第20話

 遠野はすっと立ちあがると障子を開けた。

 窓の外はいつの間にか雪が降り出していた。

 外から舞い込んだ冷たい風に目を細めても、遠野は雪を見遣ったままでぽつりと云った。

「私は……強いわけではない」

 遠野は開け放った障子をそのままにして、源之進の前に腰をおろした。

 舞い込んだ風に煽られたのか、行燈の灯りが翳り、ゆらりと揺れた。

 遠野は背中を丸めて、茶碗に注いだ酒をちびりちびりと舐めるように飲みながら、極まって大声を出している遠野らしからぬほど、小さな声で語り始めた。

「先ほどから二人とも己を責めておるが、それは己の力を信じればこそ。私は剣術も武道も一向にできぬ。己の考えは云わねば気が済まぬし、己の意見を曲げて折り合うこともできぬ。できぬことは最初から諦めるしかないのだ。だから己を責めることもない。ただそれだけのことでしかない」

 遠野の口調は淡々としていたが、その面差しは心なしか寂し気に見えた。

「それは、遠野殿が己を知っているからでしょう」

 格三郎はそう云ったが、遠野は微かな笑みを浮かべて首を振った。

「己を知ることと己を信じることは似ているようで異なるものです。私は己を信じることができぬのです。ですが……」

 言葉を切って、格三郎から源之進に視線を移すと、遠野は真っ直ぐに源之進を見つめた。

「私はいつも源之進ならば、或いは……と思うのだよ。何故かはわからんがな」

 驚倒して遠野を見返した源之進に、遠野は笑みを返した。

「右近に最初に会ったとき、私は間違いなく奴が下手人だと確信した。彼奴は私たちの来訪に気づいていながら知らぬ顔を決め込んでいた。何故、そのような奇異なことをするのかと目しておったら、源之進の太刀傷を見て、瞬刻ではあったが、ほんの僅かに口元に笑みを浮かべたのだ」

「だったら、何故すぐに言わんのだ」

 源之進の言葉を遠野は一笑に付した。

「その場で云っても、お前は笑い飛ばしただろう。どこから見ても右近はただの小者。あの風采で泣きべそを掻かれれば、私がいくら怪しんでも荒唐無稽な戯言にしか聞こえんさ」

「でも、それだけで下手人だと目星をつけたと云われても、納得できますまい」

 格三郎が云うと、遠野は「尤も至極」と頷いた。

「奴の手には竹刀を握ってできる胼胝があった。それに倉田の態度だ」

「私も倉田の怒りは尋常ではないと感じたが、それは先代のことがある故であろう」

 源之進は、小首を傾げた。

「倉田は右近を怪しんでおったから、辻斬りの話をしたくなかったのであろうな」

 そう云われれば、確かに得心がいく。

 ただの小者であれば、倉田を連れてくれば事は足りる。右近が話を聞く必要などないのだ。

 それでも奴はじっと傍で成り行きを見守っていた。だからこそ、倉田はますます疑いの念を強くしたのかもしれない。

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