第8話 足を止めるな!


 隠密性を気にすることもなく、私たちは走り続けます。ただひたすらに廊下を駆け、たまに曲がって、上へ上へと向かっていきます。私にだってそれが何を意味しているのか、理解できます。私たちはあの、王城のそびえる岩山を上っているのです。


「きゃあ!」


 先行して、燭台で前を照らしていた二人のメイドさんが、突然悲鳴を挙げました。見ると、前方の曲がり角から飛び出した悪霊が、彼女らの首筋に噛みつこうとしていました。どうにかして、助けないと。私はそう思って、となりの近衛兵さんを見やります。


「足を止めるな!」


 その声で私は正気に戻ります。いえもしかするとそれは、すでに狂気の一端なのかもしれませんが、なんにせよ彼女らを助け起こさなかったおかげで、我々は、廊下の奥から迫る悪霊の大群を間一髪で躱すことができました。


「うわああ!」


 いえ、完璧に躱しきることなどできなかったようです。後方から新たな悲鳴が上がり、我々の足音は四つに減ってしまいます。振り返っている暇はありませんが、何が起こったのかくらいわかります。私のすぐ後ろの気配が、一人分減っていますから。


「隊長! 自分が足止めします!」

「頼んだ!」


 そして、背後の気配に悪霊のものが混じり始めたころ、そんなやり取りを最後に、後ろから足音は聞こえなくなりました。少しして、悪霊の気配が遠ざかっていきます。


「ごめんなさい……!」


 彼らの犠牲によって、私たちは進み続けることができました。窓の無い廊下から、月明かりが差し込む回廊に踏み込み、しばらく先に、両開きの扉が見えました。扉の微かな間からは、窓と同じような、微かな光が漏れ出ていました。


「お前たち、名前は何と言ったか」


 隊長と呼ばれた近衛兵は、門まであと少しの距離で、私たちに一つ訪ねてきます。おそらく、長ったらしく答えている時間はありませんが、一言だけなら答えられます。


「私はアニー」

「俺はルダン」


 門まであとほんの数歩。私たちが簡潔に自己紹介を終えると、近衛兵さんは、足元に笑みを浮かべました。


「そうか。覚えておく」


 近衛兵さんが私の手を離し、両開きの扉へ飛び込みます。体当たりとともに、木材の軋むおとが響き、扉が勢いよく開け放たれます。その裏側月明かりと共に姿を現した風景は、まだしばらく続く、たった一本の石橋でした。


「この橋を渡った塔の先、最上階だ」

「あなたは」

「俺はここで食い止める。ヤツはまだ未熟だからな」


 その、ヤツという言葉が指す人の名前を、私たちは知りません。だけど、それが誰のことを指しているかということくらいは、理解できました。そして、振り返った廊下の先に、不規則な足音が響いていることも。


「行け、二人とも! お前たちが終わらせろ!」


 その声を合図に、私は石橋の向こうへ駆けました。背後から狼の唸り声が響いて、私に並ぶ足音は、ルダンのものだけになりました。

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