第7話 青空法廷 3

 さて、ここで、青空法廷に集った面々の関係をお浚(おさら)いして置こうかと~。


 奥まったベンチに居る小浜哲司と桜庭洋子は長きに渡り不倫関係である。

 そのきっかけは既に述べて置いたが、要するに、医師と患者の間柄が深まってそう云う事に成って仕舞った。


 その小浜哲司は半ば無理やりではあったが、舞の母、上田綾と永和の家で一夜を共にしていた。


 その上田綾は娘の愛のペンフレンドである橋本邦と幾度となく睦逢っていた。


 上田愛は舞を襲った加害者の一人、佐々木隆の部屋に出入りしていた過去が在る。

 その経緯は複雑だが、互の間に諍いがあり、既に二人の関係は潰えて居た。


 手前のベンチの吉住アツ美は、上田綾の夫であり愛と舞の父親である上田徹と廃工場で人目を憚る関係に成って居た。もとを正せば、上田徹が舞を襲った吉住広志への見せしめとして宮たちとアツ美を強姦した事に遡る。

 彼女の真意の程は既に語り終えている。


 アツ美の横で肩を並べている溝口恵子は、上田愛の幼なじみの金本とつい先ごろホルモン屋金ちゃんの座敷で長年の思いを叶えて居た。

 溝口恵子は先ほど金本に口止めしていたが、舞と同じく鉄たちに暴行されていた。  その場所は体育倉庫ではなく、使われなくなった体育館裏の技術家庭の教室であった。


 と、まぁ、縷々(るる)と述べて見ると、やはり、この青空法廷の場に役者が一人欠けて居る事に気付いてしまう。

 事の流れから思いやると上田徹がこの場に居ても可笑しくはない。

 尤も、彼は別の手段で既に舞の為に報復を企て、半ばそれを終えていた。

 


 上田徹は青空法廷なる者がこの日、この場所で行われる事を予見していた。

それを探る為に永和の家に赴いたのである。なるほど、壁に掛けられたカレンダーには赤丸印が有り、綾たちの目を盗んで棚に無造作に上げられていた模造紙にはF中のグランドの見取り図が描かれて在った。ここに至っても徹は確信を持てては居なっかった。

 そこで、宮の手下をいつもより早い時刻に永和の家に行かせ、永和の家の動向を探らせたのである。

 永和に居た家族が揃って家を出たとなると、間もなく、F中での青空法廷が実行されるに違いない徹は考えた。

 愛娘に関わることである。父親として見過ごす事は出来ないで有ろう。



 この青空法廷が始まって間もなくである。

 スタンドの見晴らしが良い場所にいた郡が頻りに目をやっていた車が一台、グランド脇の道路に、恐らくハイヤーで有ろう。


 その後部座席を覗えばイヤホンを耳にした上田徹が居るでは無いか。

 宮から連絡を受けこの場に来ていたのだ。


 この日の早朝の事で有る。

 当たりを付けた徹は、宮に指図して藤棚のテーブルの裏側に盗聴器を仕掛けさせていた。宮にしてみればお安い御用である。

 従って徹は、概ねこれまでの青空法廷の状況を把握して居たに違いない。



 俄かにそのハイヤーが動き出し、N中の裏門、グランドの出入り口で止まった。


 ドアが開くと、上田徹が降りて来て、ゆっくりと確かな足どりで藤棚に向かって歩き出した。


 透かさず、郡の手下が彼の行く手を阻んだ。


「済んまへんな、あっちの方はちょっと立て込んでて、この先へ通す事は出けへんのですわ」

「その無線機で、上田徹が来たと伝えて貰えないかな」

「そう言われてもな」


『誰や?』


とは、無線機からの郡の声である。


『へぇ、上田・・・』


「上田徹だ。僕の家族が来ているだろう」


『小浜さん。聞こえてましたか。舞ちゃんの親父さんが~』

『はい、ちょっと、待っててください』


「綾さん、徹さんが~」


 綾にも無線機のやり取りが微かでは有ったが聞き取れていた。


「構いません。通してあげて下さい」


『郡さん、大丈夫です。徹さんをこちらに~』



  徹は藤棚の手前で立ち止まった。

 この場に居揃った面々を一通り眺めまわすと、


「哲司くん、この場の一部始終は聞かせて貰ったよ、これでね」

徹は耳から外したイヤホンを翳して見せた。


「それで、この茶番はここまでにしてくれないか?」


 「と言われても、実はこれからが本番なんです。金本くん!」

「はい」


 手はず通りなのか、金本は席を蹴って舞の姿を覆っているカーテンの下に向かうや、そのカーテンを取り払った。


 誰もがその行動に目を見張って居る。


 そこには首を垂れ、もじもじと何やら口もとを動かしている舞が居た。


「♩~♪、げたか~くし、ちゅうれんぼう♩~♪、う~らのい~えのね~ずみが♩~♪、ぞうりをくわえて♩~♪、チュッチュクチュ~・・・」


 舞は幼い頃の遊び唄を口ずさんでいる。


 哲司の目が煌めいた。

 舞の行動を予測して居たのであるろうか。

 舞は完全に子供返りの状態に陥って居るのだ。


 上田家の人々とそれに加えて小浜哲司には見覚えのある光景だが、他の面々には初めてのことである。目を皿の様にして凝視している。


 歌を口ずさみながら舞は席を立ち、幼子の仕草そのもの、体を左右に揺すりながら加害者達の下へと近付き始めた。


「あれっ!外国の兵隊さんが居る~。何でやろ?」


 綾は舞の言葉の裏に秘められて居る事に気付いたようだ。。


『子供返りした舞の記憶にマイの記憶が重なって居るのかも知れない。このままにして置けば大変な事に成るかも~』


 綾はこの場で一番信頼している郡を見やった。

 郡は徹が現れた頃に、さり気なく藤棚の傍に来ていた。

 郡は綾の不安そうな眼差しを見て取るや、そ~と、忍び足で舞に近づき始めた。


 誰もが不安げにその光景に飲み込まれていた。


「この人も、この人も、この人も~」


 と、加害者の近くをうろついてい居る内に舞の形相が急変した。

 加害者の三人は金縛りに掛かったかのように身動き一つ出来ないで居る。

 何らかの力が働いて居るのでは無いだろうか。


 眼を吊り上げ唇に怪しげな笑みを浮かべた舞は、ポシェットから何やらを取り出した。

 その煌(きら)めきを目にした綾は、咄嗟に、舞の夢物語を思い出した。

 舞は夢の中で中川鉄男を背中を刺していた。

 まさに、その光景が現実に成ろうとした居るのだ。

 夢の中では傷跡が出来ただけで、血しぶきが迸(ほとばし)る事はなかったが、現実となるとそうは行かない筈だ。


 夢の中での様に舞は中川鉄男の背後へと~。

 両手で固く握られた果物ナイフが中川鉄男の背中に向けられている。


 ここまで来れば誰もが現状を把握した。


 迂闊に舞に近づけば、その刃先が何処に向かうか分からない。


 郡が舞の後ろに迫って居た。

 彼は上着を脱ぎ二つ折りにして両手で構えながら、じりじりと舞に近づいて居る。恐らく、その上着で舞の手首を覆いつつナイフを取り上げる、若しくは、払い退けるつもりなのだろう。


 舞が身体を前に押し出し、ナイフの刃先が中川鉄男の背中真直に迫った時、郡が舞の手先を捕らえナイフを取り上げた。


 舞は邪魔をされたことに怒りを覚えて、意味の分からない言葉を張り上げながら郡を撥ね付けようとしたが、敵う相手ではない。

 徹も加わり舞の動きを封じた。


「舞、もう良いから、やめなさい!」


 舞は取り押えられても抗い続けていたが、次第にその力は衰えて行きつつあった。


 力尽きた舞は徹の腕の中に抱えらえていた。


 哲司が徹に声を掛けた。


「徹さん、あっちへ~」


 哲司が指差したのはスタンドに一角に敷いて在った毛布である。

 こんな事も有ろうかと予め用意をして置いたのだ。


 舞を寝かし付けると、哲司と彼がこの場に伴わせた看護婦が治療にあたった。

 鎮静剤であろうか、哲司が舞の腕に注射をして居る。

 既に舞は生気を失いぐったりとしていた。


 誰もがその様子を不安げに見つめている中で、加害者の三人は事の成り行きに覚束ないで居た。

 まるで、悪夢に襲われ、やっとの思いで目を覚ましたような表情を浮かべている。



 綾と愛は寝かし付けられた舞の下へと向かった。


 徹は舞が落ち着いたのを見届けると、哲司を促して共に舞の下から距離を置いた。


「これで、舞の状態が良くなるとでも考えているのか?」

「結果はすぐには分からないでしょう。この先の様子を見なければね」

「幾ら舞の為とは云え、こんな危ない真似をするとはな。まぁ、良いだろう。舞は僕が連れて帰る。後の事は君たちで勝手にすれば良い」

「車でですか?」

「そうだ」

「なら、看護婦も付き添わせます。良いでしょう」

「うん」


 この場に乗り付けたハイヤーに、舞、綾、徹、そして、看護婦が乗り込みグランドを後にした。


 哲司には青空法廷に幕を下ろす役目が残って居た。


 慌ただし場面が繰り広げられた場に、落ち着きが戻ってきた。

 残された誰もが元居た場所に着いて居る。


 

 哲司が加害者を見つめながら、


「舞さんの病状は見た通りです。このような事は、今までに何度も繰り返されていました。健全な女子をあれまでにさせたのは君たちです。若気の至り等と云う言葉で逃げる事は出来ない筈です。当の舞さんはこの場から居なくなりましたが、あらためて、彼女に言って置きたい事が有れば、順に話して下さい。必ず、彼女に伝えますから~。

 では、吉住くんから」


 居残った面々の視線が吉住広志に注がれた。

 郡とその手下は藤棚から離れ、何やら話をしている。

 青空法廷も終盤に差し掛かり、彼らの役割は概ね終えたと言える。



「上田さんがあそこまで成るとは思って居ませんでした。僕たちはとんでもない事をしてしまいました。僕はここでの事を忘れずに、上田さんが望んだとおり、彼女に犯した罪を抱えながらこの先を生きて行きます。

 それから、溝口恵子さんにも謝らせて貰います。ごめんなさい」


 恵子は突然の広志の謝罪に戸惑いを覚えたが、舞がこの場で取った行動に胸の閊(つか)えを些か和らげられて居たのか、その眼差しに込められた怒りは幾分抑えられているようである。


 思い起こせば、恵子も加害者達に一矢報いたいと刃物を隠し持っていた時がある。結局、それを使う事はなかったが、思いの丈は舞と同じであったのであろう。


 恵子と並んでベンチに座って居た金本は柄にもなく彼女の肩に手を回し、指先でポンポンと~。

 彼の脳裏には、股間から血を滲ませ救急車で運ばれた恵子の痛々しい姿が浮んでいるのかも知れない。


 愛とてその場に居合わせていた。

 恵子がアーケード街で、胸の内で燻ぶっていた思いをぶちまけた日を忘れては居ないだろう。

 いつの頃からか親しみを感じて居た恵子を労りの眼で見つめている。



 広志がベンチに座ると、哲司の目は佐々木隆に向けられた。

 隆も又、先ほど迄の騒ぎのせいか、当初とは打って変わって神妙な面持ちで居た。


「正直、上田があんな風に有るとは思ってなかった。事件の日からずっとなんですか?」

「直後の事は僕にも分からないが、鬱状態がしばらく続いていたらしい。かと思うと、急に清々しい笑顔を見せたりで、情緒が不安定だったようだ。

 幾らか落ち着きを取り戻した頃に、そこに居る中川君が現れてからだろう、プレイバックや子供返りが頻繁になったのは」


「そうだったんですか。それには僕にも責任が有ります。鉄に要らぬ入れ智慧をしてしまいました。そんでも、さっきの上田にはビックリです。・・・上田は元通りになれるんですか?」

「現時点では何とも言えないが、胸の中に押し留めていたあらゆる感情をこの場に吐き出したようなので、幾分良い方向に向かうかと僕は考えているがね」

「そ、そうですよね。いつまでもあのままだとまと、まともには生きて行けないでしょうから~」


 先ほどらい口を噤んで居た愛が隆を睨みつけて、


「随分と他人事の様に喋ってるけど、元はと言えば、隆!あんたらのせいなんやで!」

「分ってるがな、そやから、少年院でもどこでも行くて言うてるやろ」

「へらず口を叩いて、ちっとも分って無いやん。恵子ちゃんの事もそうや。あんたらがしたことは女の子を、血の通った人間を玩具にして、それこそ、その人生を滅茶苦茶にしてしまう事なんやで」


「そうや」


と言って立ち上がったのは溝口恵子である。

金本が恵子の袖を掴み止めようしたが、恵子の口からはいつもの毒説が後を絶たなかった。


「人を襲った挙句、その弱みに付け込んで言いなりにさせるなんて、漢(おとこ)の風上に置けんだらしないやつらやな。ええか、ホンマやったらとっくにあんたらのチンチンをちょん切ってたんやで、うちがな。今頃は奈良漬けの樽の中でしょぼくれてたんやで。ちょっとは想像してみ。幸いにして、撓(しな)れたチンチンと同居してた奈良漬けを喰わんで済んだけど~」


「恵子、あんまりや。場所を考えんと~」

「そやけど、ここが何とかの渡しやろ、言い残して置いたら末代までの恥になる」

「恵子ちゃん、隆にはなんぼ言うても通じへん。それくらいにしとき」

「そやかて、愛お嬢さん。舞ちゃんの分もかましとかな、こいつらには!」


おや、今度はアツ美が打って出た。弟の広志を思いやっての事だろう。


「恵子さん。鉄や隆は別にして、うちの広志を一緒にせんとってんか。この子はそれなりに報いは受けたんやで。あんたは聞いて無いやろうけど、ノイローゼみたいになって、その上、言葉もあんじょう(しっかり)喋れん様になったんやで」


「えっ!ホンマなんや、隆?」

「うん、なんぼかな」


 揚げ足を取られた格好になった恵子はそこで口を噤(つぐ)んだ。



 場は青空法廷、第二幕の様相を呈して来て居る。


 ここで、成り行きを真剣な眼差しで捉え続けて来た元担任の大橋が口を挟んだ。


「上田さん(とは上田愛のことである)、あなたが言ってた事は本当やったんやね」

「大橋先生~」

「大した事や無いと思って見逃してしまった私が一番悪かったのかも知れへんね。もう少し真剣に考えて居たら、こんな事にならんで済んでたかもね」

「そうかも知れへんし、そうでなかったかも」


と、愛が応えると、


「舞さん達の担任をしていた大橋先生ですよね。僕は愛さん姉妹の叔父で、舞さんの主治医の小浜哲司です」

「はい」

「確か、上田綾さんから、この場はお別れ会と聞かせれていたでしょ」

「はい、私はてっきりそうだと思い込んで居ました」

「申し訳ありませんでした。実は、この様な場を提案したのは僕です。上田舞さん、それに加害者の子たちに良かれと思い実行に至りました。未だ、その正否は明らかでは有りませんが、ご覧に成られていた通りの舞さんの行く末を考えての事でした。彼女はPTSDを患っていて、その病状は芳(かんば)しく有りません。

 どうか、そこの所を考慮して頂けたらと思います」


「ええ、それはもう~。さっきも言いましたが私に落ち度がないとは言い切れません。今日の事をとやかく取り上げる事はしないつもりです。飽くまで、この場はお別れ会と云う事で胸の内に収めたいと考えています。その上で、私に何かできる事が有れば行おうと思います」


「そんな風に言って頂けると気が休まります。

では、中川くん。君が言い残して置きたい事が有れば、どうぞ」


中川鉄男はベンチに座ったまま、


「別に有りません。それより、もう、良いでしょ。僕は早く桜庭さんから~」


 鉄男に視線を向けられた桜庭は哲司に頷いて見せた。

 青空法廷を閉めるべき時だと促している。


「そうですか。誰もが語り終えたようですし、これで終わりにしましょう。金本君、後片付けは僕も手伝いますから。そして、郡さん。今日はありがとうございました。後日、反省会の様な機会を持ちますので、連絡したいと思って居ます。

 ところで、怪我は無かったですか?」

「別に、上着が少し~、どうって事有りませんから」

「では、そっちの方は桜庭さんにお任せします」


 そっちとは中川鉄男と佐々木隆の事で有る。

 桜庭は彼らを伴い場を移した。



「中川君にはこれね」

「確かめて見ても」

「構わないわ。どうぞ、じっくりって言ってもね~」


 中川鉄男は封筒の中からネガを取り出し確認しようとしたが、それらしき物としか判別できなかった。多分、間違いないは無いだろとネガを仕舞い、隆を見やった。


 隆は桜庭からA4クラスの封筒を受け取っていた。


「この中に、こまごまとした事を書き留めて有ります。あなたでも分かるようにして置きました。立場上、私が出来るのはここまでです。後、知り合いの弁護士の名刺を入れて置きました。今後の事はその人を頼って下さい。既に、連絡はして有ります。何か他に質問は?」

「中を見てからでないと」

「そうよね。それなりの事情が無い限り、無暗に賃貸者を追い出す事は出来ません。追い出すにしてもそれなりの金額を支払わなくてはなりません。分かって?」

「はい」

「全てが、一日も早く片付けば良いんだけどね。そうそう、あなたたち、油断は出来なくてよ。上田さんの怒りが収まった訳じゃないんだから。最悪の事も考えておいてね」

「えっ!それって、訴えられるって事でしか」

「他に何か考えられる。それだけの事をしたんだから、ある意味、当然じゃ無くて~」


 桜庭にそう言い含められて二人はグランドを去って行った。


 後片付けが終わると、桜庭は上田愛、吉住アツ美、それに、溝口恵子を呼び集めたた。


「どう、これから、女子だけで反省会を持たない。夕食を兼ねてね」


 一同、二つ返事で了解した。

 場所はホルモン屋金ちゃんと決まったようだ。

 恐らく、そこでは男たちに対する不平不満が後を絶たず飛び交う事だろう。


 







 

 

 

 

 


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