第7話 王宮の生き残り

「ここが、正門だが……」

「開けっ放しになってる……どうして」


 街を守る外壁をくりぬくように築かれた門は、その姿を跳ね橋に変えたまま横たわっています。門を立てるべき鎖は伸びきって、横切ろうとするものもいないのに、不用心に開け放たれています。


「分からない。でも、少し用心した方が良さそうだ」

「悪霊がいるから?」

「それもあるけど、中に何がいるかわからない。混乱に乗じて乗り込んだ、火事場泥棒すらいるかもしれない」


 言われて背筋がぞくりとします。メービスは平和な国ですが、野盗の類が全くいないわけではありません。ましてやこの時間です、松明だけでなんとかなるとは、思わない方が良いのかもしれません。


「安心しろ。片手でも剣ぐらい握れるさ」

「無理はしないでね」

「善処する」


 もうすっかり夜も更けてきて、月の輝きも弱まってきています。辺りは真っ暗とは言いませんが、松明がなければよく見えません。肉眼で見えるのはせいぜい、物の輪郭くらいでしょうか。悪霊なら青白い光が見えるかもしれませんが、その他の危険はそうもいかないでしょう。


「行くぞ、アニー」

「うん」


 悪霊がいるかもしれない以上、松明は消せません。ひとまずはここで覚悟を決めて、一歩踏み出すしかないのです。ルダンは一呼吸おいてから、跳ね橋へ足を踏み出します。

 少しだけミシリと音がしたかと思うと、それが全体に伝わって、鎖が揺れます。シャラシャラと鳴る金属音。あまり、音を立てたくなかったのか、ルダンは少しだけ歯噛みして、門の先を睨みつけます。


「止まれ」

「っ!」


 その声が聞こえた瞬間は、ルダンは肩で私を抱き寄せました、私の方も松明を構え、声の主を探ろうとします。


「生き残りの兵士だな、こちらへ来い」

「お前は何者だ」


 ルダンは神妙な面持ちで、しかし大声は上げず、冷静に相手を問いただします。相手の語彙は、まるで盗賊の一派か、敵国の兵士のようにも聞こえます。ですが……少し楽観的すぎるかもしれませんが、もしかしたら。


「王宮の近衛兵だ。ここにいては悪霊に襲われるぞ」

「っ……わかった」


 ああ、よかった。声の主は、私たちの味方であるようです。



◇◆◇◆◇



 外壁の中から続く地下通路に踏入り、狭い道を松明で照らしながら進むと、突然周囲の風景が豪華絢爛なものに変わりました。明かりはついていませんが、天井にはシャンデリアがあり、足元には赤い色のカーペット。窓のない壁にはいくつかの肖像画が飾られています。


「鎧も剣の一つも無いが、許せよ。あれは儀礼用だから、こういう時役に立たんのだ」


 黒く染まったギャンベゾンを身につけたその人は、あまり近衛兵らしくは見えません。つけていなければ、兜もかぶっていないからでしょうか。

 ですがそれは、この状況でもっとも合理的な理由によるものでした。替えの装備も身に着けていないのは、悪霊には鎧など意味がないと、つまりはそういうことなのでしょう。


「どこに向かっているんだ?」


 ルダンは声を抑えながら、近衛兵に尋ねます。確かに私たちは目的地を知らされていません。彼が悪者である可能性など微塵も考えず、ただ不用心について行っているだけです。


「王様のところだ」


 ですがその言葉が本当なら、これほど心強いことはありません。この国の王様は少なくとも霊王と呼ばれていませんから、上に立つ人間が無事ということは、ただ単純に喜ばしいことです。不安があるとするならば……


「こんな格好で大丈夫でしょうか」

「生存者は多い方がいい」


 私の不安は、極めて合理的な意見に拭われて霧散します。もしお母さんの知っている情報を王様に伝えられれば、状況は好転するでしょうから。


「ここだ」

「ここって……」

「使用人用の食堂だ。さすがに謁見の間は目立つのでな」


 たどり着いたのは、薄暗いろうそくで照らされた、質素な広間。いくつかの長机とそれを囲むスツールで満たされた広場には、数人の人影がありました。そう、数人。両手で数えられるほどの人数しかこの場には居ないのです。


「戻ったか」

「はっ」


 近衛兵がその場で膝立ちになり、前方へ向けて頭を垂れます。ろうそくの火を反射するのは、銀に輝く貴金属の王冠。中心に赤い宝石細工があしらわれたそれは、明らかに霊王のものとは異なります。その髪色や、髭の色は老齢のものとはまた違った、雪のように自然な白色をしていました。


「アニー」

「あっ、ご、ごめんなさい」


 一瞬無礼に眺めまわしそうになって、ルダンの声で正気に戻ります。すぐさま私も膝立ちなって、下を向いて目を伏せます。先ほどまで感じていた緊張とは、また毛色の変わった緊張。ただの町娘が王族の前で、無礼を働くわけにはいきません。


「よい。この状況で、礼を気にすることはない」


 さすがに王様に会うのは初めてですが、寛大な方で助かりました。私は思わず胸に手を当て、ゆっくりと撫で下ろします。


「おや、そなた……その首飾りは」


 言われて、私は首飾りに目をやります。その中は相変わらず、ほのかな光を放つ液体で満たされています。よく見ればそれは、あの悪霊たちと同じ色をしています、事情を知らない方々に、むやみに見せるべきでなかったでしょうか。


「申し遅れました。私たちは」

「そうか……聖水の調合は間に合ったのか」

「っ……事情をご存知なのですね」


 会話はルダンに任せきりですが、私にだってその意味ぐらいわかります。王様はおそらく、私たちの目的を知っているのです。

 もしかしたらお母さんとも、知り合いだったのかもしれません。最近のお母さんが焦っていたのは、聖水の調合に全力を賭してしたからなのかもしれません。


「ルセチーナからここまで、ご苦労だった。しかし、我らに残された時間は、残り少ない」

「そうなのですか?」

「ああ、夜明けがくれば、刈り取られた魂たちは永遠に霊王のものとなってしまう」

「っ……!?」


 そんな。事がそんなに差し迫っていたなんて。私は思わず声を上げ、息を飲んでしまいます。そんな時間はないはずなのに、思わず説明を求めてしまいそうになります。しかしそんな心配も必要なく、王様は語り始めてくれました。


「旧代の愚王が残した禁術は、日の出ともに完成するのだ」

「禁術?」

「生きとし生ける魂を不死身の兵と成し、己が思いのままに操る、操霊の魔術よ」


 魔術。言葉の響きも、その意味も知っているものではあります。が、しかし、おとぎ話や童話の世界だけじゃなく、現実に存在するのでしょうか。疑ってしまいそうになりますが、現実に、悪霊がはびこっていたことを考えると、そこに嘘はないのでしょう。


「すでに王都の人間のほとんどは、やつに魂を握られている」


 確かに地下通路を進む前から、王都は静まりかえっていたように思います。いくら夜中であるとは言え、繁華街や酒場はそれなりに賑やかであるはずなのに。


「だが、その聖水があれば、あの愚王を滅することができる」


 私はこの方の思いを汲み取れるほど、この国の事情を知りません。この方がお母さんに何を託したのか、知る由はありません。しかし、それが、私の勘違いでなければですが。震える声でそう言う王様は眼筋に涙を浮かべているように見えました。


「二人とも、よくぞここまでたどり着いてくれた」


 いえ、きっと勘違いなのでしょう。そうでなければこんなにも凛々しく、私たちを、鼓舞してくれることはなかったでしょうから。こんなにも心を温かく、気持ちを高めてくれる事などなかったでしょうから。


「それはどうかな。今代の愚王よ」


 ですが、高鳴った心は、その声で跳ね上がってしまいます。

 背後を見やると、青白い光が見えました。数にして五体ほどの悪霊が出入口を塞ぎ、その中心には巨大な人影が陣取っていました。それは、既に抜刀を済ませている、あの時と変わらない姿でした。狼の、ガルルという唸り声が、屋内に何十にも響きました。


「根気よく待った甲斐があったというものだろう? 泳がせた釣り餌のうちどれかが、この目から消えうせる瞬間を」

「霊王……!」


 その場の誰もが、片手に炎を構えました。ある者はテーブル上の燭台を、あるものはたった今着火したろうそくを、そしてあるものは左手に握った松明を。緊張感とともに歯を食いしばった者たちの中で、唯一、王様だけがなにも構えていませんでした。


「確かに、私は愚王かもしれぬ。だが」


 いえ、何も構えていないように見えたのは、思い違いでした。彼は胸元のマントに、腕を隠していただけでした。どことなく霊王に似た、豪華絢爛なマントが勢いよく翻されて、中身が明らかになりました。


「それ故、自分の役割は、わきまえているつもりだ」

「何?」


 霊王の疑問に答えるように、王様が眼前に構えたのは、一本の長得物でした。それは炎のように波打つ刀身を持ち、ほのかに暖かい光を放つ、橙色の両手剣でした。


「ここは私が、時間を稼いでみせよう」

「っ! 王よ、一体何を考えて」


 隣にいた近衛兵さんが、声をあげそうになったところで、王様がキッとこちらを睨みつけました。その目には、常人とは思えない迫力と、確かな覚悟が宿っています。次の言葉を待たずとも私たちが何をするべきかは、理解できました。


「ゆけ! 従者たちよ! なんとしても、その子を守りぬけ!」


 一瞬の静寂、そこに、皆々が息を呑んだ音が響きました。


「「「「はっ!」」」」


 命令とあらば、彼らは迷うことはないのでしょう。声を挙げた近衛兵さんを始めとして、全員が私たちの傍についてくれました。


「こっちだ!」

「アニー、行くぞ!」

「わかった!」


 のこっていたメイドさんの一人が、裏側の扉をあけ放ち、もう一人が、燭台を持って先行します。近衛兵さんが私の手を引き、私はルダンの手を引きます。そのさらに後ろに、二人の兵士たちが続いて、殿を引き受けてくれました。


「愚王の剣、容易く崩せると思わぬことだ!」

「小癪な……!」


 王様の啖呵と、唇を噛むような霊王の声を最後に、私たちは広場を後にします。目的地はもう決まっています、近衛兵さんたちが、導いてくれる通りの場所。


「塔へ向かう! 全員、全速前進だ!」

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