第19話

 遠野の襟首をひっつかんだ源之進であったが、殴りかかろうとした拳を格三郎がと掴んで止めに入った。

「二人ともやめないか」

 だが、怒りの収まらぬ源之進は怒鳴り声を上げた。

「いいや、今日という今日は我慢ならん。お前には後悔の念に苛まれる私の気持ちなどわからぬであろう。己が弱さと未熟さを情けなく思う私の気持ちなど、人の心に疎いお前になどわかるものか」

 激昂する源之進に対して、遠野は何処までも冷静であった。

「わからぬな、わかるつもりもない。疎いのは目先しか見えぬお前の方だ。お前は己を責めることに酔っているだけだ。己が身だけを嘆いているに過ぎぬ」

 目に怒りを湛えたまま、源之進は唇を噛み締めた。

 そんな源之進を見ても尚、遠野は更に追い打ちをかけた。

「死んだ者は泣き言をいうこともできない。悔やむことも、己を憐れむこともできない。それができるのはお前が生きているからであろう。右近を討ち果たす気があるならば、剣術に身を入れたらどうだ。後悔するのは構わぬが、死んだものと違ってお前にはまだやり直す機会があるのだぞ。いつまで自己憐憫に酔っておって、この腑抜けが」

 源之進はぐっと拳を握りしめ、言葉もなく遠野を睨みつけている。

 格三郎が代弁するように口を開いた。

「遠野殿、いくらなんでも云い過ぎです。源之進はただ優しいだけ。優しすぎるのです」

 遠野は格三郎に冷ややかな目を向けた。

「その優しさは一歩誤れば、仇となります」

 遠野は深いため息を吐いて、源之進に向き直った。

「源之進、幼少にしてふた親を殺められた右近を憐れに感じたのではないか。倉田が右近に情けをかけたのも致し方ないと思うたのではないか」

「遠野、何が云いたい」

 怒りに震える源之進を見つめる遠野の表情は冷ややかなものだった。

「どうせお前はことだから、元を正せば、右近の親を殺めた侍こそが悪の元凶で、右近も被害者ではないかとそう思ったのではないか」

「だったら、何が悪い。幼き頃の血塗られた思い出が右近を狂わせたのだとしたら、憐れではないか。お前は人の痛みを、悲しみを憐れむ気持ちなど持ち合わせてないのだろう」

 遠野は真っ直ぐに源之進を見据えた。

「源之進、お前は右近に斬られて死んだ者にも同じ事が云えるのか。右近は可哀想な奴だから許せと。命を奪われても尚、憐憫の念を持って憐れんでやれと云うのか」

 源之進ははっとしたように目を見開き、それからがっくりと首を垂れて座り込んだ。

「目先の情に囚われ、感情に流されては大局が見えぬ。源之進、お前は情けをかける相手を間違っておる。人は己が進む道を、己の意思で選ぶことができる。右近は確かに不遇な幼少期を送ったのであろう。だが、不遇である者が皆、心を捨てるわけではない。右近が人を殺めたのは、境遇のせいではない。右近自身がそれを選んだに過ぎぬ」

 源之進は身じろぎもせぬまま俯いている。

 項垂れる源之進をじっと見つめたまま、格三郎がぽつりと呟いた。

「ですが、人の心は儚いものです。皆が其方のように強くなれるわけではありません」

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