第11話

人は恋に落ちれば変わるもので、それが運命の相手だったなら尚の事だ。


街に出れば、真緒に似た女性を探してしまうし、彼女に似合いそうなもの、彼女が喜びそうなものをいつでも知りたくてしょうがない。


返信が遅いのを承知でメッセージを送っては、まだかまだかとスマホを確かめてしまう。


当然真緒と甘ったるいやり取りなんてしたことはないので、どれだけメッセージアプリを確かめても、出て来るのは、過去のしょっぱい業務連絡のみである。


例えばこんな感じ。


”明日の親族会、開始時間が変更になりました。14→15時”


”迎えの時間を1時間送らせる”


”分かりました。事前打ち合わせは必要ですか?”


”必要ない。鹿島の大叔母は術後の経過が芳しくないらしいから、挨拶回りの時に見舞いを”


”分かりました。リラックス系のアロマを手配しておきます”


”頼む。茶会の返事は欠席で出しておいたから、適当な言い訳も”


”2回前に使った地方視察を理由にします”


”分かった”


これが西園寺夫妻のデフォルトだったし、これはこれで楽でいいと思っていた。


自分が不在の時間、新居で彼女がどんな風に過ごしていようが興味が無い。


当然のことながら、お互いの私室に足を踏み入れたこともない。


龍詠が自宅に戻る時間には真緒は部屋に籠っていたし、リビングで一緒にお茶をしたこともないのだ。


普通の新婚家庭を装うために、リビングには大きめのL字ソファーを置いて、最新の大型テレビを設置した。


夫婦の思い出を飾るにふさわしいキャビネットだって用意したし、食器だって揃えた。


けれど、どれも普通の夫婦を装うための演出の一部なのだ。


来客を招く予定もなかったが、親族の襲撃だけはどうしようもない。


緊急事態にも、きちんと対処できるように体面だけは整えて来た。


けれど、中身は空っぽだ。


他人行儀な距離感で、必要以上に踏み込まないように、踏み込ませないように、距離を取って来た。


だから、最低限の情報共有以外、何も知らない。


生身の西園寺真緒を、龍詠は一つも知らないのだ。


いまは、それがどうしようもなく悔しい。


何でもいいから真緒のことを知りたい。


今朝起きて最初にしたことは何で、朝は何を飲むのか。


朝食を抜く事が多い彼女のモーニングルーティンすら、龍詠は知らない。


どんな洋服が好きで、休日は何をして過ごしているのか。


”明日何してる?”


こんな風に妻に問いかけるのは、やっぱり異常だろうか。


どうせどこかで頭をぶつけて、気が触れたと思われているのだから、多少異常でも構わないのだが、嫌われるのだけは困る。


だってまだ何も始まっていない。


「返信なら、さっさとしてください。スマホの充電が無くなりますよ」


「返信じゃねぇ」


「じゃあ、さっさと連絡してください」


「それが出来なくて困ってんだろ・・・分かれよ」


「分かりたくありませんよ。あなた、男子中学生ですか?好きな子にメッセージくらい5秒もあれば送れるでしょう?」


「ちゅ、ちゅうがく・・・!?」


まさかそこまで子供扱いされるとは。


愕然としながら打ち込んだ文字を睨みつける。


と、上から伸びて来た手にスマホを取られた。


「あ、おい、返せ」


「まどろっこしいんで早くしてください。いいじゃないですか、シンプルな質問で。答えやすいでしょう」


メッセージ画面を確かめた卜部が、迷うことなく送信をタップする。


「ちょ、待て、あーっ!!!!!」


「中学生日記は休日にどうぞ」


「うーらーべぇーーーーー!!!」


「こんな調子でどうするんです?真緒さんがあなたの気持ちに応えてくれたら、手をつなぐどころか子作りだってして貰わないと・・・」


「子作っ・・・・・・」


「・・・・・・・・・ああ、そうでしたね。あなたほんとに馬鹿みたいに一途でしたね・・・・・・事前にどっかで練習してから本番に挑んだほうがいいですよ。初夜でみっともないことになるの、嫌でしょう?」


適当な相手見繕いましょうか?と本気で心配してくる部下を睨みつける。


そういう未来は、この間からもう何千回も想像してきた。


が、こればっかりはその時にならないとどうしようもない。


男の沽券にかかわるし、トラウマになることもあるとか聞くので、出来るだけ失敗は避けたいが、相手が真緒だと思うだけでどうしようもなくなるのだ。


いざその時、自分が冷静で居られる自信が一ミクロンもない。


「練習ったって、ヤりようがねぇよ・・・」


だって妄想でも真緒じゃないと反応しないのだ。


一番そういうことに興味があった思春期は、おぼろげに覚えている彼女の輪郭や声を頼りに成長した女の子を想像してアレコレしてきた。


そして、現実で大人になった彼女と再会した今は、当然毎晩のおかずは言わずもがなである。


デスクに突っ伏した龍詠の手にスマホを戻しながら卜部が呆れた声を上げる。


「だから、相手を用意するんですよ。真緒さんの髪の毛が1本あれば、幻術くらい作れるでしょう。相手が彼女だと思ったら、抱けるのでは?」


「陰陽師の専売特許じゃねぇか」


「そうですよ。耐性がある龍詠さんでも、ベテラン2人がかりでやってもらったらどうにかなるでしょう。妄想と現実は、違いますよ」


確かに幻術にかけられて、真緒だと思っている生身の女性と抱き合うのは気持ちがいいのだろう。


確実に知らない世界の扉が開けるとも思う。


思う、けれど。


「・・・・・・知らんでいいわ」


幻想で誰かの肌に触れたいとは思わない。


終わった後で後悔するのも目に見えている。


どうしたって本物でないとだめなのだ。


馬鹿みたいに真っすぐに向かうこの気持ちを、自分ではどうしようもない。


「・・・分かりました。ああ、それと、指示されていた逆さ十字の刺青タトゥーの件ですが」


「お、なんか分かった?」


「最近大陸から流れて来たロシア系マフィアのようですね。オメガの人身売買と、違法抑制剤の売買を行っている組織のようです。まだウチは絡んでいないようですが、境界担当の碓井にこのまま探らせますか?」


「このまま調べてくれ。絶対関わらせたくない」


悪夢のようなあの出来事を無かった事にする為には、欠片の不安も無視できない。


既読マークすらつかないスマホ画面を見つめながら返せば、卜部が分かりましたと言って離れて行った。

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