第9話

『真緒ちゃん。これを読んでみてごらん。上手に出来るかしら?』


手遊びの延長のように、渡された護符の文字を読み上げたら、込められていた術が発動して目の前に鬼火が飛び出したことが、始まりだった。


それも、一つではない。


複数の鬼火を腕に巻き付けて無邪気に笑ったというから、祖母と両親の驚きは想像するに難くない。


すぐに幸徳井と勘解由小路の怖い顔の大人たちが真緒の査定にやって来て、その日のうちに両親は傍系のなかでも断トツの格を手に入れたようだった。


『すごいわ。真緒ちゃん』


『この子は可能性の塊だよ母さん!』


『那岐ちゃんがあんな事になってから、勘解由小路の力は弱くなる一方だったけれど、これでもう安泰ね。真緒は我が家の希望の光だわ』


それまではいつも肩身の狭い思いをしていた両親は、親族会に真緒を連れて笑顔で出席するようになり、祖母は何枚も新しい着物を誂えた。


出かける先々で能力の高さを褒められて、頼まれるまま覚えたての術を披露すれば褒められて、護符をしたためれば拝むように感謝された。


幼少期に強い力を持った子供の未来は二つに分かれる。


一つは、成長と共に安定した能力を保持したまま一流になる。


もう一つは、力が尽きて、ただの凡人に成り下がる。


死人になった初恋の女性を理を捻じ曲げて式神として使役するという大罪をおかしながらも、候補者がいないという理由だけで名目上の当主として名前を連ねているアウトローの最前線を突っ走る勘解由小路現当主の再来とまで呼ばれた真緒の未来が途切れたのは、10歳の夏休み。


お腹が痛くなって手洗いに立った直後、何も見えなくなった。


二次性徴が始まると同時に変化が起こるのはよくある事で、能力の減退も一時的なものだと信じていた祖母と両親の期待を裏切る形で、真緒の陰陽師としての生涯は幕を閉じた。


両親は昔のように居心地悪そうに親族会へ夫婦だけで出席するようになり、お気に入りの着物を何枚か手放した祖母は、小さい頃の真緒の写真を大切に飾ったまま病で亡くなった。


あんなに身近だった変異は別世界の出来事になって、代わりのように弟が才能を見出されて、幸徳井のもとに身を寄せてサラブレッドとなるべく教育を受けることになった。


全盛期の真緒ほどの能力こそなかったが、成長と共に身に着けた能力が評価されて、発足が決まった養成機関アカデミーの育成部門の教育担当者に任命されて、両親はようやく肩の荷が下りたようだった。


真緒はというと、欠片だけ残った変異察知能力を活かして、厄災の前兆となる歪みを研究する地象学の道に進み、どうにか一人で食べて行けるようになった。


これで、両親にも恥ずかしい思いをさせずに済む。


子供として最低限の役割は終わったな、とホッと胸をなで下ろして数年。


まさか、自分に結婚話(それも一族の代表として)が出てくるなんて。


真緒は業界的には終わった人で、お荷物である。


凡人として、陰陽師の残りカスを必死に生かして生計を立てているが、それは、傍系の血筋に生まれながら、全く能力が開花しなかった倉橋伊夜をはじめとした一部の人間と同じだ。


つまり、知識はあれど、守られるべき一般市民ということ。


年齢的にも売り出し中、と大声で言える二十代は通過してしまったし、女性としての魅力もイマイチと言わざるを得ない自分が、よりによって一族の代表として、西園寺に嫁ぐ。


これは、どう好意的にとっても素敵なお見合いではない。


だから、母親は連絡してきた時こう言った。


『あなたに結婚を持って来たのよ』


お見合い、とは一言も告げなかったのだ。


真緒に拒否権はない、と言外に告げられる前から覚悟していたことだが、いざ現実を目の当たりにすると、やっぱり何とも言えない虚無感に襲われた。


蝶よ花よともてはやされた幼少期と挫折を経て、残念な思春期に突入した少女の自己肯定感が高くなるわけもなく、当然素敵な恋なんて縁が無かった。


だから、結婚願望もなかったし、仕事さえあればと思ってた。


けれど、絶対結婚しない、と誓ったわけでは無い。


いつかどこかでご縁があれば、贅沢は言わないので、人並みの幸せな温かい家庭を築きたいな、なんて、甘い夢を抱いていたのに。


突きつけられたのは、夢も希望もない結婚。


表向きには友好的な態度を取っているが、西園寺と幸徳井の仲は消してよろしくない。


両家の間で過去に婚姻が無かったわけではないが、能力のある者同士の婚姻は毎回かなり揉めて来たという。


勘解由小路が満面の笑みで真緒を推したのは、真緒がすっからかんの出涸らしだからだ。


西園寺に大事な一族の娘を嫁がせたくなどないが、もうすでに使い物にならない凡人同然の娘ならば、対面も保てるし惜しくはない。


そんなところだろう。


古狸たちの卑しい顔が目に浮かぶようである。


『これはね、運命だと思うのよ。ほかに年齢の見合うお嬢さんはみんな嫁いだり、お相手がすでにいらっしゃるんですって!あなたが三十路になるまで独り身だったのは、きっとこのご縁をお受けする為だったのね。お母さん、やっと安心できるわぁ』


手放しでこの婚姻を祝福する母親を横目に、出涸らしの夫になる西園寺の気の毒な花婿はどなたかしらと、釣り書きを見れば、養成機関アカデミーの責任者として決起集会で紹介されているのを遠目に見た、西園寺龍詠だった。


一族の傍系だとは思っていたが、出涸らしを押し付けてもいいと判断される残念な人物ということだ。


お互いご愁傷様です。


残念な者同士、どうにか夫婦として頑張っていきましょうね?


こっそり胸の内で呟いた言葉は、顔合わせ当日前言撤回させられることになるのだが、その夫から毎日のように口説かれる日が訪れるなんて、それこそ天変地異の前触れとしか思えない。


知れば知るほど西園寺龍詠という男の謎が増えて行く。


少なくとも、真緒の知る龍詠は、職場で妻を口説くような男ではなかった。


ほんとにねぇ、どうしちゃったの、旦那様?

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