第14話 桶狭間の戦い

「何事じゃ」


清州場内にいた諸将が広間に集まり始めており、そこに信長が伝令の兵士を迎え入れると伝令の兵士が


「今川治部大輔義元が、尾張目指して数万と思われる大軍を駿府より発した模様です!」


と報告すると、その場は騒然となる。

当たり前だ、尾張半国総動員しても数千が限界であろう。実際に桶狭間の戦いで参戦した織田軍は三千弱と言われている。そこを数万(二万五千といわれている)の軍勢で攻めてくるのだ。兵数は織田軍の約十倍、普通に考えれば勝ち目がない。それどころか、勝負にもなってない。


当時の対今川戦は、三河を制圧した今川義元が尾張の大高城を攻略して尾張に橋頭保を作った事により、そこから硬軟交えて(戦を仕掛けたり、尾張国内の織田派の国人を今川方に寝返らせたり)じわじわと今川勢力圏を広げていた。それに対し織田方は大高城を包囲する形で丸根・鷲津の砦を作り、大高城に圧力をかけて自由にさせないという対応だった。事実、丸根・鷲津の砦が出来たことによって今川家の尾張への侵食は止まっていた。

今川にしてみれば、目障りな丸根・鷲津の砦を叩き潰し、ついでに大軍を持って一気に尾張をほふってしまおうという事だろう。

桶狭間の戦いの始まりである。


「遂にきたか。」


武政は口の端を少し上げてぼそりと呟いた。日本史上に名高い桶狭間の戦い。この戦いをもって織田信長は本格的な飛躍を遂げるのであるが、これは是非ともみたいものである。


…あ、いや


「ナ、ナンダッテー!」


一応びっくりしてみせないとね。信長様が楽勝気分になられても困るし。そんな時、信長様の口元が少し動いたように見えた。

「大根め…」

ぼそりと信長様は呟いた。


桶狭間の戦いを戦略的にみると『大軍集める』をその後の影響を考えず一時的に集めるだけなら出来なくはないだろう。防衛戦ならば自領を守るという心理に訴えかければ領内の意志の統一は比較的容易になる。

逆に大軍を集結させて進軍するという事はそれを維持するお金や領内の影響(戦国時代は何かあるとすぐ反旗を翻す国人領主たちがいっぱいなのだ)などを考えると決して容易い事ではない。尾張国内での織田家との争いを優勢に進めつつ手に入れたばかりの三河を掌握し、織田が抗しえない大軍を持って進軍する形を数年がかりで整えたのだ。

他には北条や武田と同盟して後顧の憂いを無くす、今川氏真に家督を譲り遠江駿河の領国経営を任せて義元自身は尾張三河に集中する。この大軍を率いて進軍する事を実現出来た今川義元が凄いのだ。織田家の十倍の兵を持って進軍する。本当ならばこの時点で勝負ありだった。戦略的勝利である。

逆にそこに油断があり、そこを突くことが出来た信長のメンタルと強運が凄かったという事になるだろうか。

その後も続々と伝令が入ってくる。


「治部大輔は沓掛城に入った模様です。軍勢は2万から3万と思われます。」


「松平元康が兵糧を大高城に輸送したとのことです」


清州城は十倍ともいわれる敵の軍勢に対して大パニックだった。考えてみても欲しい。一対一、頑張って二対一くらいまでならば、(実際に勝てるかどうか別にして)精神論で頑張れるだろう。気合いで勝つぞーっていうやつだ。

ただ十対一では勝負にならない、取り囲まれてボコボコにされておしまいである。先制パンチが一発ヒットすれば良い方だろうか。

城から打って出る事が難しいならば、防衛力に優れる城に立て籠もって籠城戦だろうか。いや、織田家に援軍を送れる勢力などこの時代にはない。今川軍は織田家の籠城戦法に対しては十倍の兵士でもって清州城を取り囲んで兵糧が尽きるのを待っても良いし、十倍もの兵士があれば少なからず被害は出るだろうが無理やり力攻めしてもよい。清州城を取り囲んで何もできない状態のまま尾張国内の他の城を全部攻め落としてしまってもよいし、同様に清州城に信長とともに立て籠もる国人領主の地元を攻めて国人領主を揺さぶってもよい。

籠城戦はただの滅亡までの多少の時間の引き延ばしにしかならないのだ。


なら、城を出て撃って出るべきだろうか。

いや、十対一では勝負にならない。取り囲まれてボコボコである。

なら、籠城すべきか。いや援軍の来ない籠城など…以後延々とループ。

清州場内では諸将によって答えの出ない問答が繰り返される、そんな状態であった。

一方、織田信長はこの侵攻軍に対して何の方針も指示も出さなかった。


「信長様は何を考えているのか」


敵の大群が目前に迫り諸将には不安が走り、そしてそれがまた何も言わない信長への不満を呼ぶ。その間にも伝令による続報は次々と届き決断の時は迫る。


「松平元康が丸根砦に向かって進軍開始した模様」

「朝比奈泰朝が鷲津の砦に対して進軍開始した模様」


どちらも守る兵士数は数百といったところ、防衛は絶望的である。

薄っすらと夜明けの兆しが見え始めるころ、突如信長は幸若舞『敦盛』を舞うと


「鎧を持てぃ」


と熱田神宮へ駆けて行った。この事を知っていた自分は事前に用意していた馬に跨り信長を必死に追いかけた。この戦いを見逃すわけにはいかない。

(馬に乗れるようにはなっていたが、そこまでまだ上手くはない)


熱田神宮にて信長様が戦勝祈願をしているうちに遅れた諸将が兵士を率いて続々と熱田神宮に集まってきた。その数およそ二千余。


「丸根砦の佐久間森重様、松平軍に決戦を挑み討ち死にされた模様!」

「鷲津砦の飯尾定宗様、籠城するも衆寡敵せず砦を枕に討ち死にされた模様です!」


その間にも伝令が次々と届く。


「大高城を進発した今川治部大輔義元は、田楽狭間にて休息をとっている模様です」


様々な情報が飛び交う中、その伝令を聞いた信長様は


「天は我に味方した、者ども続け!」


折しも天候は悪化し、信長様が兵を率いて進軍すると瞬く間に雷雲轟く豪雨となっていた。視界は極めて悪くなり今川軍から信長軍の姿を隠し、行軍に伴う騒音は雷鳴豪雨に消された。大軍である今川軍がそのままの形で留まることが出来ず、細長い陣形のまま休息していた義元の本陣に忍び近付いた信長軍は、その細長い陣形の横合いから突撃し一気に突き崩した。

義元とその周囲は奮戦するも、急襲されたことによるその動揺と完全装備し秩序だった行動をとる信長軍の前に敢え無く散った。


…折角集めた十倍の兵がその意味を為さなかった。


義元戦死の報が戦場を走ると今川軍の士気は急落し、今川軍は全ての戦場で敗走を重ねた。義元だけでなく、多くの重臣が戦場に斃れた。信長は余勢を駆って、尾張国内から今川軍を駆逐した。


そして桶狭間の戦い後、三河では岡崎城で従属していた松平元康が独立し、他の国人領主も次々と独立して、今川の勢力は完全に三河から一掃された。遠江・駿河でも国人領主の離反が相次ぎ、今川領内は非常に不安定な状態になった。武田家も義元のいなくなった同盟国である今川家に見切りをつけ、逆に海を求めて今川家の領地を窺うようになる。たった1日で今川は大大名から転げ落ちた。


熱田神宮に戦勝の報告をして清州城への帰り道、信長様は


「まさか、本当にこのように勝てるとは思わなかったわ。そちも大儀であった。」


ん?

…ああ、私が大根役者って事でしたか、分かります。


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新作書き始めたので、以前なろうに掲載した作品を多少の改稿をして新作宣伝用に投稿します。本作は全19話で、全話投稿済です。よろしくお願いします。


↓新作です

何度倒してもタイムリープして強くなって舞い戻ってくる勇者怖い

https://kakuyomu.jp/works/16818093082646365696/episodes/16818093082647161644

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