第4話 流星

 私は離れないように、動かなくなった彼の右手を握りながら、お母さんの家へむかいました。首飾りの効果は、手をつなぐだけでも発揮されるようで、道中、鉢合わせた悪霊が、私やルダンに気付くことはありませんでした。


 不思議なのは、手に松明を持っていても、奴らがこちらを向かなかったこと。光で分かりそうなものですが、暗い道を明かり無しで歩く必要がなくなる分には、こちらに良いことしかないので、気にしないことにします。


 そして、予想は付いていましたが、家にお母さんはいませんでした。私の家のあった場所には、残り火だけありました。付近の民家とは距離を取れていたおかげか、燃え広がっていたり、誰かが火災に巻き込まれた様子は無かったのが幸いですが、もう、消化を試みるだけ無駄だということはわかりました。


 そんな光景の近くにも、道中にも。街の中いたるところには、意識の無い多数の人影が横たわっています。


「ひどいな……まだ息はあるみたいだけど」

「まるで抜け殻ですね」

「もし戻す方法がなかったら、このまま衰弱死まっしぐらだ」


 ……不穏なことを聞いてしまいました。もし、彼の右腕のように、悪霊に触れられた箇所が動かせなくなってしまうのなら、有り得ない話ではないのかもしれませんが。ともあれ、今は最悪の想像をするよりも、無事な人物を見つけるべきです。


「止まれ」

「え、はい」


 突然の静止。見ると、ルダンはその場で目を瞑って、黙り込んでいます。耳を済ませているのでしょうか? 私には何も聞こえませんが、声をかければ邪魔になるでしょう。


「声が聞こえる。広場の方だ」

「声……どんな声ですか」

「怒声。というか、勇ましい声だな。戦ってるのか?」


 何と戦っているかなんて、尋ねる必要はないでしょう。奴らは露骨に松明を嫌がっていますから、それに気づいた人々が、まだ抵抗を試みていてもおかしくありません。いえ、あるいは、そこが私の目的地である可能性もあります。


「お母さんかもしれないです」

「合流しよう。助けないと」


 私たちは意思を同じくして、広場の方へ走ります。付近の建物が、民家から商店、屋台などに移り変わっていくにつれ、私にもその音が聞こえるようになってきました。


「あと少しよ、奴らはもう少ないわ!」


 そして、その声は確かに聞き覚えがあるものでした。いつもの優しい口調とは打って変わって、迫力のこめられた指揮の声。いつもとは違っても、私を一番安心させてくれる声が、遠くに見えた数人の人影の中から、聞こえました。


「お母さん!」

「っ、おい!」


 私はルダンの右腕を引き、広場へ向けて飛び出します。本当は、離してでも近付きたいけれど、そうすればどうなるかってことくらい、わかっています。だからあくまで、声を伝えるだけ、私がここにいることを、お母さんに伝えたいだけなのです。


「アニー……?」


 厚手のギャンベゾンに、革製のコイフ。私の声で振り返ったその顔は、確かにお母さんに違いありません。右手には松明、左手は無手で、二頭の青白い狼を相手取っています。そして当然ながら、狼はお母さんが気を取られた一瞬の隙を突こうとしていました。


「危ない!」


 私が叫ぶより前に、お母さんは上半身を引き、その動きだけで、狼の飛びかかりを避けていました。それだけではありません。狼の姿を横目で捉えたかと思うと、右手を突き出して進路上に松明を置き、やつを炎の中へ飛び込ませたのです。炎に触れた狼は音程の外れた悲鳴を上げながら、炎に包まれて消えてしまいました。


「次で最後よ!」


 お母さんが号令をかけたところで、残りの人影が最後の悪霊に詰め寄りました。あるものは振りかざし、あるものは投げつけ、人数分の松明に襲われた狼は、嘆くように声を上げて消えました。


「やったぞ!」


 狼を仕留めた男性の声を合図に、歓声が上がりました。十数人ほどの人々は互いに抱き合い、勝利を喜んでいる様子です。ですが、お母さんは神妙な面持ちでこちらへ向けてつかつかと歩き始めています。


「アニー、なんでここにいるの」

「それは……えっと」

「気持ちはわかるけど、本当に危ないのよ」

「……ごめん」


 よくよく考えてみれば本当に、余計なことをしたと思います。先ほどだって、私が声をかけたせいで危うく、お母さんが攻撃を受けてしまうところでした。私一人で何も出来ないのなら、戻ってきても同じなのに。


「……でも、無事でよかった」


 俯いて、気持ちが落ち込みそうになったところで、背中に腕を回される間隔。見上げてみれば、お母さんが私を抱きしめてくれていました。私は、何か言おうとしてみましたが、結局なにも出てこずに、口を噤んでしまいました。


「えっと、アニーのお母さん」

「ルダンくんね」

「はい。今、何が起こっているのか、詳しく聞いても?」


 そうでした。私たちには結局のところ、情報が足りません。この状況で、推測や、実際に見たものを除いて有益な情報はお母さんの言葉だけです。少ないとも、最初から火が有効であることを知っていた時点で、お母さんは何かを知っているはずなのです。


「そうね、とはいえいつ襲われるともわからないから、まずは開けた見通しのいい場所で」

「おい、なんだあれは!?」


 お母さんが手を引いてくれようとした瞬間、広場の方から声が聞こえました。見てみれば広場に残る人々は、ことごとく空を見上げています。つられて見やった空の彼方には、青白く光る流星のような何かがありました。迫るにつれて徐々に、徐々に巨大さを増していくその光は、広場の直上へ、迫ってきていました。


「避けて!」


 お母さんの警告も虚しく、ほとんどのは逃げ遅れたまま、流星は広場の中心に着弾しました。青白い光が爆発するようにはじけて、目の前が真っ白になります。


「あ……」


 少しして、戻った視界に映ったのは、いつもと変わらぬ地形の広場。しかしながら、先ほどまで立って、声も発していた人々が倒れ伏している、無残な光景でした。


「ふむ、思ったよりも多いな」


 そして、流星の着弾地点、広場の中心には、新たな人影。それは、まるで王族のように荘厳なマントと、青い宝石と銀細工のあしらわれた、装飾過多な王冠を身につけ、真っ白な髭を広く長く蓄えたなにか。


 もはや、人影と言っていいのかも分からないほど巨大で、不気味に青白い光を放つそれは、明らかな異物でありながらも、人の言葉を発していました。

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