第2話

 季節は秋の雨季だった。

 ぬかるむリオンの山道を、一向はゆっくりと進んだ。

 美しい姫君が、馬車に揺られ、母国リオン王国から、敵国ランサー帝国へと連れられていく。


 姉王の前では啖呵たんかを切ったものの、本当は怖くてたまらなかった。


 クアナは生まれてこのかた、一度もリオンの山を降りたことがない。

 ランサー王国がどんなところかも、はたまたランサー人がどんな人間達なのかも、全く知らなかった。


 可哀想なクアナ姫。

 リオンを護るために大切に育てられた聖術士が、まさか敵国のために働かされることになるなんて……。


 いったい、どんな目に遭わされることやら。

 まるで生け贄にされる聖女のようなものではないか……。


 馬車に乗り、出発するクアナを前に、リオンの人々は口々に彼女への同情を口にした。


 クアナは馬車の中で、真っ白なローブのすそを握って、震えていた。

 卑劣ひれつな国だ。

 私は、そんなことのために聖術を学んできたわけではない。


 時折、馬車は定期的に足を止め、食事を与えられたが、とても喉を通りそうになかった。


「殿下、食べてもらわねば困りますよ。これから、長く我が国を護る術士として戦っていただかなければならないのですから……」

 濃紺の軍服を着た男は呆れたように言う。


 長く……。長くって、どのぐらいだろう。どのくらい戦えば、母国へ還してもらえるのだろう。


 そもそも、還れる日なんか来るのか……?

 クアナははたと気が付いた。

 いつか、還ってこられる、漠然とその思いがあったので、クアナは母国とお姉さまのためと思って国を出てきたが、人質として送られるのならば、二度と還れないと言うことだって、あるのではないか……?


 クアナは急に心細くなり、涙が零れそうになるのを、必死で堪えていた。


 泣くもんか。こんな、卑劣な奴らの前で涙なんか……。 


「強くならなきゃ……。自分の身を自分で守れるぐらい、強く……」





 山を降りて、ランサーとの国境を超えるまでに丸二日。

 そこからランサーの帝都まで、さらに三日の道のりだった。


「殿下……、外をご覧ください。山地を抜けました。ここからは、ランサーの領土に入ります」


 休憩のために歩みを止めた際、食事を持ってきたランサーの軍人が、クアナに声を掛けた。

 クアナは馬車の外に広がる景色は、見渡す限りの平原だった。


「なんて、広い……」


 山がちのリオンで育ったクアナにとって、ランサーの広い平原は圧巻だった。遠く、煙棚引く家々の並ぶ街も見える。


 その時だった。


「襲撃だ……っ!魔物の群れです」

「インプだ……!」


 子供ほどの背丈ほどの、醜悪な顔をした小鬼達が群れをなして襲ってきた。


 一同は身構える。


「インプならば、私の出番ですね」

 ランサーの聖術士がインプの群れに向かって右手を差し出す。

「〝鉛白えんぱくの刃〟」


 聖術はその名の通り、悪魔系の魔物に特攻の術だ。十数体いた魔物はあっという間に消されていった。


「こんな真っ昼間の平原にインプとは……」

 クアナは思わず呟いていた。


 噂に聞いた通りだった。

 ランサーの国境を超えれば、そこは魔物モンスターの巣窟である、という話は家臣たちからよく聞いていた。


 だから、結界の外へは、絶対に行ってはならない。


 リオンの国内は、すべて聖術士の結界により守られているので、滅多に魔物が姿を現すことはない。

 だが、ランサー帝国は国土が広い上に術士も少なく、こんな辺境の町外れまで、討伐の手がまわっていないのだろう。


「殿下は馬車の中にいてください。馬車自体にも防御の術を掛けていますから、簡単には魔物も入り込めません」


「分かりました……」

 クアナは素直に頷いた。


 その後、たびたび魔物の襲撃はあったものの、人里に近づくにつれ、さすがに魔物の姿も少なくなり、予定した通り五日目には、無事に帝都まで辿り着くことができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る