第9話 魚の恩返し

「だ、誰だ?」

「もしかしてさっきの子?」



足音を耳にしてレイトとダインは振り返り、先ほどの女の子が追いかけてきたのかと思ったが、現れたのは必死の形相で駆け抜ける訓練生の男子だった。



「はあっ、はあっ、た、助けてくれぇっ!!」

「うわっ!?な、何だよお前!?」

「どうしたの!?」



駆けつけてきた男子はレイトに縋り付き、相当な距離を走ってきたのか全身が汗だくだった。ただ事ではないと思ったレイトはダインに視線を向けると、彼は急いで自分の影に手を押し当てて魔法の準備を行う。


レイトは訓練生が駆けつけてきた方向に視線を向けると、茂みを掻き分けながら近づいてくる存在を確認した。最初は猪かと思ったが、野生の猪よりも二倍近くの体躯を誇り、牙の形が槍の刃先のように尖った巨大猪が出現した。




――フゴォオオオッ!!




森の中に巨大猪の鳴き声が響き渡り、敵の正体は「ボア」と呼ばれる魔物だとレイトは気が付いた。授業で習った魔物の一匹であり、外見は猪と酷似しているがその突進力は熊も一撃で屠ると教科書には書かれていた。



「フゴッ、フゴッ……!!」

「ボ、ボア!?どうしてこんな化物が森の中にいるんだよ!?こいつは山にしか住み着かないはずじゃ……」

「ダイン!!いいからそいつを取り押さえて!!」

「ひいいっ!?」



森の中でボアと遭遇したことにダインは驚くが、レイトは彼に言葉をかけるとボアが突進の体勢に入った。もしもボアの突進を正面から受ければ即死は免れず、慌ててダインは影魔法を発動させた。



「シャ、シャドウスネーク!!」

「フガァッ!?」

「よし、今のうちに逃げろ!!」

「うひぃっ!?」




影から生み出された黒蛇がボアの前足に巻き付き、突進を封じられたボアは戸惑う。その間にレイトは訓練生の男子に呼びかけると、レイト達を置いて先に逃げ出した。



「あ、おいこら!!僕たちを置いていく気か!?」

「そんな事よりこっちが先だよ!!魔法を解いたらダインが狙われるよ!?」

「ひいっ!?ど、どうすればいいんだ!?」

「フゴォッ!!」



影蛇シャドウスネークがボアに絡まっている間は碌に身動きも取れないが、影魔法の弱点は術者が自分の影を利用した場合は動くことができず、もしも逃げるとしたら魔法を解除しなければならない。しかし、魔法を解いた瞬間にダインがボアに狙われるのは明白だった。


これまでの魔物とは違い、ボアは動きを封じ込めた程度で簡単に止めを刺せる相手ではない。しかもレイトの魔法は防御に特化しており、自分から攻撃を仕掛けるのには向いていない。



(くそっ!?どうすればいいんだ!!魔法が解けた瞬間に俺がダインを庇うか!?駄目だ、質量差がありすぎる!!)



レイトの「魔盾プロテクション」は小盾程度の魔法陣しか形成できず、ボアの突進を受け止めようとしても力の差がありすぎて吹き飛ばされてしまう。ならば「反魔盾リフレクション」で衝撃を跳ね返す方法も考えたが、これだけの巨大な相手の攻撃を受け止めた事などレイトは一度もない。


反魔盾は衝撃を跳ね返す際に術者の魔力を消費するため、衝撃が強いほどに魔力の消費量が増加してしまう。もしも消費分の魔力が不足していた場合、盾が崩壊してレイトは吹き飛ばされるだろう。



(ダインを見捨てて逃げれば助かるかもしれないけど、こんなところで親友を見捨てられるか!!)



一か八かの賭けになるがレイトは両手を重ねて魔力を集中させ、自分が構成できる限界の大きさの魔盾を形成する。そして魔法陣を鏡のように変質させると、ダインに声をかけた。



「今だ!!解いて!!」

「ほ、本当に大丈夫なのか!?吹き飛ばされたりしないよな!!」

「いいから早くしてってば!?」



魔法を維持する間にも魔力を消費するため、話していある間にも無駄に魔力が消費されて助かる可能性が低くなっていく。ダインはレイトを信じて魔法を解除すると、ボアはレイト達に向けて飛び掛かってきた。



「フゴォッ!!」

「くぅうっ!!」

「うわぁっ!?」



反魔盾にボアの牙が衝突した瞬間、魔法陣が揺らいでレイトの頭に激痛が走る。魔力を消費すると頭痛が起きる仕組みであり、魔力を失いすぎると意識を失う。だが、今回はレイトの魔力量がボアの突進よりも上回っていたらしく、ボアは地面に叩きつけられた。



「フガァッ!?」

「や、やった!!流石はレイトだ!!」

「ぜえっ、はあっ……」




ボアを吹き飛ばす事には成功したが、攻撃を一度受けただけでレイトの魔力は相当に消費してしまい、次に攻撃を仕掛けられたら防げる自信はなかった。レイトはボアが起き上がれないうちにダインと共に逃げようとした。



「今のうちに逃げよう」

「だ、大丈夫か?肩貸してやるよ」

「ありがとう……ダイン、魔力は残ってる?」

「悪い、もう僕も限界だ……」



ダインも道中で何度も魔法を使用した影響で魔力もわずかであり、次に襲われたら防げる自信はなかった。レイト達は何とかボアから逃げ切ろうと茂みを潜り抜けて移動するが、後方からボアの鼻息と足音が聞こえてきた。



「フゴッ、フゴッ……」

「「っ……!?」」



二人とも声を上げないように慎重に進むが、ボアは何故か二人の後を正確に追ってきた。ここでレイトは自分たちが掲げている小袋に気付き、どうやらボアは二人が倒した魔物の素材の臭いを辿っているらしい。


魔物の死骸の一部を切り取って持ち帰らなければ合格はできないが、このままではボアに追いつかれてしまう。レイトはダインに小声で話しかけた。



「臭いを辿られている。このままだと見つかる」

「嘘だろ?ならどうすればいいんだよ」

「惜しいけど、これを捨てるしか……」

「そんなっ!?」

「フゴッ!?」



レイトの言葉にダインは大声をあげてしまい、その声を耳にしたボアが近づいてきた。慌ててレイトは自分の袋を外し、離れた場所に目掛けて放り込む。すると臭いを感じ取ったのかボアは進行方向を大きく変えた。



「フガッ、フガッ!!」



ボアは落ちている小袋に気が付くと、鼻先を押し付けて臭いを嗅ぎ始める。予想通りに魔物の死骸の臭いを辿って移動していたらしく、今のうちにレイトとダインは距離を取る。



「あ、危なかった……助かったよ」

「助かってない。そいつを持っている限り、あいつは振り切れないよ」

「うっ……で、でもこれまで捨てたら最初からやり直しなんだぞ?」



ダインが所持する袋をレイトは指差し、命が助かりたいのならば捨てるのが賢明だろう。だが、これを捨てれば苦労して入手した魔物の素材を全て失う。夕方までは猶予はあるが、体力も魔力も残り少ない現状ではボア以外の魔物と遭遇しても倒せる保証はない。



「ほ、本当に捨てるしかないのかよ?折角ここまで集めたのに……」

「他に方法なんて……待てよ、さっきの川を渡れば臭いを誤魔化せるかも」

「そ、それだ!!」

「しっ!!」



またもや大声を上げそうになったダインをレイトは注意すると、二人はボアに気付かれる前に道を引き返して川がある方向へ向かう。川を渡れば臭いを消せる可能性があり、ボアに気付かれる前に急いで向かう。


川に戻ると焚火が消えており、人魚族の女の子は既に姿を消していた。川はそれほど深くはないため、魔物の素材を濡らさないように肩で抱えながらダインは先に渡る。



「ひいいっ、冷たい!!こんな川の中をよく泳げるな!?」

「いいから早く渡って!!見つかったら終わりなんだから!!」



冷たい川の中を二人は渡り、ボアに追いつかれる前に反対側の川岸に向かうが、後方からボアの鳴き声が響き渡る。



「フゴォオオオッ!!」

「くそっ!?遅かったか!!」

「ぎゃああっ!?こ、こっち来るなぁっ!!」



茂みの中からボアが出現すると、川を割る途中の二人に気付いて鼻息を鳴らす。もうすぐ川岸に到着するというところで見つかってしまい、ボアは二人に狙いを定めて川の中に飛び込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る