シャーナイが生まれた俳句甲子園
本題に入る前に思ったことを書きます。あ、タイトルちょうど十七音になった。
この週末、半分は観客として楽しむために、もう半分は編集メンバーとしての記録を取るために俳句甲子園を見に行った。編集部には私と同い年、いわゆる同期が二人いるけれど、私だけ大会に出たことがない、というか編集部全体がほぼ全員経験者。私が入ることを快諾してくれたいい所だけど、時々話についていけなくなる。もちろん俳句そのものは大好きだし、同じ学校(当時のルール上、今は連合チームもできる)で人を集められるなら出場したかった。それでも、一人でコンクールに出し続ける生活も楽しかったことは否定しない。今は地元民というアドバンテージひとつでやる気を保っているかもしれない。
その私、出かける前の夜には泣きながらアルバイト先に電話していた。紛らわしい話だけど、よく話を聞いてくれるアルバイトの人が電話を繋いでくれて、その携帯のまま店長と話した。大事な話だから怖かっただけで、店長も優しいことは知っている。私の中には、同時期に入った年下の人への劣等感があった。接客も、気づいたらするような仕事も全部うまくこなしている。アルバイトを掛け持ちするほど要領がいいって知っていたのに、その姿を見るのがつらくなっていた。どこで高いプライドを発揮しているんだ私は。
「経験値の違いはあるし」
そう店長は言う。別に人としての優劣じゃないってことに、疲弊した私はまだ気づけなかった。
私は勝手に、俳句甲子園のことを「エンカフェスティバル」と呼んでいた。「エンカ」とはインターネット上の知り合いと実際に会うこと。編集部の同期とは真っ先に会った。その子の友達はマクドでの食事に誘ってくれたし、去年声を書けた推し(現代的な表現だよね)の選手は私に気づいてくれた。推しの選手はかわいくて、ディベート(俳句甲子園の競技の一環)もうまい。二年生で、去年はフレッシュゆえの強さ、今年は俳句甲子園に染まった強さがあった。途中で負けてしまうけれど、それまではできたばかりの友達と祈りながら応援していた。
短歌も同時に趣味とする人にも、俳句甲子園ではある程度会える。一人暮らしをしていた町の歌会で会った同い年の男の子、高校時代にコンクールの講評会で会った現役の選手、二人と見た熱戦では四連覇している学校が敗れた。
マクドで食事をしたメンバーで決勝戦を見た。私は「この俳句なんかいい」しか言えないのに、みんな「季語の本意」とか言う。経験者って強いな。少しずつ心がほどけて、編集部でも重くない仕事ばかりの私に納得した。最近『インサイド・ヘッド2』を見たからこの表現になるけれど、私の中に「シャーナイ」の感情が生まれた。地元の方言の「しょうがない」、いい言葉だ。優勝が決まった瞬間の興奮も好きだったけれど、負けた学校も「戦えてよかった」という言葉を発していた。
未経験の私に優しく教えてくれる編集部、そしてアルバイト先に感謝して、少しずつその色に染まっていこうと思う。俳句甲子園が地元にあってよかった。
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