第9話 見慣れぬ顔、見覚えのある顔

 標高を増したせいか、肌に吹き付ける夜風が強く、冷たくなってきたころ。私たちは石造で巨大な塔の根本にたどり着きました。


「準備はいいな?」


 一度立ち止まった私たちは、最後の会話を終えて。扉のない入り口を抜け、塔の中へと踏み入ります。


 その中は、あまりにも殺風景でした。あるいは既に内装を飾る家具などはが朽ち果ててしまっただけなのかもしれませんが。床も壁も石造りで、高所に備え付けられた小窓以外に、光を伝えるものはないようです。


 ただ、数人が走り回れるくらいにだだっ広い広間の奥には、暖炉のようなものも見えましたそこには少しの木片と、いくらかの装飾品、宝飾品、燭台やインク壺、そして数冊の書物も残されています。


 かつては執務室か何かだったのでしょうか。あるいは封じられた霊王を監視する場所だったのでしょうか。なんにせよ今の私たちには、知り得ないことです。


「階段はあそこだ」


 物が散乱する場所の奥、倒れた扉の向こう側に螺旋階段のようなものが見えました。上にいくにはあそこを通るしかなさそうです。


「急ごう。足元に気をつけろ」

「わかった」


 この塔が何階建てなのか、最上階までどのくらいなのかはわかりませんが、私たちの目的は一つです。迷うことはありません。私たちは途中階を詳しく調べることなく手をつなぎながら、ただひたすらに螺旋階段を駆け上がります。


「ここだな」

「ええ」


 登り切ったところに現れたのは、薄汚れていて、霜をまとった、深い茶色の木の扉でした。両開きで、取手は2つ。かなり大きいですから、手を繋いだまま、一人で開けることは難しそうです。


「ルダン。手、離さないで。一緒に開けよう」

「ああ。行くぞ!」


 私たちは息を合わせて。勢いよく、扉を開け放ちます。中の光景を確認するため、松明を前方に向けて、光を通そうとします。しかし、その必要は無かったようです。最上階の部屋の中は、青白い光で満ちていました。天井と、向かいに見えたバルコニーから差し込んだ光が、部屋の中を、やけに明るく照らしていました。


「あれが……!」


 そして、バルコニーの手前。逆光の中に佇むシルエットは、椅子のような形をしていました。それは、青い宝石に銀細工など、見覚えのある装飾があしらわれた玉座。

 そして、その上にもたれかかっているのは、上裸で、肋骨の浮き出したみすぼらしい格好です、棒のように細い腕を肘掛けから垂れ下げた、痩せこけた白いひげの老人でした。


「来たか」


 死人のようにかすれた声、しかしながら、その奥に確かな威厳を秘めた声。小汚い体毛のせいで表情は見えませんが、彼が何者かということくらい、私にだってわかりました。


「あなたが、本物の霊王」

「いかにも」


 顎を上に向けつつ、声を発するその人物の肌は、月明かりの補正を除いたとしても、明らかに青ざめてしまっていました。まるで、肉体はもう朽ち果てているのに、死ぬことを許されていないかのように。その老人は、とても、苦しそうにしていました。


「少し、話を聞いて行かんか」


 弱弱しい、哀れささえ抱かせるような声色。命乞いのような語り口。一瞬、彼には何か役目があって、それを私たちに伝えようとしているのではないかという錯覚さえ覚えてしまいます。ですが、私たちはもう、心に決めています。


「あなたの話は聞きません、時間を稼ごうとしても無駄です」


 私たちは歩みを進め、霊王の元へ近づいていきます。部屋の中は、ルダンが見渡してくれています。だったら、私がやるべきことは、一つでしょう。私は松明をその場に置いてから、霊王の襟首を掴み、こちらへ手繰り寄せました。


「だからお前らは愚かなのだ」


 瞬間、横方向からの衝撃。身体が押し倒されて、私は体勢を崩します。

 振り向いて、何が起こったのか理解しました。

 ルダンが、私を押し倒したのです。彼の手は私から離れて、腰の鞘に添えられていました。


「アニー! 離れてろ!」


 その言葉で、彼が私を守ってくれたのだと理解しました。彼の身体のさらに先、玉座の隣には、別の人影がありました。いったいどこから? などと考える必要はありません。この薄暗い広間には、いくらでも死角がありました。その人影は、目を青白く光らせて、こちらを見ていました。右手には、実体の剣が携えられていました。


「うっ!」


 引き付けた霊王の身体と共に、私は床に倒れ伏します。すぐさま振り返り、襲撃者の姿を見やります。目の色は、明らかに人間のそれと異なりますが、それは明らかな実体でした。表情はよく見えません。ちょうど私の横には松明があります。先ほど霊王の首をつかむ前に、取り落としたその松明が。私はそれを、襲撃者の方へ向けました。


「っ!?」


 襲撃者のその顔は、決して見慣れたものではありませんでした。しかしながらそれは、記憶の彼方に残っていた顔でした。その姿は、あの日の記憶に焼き付いています。

 温かい光に包まれた王都を一緒に見ていた鎧姿。お母さんが伝えてくれていた、黒い髪。何よりもその、優し気な面影の残る、どことなく私に似た顔は。そうだ、あのとき一緒に私と一緒に、光に包まれた王都を見ていたのは。


「お父さん……?」


 その声で、ルダンが目を見開いたのがわかりました。次の瞬間、彼は構えた長剣越しに、お父さんの振りぬいた剣を受けてしまいました。

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