第7話

「食堂に行くなら、そう言って頂かないと」


方々探しましたよ、と戻るなりぼやいてきた卜部に片手を上げて詫びる。


「悪い悪い。けど、しょうがねぇだろ?此処は嫌だって言われたんだから」


「此処じゃなくて、龍詠さんが嫌なのでは?」


「うぐっ」


腹いせのように鋭いアッパーを食らわせて来た長年の部下の眼差しは、今日も冷ややかだ。


ここで怯んでいては手に入るものも手に入らない。


龍詠は負けじと反論を繰り出す。


「ちげぇわ。二人きりってことに抵抗があんだろ、まだ」


分かってはいるのだ。


龍詠が態度を改めたのはつい先日のことで、それまで西園寺夫妻は完璧な契約結婚だった。


いや、今もその名残は残念ながら残っているのだが、龍詠としてはこれはもう恋愛結婚というか、運命婚だと言い切りたい。


ロマンティック上等である。


目をつぶれば思い出すのは、帰宅した夜の妻の姿だ。


もう200回は巻き戻し再生した。


龍詠が帰ってこないと思っていたのだろう彼女は、湯上りのツヤツヤの肌を惜しげもなく晒して来た。


キャミソールの上に羽織っただけのパジャマと、ショートパンツはミントグリーンの水玉模様で、爪の先はビビットな赤で彩られていた。


ほんの数秒の間にくっきりはっきりと脳に焼き付けて、あれから何度も日焼け知らずの白い肌を舐め回すように堪能した龍詠である。


恋心を自覚してからこちら、忘れ果てていた生殖機能がフル稼働してくれるので、本当に毎晩お世話になっている。


真緒が龍詠の豹変を憑き物かなにかと勘違いして、ベテラン陰陽師に対処を頼んだりしないことを祈るばかりだ。


いま脳内をばらされたら、何もしないまま離婚調停がスタートする、間違いなく。


これでも必死に真緒と夫婦らしくなろうとしているのだ。


それなのに、片腕である卜部から向けられる視線も言葉もやっぱりしょっぱい。


「抵抗って・・・あなたがた、仮にもご夫婦ですよね?妻が夫と二人きりになるのに抵抗があるって、それこそ前代未聞じゃないですか。聞いた事ありませんよそんな夫婦」


「世の中にはいろんなカップルがいるんだよ!」


「世の中のカップルはもう少し仲が良いかと」


「うっせぇな!お前ほんっと腹減ってると辛口が超辛口になるよな!?飯食えよ!」


「あなたを探していたので食べてないんですよ」


「だから、悪かったって。休憩入ってすぐに迎えに行かないと、雲隠れされたら困・・・あ、いや」


「妻が雲隠れする事前提で、捕まえに行ったわけですか。なにが令和のおしどり夫婦だか・・・聞いてあきれる」


龍詠と真緒が結婚した当初、業界に未来が来たと上層部がはやしたてて、これぞまさしく世紀のビックカップルだと騒いだことがあった。


二人の婚礼直前に水面下で起こった業界を揺るがす分家の騒動のせいもあって、わざとらしい程に婚礼の話題がそこかしこで持ち出されてはお似合いだと囃し立てられた。


完全なイメージ操作である。


あの頃は鬱陶しい事この上ないと思っていたが、今となってはあの賞賛が恋しい。


今すぐ俺たちをお似合いだと言いふらして欲しい。


「言ってんのごく一部の連中だからな!?」


「早く二世が欲しくて堪らないご老人たちですよね」


「・・・そうだよ」


二世どころかキスもしていないので、未来は前途多難なのだが。


「わざわざ食堂のランチメニュー事前に調べて、真緒さんの好物の日に行くところに執念を感じますね」


「ほんっと悪意あるなおい」


「きみのおかげで眠れないって言えました?」


「・・・言えてない」


「言えばいいのに。あの日から朝も夜もずっと頭から離れないって」


「真緒が死ぬ未来を視て、戻って来たって?」


厭味ったらしく言い返せば、さすがに卜部が言い過ぎたと気づいたのか口を閉ざした。


饒舌で相手を落とし込む事が得意なこの男が、珍しく言葉に迷っている。


「・・・・・・」


「言えるかよ」


龍詠が態度を豹変させた理由を包み隠さず告げるとすれば、再び起こる惨事について避けては通れない。


腕の中で意識を失っていく彼女の血まみれの身体を抱きしめて、べっとりと血糊の張り付いた項をかき上げた瞬間を思い出すだけで苦しくなる。


指で触れた傷痕は、彼女が命をくれた証だ。


あの瞬間、西園寺龍詠は生まれた。


だから今度こそ、真緒のために生きて死にたい。


腕の中で冷たくなる彼女を見送ることだけは、絶対にさせない。


痩せっぽっちだった龍詠を抱きしめてくれたように、次は自分が真緒のことを守るのだ。


「愛に目覚めたことにしましょう。それか、天啓が降りて来たとか」


この業界よくある事ですから、と卜部が付け加える。


些細な出来事をきっかけに、人非ざるものが見えるようになったり、災いの予兆に気づいたりするようになる。


そうやって違和感を抱えているうちに、スカウトが現れて、養成機関アカデミーを訪れる者も少なからず存在するのだ。


生まれつき勘が鋭いなどの素質を持つ者も多いが、事故などの外的ショックが原因で目覚めるものもいる。


「・・・・・・天啓なぁ・・・・・・とりあえず、ナオミとキリコにどうにかして会わせねぇと・・・ナオミはともかく、キリコがなぁ・・・」


「真緒さんに会った瞬間倒れる恐れがありますね」


「一目惚れされるよかいいけど・・・・・・どうすっかな」


「・・・・・・そんな心配するなんて、龍詠さん、本気なんですね」


パチパチと瞬きを繰り返した卜部が、まるで異質なものを見るように龍詠を見つめ返す。


自分の妻が自分以外の男に惹かれるのを避けたいと思うのは、極々当たり前のことだと思うのだが。


これまでの自分がどれくらい真緒をおざなりにしてきたか思い知らされるセリフである。


これは正直耳が痛い。


「・・・・・・お前に認められてもなぁ」


こうなったらもう、気持ちの全部をぶつけるよりほかにない。

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