プロローグ【上野 千雪】

〚7月19日・土曜日・14:11・神奈川県芦名市・快晴〛


「疲れた……」


 そう呟いてカバンを床に置き、ベッドに腰掛ける。


 結局、マイケルは私の家の前まで重い私のカバンを持ってくれた。多分彼は、私以上に疲れただろう。


 スマホを確認すると、メッセージアプリの通知が1つ。


「マイケルか」


Ruka『おつ』14:10


 端的にただ一言、これだけ。それだけ送ってくる彼がなんだかシュールな気がして笑ってしまう。



「私は彼の事をどう思っているんだろう」と、何度繰り返したかも分からない問いを虚空に投げる。


 私には、“愛”とか“恋”とかというものが分からない。


 世の中の人間が私に向けているのは、そういった感情なのだろうか。


 「貴女ことが好きだ」と言ってくる人間は沢山いる。これまでに告白された回数なんて数え切れないくらいだ。


 私は、それらの全てが不快だ。中学1年生の頃に担任の教師から言い寄られた時の形容し難い気味の悪さは、私にそう思わせるのに充分過ぎるものだった。



 だから私は、分からない。


 今池 ルカと杜川 悠希に向ける感情は、明確に他人に向けるものとは異なるし、彼等2人に向ける感情もそれぞれ違う。



 私は多分、二人のことが好きなのだ。悠希は友達として、そしてルカは──。


 そう、心の何処かで俯瞰している自分も居る。


 だが、そうであっては困る。


 私は、が好きだ。だから、変えたくない。変わりたくない。


 自分の身勝手な衝動で日常が崩れるなんてことが、あっていい筈が無い。


 そもそも自分に向けられた好意を一方的に嫌っている自分が誰かを好きになるなんて、赦される筈が無いんだ。


 そんな事を考えていると自己嫌悪に陥り、ふと涙が零れそうになる。




──〚そんなに大事か〛



「え?」


 私しか居ないはずの部屋に、聞き覚えのない声が浮かぶ。


 耳に入り聞こえてきたというより、テレパシーのような。脳に直接声の情報を流し込まれた様な感覚が気持ち悪い。


〚失礼なヤツ─

「誰?」

〚我の声が気持ち悪いなど─

「ホントに誰?幻聴とかじゃないよね」

〚我の話を遮─

「聞こえてるなら答えてよ」

〚お前それ ワザとやってるだろ〛

「なんだ、普通に喋れるんじゃん」



 どうやら謎の声は、意思疎通が可能らしい。オカルトの類は全く信じるタイプでは無いのだが、今起きている状況をオカルト以外で説明をつける方が難しそうだ。


〚お前、性格悪いだろ〛

「よく言われる」


 威厳のある喋り方を諦めたのか、謎の声はラフな話し方に変わった。しかし鼓膜を介さない奇妙な感覚はそのままで、やはり慣れない。


「で、誰なの?」

〚ちょっとは怖がれよ 張り合いがないな〛

「意思疎通できるなら、怖がる理由もない」

〚ほんッと可愛げのない小娘だな ……我は貴様らの言う つまり貴様らとは違う次元の生物だ〛



 どうしよう、反応の仕方が分からない。脳に直接語りかけるタイプの厨二病とか、会ったこと無いし。


〚厨二…… 重ね重ね失礼なヤツだな 我はお前が一際拗れた欲望を抱いてそうだったから わざわざ話しかけてやっているというのに〛


 思考が…読めるのか?まずい…


〚何がまずい? 言ってみろ ……じゃない!〛


 案外ノリが良いタイプらしい。まさか人間界のサブカルチャーまで把握しているとは。


「で、私の欲が何?」

〚ああ 我等は人間の欲望を喰らって生きている 我はそんな中でも美食家でな〛


 悪魔が人間の欲望を喰らう、というのは何となく理解できるしイメージも付く。……姿も見えない自称高次元存在とやらが真実を語っているのかは一旦置いておこう。


 そんな中で、美食家。碌なヤツじゃないんだろうことは容易に想像できる。


〚尽く不躾な小娘だな ……貴様の抱える欲望から 特に良い匂いがしたからこうして現れた というワケだ〛

「うわキモチワル」

〚怖いモノ無しか貴様〛



 改めて、私の欲望とやらについて考える。


 いい匂いかどうかは兎も角、ある程度拗れた欲望を抱いているのは確かだ。自分でもどうかしていると思う。それを、コイツがということなのだろうか。


〚その認識で相違無い 1つ付け加えるなら 我は最高のタイミングで喰らう事に拘っている という点だな〛

「どういう?」

〚成就するまで 我が手を貸してやろう ということだ〛

「…どうして」

〚貴様の欲望は類稀な歪みを内包している故 気に入ったのだ〛


 どうやら、私は悪魔に気に入られてしまったらしい。


〚我の姿が見えないと 少し不自由だな ……暫し待て〛


 と言って、悪魔は突然静かになった。



 部屋に数分ぶりの静寂が訪れて、ふと我に返る。


 私は、大丈夫なのか?改めて考えると、とても正気とは思えない。脳内に直接語りかけてくる自称悪魔とか……えっと、私ヤバいクスリ飲んだっけ?


 冷静になると、「高次元存在みたいなトンデモ生物が音を介さず語りかけてくる」というシチュエーションよりは信憑性が高い可能性がいくつか脳内に浮かぶ。


「幻聴……だったのかな」

〚いいや 現実だ〛

「ひゃぁ!?」


 突然声に、自分でも腹が立つほど情けない声が漏れる。


 だが、優秀な私の頭脳は瞬時に違和感を見抜いてくれた。


 さっきまでの、脳内に直接言葉が流し込まれるような不快さが無い。


〚不快……なんかすまぬ〛


 思いの外ヘコんでいる悪魔の声の発生源を探し、耳を澄ます──

〚カバンの中 スマホを見ろ〛

 までもなく、本人が答えを教えてくれた。



〚これで 下等な貴様でも 我を見ることができるようになったろう〛


 私のスマホのロック画面に、そう言って満足気なが居た。


「えぇ……」

〚不満か?〛

「不満っていうか……そもそも、何それ。どうしたら人のスマホの画面に入れるの?」

〚我にとってワケ無いことだ〛

「回答になってないし」


 整った顔立ちに、白髪と金の瞳が一際目を引く。仰々しい口調から、厳ついビジュアルをイメージしていたのだが、予想に反して若そうに見える。どれだけ年齢を高く見積もっても中学生くらいだろうか。


 総合して、the・美少年といった見た目をしている。


〚照れる〛

「照れるな」


 そう言ってスマホの画面をコンッと叩いてみるが、当然効果は無い。


〚そう言えば自己紹介がまだだったな 我の名は【フェル】 貴様の欲の行き着く先を見届けることにした 以後よろしく頼むぞ〛


 スマホの中でフェルと名乗ったソイツが腕を組み、胸を張る。が、姿が見えたことで、そのルックスも相まって怖さや威厳が完全に消えてしまった感が否めない。


「手を貸してくれるっていうのは本気?」

〚嘘は吐かん だが、そのために契約をしてもらう〛

「契約?」

〚簡単なことだ 貴様の欲を口に出して言う ただそれだけだ〛



 欲。


 私が、望んでいるもの。



 深呼吸をして、もう一度深く息を吸い込む。



──「永遠に続く

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