第3話

 帝都に着いたのは、リオンを出発してから五日目の、夕暮れ時だった。


 ランサーの城下街は、西大陸でも随一の人口を誇る大都会だ。目抜通りの往来にはリオンでは見たこともないほどの人、人、人。左右は露店で埋め尽くされ、昼間かと思うぐらいに明るくランプが灯されていた。


「こんなところで、やっていけるのかしら……」

 観光で来たのならば心踊る眺めだっただろうが、クアナにとっては、全てが敵視すべき対象にしか見えなかった。


「お初にお目にかかります、クアナ・リオン殿下。宰相のセシル・アーヴァインと申します。この度は、貴国のご協力に感謝の意を申し上げます」


 ランサー城でクアナを出迎えたのはランサーの宰相だった。

 この国の偉い人ではあるのだろうが、慇懃無礼いんぎんぶれいとはこのことで、冷たくすました顔は、愛想笑いの一つもなかった。


「ささやかですが、食事を用意させていますから、お召し上がりいただいてから、お休みください」


 通された小さなホールに食事が用意されていた。

 クアナは、無理矢理に喉の奥へと流し込んだ。食べないわけにはいかないのだ。

 私は母国を護るんだから……。


「お部屋へご案内します」

 食事が終わり、クアナはあてがわれた客室へ向かうこととなった。


「本日は城内の客室でお休みいただきますが、明日からはさっそく、軍部の寮に入っていただきます」

 クアナの傍らで、宰相セシルは事務的に説明を続けた。


 絨毯は血のように赤く、左右の白壁には金や鏡を贅沢に使った絢爛けんらんな装飾……嫌味なほどきらびやかな廊下を抜けて部屋に辿り着くと、セシルは扉の前で立ち止まり、くるりとクアナの方を向いて言った。


「貴方に一つ、伝えておかねばならないことがあります。これはランサーの宰相としてではなく、私個人としての、貴方への忠告です」

 セシルはそのように勿体もったいぶった前置きをしてから言った。


「貴方が明日から配属される予定になっている部隊は、コカトリス第三小隊。貴方を含め、隊員七名の少数精鋭パーティーです。腕のいい術士がそろっているので、まず貴方の身に危険が及ぶことはない。ただ……」


「ただ?」


「隊長のエンティナス・コールと言う男が曲者くせもので。闇術の使い手なのです」


「闇術?」

 闇術使いとは珍しい。


 術士人口の多いリオンでも、闇術士は存在しなかった。

 闇術を使う力を持つ『漆黒の呪力』を宿す人間自体が希少ということもあるし、扱いも非常に難しい術と聞いている。


「ランサー帝国では、闇術は『禁術』とされ、たとえ漆黒の呪力を持って生まれたとしても、闇術士になることは許されていません。それなのに、コールは、許されざる術を平気で使い、いまや小隊長にまでなっている」


「なぜ、そんな人間が軍隊の隊長など任されているのです?」

 クアナは素朴な疑問を口にした。


「それは、……コールがです。誰にも文句を言うことができないぐらいに強い。ランサーの術士で、彼を制止できる者は誰もいません。加えてご存知の通り、ランサーは圧倒的に術士が不足している。ランサーも、国を守るため、強力な術士であるコールの力は利用したい。彼は言わば、『諸刃もろはの剣』なのです」


 そんな男のもとに、自分は配属されると言うのか。


「私はこの状態を大変憂慮ゆうりょしています。あまりに危険すぎる。闇術に溺れた者は、その力に魅了され、国に災いを及ぼすと言われています」


 セシルは、そこで一度言葉を切り、クアナを見据みすえて、きっぱりと言った。


「ですから、もしも、その男が国家を揺るがすような重大な行いをした時、そんな、いざと言うときに、貴方にその男を止めてもらいたいのです」


「な……っ、私に、そんなことができるわけがないでしょう?」


 ランサーの術士が誰もかなわないような男を、どうやって止めろと言うんだ。


「他の誰にも頼めることではないからですよ。まさか、彼の忠実な部下たちに、お前達の隊長は危険だから、いざというときには命に代えても制止しろなんて、そんなことを頼めるわけがないでしょう」

 セシルの目が暗い光を放つ。


「でも、貴方なら、リオン王国を守るために、それができるんじゃないですか」


「命に代えても……?」


 つまり、死ぬ気でそのエンティナス・コールとやらを止めろと。そうしなければ、母国に何があるか分からない、と言いたいわけか。

 どこまでもこのランサーと言う国は、横暴おうぼうなことばかりを要求してくる。


「……分かりました。どうせ、断ることなどできないのでしょう?死ぬつもりはありませんけど、できる限りのことはやりましょう」


 要するに、その危険人物をうまくぎょして、危険な行いをしないようにし向ければいいと、そう言うことだろう。




「はー……」

 セシルが部屋を去ってから、一人になったクアナは盛大に溜め息をついて、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。

 天蓋てんがいの付いた、豪奢ごうしゃなベッドだった。


「ランサーって、いったいどんな国なんだ、めちゃくちゃじゃないか。先が思いやられる……」


 そんな危険な人間を野放しにしておくほど、術士が不足しているなんて……。


「エンティナス・コール。ランサー最強の闇術士か……いったい、どんな人なんだろう」


 セシル宰相の話を聞いているだけだと、悪魔のような、狡猾こうかつそうな男が想像された。

 おとぎ話に出てくる、悪魔に魂を売る悪い魔法使いのような……。

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