第11話
「水野巡査部長。経歴を見る限り、あなたには秀でた専門技術はないようですね」
ここは、警部補昇任の口述試験会場だ。
私は、きちんとアイロンがけされた制服を着て、膝の上に制帽を置いている。
「あなたが優秀なのは認めますよ。ただ、まだお若いですし、その階級のまま、もう少し自分の強みを探してみてはどうですか?」
威圧的な態度で、試される。
「確かに私には、誰にも負けない専門技術と言えるようなものはありません」
「でしたら、どうして警部補という階級に挑戦したのですか?あなた以上のスキルがある年上の部下を、上手く指導していけるのですか?」
背筋を伸ばす。
「私は…」
「きゃああああああ」
爽やかな朝の公爵邸に、マリアの叫び声が響き渡る。
「どうされましたか!」
続々と、私の部屋に騎士やメイド達が集まる。
「ここっ公女様の…お顔が…」
「こ、これは…」
全員、ベッドの周りで硬直する。
「一体、昨晩何があったのですか!?」
マリアが震えながら私にすがりつく。
「どうして、そのようなお顔に…っ!」
鏡を見なくても、自分の顔がどうなっているのか想像できる。
ズーンと重たい瞼。
狭い視界。
ズキズキする頭。
ヒリヒリする頬骨の皮膚。
パンパンに顔がむくみ、瞼は目が開けられないほど腫れ上がっているのだろう。
どうやら私は、昨日一晩中泣きはらし、ワインを飲み干したようだ。
散々泣いて、こっちの世界に来てからのことをあれこれ話して、それが嬉しくてお酒も進み…
途中から記憶が無い…
「ちょっと眠れなくて、お酒を…」
「んなっ…舞踏会は今夜ですのよ!」
「ごめんなさい」
ふるふると、マリアの握った拳が震えてるのが、かろうじて見える。
「仕方ありません。できる限りの事をいたしましょう。イザベラ、急いでお湯の準備を。そこの貴方は、マッサージ用のオイルを…」
ドタバタと、忙しない足音が聞こえるが、目がうまく開けられない。
「誰か、カーライル卿を呼んできて下さい」
「公女様。私はこちらに」
すぐ近くから、聞き慣れた声がする。
「カーライル卿!あの…昨日はすみませんでした。私は一体どうやって帰ってきたのでしょうか…」
カーライル卿は、何も答えない。
「カーライル卿?まさか私、とんでもない失態を?」
刑事時代、先輩方に散々ご迷惑を掛けた自分の酒癖の悪さを思い出した。
管理官にタイキックしたり、後輩の男の子にキスを迫ったり、タクシーで吐いたり…
いや、でもこの身体はエイヴィルのものだし、お酒の酔い方も違うかもしれない!
(人間の本質的な部分は変わらないんだ)
ノアの言葉を思い出し、気持ちが暗くなる。
きっと迷惑を掛けたんだ…
ダラダラと汗を掻く。
「ご自身の足で歩いて戻られましたよ。迷惑だなんて、一切ございませんでした」
「…本当に?良かったです!」
「では、私は外で待機しております」
「え、カーライル卿、舞踏会の準備は…」
「私は、騎士団の礼服を着用するだけですので。失礼します」
足音が遠のく。
そういうものなのかな。
きっと、昨日も夜遅くまで私についていてくれたはず。
疲れた素振りを全く見せないなんて。
やっぱり、仕事に誠実な男の人って、尊敬しちゃうな。
「ノア、ごちそうさま」
「おう。お前は今夜、皇室の警備か?」
「ああ。午前中は訓練して、昼過ぎに招集だと。ノアは公女のエスコートなんだろ?」
「ああ」
「悪女に食われんなよ。じゃああとで」
「…ああ」
最後に昼食を食べ終えた団員との軽い会話を終え、俺は食器を流し台に運ぶ。
ジャブッ
ひやりと冷たい水に濡れる、かつての利き手を見つめる。
左手の指を失った時、それは騎士ではいられなくなることを意味していた。
絶望することもできたし、俺をこんな目に合わせた相手を憎んでもよかった。
でも、運良く与えられただけの権利を、当たり前のように行使し、奪われると被害者面する貴族が、俺は昔から大嫌いだった。
俺が、自力で手に入れたと思っていた騎士という立場は、運良く貴族として生まれたから得られた幸運であり、失ったからといって、絶望するのはお門違いだと思った。
いや、そう思うことにしたんだ。
絶望しないことが、悔しがらないことが、貴族達への抵抗になるような気がして。
それに、指が足りなくても、利き手じゃなくても、剣を握れなくても、出来ることは沢山ある。
帝国一の騎士団を、支える人間になろう。
心だけは騎士のままでいよう。
そう決意したはずなのに…。
時間は残酷にも、どんどん進んでいった。
「騎士なんて、生命がいくらあっても足りないだろ?指を失って、一線を退けた俺はある意味ラッキーだったよ」
「命がけで、帝国の剣になれるのは、ジェレミーのような規格外の奴だけだ。お前も裏方に回れよ。心が楽になるぜ」
俺はいつの間にか、こんなダサい事を笑いながら言うような男になっていた。
騎士への未練が断てなくて、かといって、気持ちも上手く切り替えられなくて、自分で自分に言い訳をしてやり過ごしていた。
そんな中、あいつが俺の所に来るようになった。
凛としているようで、どこが影かあった、あの女。
幼馴染というのは嘘だ。
確かに子供の頃から顔を合わせる機会はあったが、あいつはいつも壁を張り、誰とも交わらないようにしていた。
高飛車で傲慢、男を手玉に取る悪女。
世間からはそう思われていたが、実際は父親に見捨てられ、権力を吸おうとするヒルみたいな男達に蝕まれ、心からの友達もいない、悲しいやつ。
そんな女が、突然俺の作った食事を美味いと言って平らげ、満面の笑みを浮かべたんだ。
何か魂胆があると思って、エスコートを申し出たが、あいつはそれから毎日のように俺の厨房へ来ては、俺に捜査を手伝うようしつこく言い寄ってきた。
「ノアは緻密で、何より効率的に仕事をする人間だと思う」
「ノア!捜査って、数学なの。感受性とか、人情とか、文系の脳が向いていると思ってたけど、最近やっと違うって気付いたの。一つしかない答えを立証するために、どんな証拠をどう組み合わせるべきか計算していく作業には、理数系の脳が必要なの!ノアは絶対に理数系だよ!」
「私に足りないものを、ノアは持ってる!お願い。私を助けると思って!」
あいつの説明を、全て理解できた訳では無いが、熱意は伝わってきた。
それに、腐りかけていた俺にとって、騎士ではない「今の俺」を必要と言ってもらえたことは、悪い気はしなかった。
いや、本当は嬉しかったんだ。泣きそうなほど。
器用にナイフで芋の皮をむき、冷たい水に文句一つ言わず両手を突っ込み、目を見て俺に笑いかけるあいつと話すのが、楽しいとすら感じ始めた時、ふと、戦地で記憶喪失になった男の事を思い出した。
俺が知っているエイヴィル・デ・マレと、今目の前で笑っている女とでは、根本的に性格が違いすぎる。
別人格が現れたのかとも思ったが…性格だけではない。
単なる記憶喪失や、人格障害では片付けられないほど、持っている知識、見識、技術が全く違っている。
つまり、それらを形作ってきた「経験」自体が異なる、ということを意味している。
あり得ない仮説だが、エイヴィルとは別の人生を歩み、別の経験を積んできた、全くの別人だと考えた方がしっくり来る。
だとすると目的は?
誰かがあいつのふりをして入れ替わった?
いや、身体についた傷は、偽装はできないはず。
だが、髪色も目の色も違う。
俺を捜査に巻き込んで、何を企んでる?
仕事をしていても、あいつのことを考えずには居られなかった。
あいつとの仲が深まれば深まるほど、比例するように疑惑も深まっていった。
だがそれは、あいつのことを信じたいという気持ちの裏返しだということを、もう俺の中で隠しておくことは出来なかった。
直接確認するしかない。
何度も頭の中で、俺の質問に、あいつがなんて答えるか想像した。
どんな答えが返ってきても、信じると決めていた。
だが、あいつの口から出てきた言葉は、俺の想像なんて簡単に超えていった。
中身だけが別人?
それも異世界から来た?
祖母から聞かされた昔話みたいな事が、本当に起きるなんて。
ミズノヒカリ。それがあいつの名前らしい。
一通り泣きはらしたあと、緊張から解き放たれたのか、ヒカリは更に明るさを増していた。
それこそ、夜空に弾ける花火みたいに。
「私が住んでいた国では、みーんな黒い髪の毛なの。瞳の色も黒色なんだよね」
「ここは、私が歴史として学んできた、外国の時代背景と似ている気がする」
「いやいやいや。二十八で独身で、働いてる女の人なんて沢山いるよ。女の人だって、自由に生き方を選べるんだよ」
あり得ないような話ばかりだが、ヒカリは嘘を付くような人間ではないと思う。
それに、何か目的があって、主体的にここへ来たわけではなさそうだ。
糸が切れた操り人形のように、楽しそうにはしゃぐヒカリを見つめていると、心が締め付けられた。
一人で心細かったんだろう。
心底同情する一方、料理を平らげた時の幸せそうな笑顔、子どものような泣き顔。
ヒカリの本当の顔を知っているのは、この世界で俺だけだと思うと、気分が高揚していった。
このまま、誰にも見せたくないような、独占欲にも似た感情が俺の中で芽生え始めたころ…
「もおね、初めてカーライル卿を見た時は、王子様がいるのかと思ってビックリしたよ。あんなカッコいい人見たことないもん」
ピクリと俺の神経を刺激した。
「へー。あーゆーのが好きなのか」
ヒカルが、ジェレミーの外套を羽織っていることが、急に嫌になった。
「前髪下ろしたほうが素敵ですよって言ったら、本当に下ろしてくれてさ。もぉ、素直で可愛い過ぎる」
「イケメン…顔なら絶対に俺のほうが勝ってる」
あいつに何一つ勝てなかったし、勝とうなんて思っても居なかったけど、何故かムキになってしまった。
「あはははは。ノアはラーメン屋さん!」
「ラーメンヤって何だよ」
「麺料理を作る仕事の人。そうやって、タオルを頭に巻いててさ。すっごく美味しいラーメンを作ってくれるんだー」
ゲラゲラ笑いながら、俺の背中をバンバン叩いてくる。
全然痛くないのに、何だかイライラしてきた。
ふいっと反対側に首を向け、ふてくされていると、俺の肩にヒカルが頭を寄せてきた。
ドキッと心臓が跳ねた。
急激に自分の顔が熱を帯びるのが分かった。
「おおお、おい。何だよ」
振り返ると、ヒカルは寝息を立てていた。
黒い髪が、さらりと顔に掛かる。
「…ふぅ」
俺は、安堵なのか落胆なのかよくわからないため息を一つ吐き、ヒカルの肩を抱き寄せた。
小さく華奢な肩が、上下に揺れている。
「お前をエスコートしてやるよ。俺が」
ノアと公女が屋根に登り、かなりの時間が経過している。
花火はとっくに終わり、しんとした夜の公爵邸に、鈴のような公女の笑い声がだけが響いている。
どんな話をしているのかは聞こえない。
いや、聞くべきではない。
公女が誰とどう過ごしていても、護衛騎士である僕がとやかく詮索することは許されない。
公女が成し遂げようとしていることを、傍で見守ることができるだけで、幸せなんだ。
だが、何度考えを整理しても、公女の笑顔がノアに向けられていると想像しただけで、怒りが湧いて来てしまう。
そのたびに、自分の職責を思い出し、振り出しに戻る。
そんな思考の旅を繰り返していると、屋根上から物音が聞こえた。
目線を上げると、ノアが公女を背負いながらハシゴを降りてきていた。
「公女様!」
ノアに駆け寄る。
「起きねえよ」
ノアは公女様の顔を覗き込みながら、優しい笑みを浮かべる。
頬が触れ合うほどの顔の距離で、身体を密着させている二人の姿を目の前にし、心の中がじわじわと黒く染まっていくのを感じた。
「公女様は僕がお運びする」
「何でだよ。俺がこのまま背負っていけばいいだろ」
ノアも何だか不機嫌だ。
だが、僕はもっと不機嫌だ。
「公女様の護衛騎士は僕だ」
ノアが僕を睨みつける。
いつものおどけた雰囲気は微塵も感じない。
「お前…この女に惚れてんのか?」
「…護衛騎士だと言ったのが聞こえなかったのか」
夜風が吹き抜ける。
公女の肩に掛けた外套がバサバサと揺れる中、僕たちはお互い目をそらせずにいた。
「じゃあ、俺が惚れたって関係ないよな」
ノアが後ろを向き、歩き始める。
突然の告白に、身体が硬直する。
心が真っ黒になり、とても口にはできないような言葉が次々と頭に浮かんだ。
自分がこんなに嫌なやつだったなんて、知らなかった。
「おいジェレミー。ちゃんと護衛してくれよな」
ノアが後ろ向きのまま片手を上げた。
僕は何とか足を動かし、ノアと公女の後を追った。
朝から瞼と顔に色々なものを乗せられている。
果物なのか、野菜なのか。
私はただ、大の字で仰向けになっているだけで、大勢のメイド達が手足をオイルマッサージしたり、爪のケアをしたりしてくれる。
二日酔いの身体に優しい。
何なら最高な気分で、まどろみの中、昨日見た花火を思い出していた。
ノアが、本当に信じてくれたか分からないけど、誰かに話すだけで、こんなに気持ちが軽くなるなんて。
被害者の子が、よく口にしていた言葉だけど、本当だったんだな。
…ノア、誰にも言わないよね?
急に不安になってきた。
いや、言うわけ無いよね。頭おかしくなったかと思われるもんね。うん。
「公女様。眩しくなりますよ」
マリアの声がしたあと、視界が明るくなった。
「目を開けられますか?」
ゆっくりと目を開けると、目の腫れがすっかり無くなっていた。
「わ!凄い。みんなありがとう」
私は鏡を見つめて感心してしまった。
「いいえ。これからです、公女様。舞踏会の主役に仕上げていきますよ」
メイド達の目がギラギラと輝く。
「お手柔らかに、お願いします」
「公女様。お支度が整いました。いかがでしょうか」
メイド達、いや、屈強な戦士たちと呼ぶべきだろう。
一同、その顔には満足の色が浮かんでいる。
彼女たちの働きは素晴らしかった。
まさにプロフェッショナルと呼ぶにふさわしい。
エイヴィルは、元々信じられないような美人だった。
肌も髪も透き通っているかのような透明感を放ち、浮世絵離れした美しさだった。
それこそ、妖精や天使だと紹介されれば、信じてしまうような。
そんなエイヴィルの、ピンク色の髪の毛と水色の瞳を奪ってしまい、心配していたが…
「何てキレイなの」
思わず見惚れる私の後ろで、戦士達が誇らしげに笑みを浮かべる。
サイドには長い後れ毛が揺れ、後ろはパールのチェーンと共にゆるく編み込まれていて、ふわりとまとめられている。
そこに、ダイヤや宝石が散りばめられたバレッタが品良く飾られている。
ドレスは、紺色を選んだ。
胸元が大きく開き、オフショルダーになっている。
肩に向って、銀色の糸で素晴らしい刺繍が施されている。
スカートは丸く広がり、私の身体への負担を考慮し、チュール生地が多く使われていてとても軽い。
そのチュール生地にも銀色の刺繍が施されており、動くたびに夜空の銀河のように輝く。
こんな素敵なドレス、初めて見た。
今のエイヴィルに、本当に良く似合っている。
「公女様。本当にこちらのドレスをお召にならなくてよろしかったのですか?」
マリアが、大切そうに一着のドレスを持ってきた。
「ああ、それね」
首席補佐官が持ってきた大きな箱の中身は、ドレスと靴だった。
ギチギチにウエストの細い重たいドレスに、立つこともままならないような細いハイヒール。
もちろんどちらも紫色だ。
「他の装飾品と一緒にお返しするから、箱に戻しておいて」
「かしこまりました」
マリアは口を尖らせる。
「ふふ、マリア。私は、みんなが私のためを思って用意してくれたこのドレスと、ヒールのない可愛らしいこの靴が、大好きなの」
「公女様」
「それに、紺色は私にとっての正装みたいなもんだから」
「…さようでございますか」
マリアは目をパチクリさせる。
「公女様。こちらを」
イザベラが、赤い薔薇で作ったコサージュを手渡す。
「わあ、可愛い。ありがとう!ノアの瞳にピッタリだね」
女性は生花のコサージュを、男性はアクセサリーを、それぞれパートナーに贈る習慣があるらしい。
男性側は宝石だなんて、大変だな。
「あの…公女様。本当に赤い薔薇でよろしかったのですか?」
イザベラがモジモジしながら口を開く。
「え?他の花のほうが良かった?赤といえば、薔薇しか思いつかなかったんだけど…あ!」
約束の時間を過ぎていることに気付いた。
「荷物は全部積んでくれた?それじゃあ、マリア、イザベラ!しっかり捜査してきます」
私は、ビシッと敬礼をして、部屋を後にした。
「マリアさん、公女様に薔薇の意味はお伝えしたのですよね?」
「え?イザベラが用意したんだから、もちろんイザベラから説明したんじゃ…」
「…」
「…」
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