第10話
目の前で、愛らしい少女がくむくれている。
今朝、公爵閣下の前に座り、楽しく食事をしていた時には、上手に男の機嫌が取れる、大人の女性といった雰囲気を醸し出していたのに。
本当に不思議なお方だ。
「公女様。そのようなお顔をされていても、主治医としては容認できません」
「ステファン先生。少しお友達の所に行くだけですよ」
「お友達とは、ウェールズ卿のことですか?彼はこの時間、昼食の準備で忙しいはずです。なんせ第三近衛騎士団の食事を一人で担っているのですから。そちらに横になり、傷口を見せて下さい」
「公爵家は、料理人一人雇えないほど、貧乏なのですね」
屋敷の廊下を、こそドロのように移動する公女を見つけ、医務室まで連れてきた。
公女は口をとがらせながら、渋々指示に従う。
傷口の経過は順調なようだ。
私はいつもの薬を塗る。
「公爵家は、帝国一裕福な貴族ですよ。ウェールズ卿が断っているそうです」
「ノアがどうして騎士をやめたのか、ご存知ですか」
ファーストネームで呼ぶほど、親しくなったのか?
「あの怪我が原因でしょう。ウェールズ卿は、左利きですから」
彼は、先の出陣で左手の小指と薬指を欠損した。
「左利き…」
公女は小さく呟いた。
うつ伏せになっている公女の表情を伺うことはできない。
「元々、第三近衛騎士団の一員だったのですか?」
「そうです。それこそ、カーライル鄕とまともに剣を交えることができたのは、ウェールズ卿くらいだったのではないかと」
「強かったんですね」
「それはもう、有名でしたよ。顔も良いですしね」
「かお…?」
公女は体を捻り、こちらに振り返る。
「公女様、動かないで下さい。とにかく、彼はカーライル卿と共に紛争に出向いたのですが、そこで利き手を負傷し、後援部隊に回ったようです」
「…退団はしなかったんですね」
「はい。私も意外でした。これを期に、家門を継いでもいい頃だと思うのですが…。終わりましたよ」
「ありがとうございます」
公女は笑顔で起き上がると、ベッドに腰掛け、私の方へ膝を向けた。
「ステファン先生、公爵閣下はどのようなご病気なのですか」
ドキリと心臓が鳴る。
公女の、艷やかな紺色の瞳に見据えられ、身体が硬直する。
声のトーン、話し方、タイミング。
思わずたじろいでしまう。
「え、それは一体…」
落ち着くんだ。
これでは、公爵閣下がご病気だと、認めているようなものだ。
「今朝、ステファン先生は怪我を追っている私ではなく、公爵閣下のお側に詰めていたのはなぜですか?」
「そ、それは…」
「公爵閣下は、私に何と呼ばれていたのか分からないとおっしゃっていました。そんなことがありえますか?娘に何と呼ばれていたのか分からないなんて」
「…」
「更に、私の部屋に飾られている肖像画。あれは、公爵とエイヴィルを、それぞれ別の日に描いたものです。顔に掛かる光の角度と、色の鮮度が微妙に違っている」
「…」
「そして、肖像画は、公爵邸の中で私の部屋にしか飾られていない」
なんて人だ。
口調は穏やかで、決して相手を追い詰めるわけではない。
だが、逃げ道を見つけたと思って足を踏み込むと、罠にかかってしまいそうな、そんな不安感に苛まれる。
じっとりと額に汗が滲む。
「公爵閣下は、何らかの理由で、エイヴィルと接っすることが出来なかった。それこそ、エイヴィルが物心つく頃から、昨日まで。その理由を、先生ならご存知ですよね」
私はゴクリと喉を鳴らす。
「…公女様、申し訳ありません。主人の病状について、私の口から申し上げられることは何もありません」
私は胸に手を当て、精一杯声を絞り出した。
「充分です。ありがとうございます」
公女はニッコリと微笑み、右手を差し出す。
私はその手を取り、公女様を立ち上がらせる。
「ゆっくり歩きますので、遊びに行ってきてもいいですか」
公女は、少女のようにおどけて見せる。
「主治医としては容認できません」
公女はわざとらしく口をとがらせた。
お互いに笑みをこぼしながら、医務室の出口までエスコートをすると、またもや帝国最強の騎士が立っていた。
「うわ!カーライル卿!声をかけてくだされば良かったのに」
思わず大声を上げてしまった。
「公女様。みな探しています」
「すみません、カーライル卿」
公女は、カーライル卿の手を取り、その場を後にした。
二人が並んで歩く姿も、何だか見慣れてきた。
公女が殺されかけ、記憶を失ってから、公爵邸は大きく変わった。
何より、公爵閣下があんなに穏やかな表情を見せるとは。
昼と夜を逆転させ、廃人のようになっていたかつての姿を思い出す。
「公女様…。公爵を救えるのは、やはりあなただけのようです」
「ノア、有名人なんだってね。強くてイケメンだったんでしょ?」
「何ですか、イケメンって」
「カッコいいってこと」
「ああ。てか、何で過去形なんですか」
「…」
「何かおっしゃってください」
私は、ここ数日ノアの手伝いをしている。
と言っても、ほんの少しの時間だ。
マリアとイザベラに追いかけ回され、ドレスの色や寸法、靴、髪型、アクセサリーに使う宝石まで選ばされている。
これが、思ったよりも労力と時間がかかるのだ。
何で全て一から仕立てなくてはならないのか。
ドレスなんて着きれないほど衣装部屋にあるのに。
「ここでじゃがいもの皮をむいてる時間が、何よりも癒やされる…」
そんな私の独り言にも飽きたのか、ノアは無言で鍋をかき混ぜる。
グツグツと煮込まれる音と、いい匂いに包まれながら、目の前の単純作業に集中する。
犯人の家から押収してきた数え切れないほどの証拠品に、テプラで番号を貼り続ける作業を思い出しながら。
この時間が、本当に大好きだ。
そして、優しいノアが味見だと言って出してくれる食事はもっと大好き。
「本当に明日の舞踏会、行くんですよね」
「何を今更」
「いや、あなたの話を聞く限り、誰が犯人なのか、絞りきれていないようなので」
「うん」
「舞踏会なんて人の多い場所で、また危害を加えられるんじゃないかと…」
ノアは、鍋から目を離さない。
だが、その背中からは、私を心から心配してくれていることが伝わってくる。
「ノア、心配してくれてありがとう。でも、私は絶対に犯人を捕まえたいの」
ノアが私の方へ振り返る。
「…なんで。あなたが自分で動く必要ないですよね。近衛騎士団に任せれば…」
「騎士団の捜査は、既に止められてる」
まって。
近衛騎士団の雇い主は、皇室だ。
つまり捜査を止めたのは、皇室の可能性のほうが高い。
何でそんな事に気付かなかったの。
「大丈夫!カーライル卿も、強くてイケメンだったノアも居るしね」
私は、わざとらしく歯を見せる。
「…」
あれ。
予想に反して、真剣な表情のノアに調子を狂わされる。
ノアは再び後ろを向く。
「今夜、前夜祭があるのは知っていますか?」
「え?舞踏会の前夜祭?」
「はい。貴族向けではなく、首都の帝国民に対して行われる、祭りみたいなものです。花火も上がる」
「え!見たい!」
「…じゃあ、夜迎えに行きます」
「本当に?ありがとう」
花火なんて、いつぶりだろう。
夏祭りの警戒に従事することは何度もあったが、花火が上がっている最中は、群衆から目が離せない。
スリが動くのは、人々が空を見上げている時だから。
友達と花火大会なんて、エイヴィルのお陰で青春をやり直せてるみたいだ。
「楽しみ」
私の独り言を無視して、ノアは鍋をかき回し続けている。
「いよいよ明日ですね、公女様」
マリアが、やりきったと言わんばかりの表情で、鼻息を荒くする。
「マリア達が頑張ってくれたお陰だよ。ありがとう」
「何とかすべての準備が間に合い、本当に良かったです。早く美しく着飾った公女様を見たいですわ」
「ふふ。私も楽しみ」
「でわ、明日を万全なコンディションで迎えられますよう、ゆっくりおやすみなさいませ、公女様」
「うん。おやすみなさい、マリア」
マリアは、小さなランプを枕元に置き、部屋から出ていった。
足音が聞こえなくなったのを確認し、起き上がる。
窓際に立ち、カーテンの隙間から夜空を見上げる。
花火は、何時から始まるんだろう。
ノア、ちゃんと来てくれるかな。
夜空は、砂をまいたかのような、細かい星屑で埋め尽くされている。
決して日本では見られない星空に、ここが別世界だと告げられている様な気がして、胸がざわつく。
言われなくても分かっている。
私、水野ひかりは死んだ。
エイヴィルの無念を晴らすのが、警察官としての、最後の仕事だ。
分かっているのに。
私は、ワクワクしながらノアを待ってる。
何だか凄く、エイヴィルに対して不誠実な気がした。
「何を考えてるんだ、ノア」
「だから、公女に花火を見せてやるだけだよ」
「公女様と、正式に約束されているのか」
「当たり前だろ。約束もなしに、突然女の寝室を訪ねる馬鹿に見えるか」
「お前には前科があるだろ」
ドアの外から、ノアの声がする。
対応しているのは、カーライル卿ね。
私はドアを開ける。
「ノア!」
「こ、公女様!」
カーライル卿は、慌てて騎士服の外套を脱ぎ、私の肩に掛けてくれた。
「その様なお姿で、人前に出てはなりません」
カーライル卿、慌ててる?
そのようなお姿って…普通のワンピースでしょ?
それでも、カーライル卿の温もりと香りに包まれ、私を思いやってくれている事が分かった。
「ありがとうございます。カーライル卿も、一緒に花火を見ませんか?」
カーライル卿は僅かにたじろぎ、チラリとノアの方を見る。
「私は、近くで護衛いたします。どうぞ私のことはお構いなく」
この前のように不機嫌になってしまった。
ノアとは仲良しじゃなかったの?
「それじゃあ、行きますか。とっておきの場所があるんです」
ノアは、いつもの様に頭にタオルを巻いている。
清潔なシャツに、スラックス姿だ。
「うん」
私はノアを追い、その後ろにカーライル卿が続いた。
「こっちです」
ノアが案内したのは、いつもの騎士団員の宿舎だった。
そこに、ハシゴが掛けられている。
「ノア、まさか公女様にこのハシゴを登れと言っているのか?」
「そうだけど?」
「お前な、公女様はお怪我を…こ、公女様?」
私は、すいすいハシゴを登ってみせた。
「カーライル卿、大丈夫ですよ!ステファン先生にも、傷口はほぼ塞がったと言われています。落ちたときのために、下で待機してて下さい」
「公女様!」
「あははは」
ノアの笑い声が下から聞こえた。
登りきると、思った以上に高かった。
煙突部分に板が置かれ、そこにランプとワインが置かれている。
ノアが事前に準備したんだろう。
「流石、できるやつ」
「私のことですか」
「もちろん」
ノアは私の横に座ると、グラスにワインを注ぎ、手渡してくれた。
エイヴィルは、お酒に強いのかな?
じっとグラスを見つめる。
「乾杯」
「乾杯」
静かにグラスを重ね、ノアが飲み込んだのを確認してから、ワインを口に運んだ。
「美味しい。ねえノア、このワイン凄く美味しいよ」
「…そうですか。それは良かった」
ノアは真剣な顔をして、ワイングラスを見つめると、一気に飲み干した。
「ノア?」
カンッ
ノアはグラスを勢いよく置くと、右手で私の頬に触れる。
その指が耳まで進み、私の髪を官能的に搔き上げる。
「ノア!」
濡れたように光る、赤い瞳が近づく。
嘘。そういうこと?
私は思わず、ギュッと目を閉じた。
「…お前、誰だ」
耳元で囁かれた言葉に、心臓が大きく弾けた。
反射的に目を見開くと、真剣なノアの瞳に捉えられ、頭が真っ白になる。
徐々に質問の意味を理解すると、じわじわと心臓が速度を上げていく。
「なん…で…」
息苦しくて、言葉が出ない。
「お前は知らないと思うが、俺とエイヴィルは幼馴染なんだよ。デビュタントも、俺がエスコートした」
幼馴染?だからノアと舞踏会に行くことについて、誰も何も言わなかったの?
しまった。
じわりと汗が滲む。
「戦地で、記憶喪失になったやつを見たことがある。そいつは、対人関係に関する記憶を失ったが、食器の使い方や、剣の振り方は覚えてた。それは、確かにそいつ自身が過去に習得したものであって、記憶を失っても、その人間が積み重ねてきた時間は、必ず言動に現れる」
「…」
「エイヴィルは、ビーフシチューをパンに付けて食べるなんて事はしない」
「…」
「芋の皮むきなんて出来ない」
「…」
「それに、ワインが大嫌いだ」
「…」
ヒュルルルルルル
パーン
ノアの顔が、花火に照らされる。
怒っているような、泣き出しそうな、そんな顔。
カーライル卿のために、私の部屋に乗り込んできた時と同じ顔だ。
「お前は、エイヴィル・デ・マレじゃない」
沈黙が流れる。
ああ、もうダメだ。逃げられない。
そう思ったら、何だかホッとして、心臓の鼓動も穏やかになるのが分かった。
落とされる側は、こんな気持ちなんだ。
私は、ふぅっと息を吐く。
「ノア、ごめん。ノアがどんな気持ちで居たのかも分からないで、私は単純に花火を楽しみにしてたみたいだね」
ヒュルルルルル
パーン
色とりどりに咲く花火を見上げながら、頭の中を整理する。
「私ね、こことは違う世界で、警察官っていう犯罪者を捕まえる仕事をしてたの。ここでいう、騎士団員みたいな感じかな。でも、仕事中にへまして、殺されちゃったの」
「…」
「でね、何故かエイヴィルに会ったんだ。真っ暗な場所で、ピンク色の髪の美少女が泣いててね、誰かに殺された。悔しいって…」
私は、エイヴィルの顔を思い出し、ぐっと拳を握る。
「その時約束したの。私が必ず犯人を捕まえてあげるって」
「…」
「で、目が覚めたら、エイヴィルの身体に入っちゃってたの」
「…」
「…あり得ないよね。こことは違う世界って言われても。…信じてくれなくてもいい。でも、謝らせてほしいの。騙しててごめん」
ノアの顔に、だんだんと怒りの色が濃くなる。
「お前!」
「…」
一種の賭けだった。
信じてもらえる訳ないと、分かっていたが…。
何故かノアには、本当のことを話してみたいと思った。
「お前、何言ってんだ!」
「ごめん」
「…」
ヒュルルルル
パーン
「そうじゃねぇ」
「え?」
「お前は、何かが欠落してるんだよ」
「それは、どういう…」
「お前だって、殺されたんだろ!」
ズキリと、治ったはずの腰が疼く。
心臓の奥が凍りつくような恐怖が、再び押し寄せた。
「私は…」
「殺されて、目が覚めたら知らない世界で、たった一人で。それなのに、誰かのために犯人を探す?そんなの…お前だって…」
「…」
「怖かったんだろ!」
「…っ」
プツンと、張り詰めていた何かが切れた気がした。
身体の奥から、震えが波のように押し寄せ、唇を揺らす。
ヒュルルルル
パーン
花火に照らされるノアがどんな表情をしているのか、良く見えない。
「お前は、そんな顔で泣くんだな」
突然、ノアに抱き寄せられる。
「自分の感情に蓋をしたら駄目なんだ。ムカつくならその場で怒ったり、悲しいなら直ぐに泣いたりしないと、そのうち自分の感情が分からなくなるんだ」
胸にピタリと押し付けられた耳から、こもって聞こえるノアの声は、優しかった。
ヒュルルルル
パーン
「ちゃんと泣け。今なら聞こえないから」
「…うう。うわあああぁ」
私が警察官じゃなかったら、被害者が側にいかなったら、突然別の世界に来てしまったなんて現実に、とても耐えられなかった。
本当は怖かった。
家族や、友達に会いたかった。
誰かに助けてもらいたかった。
私は、花火の音に隠れて、幼い子供のように大声で泣いた。
帝国民にも、皇太子にも、マリアにもイザベラにも、私の泣き声は届かないだろう。
屋根の下で、きっとこちらを見上げている、カーライル卿にだって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます