4話 違和感と劣等感
〚7月20日・日曜日・10:01・神奈川県芦名市・快晴〛
「なんだよ改まって。言わなきゃいけないこと?」
ボクは焦っていた。
いつも飄々としている悠希の、こんな表情を見たのは初めてだったから。
息を呑むくらい重い空気の中、悠希が口を開く。
「ルカの見たソレは、本当に起こった事なんだ」
「だとしたら、なんで何も残ってないんだよ」
動画は消すことができたとして、その他のコメントや反応を消すのは至難の業だ。地域トレンドに入っていた程の影響があったし、「動画が無くなっている」といった反応が無いのもおかしい。そんな疑問が拭えない。
「オレ達が消した」
「オレ達? それに、消したって──
「記憶ごと、だよ」
ボクの声をワザと遮るように悠希が発したのは、冗談みたいな一言だった。
空調を消した後の微妙な温度と変な匂いが充満する室内に、壁掛け時計の秒針の刻む音が聞こえるくらいの沈黙が流れる。
悠希もたまには嘘を吐く。けど、それは軽い冗談だったり笑えたりするものばかりだ。
ボクは、悠希がこんな真剣な表情で嘘を吐く人間だとは思っていない。だが──
「ボクが覚えてるのは、どういうこと?」
もし事実だったとしても、この疑問が首をもたげる。
矛盾を指摘したつもりだったのに、悠希は「その質問が来るのは知っていた」とでも言うかのように淡々と続ける。
「それは、ルカがオレ達と同じだからだよ」
「同じ?」
「そう。記憶の消去はちょっと特殊な……言うなれば『ゲームのグリッチみたいなモノ』らしい。だから世界のルールから半分抜けてる【適合者】には効果無いんだよね」
口調からして、誰かの受け売りなのだろう。
その誰かが、さっきの「オレ達」という発言に繋がるのかもしれない。
色々考えてみても全て推測に過ぎず、少しだけ逸れた話を本筋に戻す。
「適合者ね……で、そもそもアレは何だったんだよ」
「【フェーレン】だよ」
聞いたことのない言葉だ。昨夜の消失バグの事を、悠希達はそう呼んでいるのだろうか。
「名前を聞いてるんじゃなくて、何が起こっていたのか知りたい」
「局所的な次元の欠落らしいよ。詳しくはオレにも分かんない」
「次元の欠落って、具体的に何が起こるんだよ」
「消失した場所の時間の流れがおかしくなったり、巻き込まれた人が消失したり
……まぁ色々かな」
そこまで聞いて、やっと理解する。
消失バクもとい【フェーレン】は、人が消えたのが本質じゃない。それを引き起こす現象の事なんだ。
「で、本題だ。さっきも言った通りルカはオレ達と同じ【適合者】であることが判明した」
「さっきも言ってたけどその適合者って何?」
「次元の変化に耐性を持ってるヒトの総称だよ」
「耐性?」
「そう。耐性が無いとフェーレンに巻き込まれた瞬間に消滅しちゃうんだよね」
──消滅。消え滅びること。
おおよそ、人間そのものに対して使われる単語では無い。嫌なイメージが脳裏によぎる。
「消滅って」
「んー、分かりやすく言うと死ぬ。厳密には違うらしいけど」
「じゃあ、昨日の人って……」
「多分、死んだんじゃないかな」
違う。ボクの知っている悠希とはまるで違う。
淡々と、さもそれが日常であるかのように人の死を語る悠希は、どこか手の届かない異常な存在にすら思えた。
「悠希……だよな?」
そんな疑問が浮かんだのは、悠希に感じた底知れなさが今朝のアイツに重なって見えたからだ。
「ん?なにそれ」
「いや、なんでもない」
ふと、部屋が異常に暑く感じる。
真夏に冷房を切って暫くすれば室温が上がるのは当然なのだが、たった今までその暑さすら感じていなかった。
ふぅっと息を吐き、全身の筋肉が強張っているのを自覚する。
力が入りっぱなしだったようで肩が痛い。
時計は、10時15分を指し示している。
「映画、もう間に合わないな」
現実味を失った現実から逃げたくて、そう呟いたのだが……
「そんな事もないよ」
「次の回にしようって事?」
「いや、今からでも10時30分上映に間に合う」
今日何個目かもわからない疑問符が頭に浮かぶ。
16年間芦名で生きてきて、川崎まで15分で行けたことなんて無い。車でも早くて20分は掛かる距離だ。
「間に合う」なんて物理的にありえないのだ。そんな事が分からない悠希でも無いだろう。だが当の本人は「さぁ出ようか」なんてやる気だ。
また、ボクの知らない何かが起こるのだろうか?
そんなウンザリするような予想は多分当たっているだろう。そう思いながら、大きく溜め息を吐いてカバンを手に取る。
ボクは何も知らなくて 悠希はそれを知っている。
そんな今の状況が、やけに不快に感じた。
ボクは悠希に、顔や性格では世界がひっくり返りでもしないと勝てやしない。その上、知識量でも負けたらボクの価値は、本当に何なんだろう。
考えても虚しいだけのそんな問いが、心の中で暴れまわる。
「……やだねぇ」
「ん?あぁ、暑いよね」
自嘲気味に呟いたボクの言葉を、気温への愚痴だと思ったのか笑顔で同意してくれる悠希。
いつも通りの悠希の純粋さが、今日はやけに残酷に感じられれる。
そんな事を考えて玄関で靴を履きながら、「いってきます」と家にいる3人に聞こえるように言う。
「いってらっしゃい」「鍵だけ忘れるなよ」「帰ってこなくてもいいよ」
2階から聞こえた1人分の声だけ
「鍵は持ったよ」と父さんに返事だけして、外に出る。
ドアを開けた瞬間流れ込む熱気は灼熱地獄に繋がる門を開いたみたいで、既にメンタルが瀕死状態だ。
「お邪魔しました」
そう言ってウチから出る悠希は、ドアが閉まったのを確認して再度口を開く。
「これから起こることは他言無用でお願い」
「はぇ?」
何が起こるのか見当もつかないため、「はい」とも「いいえ」ともつかない微妙な返事しかできないボクを尻目に、満面の笑みで、悠希は続ける──。
「今から、世界のルールを飛び越えるよ」
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