第5話 青空法廷 1
先にも述べて置いたが青空法廷は既存の裁判と内容を異にしている。
この場に於いては被害者と加害者が思う所を余す事なく打ち明けるだけで、その罪を裁く事はない。飽くまで、舞の病状の回復を願っての事で有る。加えて、加害者達に自らの行為の程を知らしめる為でもあった。
提案者である小浜哲司でさえその成り行きを計り知れないで居る。
この場所、つまり、N中のグランドの片隅に設けられていた藤棚を選んだのには哲司なりの思惑が有った。
その対角線上には舞が襲われた体育倉庫が見えている。
誰しもに臨場感が否応なしに迫ってくるに間違いない。
順を追ってそれぞれのこの日の行動を追って見ようと思う。
先ずは、永和の家の様子を。
朝から綾と愛は忙しく立ち振る舞っていた。
「母さん、忘れ物はない?」
「大丈夫やと思うけど~」
「それにしても大層な荷物になったね」
「かさばる物は私と舞がタクシーで持って行くから」
「現場で金もっちゃんが待ってるから、母さんたちは先に行ってね」
「それはそうと、表を見て来てくれる。又、変な人が居るかも知れへんから」
「朝からそれは無いと思うけど、一応、確かめてくる」
「舞は?」
「手紙を読み返してる」
愛が玄関を出て通りを見渡すと、やはり、宮の手下らしき人影がチラついた。
『こんな時間から姿を見せるなんて、父さんから連絡が行ったんだ。カレンダーの赤丸印がまずかったかな』
「母さん、母さんってば~」
「ごめん。どうやった?」
「もう、来てる。父さんが手を回したんやと思うけど~」
「なら、こうしましょう。同時に家を出れば、それに、タクシーと自転車だと後を追う事も出来ないでしょ」
「もし、呼び止められたら?」
「気負う事もないし、ジタバタしても始まらんやろ。後は、成り行きに任せるだけ」
「母さん、なんか太っ腹!」
「ん~ん。まぁ、いざと成ったらね」
この辺で青空法廷が執り行われるN中のグランドの概要を述べて置くことにする。
上手く伝えられるか些か不安では有るが~。
まず、正方形のグランドを想像して貰いたい。
手前角に入口があり、道路を挟んでN中の裏門が控えている。
入口から右奥に舞が襲われた体育倉庫が有り。その向こうには騒音が鳴りやまない工場がある。
対面の奥にはバックネットが有り、左奥には藤棚が設けて在る。
バックネットから藤棚の辺りに掛けてコンクリート造りのスタンド設置された居る。
今、金本と郡に呼び出された河合勉が、関係者以外が藤棚に近づかない為の囲い作りをしている所である。必要な物は佐藤組の建設部から郡が調達して来て居た。
郡が藤棚にいる小浜哲司に声を掛けた。
「小浜さ~ん。なんか喋って下さい」
「*********」
「勉、その辺から四方に縄張りを拵えるんや」
「了解です。金本君、このロープを引っ張って来てくれる?」
「何処までですか?」
「僕に付いて来ればいい」
勉は三十メートルほど進み、その地点に金杭を打ち立てた。
藤棚を大きく囲むようにロープを張り巡らせると、キープアウトの態勢が整う事と成る。
そうこうしている内に綾と舞がタクシーで現場に乗り付けた。
血相を変えて駆け寄って来たのは溝口恵子である。
「おばさん、遅い!体育倉庫の鍵!」
「ごめんなさい。なら、舞とこの荷物を持って行って、私は職員室に向かうから」
「あれっ、愛お嬢様は?」
「あの子は自転車で来る」
「何でまた?」
舞が応えた。
「追手の眼を紛らわせるって張り切ってたな」
「それは一大事。普段やり慣れて無いことをして怪我でもしたら大変や!」
「恵子!」
「なに?」
「あぁ見えて、愛ちゃんの脚力は大したもんやで。きっと、その追ってとやらは汗だくに成って走り回ってるやろ」
「いい気味ってとこ?」
「うん。間違いない。なまじっかバスケをしてるんや無いからな」
「ふ~ん。意外なとこも有るんやな~」
さて、外堀ならぬ外囲いを終えた面々は体育倉庫で綾を待っていた。
「お待たせ。金本君、鍵を」
金本が体育倉庫の扉を開けると、勉を除いた誰もの顔に緊張が現れた。
『ここで舞が襲われたんや』
『舞ちゃんはここで~』
『辛かったやろな』
「皆さん、どないしたんですか?」
と、勉が尋ねると、
気を取り直した金本が、
「恵子、椅子はなんぼて書いて有る?」
「五六っ個てことやから、七つ持って行けば足りるやろ」
「ほな、女の人は藤棚にもどって、僕と河合さんで運ぶから~」
「金ちゃん、あれがネコて言うんや」
「そうや」
ほぼ下準備が終わり、後は、舞の為のプライベートゾーンを拵えるだけと成った。
藤棚の一角をカーテンで仕切るのだ。
こうすれば、舞は直接加害者の顔を見ないで済む。
愛は既に到着していて、お別れ会を装おう支度にかかっていた。
遠くからの視線を紛らわせる為である。
「叔父さんも手伝って、洋子さんも~」
「えっ、何をすれば?」
「風船を膨らませて下さい」
「僕たちが?」
「今は手が空いているでしょ」
「哲司さん、風船を膨らますって何年ぶり?」
「もう、忘れたよ。この年で風船か。愛ちゃんには敵わないな」
「叔父さん、洋子さん、無駄口はよして口を膨らませてね」
「は~い」
「恵子ちゃんは私とこの紐に洗濯ばさみで風船を挟むの」
「はい、がってんだ」
さて、昼近くになった。
河合勉は吉住アツ美とその弟で有り、加害者の一人である広志を軽トラックで迎えに行っていた。
吉住ベーカリーの厨房の一角ではアツ美と広志がサンドイッチを作って居た。
「広志、そんなに押し付けたらパンがぺしゃんこに成って仕舞うやろ」
「そうかて、上手くでけへん」
「ええか、包丁で軽く切り込んで、手の甲を返して四本指でチョキを作ってパンを押さえるの?」
「姉ちゃん、上手やな」
「感心してる場合や無いやろ、急がないと~」
「アツ美、若い子が尋ねて来たけど、どうする?」
「えっ、もう、来たんや。入って貰って」
「厨房にか?」
「うん」
「お邪魔します。郡のにいさんから頼まれて~」
「はい、聞いてます。後、ラップ掛けをすれば何とか~」
「手伝いましょうか?」
「じゃ、お願いしようかな。私が切り分けるから、広志と一緒に。広志、挨拶は?」
「こんにちは。よろしく~」
「こちらこそ。僕は河合勉です。手っ取り早く片付けてしまいましょう」
「うん」
『郡さんの知り合いて聞いてたから、どんな人かと思たら案外、好青年』
「アツ美さん、手が止まってますよ」
「あっ、ごめんなさい」
徹は会社に居て、電話での宮の報告を聞いて居た。
「十一時頃、奥さんとお嬢さんたちが家を出ました。うちのもんが愛お嬢さんの後を付けたんですが、なにせ、お嬢さんは自転車でっから追っかけるのにてんてこ舞いで、結局は見失ってしまったそうです」
「行く場所は分かって居ると言ったじゃないか」
「あれっ、そうでしたっけ」
「まぁいい。後はもう良いから」
「上田はんはどうするんで?」
「N中のグランドにこれから向かう。小浜くんたちのやることをこの目で確かめて来るつもりだ」
「わしらは?」
「今日の所は来ないで良いから」
「へい。そんなら気を付けて」
徹はアツ美から釘を刺されていた。
その日は少し遡る。
ピッコロで打ち合わせが有った日の事で有る。
アツ美はベーカリーに戻ると、例の如く看板の足にリボンを結わえ付けた。
徹への合図である。
廃工場で無理やりセックスを強要されて以来、アツ美は徹と会って居なかった。
徹がベーカリーに差し掛かると看板の足に結わい付けられたリボンが目に入った。
徹はいつもの様にそのリボンに結び目を付け加えた。
彼の心中は複雑であった。
思い返せば、廃工場から徹が呼び止めるの無視してアツ美は怒りを覚えながら出ていった。
その日から今まで、二人の関係は繕われていない。
取り敢えずと、徹は廃工場に向かった。
「待ちました?」
「そんなに~。もう、怒って居ないんだ?」
「あの日の事ですか?」
「うん。君には無茶な事ばかりしてしまったね」
「そうですよね。でも、考えませんでした?」
「何を?」
「普通、強姦された女性がその後でその相手に軽々しく身を任せはしないでしょう」
「言われて見れば、そうに違いないな」
「私には私なりの思惑が有りました。それを今ここでどうのこうのと言うつもりは有りません」
「なら、何故、僕に会おうとしたのかな?」
「まず、言って置きます。私は徹さんからあれ以上の事をされるのを避ける為に近づいたんです。言ってる意味は分かるでしょ」
徹は吉住広志への報復の為に、宮の手下を使いアツ美を襲い、ベーカリーを廃業に落とし込む為に嫌がらせをした。その他に店の品物に異物を紛れ込ますことも考えていたが、アツ美が徹と改めて関係を持ったのでそれは実行されずに至って居る。アツ美はそれら事を言って居るのだ。
「うん、それで~」
「もうすぐ、小浜さんの計画が実行されます。徹さんも凡その事は知って居るでしょ?」
「あぁ」
「その邪魔をしないで下さい。今、広志は順調に回復へと向かっています。確かな事は言えませんが、小浜さんの計画が上手く行けばより広志の症状は良くなると思います。だから、邪魔はしないで下さい」
「僕が君の言いなりなるとでも?」
「えぇ。でも、こう言えばどうですか。忘れて居ませんよね、私に宛てた手紙のことを」
「あぁ、そんな物も有ったな」
「徹さんが私の邪魔をしたら、あの手紙と写真をあなたの家族に見せます。きっと驚くだけでは済まないでしょう。立派な犯罪なんですから」
「僕は目には目を実行したまでだ。君も忘れては居ないだろうな、弟たちが僕の娘を襲った事を」
「ええ、でも、その事は完璧では無いけどある程度は良い方向に向かう筈です。計画が成功すればですけど」
「もう、良い。君たちは君たちで勝手にやればいい。僕は君の指図に従うつもりはない。報復を始めた時から僕なりの覚悟は出来て居たのだから。それは今も変わりはない」
「分かりました。私が伝えたかった事は全部話しました。これでって事で~」
アツ美は見慣れた廃工場の一室、色んな出来事が展開したこの部屋に二度と足を踏み入れるつもりは無いようだ。
彼女はその決意をしながら立ち上がった。
徹はアツ美を引き留めたかった。
だが、あの日の事がある。無理やりには出来ない。
想いを言葉で繋ぐしか無かった。
「アツ美はそれで良いんだ?」
アツ美は歩きかけた足を留めた。
「良いも何も、これって変でしょう。恐らく、愛さんも気付いて居る筈です」
「愛が?」
「知って居て聞き出せずに居るのだと思いますよ。だって、そうでしょう。父親が自分と変わらない年齢の女性と・・・、どう切り出せると言うんです」
「・・・」
「あぁ、私が愛さんに打ち明けたんじゃ有りませんから。お分かりに成りません」
「何が?」
「徹さんも気付いて居たでしょう、私の身体に染み着いたベーカリーの匂い。ここしばらくは愛さんと二人暮らしだってでしょ。日毎、夜事、父親に染み着いた匂いを感じ取らない筈がないでしょう。男の人はそこら辺が鈍感なんだから~」
成る程、アツ美の言う通りである。
だが、徹は気付いて居なかった。アツ美がワザとその匂いを徹の衣服に染み込ませていた事を。
アツ美はそこまで言うと、そそくさと部屋を後にした。
徹は頭を悩ませていた。
愛にそんな素振りはなかった。だが、アツ美が放った言葉には頷ける。迂闊と言えばそれまでだが、やはり、徹は何かしらの手を打つべきだった。
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