがとうのざいます」

 私は服を正して、起き上がる。

「マリア、先生にお茶をお入れしてくれる?」

「かしこまりました」

 マリアが部屋を後にする。

「先生。お父様の具合はいかがですか?」

「その件につきましては…」

「主人の病状について、私の口から申し上げられることは何もありません」

 私は、ステファン先生の話し方を真似てみせる。

「公女様…」

「誰にも言いません」

「…」

「…」

「はぁ。ここからは、私の独り言ですよ」

「そうですとも」

「他の医師には、とても認められない考えですが、私は、心と身体は強く影響し合うと思っています」

「…精神的に強い衝撃を受けると、それが身体に現れる」

「その通りです。公女様は、どうしてそのような考えをお持ちなのですか?」

「い、いえ。以前団員達のカルテを見せて頂いた際、団員達が眠れない様子や、悲惨な映像が頭から離れない症状についても、事細かく記していましたので…」

「よく見てらっしゃる。そうです。そういった症状は、心に強い衝撃を受けた事が原因だと、私は考えているのです」

 トラウマ、PTSD、それらの症状に悩まされる被害者を、何人も見てきた。

 ステファン先生は、やはりかなり進んだ考え方を持っている。

「つまりお父様も、過去に受けた衝撃が原因で、日中の行動が難しくなっている」

「はい。以前言わされ…お話ししましたが、公女様がお生まれになり、公爵邸へいらしてからずっと、昼夜逆転の生活となっています」

「その原因は、これではないですか?」

 私は、漆黒の髪をひとつかみ手に取る。

「っ!」

「ステファン先生、いつも素直な反応をありがとうございます」

「公女様には、どうしても嘘がつけません」

 そりゃ、場数を踏んできてますからね。

「ただ、公爵閣下は、私にも核心は話してくださらないのです。苦しみながらも、月明かりを頼りに、眠っている幼い公女様のお顔を見に行かれていました」

「私は、愛されていたのね」

「もちろんです」

 でも、きっとエイヴィルはその事を知らなかったはず。

 公爵の病状については、この公爵邸の使用人でさえ、ほんの一部の人間しか知らないのだから。

 公爵の過去に何があったのか。

 鍵を握るのは、あの肖像画の女性だ。


 

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