伊達政宗の不始末

無銘

伊達政宗の不始末

 ——文禄三年(一五九四年)、四月初旬。

 去り際を見失った冬の寒さがほのかに体を凍えさせる中、鮮やかなソメイヨシノの花が庭園を埋めるている。

 見渡す限りが桜色の、めでたく美しい季節だ。

 陸奥国・伊達郡の中枢にある大きな屋敷では、何やら当主と思われる男が黒い着物に、花柄の袴を履き、赤い陣羽織をまとって玄関口に立っていた。腰には、螺鈿装飾のされた太刀拵。なんとも豪壮で装飾華美な様相である。

 彼は、伊達家の十七代目当主・伊達政宗まさむねだ。既に彼は仙台藩の初代藩主として君臨しており、奥州は伊達家を筆頭に統一されている。

 政宗の背中を追っ掛ける形で、まだ年端もいかぬ幼い童子が姿を見せる。

「お待ちくださいお父様!」

 少年の名は兵五郎。政宗の長子だが、その実態は側室との子である。しかし、政宗は、正室である愛姫との間に男児を設けることが出来なかったため、実質的にのちに伊達家の家督を継ぐと期待されている有望な子でもある。——はずだったのだ。

「これから秀吉公のもとへ拝謁に行かれます故、粗相があっては切腹ものでございます! どこかおかしなところはござらぬだろうか‼︎」

「そう気を張るな。秀吉公はもとは百姓だった身だ。弱い立場の子の気持ちに寄り添える寛大な御仁であられる。肩の力は抜いて、武家の長男らしい堂々とした佇まいで行くのだ」

 政宗は兵五郎の小さな頭を撫で、愛おしむように微笑んだ。

 兵五郎も、父の手から伝わる安らかな温もりに、思わず頬の緊張が緩めた。

 この日の明朝、二人は幾人かの共侍を連れて仙台を出発。一八三里という距離を二十日かけて踏み歩き、豊臣秀吉の住まう京の巨城——伏見城へと到着した。

 政宗は佩いていた太刀を共侍に預け、息子の兵五郎と共に短寸の腰刀のみで登城する。

 ——そう。殿への拝謁が許されるのは各国の諸大名とその旗本のみ。それよりも身分の低い侍は、城の門前にて旅籠を用意して待機するしきたりとなっている。

 兵五郎はこの時、生まれて初めての殿下拝謁だった。

「——ご無沙汰しております、秀吉公。時下益々の御壮健のほど、非常に何よりで御座います」

 深々と土下座をする政宗に倣い、兵五郎も秀吉を前に首を垂れた。

 政宗の饒舌はなおも続く。

「まずは伏見城の完成、誠におめでとう御座います。加えて太閤堤、豊後橋の工事を始め、宇治川や巨椋池おぐらいけの治水事業と様々な町造りに奔走していただき、その勇姿たるや、仕える身として心より敬服いたします。これにて河川の交通は伏見城下にまとめられ、利便性に富んだ素晴らしい町だと町人からも賞賛されることでしょう」

 極めて慇懃いんぎんで、実に丁重な政宗の敬仰。

 しかし、秀吉はこれまでの経験から、彼のその言葉巧みな軽舌が如何に軽薄な物であるかを熟知している。

 黒髭に覆われた秀吉の上唇が、ゆっくりと開く。

「相変わらずの上っ調子ぶりだな、政宗——」

 豪胆な彼の一言に、場の空気は一瞬にして凍りついた。

 息が詰まるほどの緊張が、一帯を凝固させる。

 心臓さえ拍を刻むことを恐れてしまうほどの圧倒的緊迫感。

 秀吉は、肘掛けにもたれ掛かり、尚も顎を持ち上げ尊大に振る舞う。

「今更お前の軽舌で、おれが思い上がるとでも思ったか? 惣無事令そうぶじれいに始まり、お前が我の意向に反することなぞ万事平常。小田原での戦においてはあろうことか遅参したなぁ?」

「……そ、それは……」

「まぁお陰で、会津へ行く前に我はお前と鉢合わせ、捕えることに成功したわけだが……。その後も箱根に幽閉されて何を宣うかと思えば〝茶の手ほどきを受けたい〟などと——。興味が湧いて呼んでみればお前は死に装束での臨場。その後も大崎や葛西の連中が一揆を起こせば我の配下である蒲生のもとにお前が共謀していると知らされるではないか——。問いただすべく再度呼び出してみればまたもや死に装束。——軽いわアァ‼︎ ふざけるのも大概にしろ政宗。一国を統一した大名の命がそれほどまでに軽率とあらば、支配される民草共の尊厳に報いられん。お前には、王たる自覚が無さすぎる‼︎ 大崎・葛西の一揆に関しては目立った証拠が無いため不問にしたが、そもそもお前が出羽の最上を討ったのは、元々彼らの嫡子であったお前の母・義姫嬢の差し金があったからであろう?」

「…………っ‼︎」

「語る言葉は何時も軽薄。一刻の民草を統べる命もまた軽率にあてがわんとし、戦においても身内の懐に擦り寄り姑息に策を講じるその醜態、まさしく武士の面汚し‼︎ ——ゆえに、我はお前のことがどうにも信用できん。——そこでだ。お前、これから先、我に逆心することなく忠誠を誓うというのなら、その忠義を今ここで示せ。さもなくば、その薄汚れた首は今をもって叩き落とし、宇治川の淵にて晒してくれよう」

「そんなご無体な——っ‼︎」

「では斬る。せっかくだ。我が自慢の名刀で締めてやろう。——おい、宗近を持ってこい」

「お待ちください殿‼︎ あの頃はまだ乱世であった故、私も行き場に迷っていたのです‼︎ 信じるべきものが定まらず、一国の王として何をすべきか何を選択するべきなのか路頭に迷っていたのです‼︎」

「戯けたことを宣うな。一国の王などと……どの分際で思い上がるか。他者に容易く命を差し出さんとする者が、民草の指導者たり得る者か——。もし、お前が真に民草を思うのであれば、今ここで命乞いをしている場合では無いだろう。その小刀でも抜いて、勇敢に立ち向かって見せろ。挑んで見せろ‼︎」

「…………っ‼︎」

「出来ぬか‼︎ 出来んわなアァ‼︎ 奥州の統一を実母に縋るような情けない男が、天下の名将を相手に挑むなど、末代まで掛かっても不可能な話よ‼︎」

 武士の面汚し——その実態を前に、秀吉は半ば嘲笑の込もった罵声を浴びせる。

 政宗は、彼のその幾数多もの挑発と侮蔑を前にしても、立ち向かう術を持てなかった。あまつさえ、愚弄され、侮辱された彼の中に怒りや悔しみが募ることはなく、ただ一重に案じていたのは、自身の尊厳だけだった。

 政宗を蔑む秀吉の豪笑が一座に轟き続ける中、忠義を示すべく政宗の提示した答えは、最低最悪の決断であった。

「——兵五郎を、殿に差し渡します」

「なに——?」

 兵五郎は声すら出す余裕を失い、ただ唖然と現実を——政宗の傍目を疑った。

 しかし政宗は、息子のその希望を尚も踏み躙り、続けて言葉を放つ。

「私の兵五郎を、秀吉公に捧げます。我が家系の嫡男は彼だけです。彼無くして伊達家の繁栄はあり得ません」

「……だから実子を人質に差し出し、忠誠のための礎にすると……?」

「いかにも——」

 この選択には秀吉でさえ言葉を失った。

 唯一無二の嫡男を差し出せば、一族の繁栄に影響する。故にそれが不利益とならぬ為の忠誠の制約として、伊達政宗は実の長子を明け渡すと言ったのだ。

 いくら伊達の存亡と繁栄を秤に掛け、その為の忠義を政宗自身が如何にして遵守しようとも、突然このような不条理を突きつけられた子供の運命は、あまりにも残酷だ。

 嘲笑う秀吉の矛先が、政宗から兵五郎へと転移する。

「聞いたか小僧‼︎ お前の父親は、一族の忠誠の証明材料としてお前を人質にくれてやると公言したぞ‼︎ コイツは傑作だ‼︎ 正室や側室ならいざ知らず、これからの一族の担い手を贄に選ぶか‼︎」

「女共では甚だ制約としての効力に欠けます。一族の危機となるからこそ、私にはそれを絶対遵守しなくてならない義務となる。いわば殿への忠義を誓う、私なりのケジメです」

「その親の身勝手な我儘に付き合わされる子の気持ちにもなってみろよ政宗。——お前、生涯小僧に恨まれるぞ? 挙句もし血を分けるようなことになれば、仙台宗家は末代まで憎まれるだろうな‼︎」

「…………」

「ふっ、まぁ良い。此度はこれまでにするとしよう。命拾いしたな政宗。お前の提案通り、小僧の身柄と引き換えにお前の忠義を認めよう」


 ——これが、伊達一族分岐の始まりだった。


 伏見城の門前で父を見送る兵五郎は、目頭に露を滲ませていた。

「……お父様……」

 全ての希望と、運命に見放されたかのような絶望感。この時の兵五郎の中にあるのは、それだけだった。

 政宗は、いつも通りの軽薄な笑みで、涙に潤んだ兵五郎を愛でた。

「——大丈夫だよ兵五郎。少しの辛抱だ。お互いにな。きっとすぐに、殿も私達伊達家のことを認めてくださる」

「————っ!」

 政宗の、心から安堵したような爽やかな笑みが、兵五郎の胸を無作為に蝕んだ。心臓が止まるような思いだった。——だってそうだろう。首の一枚つながり、その見返りとして差し出された自分を潔しとしているのだから——。

 結局、兵五郎という少年は、父・伊達政宗にとって自身と一族の名誉を維持するための歯車の一つでしかなかったのだ。

「またな、兵五郎——」

 無神経に、そんな一言を吐き捨てて、政宗は伏見を後にした。



 豊臣秀吉は優しかった。

 形式上、人質となってはいるが、彼は兵五郎のことを我が子のように可愛がった。

「——兵五郎。うちの茶々が摘み菓子を作ったんだ。お前も一つ食べてみるといい。さすがは我の側室と言ったところでな、絶品だぞ?」

「よ、よろしいのですか……? これは、淀殿が殿のために作ったものでは?」

「よいよい! それに男たる者、食わねば強くなれんぞ?」

「で、では……いただきます!」

 思えば政宗が言っていた。秀吉は元々百姓の身。弱い立場の人の痛みが分かるお人だと。おそらくはきっと、かつて自分が苦悩したことを身内には経験させたくなかったのだろう。たとえそれが人質であれ——。

 だが当然、甘やかされてばかりでもなかった。

「——兵五郎‼︎ お前も一人の男としてこの世に生を受けたのだ。のの戦の時代、せめて囮を担えるだけの武力は得ておけ!」

 急造の木刀を握らされ、厳しい稽古の日々が続いた。

 剣術はもちろん、馬術、弓術、槍術をたしなみ、果てには鎌術までも習った。

 曰く鎌術は、武者落した際、逃げ果せた農村で、追手と戦える術を身につけて置くためらしい。

 最初こそ意欲のなかった兵五郎だが、秀吉のある一言でその心に火がついた。

「——伊達家に戻った時、充分に戦える技術を身につけておけば、政宗も驚くぞきっと!」

 彼のこの何気ない一言。——されど、兵五郎にとっては好機だった。


 ——そうだ‼︎ ここで秀吉を屈服させるくらい強くなって、さっさと仙台故郷に帰ってやる‼︎ そしてお父様を驚かそう‼︎


『——ど、どうしたんだ兵五郎‼︎』

『へへっ! お父様や伊達家のために、秀吉のヤツを黙らせて来ましたよ‼︎ これでもう、姑息な策を講じる必要はありません‼︎』

『本当か⁈ スゴいな兵五郎は‼︎ やっぱお前は自慢の息子だ‼︎ 唯一の嫡男が兵五郎で良かった‼︎ はっはははは‼︎』


 そんな妄想が、兵五郎の脳裏共に胸中を循環し続けた。


 秀吉が城を離れている時は、主に城内の雑用をこなした。

 炊事、洗濯はもちろん、秀吉の子の世話もした。名を拾丸ひろいまると言い、秀吉の第二子である。産まれは文禄二年なので、天正十九年の生まれである兵五郎とは四つ違いになる。これが中々に新鮮で、兵五郎にとっては、この豊臣一家が伊達家に次ぐもう一つの家族のような場所だった。——居心地は、決して悪くはなかったのだ。

 しかし、ふとした時に過ってしまう——父・政宗の存在が。

 どこか、心に穴が空いたような虚無感が、しきりに襲ってくる、

 けれどその度、手のひらで潰れたマメや痣の痛みが、孤独感に憂う兵五郎を鼓舞した。


 ——憂うな、寂びるな‼︎ 俺が強くなれば、その分お父様の元へ帰れる日は近づく‼︎

 もっと、もっと強く——‼︎


 時は流れ、翌年の文禄四年——。

 城中の中庭で自主稽古に励んでいた兵五郎のもとに、突然の訃報が届いた。

「——兵五郎殿‼︎ 大変です‼︎ 秀次様が謀反の疑いにより切腹‼︎ 彼と懇意の仲にあった伊達政宗様が連座に掛けられるとの事で、秀吉様が兵五郎殿に政宗と秀次の関係を伺いたいと‼︎」

「なに——っ⁈」

 秀次とは、豊臣秀吉の甥にあたる人物だ。なんでも、彼が秀吉に反旗を翻さんと企んでいたらしく、断行前に悟られ、妻子らを含める三十九名が、あえなく断首された。

 招集を受けた兵五郎はすぐに秀吉のもとへと駆けつけたが、無論齢四歳で宗家を離れた彼に伊達政宗の真実など知る由もなく、結局秀吉は政宗本人を再び上洛させることにした。

 一年越しに見る、父・伊達政宗の傍目に、兵五郎の胸は大きな高鳴りをみせていた。


 ——お父様‼︎ お父様‼︎


 しかし、開いた襖の向こうに在るのは、罪人を裁かんとする殺伐とした重たい空気。

 秀吉の黒い声音が、一座の腹のどん底にまで響く。

「——やはり我の見立て通りだったようだな政宗。お前、秀次と何を企んでいた」

 此度は伊達政宗の他に、家臣の湯目ゆのめ景康かげやす中島なかじま宗求むねもとも同列している。

 政宗は豪胆に、毅然とした立ち振る舞いで秀吉の問いに応じる。

「——別になにも。確かに秀次殿とは親しくさせて貰っていました。ですがそれは、太閤たいこう殿下でんかが彼に家督の全てを譲ると仰っていたから奉公していたまでのこと。それが罪になるというのなら仕方がありません。そのご自慢の三日月宗近で私の首を刎ねれば良い」

 生意気極まりない政宗の態度は、秀吉の逆鱗に触れる事となり、彼に宗近を鞘から放たせた。

 しかし、同じくして湯目景康の手が挙がる。

「お言葉ですが殿下——殿下は今まで子宝に恵まれず、後継者は殿下の姉君である瑞龍院日秀殿の長男をと考えていたそうですね。それが甥の秀次様だった。しかし、そんな中で二年前、拾丸様が正統な嫡男として産まれた。そこで殿下は、殿下の血を正しく継いだ彼こそを後継者に選別すべく、秀次様を討った。今回の筋、そう考えると全ての辻褄が合います。秀次様は次期関白の座が決まっておりました。そのような人物を後継者から下ろすためには、殺害の他に手がなく、誅戮すべく大義名分の為に、あなたは彼に謀反の冤罪をなすりつけた。——違いますか?」

「はっ! 面白い妄想だ。ではなぜ政宗をも連座に掛ける必要がある?」

「茶番でしょう?」

「なに?」

「秀次様へ如何にして謀反の濡れ衣を被せるべく、関係ある者へは平等に断罪を如かねば矛盾が生じてしまいますから。——ねぇ?」

 凄まじいまでの反骨精神。この湯目景康という男、余程腕に自信があるのか——。いや、あるいはただの阿保なのか——。

 挑発的な彼の眼差しに、秀吉の大口が開く。

「はっはははははは‼︎ 見事なまでの筋書きだな‼︎ 湯目景康、お前詩人にでもなったらどうだ?」

「お褒めに預かり恐悦至極に存じます」

「——たわけ‼︎」

 頭を下げた湯目に、秀吉の鉄扇が飛んだ。

 寸前で躱した湯目だが、わずかに頬を掠めたようで、仕切りに血が滲み出す。

 湯目は、激情した秀吉を首を垂れたまま睨み上げた。

「今ここで私達を断首するというのなら構いませんよ。ですがその場合、私達の傘下らが、今し方お話しした内状と共に各国の大名らへ伝令する手筈となっております」

「な——ッ⁈」

「殿下がこのまま日本一の国司であり続けるのなら、それはあまり推奨出来ません」

「ぐぬぬ——ッ‼︎」

 悔しげに歯軋りを立て、秀吉は立ち上がる。

「——興醒めだ。去れ仙台人」

 かくして秀吉は部屋を後にし、入れ違うように、兵五郎が中へと入って行った。

「——お父様‼︎」

 一年越しの父との再会に心弾ませる兵五郎。話したいことや伝えたいことが山ほどあり、もはやその語り口調は支離滅裂としていた。

「お父様‼︎ 俺馬に乗れるようになったんですよ‼︎ 秀吉公もこの年で乗りこなせるのはスゴいって‼︎ 弓だって、まだまだ未熟だけど練習してて——あ、そうだ‼︎ よかったら俺の試斬見ていってくださいよ‼︎ 一本巻きの藁を斬れるようになったんですよ‼︎」

 愛おしくも待ち侘びた父との再会——。

 しかし、政宗は——。

「すまない。これ以上殿下の機嫌を損ねるわけにもいかないからさ、この辺で御暇おいとまさせてもらうよ」

「え——」

 わずか数秒足らずの、一方通行の会話だった。

 それでも兵五郎は、伊達家の現状と立場を照らし合わせ、仕方のない事なのだと自分に言い聞かせた。

 いつか——いつかきっと、元に戻れる日が来る。

 切り離されてしまった糸も、いつかはきっとまた結びつく——。

 兵五郎は望みを捨てずに、その時をただ一途に待ち続けた。

 翌年の文禄五年——。

 いつになく改まった様子の秀吉から、兵五郎は呼び出された。

「——兵五郎。聞けばお前、随分と親身になって拾丸の世話をしてくれているそうだな。それは何故か?」

 気色が悪いほどに、秀吉の様子はおかしかった。どこかおぼつかなく辿々しい。視線も落ち着きがなく、右往左往していた。

 兵五郎はわずかながらに困惑した様子を見せるも、特段気取ることもなく素直に応じる。

「なぜ……と言われましても。——なぜなんでしょう」

 顎に指を当て、素っ頓狂な相貌で眉根を寄せる。

 思えば不思議だ。別にそんなことをする必要なんてなかったのに、何故ここまで拾丸に手を焼いていたのだろう。

 兵五郎は我がことながら理解が及ばなかった。

 秀吉もこれには呆れた。よもやこの伊達家の嫡男、阿保なのではないか——と。

 咳払いをし、秀吉は歪曲した空気を元に戻す。

「ま、まぁいい。何はともあれ、もう拾丸にとってお前は兄貴分のような存在だ。そこで兵五郎、どうだ——お前、我の猶子にならないか?」

 想定外も甚だしい展開に、兵五郎の思考は数分ばかり停止した。

 猶子とは、家督相続を目的とせずに養子を迎え入れることである。要は、身寄りのない子を何の呪縛も無しに、正式な家族として迎える良心的な慣わしだ。つまり、これからは人質としてではなく、一家族としての身分が保証されるということ。

 もしも此処で提案を呑み、豊臣秀吉と深い縁を築くことが出来れば、それはある意味、伊達家を信用してもらう好機なのではないだろうか——。

 秀吉に一矢報いるよりもより現実的に故郷に帰ることが出来るかも知れない。——いやそれ以上に、あわよくば伊達家と豊臣家を結ぶ架け橋となり、伊達家をより一層発展させられるかも知れない。さすればきっと伊達政宗お父様は——。


『まさか豊臣家の御息女と我が庶子を夫婦めおとに出来るとはなぁ〜。これで、秀吉公が天下を治めるている以上は、伊達家の地位は不変だ! よくやったぞ兵五郎‼︎ はっははは‼︎』


「うひっうひひひひひっ——‼︎」

「どうした兵五郎、急に笑い出して。気持ち悪いぞ」

「——なります! 是非とも、私を太閤殿下の子として傍に仕えさせてください‼︎」

「うむ‼︎ その言葉を待っていた‼︎ ではお前には私の諱である〝秀〟の字を手向けよう。そしてあの軽薄片目大名の諱——〝宗〟を取って〝秀宗〟と名乗れ‼︎」

「軽薄片目大名とはお父様のことですね! では今度、殿下がそう仰っていたと告発して参ります‼︎」

「やめい!」

 こうして、文禄五年——兵五郎は『豊臣秀宗』の名を受け元服した。

「あーあとついてだ。拾丸——秀頼も随分とお前に懐いているようだし、奴の小姓として従五位じゅうごい下侍従げじじゅう叙位じょい、及び任官する。喜べ秀宗。我が一族の中でも選りすぐりの待遇だ」

 思わぬ出世——。

 秀宗は、次に政宗へ会った時の朗報にしようと心を躍らせた。

「(きっとお父様も驚くぞ〜っ‼︎)」

 だが、運命はいつだって秀宗に酷な道を歩ませる。


 慶長三年——豊臣秀吉が死去。六十二歳でその生涯に幕を下ろした。


 彼が死すれば、当然懸念されるのは政権の崩壊。誰よりも、これを危機として懸念していたのは、秀吉に最も忠実に仕えていた人物——石田三成だった。

 彼は毎日毎日、欠かすことなく秀吉の遺体と向かい合い手を合わせていた。それだけでなく、埋葬されるまでの間、遺体が腐敗しないよう丁重な手入れを怠ることはなかった。なんともまぁ律儀なことかと秀宗は感心していた。なにせ彼には、秀吉の死がそれほど悲しいものではなかったからだ。

 確かに、今まで散々と良くしてくれた。次男坊の拾丸——秀頼ともまるで兄弟のような関係性を築き、仲は極めて良好だった。

 ——けれど、秀吉の死を前にした秀宗の中にあったのは〝故郷に帰れるかも知れない〟という希望だけだった。

 ただ、彼の恩には報いなければならないのが武士の礼儀。たとえそれが形だけだったとしても——。

 秀宗は秀頼と共に石田三成を手伝うことにした。

 ある時、三成が言った。

「——殿下が斃れたと各位に知れ渡れば秩序は崩壊する。それに、殿下の遺言にもある。我々は秀頼様に尽くし、豊臣政権を守らねばならない。——秀宗、朝鮮出兵中の者達へは殿下の死は決して公害するな。良いな?」

 しかし、この決断はのちに三成自身の首を絞める事となった。

 豊臣秀吉の死の隠蔽——しかし、それはあくまでも外に居る者達へ向けたもの。すでに内側に座している豊臣家直属の家臣団『五大老』には、秀吉が死した時点で既にその事実が知れている。

 自然と、五大老の中でも最も権威のあった徳川家康が、のちの政務を仕切る事となった。

 彼は、甚だしいほどにであった。のちの八代目徳川家将軍・徳川吉宗が似たような二つ名で語られているが、本来徳川家で最も傍若無人を発揮していたのは、他ならぬ大権現の家康である。

 初めに、徳川家康は日本各地を巡り、各国の諸大名へと訪問。渦中で、その大名らと、自身の家の女娘に婚姻関係を結ばせ、豊臣法令の一つ「諸大名の無許可での縁組の禁止」に違反。その後も武士の給料である禄高ろくだかを増やしたり減らしたりとやりたい放題だった。これを見兼ねたのが他ならぬ石田三成であり、彼は大盤の振る舞いを続ける徳川家康に、真っ向から物申した。

「——昨今の家康殿の横暴。さすがに目に余りますぞ。政権を託されたのは豊臣家嫡男である秀頼様にございます。もう少し彼の意見を立てては如何か——」

「まだ六歳のわらべに一体政治の何が務まると言うのですかな三成殿。秀吉公へのご立派な忠誠心、大変結構でございます。ですがそこにばかり焦点を合わせ、他の追随を見誤れば、いずれ足元を掬われますぞ?」

 家康のこの発言は現実となった。

 慶長四年——石田三成は『豊臣七将』と呼ばれる同じ豊臣家家臣の武将らに暗殺目的の襲撃を受けた。

 七将のメンバーは以下の通りである。

 尾張清洲城主・福島正則。

 肥後熊本城主・加藤清正。

 三河吉田城主・池田輝政。

 丹後宮津城主・細川忠興。

 甲斐甲府城主・浅野幸長。

 伊予松山城主・加藤嘉明。

 豊前中津城主・黒田長政。

 しかし、石田三成は生き延び一時伏見城にて籠城したが、家康の仲介を経て豊臣家への奉公を辞任。佐和山城へと隠居した。これを機に、口うるさい石田三成の排外を喜んだ、反石田派の武将らは大喜び。徳川家康を立てるようになった。

 次いで徳川家康への不満を爆発させたのは、会津の大名・上杉景勝と、その家老・直江兼続だった。

「聞けば三成様を追い詰めたのは家康の策略だと言うではないか‼︎」

「おのれ家康め‼︎ あのような優柔不断な下郎にこの天下を任せるわけには行かぬ‼︎」

 二人は徳川家康に一通の通告書をよこした。

「——家康殿。会津の上杉様らからの手紙です」

 渡された内容を、家康は声に出して読み上げる。

「——〝最近の貴方の蛮行、大変目障り極まりなく存じます。秀頼様の面目に泥を塗るなこのタヌキ野朗〟……だと?」

 もはやそれは果たし状であった。

 家康の頭に、奔流のごとき血流が遡る。

「あの魚面うおづらブサイクがアァ‼︎ 上等だこの野朗‼︎ テメェー大阪城に来いやゴラアァ‼︎」

 しかし、上杉はこれを拒否。

「——は、誰が好き好んであのタヌキ顔を拝みたがるんだよバカじゃねぇの」

 無論これを潔しとする家康ではなく——。

「——あの、家康殿。上杉様から〝イヤなコッたぁ〜〟という旨の手紙が……」

「……は? 上等じゃねぇかこの野郎。ならコッチからそのブサイク整形しに行ってやるよ‼︎ ——テメェーら‼︎ 会津潰すぞオオオォォォォ‼︎」

 結果、慶長五年——徳川家康タヌキ上杉景勝魚面ブサイクの拠点、会津へと軍を出し、関ヶ原最初の戦・会津征伐が始まった。

 徳川軍は大阪城から会津へ進軍。そのため、自然と本州西部は空虚となった。

 石田三成は、これを見逃しはしない。

「——家康が上杉を潰さんと会津へ進軍したそうだ。率いている主な武将は息子の秀忠と、越前の結城秀康。経路からしておそらく西側が空白になる。そこに我々反徳川派の拠点を構え、待ち伏せるぞ‼︎」

 だが、実はこれは徳川家康の罠——。三成がそれを知ったのは、西軍を結成してまもなくのこと——。

「——徳川連合軍‼︎ 会津征伐を中止‼︎ 最上義光、結城秀康、伊達政宗を対上杉景勝の押さえとして会津に置き、他の諸将——元豊臣七将を中心に、榊原、仙石、真田ら大軍がこちらに向かっております‼︎」

「クソっやられた‼︎ 家康め、こんな屈辱は初めてだ‼︎」

 空想した諸将の肖像を忌々しげに睨み上げる三成。仕切りに、その場に居た秀宗を蔑むように見下した。

「——秀宗、元よりお前は伊達の血筋だったな」

「み、三成様……⁈ なにを——‼︎」

「ちょうど良い‼︎ お前は伊達への対抗策として今をもって人質とする‼︎ これで少しは戦況も晴れるというものよ‼︎」

 秀宗は、宇喜多秀家のいう男の屋敷にて幽閉される事となり、再び外へ出る頃には、戦は終わっていた——。

 そして、秀宗の全てを狂わせる最後の事件が起こる。

 慶長八年——江戸幕府開拓に際し、諸将の謀反を恐れた徳川家康は、それぞれの側室や子を人質として幕府に差し出すという制約を設けた。

 秀宗は伊達家の嫡男として徳川家康に拝謁するのだが、伊達家から差し出された嫡子はもう一人居た。——実父・伊達政宗とその正室・愛姫との間に生まれた二人目の嫡男——名を『虎菊丸』といった。

 出逢った瞬間に、圧倒的なまでの喪失感が秀宗の体全身を凍らせた。

 ——虚無。

 ——失望。

 ——絶望。

 まだ幼い虎菊丸を抱え、幸福に満たされている伊達一族を見て、秀宗は酷く落胆した。

 思えば秀宗は政宗ととの子。正室との間に純血の嫡男が産まれたなら、その存在は泡沫も同然。

 秀宗は疾うに忘れ去られていて、伊達家にとって無用の長物と成り下がっていたのだ。

 きっと伊達家の家督は虎菊丸が継承し、秀宗の出る幕は何処にもない。

 案の定、慶長十六年——虎菊丸が元服を迎えると、当時の江戸幕府第二代目将軍・徳川秀忠から『忠』の字を賜り、伊達忠宗と改名。伊達宗家の後継者は正式に忠宗である事が決定した。



 ——慶長十九年。大坂冬の陣。

 豊臣宗家の残党と、徳川軍による最後の決戦が始まった。

 既に徳川宗家に服従していた秀宗は、父の伊達政宗と共に、豊臣軍が籠城する大阪城に乗り込んだ。

 実はこの戦、秀宗にとっては初陣だった。

 忠宗に継承者としての立場も権威も奪われはしたが、初めての父との臨戦に秀宗は熱く高揚していた。

 相手は恩師である豊臣秀吉の配下達。

 だが、そんなことは心底どうでも良くなるほど、秀宗は培った剣技の数多を政宗に見て欲しかった。

「お父様見ていてください‼︎ たとえ槍が相手でも、この太刀一振りでやっつけて見せますよ‼︎」

 秀宗は門前に佇む槍の歩兵二人を何なく斬り伏せ活路を開いた。

 しかし、内部へ進めば進むほど、城中に潜伏している者達からの投擲やら発砲が絶えず襲ってくるようになり、戦況は拮抗した。

 やがて、徳川家康の命で内堀と外堀の全てを埋め立てる作戦を決行。前衛後衛に分かれ、後衛部隊が投擲や射撃に同じくして応戦し、前衛を支援しながら城の中へと攻め入った。

 結果的に、戦は徳川軍の圧勝に終わり、秀宗らはわずかな傷を負いながらも江戸に生還した。

 父・政宗との初めての戦。その勝利を飾り、秀宗は嬉々として華やいだ。

 一方で伊達政宗は、この戦の功績を讃えられ、徳川秀忠から伊予宇和島の領地十万石を拝領される。

「——本当に良き働きをしてくれたよ政宗。小さな土地だが、是非とも受け取ってくれ」

「秀忠公、お気持ちは嬉しいのですが、私もそろそろ生い先短い身——受け取った所で、相続する者など——」

「何を言うか、秀宗が居るではないか」

「…………。——は?」

「聞けば、秀宗には散々と苦労を掛けたそうじゃないか。この期に、彼を宇和島の大名にしてやったらどうだ? 彼のこれまでの苦悩を考えれば、相応の恩賞であろう」

「——い、いや……秀忠公。それはあまりにも……。おそらく秀宗は、仙台に帰ることを望んでおります。今更大名の地位など——」

「——いいやこれは主命だ政宗。秀宗を宇和島の大名にするのだ。元より彼は豊臣の猶子。我々幕府の面目もある。このまま彼に江戸や幕臣の統治下に居られるのは形が良くないんだよ。よって西の辺境に秀宗を伏す。既に幕府において決定したことだ。良いな、政宗」

 まるで島流しだ。

 だが、幕命に叛くことあらば切腹もの。

 政宗には従うほか道はなかった。



「——は? 宇和島の藩主ですか?」

「あ、ああ——良かったな、秀宗。秀忠公もお前の功績を認めて下さったんだぞ。スゴいじゃないか‼︎」

 幕府の真意は、言えなかった。だから政宗は秀吉の時同様に、軽薄な佇まいで言葉巧みに秀宗を立てるしかなかった。

「俺も父として鼻が高いよ! きっと忠宗だってお前を慕っている‼︎ 今まで散々苦労を掛けたが、これで晴れてお前は自由の身だぞ‼︎ だからもう何にも囚われる事なんて——」

「茶番はやめてくださいお父様」

「————っ⁈」

 ——冷たい。凍えて動けなくなるほどに、凍てついた声音だった。

「ひ、ひで——」

 慌てて弁明しようと手を伸ばした政宗だったが、あまりの空気の冷たさに彼は絶句する。なにせその温度は、近づけば近づくほど極寒のように低下していくのだ。触れられるわけがない。

 秀宗は、なおも辺り一帯を急無遠慮に急冷させていく。

「……お父様は、また俺を遠ざけるのですか? また俺を、引き離すのですか……⁈」

 絶え間なく突きつけられる秀宗の慟哭。それは政宗の劣等感と罪悪感に苛まれた自尊心に更なる追い討ちを与えた。

 理不尽に与えられた十年もの不満と鬱憤は、秀宗の身には重すぎたのだ。

「……やっと、やっと戻れるって……。やっと一緒に、この安寧の時代を暮らせるって、信じていたのに……。お父様は、なおも俺を斬り離すのですか……⁈」

「……そ、それは……」

 言葉が出なかった。

 掛けてあげるべき文を見出せなかった。

 伊達政宗は最後の最後まで、実の息子に何もしてあげられなかった。——それどころか、唯一の希望まで奪ってしまった。


「——答えてください‼︎」


 秀宗の怒号が、絶対零度の闇を孕んで政宗を凍てつかせる。


「俺はお父様にとって、価値のある存在でしたか——」


 悲嘆しながら、同時に何かを懇願するように秀宗は瞳を潤ませた。

 何がなんでも肯定して欲しかった。——たとえ嘘でも良いからと。

 しかし——。

「————‼︎」

 政宗は、何も言えなかった。

 正直なところ、政宗にとってはむしろ、秀宗のいう子は足枷となるほどに、邪悪な存在だったに違いない。何をするにも秀宗の存在が頭をちらつき、政宗の行動に制約をかける。

 けれど、人質として差し出すと決断したのは他ならぬ政宗自身だ。今更それを後悔することなど——。

 言葉を噤む政宗を前に、秀宗はその真意を悟ってしまう。

 散々と希望に明け暮れて、散々努力してきた自分が馬鹿らしく思えてしまった。


 結局、伊達秀宗は望まぬ形で一国の藩主となり、伊達という大名一族は、東西を隔てて二つに分断された。

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伊達政宗の不始末 無銘 @yakuma1129

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