第17話

「おい、お前はいつにしたんだ?」 

「勿体なくて、決められねえよ」

「分かる!休みなんて、初めてだもんな」

「これが、週に一回。ゆくゆくは週に二回になるんだってよ」 

「おい、本当か?」

「しかも、当直勤務は週に一回か二回だけ。その日は午後から従事するだけで良いんだと」

「聞いたよ!しかもしかも、非番は休めるらしいぞ」

「この表を見る限り、確かに今までと変わらない警護体制なのに、全員で休みを回していけるな」

「すげぇ効率的。これをあの公女が考えたなんて、信じられねぇよ」

「本当だよな」

 夕食を終えた団員が、食堂に集まって一枚の紙を囲んでいる。

「お前ら何見てんだ?」

「ノア!見てくれよこれ」

 団員が差し出したのは、地図くらいの大きさの紙だった。

 細かな格子状の線が引かれていて、横の列には日付、縦の列には騎士団員全員の名前が書かれている。

 それぞれの騎士が、その日何の仕事に従事し、いつ休むかが書かれている。

 偏りが出ないように、上手く組まれているのが分かった。

「この✕が休みって意味だ。◯が当直で午後出勤。△が非番で昼上がりだ。△は休みにカウントされないってわけ」

「さっそく明日から、この表に従って勤務を回していくんだ。すげえよな」

「へえ」

 文字が読めない使用人もいる事を考えて、記号にしてるって訳か。

 団員たちの目が、キラキラと輝いている。

 休み一つで、こんなにも士気が上がるとはな。

「さっさと風呂に入って寝ろよ。休みがもらえるからって、訓練が楽になるわけじゃないんだからな」

「へーい」

「厳しいな、ノア。ご馳走様」


 団員たちが、ぞろぞろと二階へ上がっていった。

 俺は、机に残された紙を眺める。

 

「ノア!」

 顔を上げると、息を切らしたヒカリが立っていた。

 着飾った昨日とは違う、いつものヒカリだ。

「どうしたんだ?」

「聞いてほしいことがあって…。あ、ちょうどよかった。それ見た?どうかな?」

 ヒカリは嬉しそうに俺の向かい側に座る。

「それ、勤務表って言うんだ!」

「表か。見やすくていいと思う。あいつらみんな喜んでた」

「ほんと?良かった。休みがないなんて、何のために仕事をするんだって衝撃だったよ」

「何のためって…休みのために仕事する気かよ」

「そうだよ?何も悪いことじゃないよ。家族と過ごしたり、恋人と過ごしたり、趣味に費やしたり。休みって、すごく価値があるものだよ」

「…言われてみれば、そうかもな」

「でね!ノアにも休みを取ってもらいたいの!」

「俺は遠慮しとくよ。代わりが居ないからな」

 第三近衛騎士団の宿舎には、料理人は俺しかいない。

 あいつらみたいに命が賭けられない分、食事くらい一人でまかなえなくてどうする。

「そもそも、それが問題なんだよ。その人しかできないような仕事は、無くしていかないと組織として立ち行かなくなる。でね、考えたの!ノアが休む日は、私がここで料理を作るっていうのはどう?」

「はぁ?」

「私、料理は結構得意なんだよね。作る量が多いから、力仕事になるだろうけど…そこは騎士団の人にお手伝いをお願いすれば大丈夫!」

「公爵令嬢が騎士団のメシ作るなんて、聞いたことない」

「侯爵令息が作るのだってかなり異例だと思うけど。ノアはもう夕食食べた?」

「いや、まだだけど。いつもの通り余り物で適当に済ませるよ」

 ヒカリは、ひまわりのようなまん丸の笑顔を見せた。

「だったら、私に任せて」




 ダンダンダンダン

 ヒカリは、ひたすら肉の切れ端を包丁で叩いている。

 カピカピに乾いたパンを削り、玉ねぎも泣きながら細かく刻んでいた。

 トマトは火にかけて、たっぷりの塩を入れて煮詰めている。

 何でもかんでも細かく切って、離乳食でも作ってるのか?

 それか、ヒカリが住んでいた世界の人間は、顎の力がないのか?

 ただ、エプロンを付けて、何やら一生懸命な後ろ姿を眺めているのは、悪くない。

 束ね損ねた髪の毛が、首筋に垂れている。

 今すぐその髪をすくい上げて、うなじにキスを落としたい衝動にかられる。

「ノア」

 ビクリと身体が反応する。

 やましいことを想像してたのが、バレたのか?

 心臓がドキドキする。

「な、なんだよ」

「今朝の新聞見た?」

 なんだ、そんなことか。

「見たよ。あの件は、完全に無かったことになってるな」

「うん。今までみたいに、面白おかしく書かれるかと思ったけど…。皇室の検閲は、想像以上に厳しいんだね。今思えば、皇太子殿下からの贈り物に、手紙は一通も添えられていなかった。あったのはカードだけ」

「城から出される信書は、全て皇帝陛下に管理されてるって訳か」

「あのお城は、言論の監獄ね。革命を恐れているのかも」

「革命?」

「言葉は、最大の武器でもある。それこそ人を殺せるほど強力な」

 ヒカリは調理する手を止めないが、その言葉には重みがある。

「でもね、皇女様は私に手紙を送るって言ったの。いつもの方法でって。」

 ヒカリが振り向いて尋ねる。

「一体どうやって?」

「確かに手紙って言ってたのか?」

「うん」

「他になにか言ってたか?」

「いつもの方法って何ですかって聞いたら、信書を担当しているメイドに聞いてくれって…」

「信書担当のメイド…なんて名前だ」

「そこのメイド達の勤務表に書いてある。エミリーっていう子」

「エミリー…ウィルキンソン!なるほど」

「え?何がなるほどなの?」

「ウィルキンソン家は、過去の戦争で情報員として名を上げ、男爵位を得た家門だ」

「情報員?」

「ああ。ウィルキンソン家は、軍鳩の扱いに長けていたんだ」

「ぐんきゅう…鳩ね!」

「そうだ」

「なるほど…」

「詳しいことは、俺にも分からないけど、ウィルキンソン家の人間が信書を担当しているなんて、偶然とは思えない」

「そうだね。ありがとう。私も調べてみる」

「俺も、協力するよ」

「え!捜査を手伝ってくれるの?」

「暇なときな」

「ありがとう!お礼に、美味しいもの食べさせてあげるからね」


 ヒカリは気合を入れると、細かく切った材料と卵を、素手で混ぜ合わせだした。

「おい、生の肉を触って気持ち悪くないのかよ」

「え?ちゃんと手は洗ったよ?」

「いや、そうじゃなくて…」

 そうだ。こいつは俺が知っている、どの女とも違うんだった。

 ジュー

 肉が焼かれる音と、いい匂いが漂ってきた。

 ヒカリのおでこに、汗が滲む。

「あとは蓋をして、中まで火を通せば完成だからね」

 そう言ってヒカリは、エプロンの裾で手を拭きながらテーブルについた。

「ねえ、勤務表見てて、何か気付かない?」

「何がだよ」

「もー、わざわざメイドの勤務表も並べておいたのに、何を見てたのよ!」

 何って。お前のうなじとか…おしりとか…だけど。

「ここ、見て!このメイドとこの騎士、2回も休みを合わせてるの!」

「何だって!?本当だ。あいつら…いつの間に」

「ね!ね!そういうことだよね」

 ヒカリは楽しそうに歯を見せた。

 こういうイタズラっ子のような笑顔は、初めて見た。

「ノアも、ちゃんと休めるようにしてあげるから、安心してね」

 何だよ、それ。

「お前、俺が誰かと休みを合わせてもいいのかよ」

「え?良いも何も、休みは自由に使えばいいでしょ?そろそろ焼けたかも。待ってて」

 まただ。

 また急に面白くなくなった。



「ジャーン」

 ヒカリが出してきた料理は、丸いパンで作ったサンドイッチに似ている。

 だか挟まれているのは、肉や玉ねぎが混ぜられた、丸い肉の塊。

 そこにレタスとチーズ、煮詰めたトマトのソースが挟んである。

「何だこれ?」

「チーズバーガーです!私の住んでいた世界のソウルフードみたいなものなの。美味しいから食べてみて!」

「どうやって?」

「え?手で持って、ガブッとだよ」

 な!食器を使わないで、そのまま食べるには大きすぎるだろ。

 だが、ヒカリの期待に満ち溢れた眼差しを見ていると、とても断れない。

 空腹にも背中を押され、俺はチーズバーガーを両手で持ち、可能な限り口を開けてかぶり付いた。

「!」

 ヒカリがニヤニヤと笑う。

 何だこれは、うまい!

 細かく刻んだ肉は柔らかいのに、きちんと一つの肉の塊として成立している。

 チーズとレタス、トマトソースがこんなに合うなんて。

 パンが溢れ出る肉汁を受けとめ、よりジューシーさを際立たせている。

 悔しいが、手が止まらない。

「美味しいでしょー」

「うまい」

「へへ。嬉しい」

 ヒカリは、幸せそうな笑顔で、俺が食べる姿を見つめている。

 ヒカリが、ここで俺の料理を食べてくれた日を思い出した。 

 あの日と、逆だな。

 あの時からきっと、俺はお前に惹かれてんだ。


 あっという間に食べ終わった。

 俺は、半ば放心状態でつぶやく。

「うまかった」

「良かった!これに揚げたじゃがいもを添えると、もー最高なんだよね。これなら騎士団の皆もお腹いっぱいになると思わない?材料も…」

「いや、やっぱりダメだ」

「え?何で?」

 ヒカリは、眉毛を下げ、困惑した表情を見せる。

「お前が作ったものを、あいつらには食べさせたくない」

「だから何でよ」

「はぁ…」

「ノア!」

 俺は、渾身のキメ顔で答える。

「そのままの意味だよ。お前の手料理を、他の男に食べさせたくないって言ってんだ」

「…」

「…」

 出来れば、一生な。

「…意地汚いよ、ノア」

「はぁ?」

「美味しいものを、独り占めは良くない」

「…だからさぁ」


 静かにドアが開いた。

「公女様?なぜ、こちらに?」

 訓練着のまま、汗だくのジェレミーが入ってきた。

「カーライル卿。昼間はありがとうございました。お陰ですぐに勤務を組むことが出来ました」

「とんでもないことでございます」

「いえ、第三近衛騎士団の雇い主は皇室なわけですから、カーライル卿がすぐに動いてくれて助かりました。あ、でも…」

 ヒカリはジェレミーに近づくと、白いハンカチを差し出した。

「私が、訓練の時間を奪ってしまっていたようですね」

「公女様。ハンカチが汚れてしまいますので」

「ハンカチは汚れるものです。どうぞ使ってください」

 ニッコリと微笑むヒカリに、ジェレミーが微笑み返す。

 そんな、熱を帯びた視線を、ヒカリに向けるな。

 俺は今朝のように、頭に巻いたタオルをジェレミーの顔に投げつける。

「わ!ノア!?」 

「こいつの言うように、公女様の高貴なハンカチを汚すわけにはいきませんので」

「…」

 ジェレミーが睨みつけてくる。

 俺は、支えを失った前髪を掻き上げながら、舌を出す。

「ところで、公女様はどうしてこちらに」

 ジェレミーは、再びヒカリに視線を落とす。

 あいつ、その目をやめろって言ってんだろ(言ってない)。

「勤務のことで来たんです。ノアの代わりになる人が居ないので、ノアが休む日には私が料理を作ろうかと思いまして」

「なりません」

「ええ?カーライル卿まで…。良いアイディアだと思ったのに」

 ヒカリは明らかにしょんぼりする。

「こんな血の気の多い男だらけの空間で、公女様に労働をさせるなど、ありえません」

「珍しく意見があうな」

「それにノアには、休みなど不要です」

「おい」

 ジェレミーは相変わらずヒカリを見つめている。

「カーライル卿。休みは仕事への活力です。必ず取っていただかなくてはなりません!…そういえばカーライル卿も、まだ✕を書いていませんね」

 ヒカリは、ムスッとした愛らしい顔でジェレミーに詰め寄る。

 だから、その顔をやめろっていってんだろ(言ってない)。

「ちょうどその件で、公女様にお伺いしようと思っていたところです」

「私に?何をですか?」

「公女様のお暇な日に、私の休みを合わせたいと思いまして」

「んなっ」

 何言ってんだジェレミーのやつ。

「医師からの外出許可も出たところですし、城下町へ何か御用がお有りでしたら、私がご案内いたします」

「まてまて!こんな訓練ばかりしている男なんかより、俺の方が絶対に街には詳しいぞ」

「残念だけど、ノアの仕事には代われる人間が居ないだろ?」

 ジェレミーのやつ…。

 ちゃっかりヒカリをデートに誘ってやがる。

「公女様、ちょうど紹介したい料理人もおりますので、是非ご案内させてください。ノアの代わりが見つかるかもしれません」

「それは名案です、カーライル卿!まだ犯人も割れていない今、新しい料理人を雇うのには抵抗がありましたが、カーライル卿の紹介なら信用できます」

「おい」

「それに、ちょうど調べたいこともあったので、是非ともお願いしたいです」

「おいって」

「あ、でも。カーライル卿のせっかくのお休みを、私のために使わせるのは…」

「そうだよな。英雄の初めての休暇を邪魔するわけにはいかないよな」

 俺は、何とかヒカリの視界に入ろうと必死だ。

 我ながら、ピエロのようだ。

「私は、公女様の騎士です。公女様にお仕えできることが、私の幸せなのです」

「え…」

 ジェレミーの笑顔に、ヒカリは明らかに赤くなっている。

 やっぱりヒカリは、ジェレミーみたいなのがタイプなのか。

 確かに、俺と同い年なのに、ジェレミーはずいぶん大人びてる気がするし。

「いつにしますか?公女様」

「あ、じゃあ…明後日はいかがですか?急すぎますか?」

「いいえ。明後日に致しましょう」

「はい。」

 二人は、笑顔で顔を見合わせる。

 今すぐ、ダメだと騒ぎ出したい衝動に駆られ、目の前が白くチカチカする。

 思い通りにならないことなんて、今まで数えられないほどあったのに。

 その全てを受け入れてきたのに。

 一人の女の視線を、渇望する日が来るなんて。

「ははっ」

 笑い声が漏れ出てしまう。

「ノア?」

「いや、悪い。俺の休暇のために、しっかり頼みますよ、公女様」

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