2話 起床

〚7月20日・日曜日・05:30・神奈川県芦名市・快晴〛


『ピピピ ピピピ ピピピ ピピピピピピピピピピピピピピピ』

「……るさ」


 耳元で鳴り響いた電子音に不快感を覚えつつも目を覚ます。


 時刻は5時31分、いつも通りだ。


 ベッドから起き上がり寝間着からランニングウェアに着替える。


 家族は誰一人起きていないので、起こさない様に物音を最小限に抑えて階段を降りる。


 洗面所で顔を洗ってボンヤリした頭を完全に覚醒させ、キッチンに置いてあるエナジーバーを食う。


 エナジーバーによって水分を奪われた口に、1杯の牛乳を流し込む。


 美味しくもマズくもない、いつも通り。


「さ、今日も行きますか」


 ドアを開けると流れ込む蒸し暑い空気に嫌気が差すが、まだ朝早いこともあってか日中ほど気温は上がっていない。まぁ、返る頃には汗だくだろうが。


 ウエストポーチを腰に巻き、その中に350mlのペットボトルとスマホを詰める。


 耳に装着したイヤホンからはプレイリストに入れた曲がランダムで流れ、段々とテンションが上がってくる。


「いってきます」


 小さくそう呟いて、跳ねるように走り出した。




〚7月20日・日曜日・05:59・神奈川県芦名市・快晴〛


 芦名市は海に面していて、走っているとたまに潮の匂いが風に乗って運ばれてくることがある。今日は一段と風が強く、潮の匂いもいつもより強かった。


 海岸の石畳の道は20年くらい前に再開発されたころにできたらしく、ランナー御用達のランニングロード……の筈なのだが、今日は何故かボク以外に走っている人を見かけない。


「ふぅ」


 足を止めてスマホを確認する。


 家を出てから10分ほど走った。距離にして3km程だと画面に表示されている。その間、誰ともすれ違っていないのだ。


「流石におかしいよな」


 3年間朝のランニングを続けているが、こんな事は初めてだ。芦名市は狭い面積ながら住宅犇めく1大ベッドタウンだし、人口密度は全国的に見ても高い方。


「どうも」

「あ、どうも」


ん?


 後ろから声を掛けられ反射的に返したのはいいが、今はこれがだ。そう気付いて後ろを振り返る。


 そこには、細身の青年が優しげな笑みを浮かべて立っていた。


「今池 ルカ君 だよね?」


 青年は、ハッキリとボクの名前を口にした。だけど、ボクはコイツを知らない。


 体が少し強張る。どう好意的に見繕っても相手は不審者だ。しかし、助けを呼ぼうにも周囲に人の気配は全く無い。


「そんなに怖がらないで。僕は味方だ」

「味方?」


 まるでボクが何かと敵対している様な言い回しだ。その言葉に敵意は感じられないが、妙な違和感に警戒心を強める。


「驚かせてごめんね、僕の名前は【螯よ怦 蜿カ】」


 何て??……聞き取れなかったとか、そういうのじゃない。完全に聞こえていたのに、理解ができなかった。


「ん?あぁ、そうか。名前は駄目なんだ。……っと、時間が無いんだった。単刀直入に行こうか」


 ボクの怪訝な表情から感じ取ったのか青年は申し訳無さそうにしているが、怪しさは増すばかりだ。


 ブラウンの長い髪を後ろで束ねているヘアスタイルも、妙な清潔感も、割と整った容姿も、ふと香る香水か何かの匂いも、貼り付けたような笑みも。全てが胡散臭い。


「僕らは、この世界を真の姿に変える活動をしているんだ。その活動には君の力が必要でさ。仲間になってくれない?」

「え、いやだ」

「あっはははは、即答じゃん」

「そもそも、『はい』って言われると思ってないだろ」

「バレた?」

「そもそも仲間になれって頼むくらいなら、そっちの手の内も明かすのがスジだろ」


 ボクがぶっきらぼうにそう言うと、小さく笑って舌を出す男。その容姿のせいか、妙にサマになっているのが腹立たしい。


「そうしたいとこなんだけどね……そろそろが来ちゃうから」

「あの子?」


「残念だけど」とでも言いたげな様子で青年はため息を吐くが、その様子はなんだか芝居がかっていて妙に嬉しそうにすら見えた。


「待てッ!」


 凛と響く声が背後から響いて、振り向く。


 そこには桃色の髪が目を引く女性が立っていた。歳は……同世代くらいだろうか。


「クソ、遅かった」


 ボクの方を見て悔しそうにそう呟くと、カツカツと靴の音を響かせて近寄ってくる。


「えっとあの、どちらさま?」

「姿を見たのか!?」

「姿……と言いますと?」


 この人がさっきの青年が言っていたなのだろうか。そう思ってさっき青年が居たところをチラっと見やると、既に姿形も無い。


「あの、さっきの人とはどの様なご関係で?」

「見たんだなッ!」

「多分……はい」


 姿を見たというのは、おそらくさっきの青年の事だろう。物凄い剣幕に気圧されてしどろもどろになりながらも首を縦に振る。


「はぁ……」


 女性は大きな溜め息を吐いて、流れるような自然な動作で胸ポケットからタバコを取り出し咥え火を付けた。


「すまない。」


 彼女がそう呟くと、タバコの紫煙がゆらいで彼女の右手に収束し形を成していく。


「銃?」

「君が超越者に届き得るのか、試させてもらおう」

「は?」



『パァンッッ』


 乾いた音と共に、顔面にはしる衝撃。


「あ、撃たれた」そんな感覚だけが残った。




〚7月20日・日曜日・06:00・神奈川県芦名市・快晴〛


「っはぁッ!!」


 布団から飛び起きると、布団は汗でじっとりとしていた。


 1階からは母のアラームが小さく聞こえてくる。



──夢?


 寝苦しくて嫌な夢でも見ていたのだろうか、それにしてはやけにリアルだったな。そうやって自分を無理矢理納得させようとしたが、できなかった。


 ベッドの横のスタンドミラーに映るボクは、寝間着ではなくランニングウェアを着ていた。

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