第29話 破滅に向かって

『私は・・・どうして・・・ハンターに・・・』


 とある村の丘を、二人の少年少女が駆け上がっている。


『・・・あれは?』


「遅いぞ綾!」


「待ってよ閃一!」


『私と・・・閃一・・・?』


 これは綾と閃一が幼い頃だ。


 二人はとある小さな村に産まれ、平和に過ごしていた。

 この村は深月村。陽華村から少し離れた場所に位置しているため、陽華村との交流も盛んな村である。


『どうして、今更こんな記憶が・・・』


 そして綾と閃一は遊び尽くしたのか、家に帰っていった。

 綾が帰ってきてしばらくすると・・・


『あれは・・・父さんと母さん?』


「ただいま綾!!」


「お父さんお帰りなさい!!!」


 そう言って綾は、自分の父に抱きついた。

 綾の父はハンターを仕事としており、この深月村に拠点を置き、村を護っている。そして閃一の父もハンターであり、二人の父親は共に行動している仲でもある。


『懐かしいな・・・』


「おかえりなさい。ご飯の用意はできてるから、食べましょう?」


「おお、そうだな。・・・ていうか、また煙草吸ったろ?」


「あ、バレちゃった?」


『母さんは煙草を吸う人だった・・・。でも、煙草の臭いなんて気にならないくらい、大好きだったな・・・』


 そして綾の家族は皆そろって食卓を囲んだ。


 しかし、そんな平和は長くは続かなかった。


 ある日、村にモンスターが向かってきた。


「いいか、村の皆と陽華村に逃げておくんだぞ!!」


「いやだ!お父さん行っちゃやだ!!」


『私は幼くても、父さんの雰囲気で気づいてたな・・・。このモンスターを相手にすることは命の保証が無いことぐらい・・・』


「いいか?お母さんの言うことはきちんと聞くんだぞ・・・?」


 綾の父は涙を流して、綾を抱きしめて言った。彼は万が一のことを考える時が迫っていたために、こんな表情になってしまったのだろう。そんな父の顔を見た綾は、何も言い返せなかった。


 そして綾の父は、閃一の父と共にモンスターへ向かって行った。


 結果として向かってきていたモンスターは、何とか食い止められたものの二人は帰ってこなかった。彼らは命を犠牲にして村を守ったのだ。


『私が彼に・・・アセロンに感じた懐かしさは、これだ・・・』


 そして後にこの悲劇は、深紅の厄災によって引き起こされたものだと知ったのだった。


 そしていままでのような平和が訪れた村で、綾と閃一はまた丘を駆け上がっていた。二人の子供は丘のてっぺんまで登り切り、疲れきった様子で草むらに仰向けで倒れている。


「ハァ・・流石に疲れたな」


「そうだね・・・」


 疲れ切っていても、二人は何か決意の固まったかのような表情を浮かべていた。


『そうだ・・・この時からだ。ハンターを志し始めたのは・・・』


「俺達で、父さん達の代わりに村を守ろう!!」


「うん!」


 子供の夢はただの憧れでしかなく、何か目的があって持つものでは無い。しかし、この二人には確固たる意思があった。


 そして月日は流れて綾と閃一が13歳になった頃、二人は陽華村でハンターになるための修行を始めた。


『この頃は、夢に向かうので精一杯だったな・・・。でもその分、楽しかった・・・』


「なあ綾、俺達って村を守れるハンターになれるかな?」


「なに言ってるのよ、閃一。二人で力を合わせれば大丈夫よ!」


「・・・そうだな。修行はまだ始まったばかりだ!」


 彼らは不安と決意の入り交じった修行に入り浸っていた。


 さらに月日は流れて二人が16歳になった頃、彼らは晴れてハンターとして認められた。

 この日は陽華村の村長である源八に、祝い事を開いて貰っていた。


「今日という日を、二人の思い出に残る日にしよう!だからこそ、盛大に盛り上げていくぞ!!」


 閃一と綾は陽華村で修行を積み重ねていく内に、この村の人々からの信頼を積み重ねていた。


「みんなありがとう!!」


「頑張るからよろしくねー!!」


『夢に近づいた実感が一番沸いたから、私の人生で一番楽しかった日・・・』


 彼らは、後日行われた“初めての依頼”を無事に終わらせ、再び村の人々から祝福された。

 この時の二人は陽華村で活動していたが、時々深月村に帰っていた。そしてこの記憶は、そんな帰ってきた時のこと。


「母さんただいまー!!」


「・・・綾!おかえり!」


 綾の母は、帰って来るなりすぐに綾に抱きついた。


「よかった・・・、無事に帰ってきてくれて・・・! 初めての依頼、ご苦労様」


「私なら大丈夫だよ!だってお父さんの娘だもん!」


 そして二人の時間は流れていく。


「母さん、また煙草吸ってる。もういい加減やめなよ~」


「なんでやめられないんだろうね?私も何で吸ってるのか分からなくなってきたよ」


「えー、なにそれ!」


「なんだろうな・・・。吸ってると落ち着くというか、忘れられるというか・・・」


「ふ~ん?」


 そうして夜空に煙が溶けていく。


『今思えば・・・父さんのことが、まだ割り切れなかったのかも・・・』


「あ、そうだ。これあげるよ」


 そう言って母は、ピアスを綾に渡した。


「何コレ・・・、ピアス?どうしてこれを?」


「これは私が、今の綾と同じぐらいの時に付けてた物なの。記念日のプレゼントとか、考えてたら切りが無くってね。こういうのでもいいなら、受け取ってくれない?」


 綾はそのピアスを受け取り、大切そうに握りしめた。


「ありがとう、母さん。また今度付けて、見せてあげるからね!」


 翌朝、二人は早速故郷を出ることとなったため、ピアスは陽華村で付けた。


『このピアスは、今でも付けてる大切な物・・・』


 それでも月日は流れていく。人が傷ついた記憶から抜け出す間もなく。


 綾と閃一は18歳となった。

 二人はハンターとしての実力をメキメキと伸ばしていき、陽華村と深月村の依頼、両方を同時こなせるほどの実力と要領を手にしていた。

 綾も閃一も、お互いに対する想いを自覚し始め、ちょっと良い雰囲気になることもしばしば・・・

 そんなムードを突き破るかのように、陽華村にレオとミラがやってきた。理由は綾と同じ、ハンターになる修行をつけてもらうためだ。


「あなたは・・・新しい子?」


 綾がミラに話しかけると、元気にミラは返した。


「そう!今日からお世話になるミラです、よろしく!」


「僕はレオと言います。一番歳が近いハンターさんが、あなた達と伺ったので」


 レオは相変わらず礼儀正しく挨拶をした。その好感を持てる挨拶に、閃一は返した。


「じゃあ、俺達の後輩って訳か。よろしくな!」


 彼らが知り合ってからおよそ1年が経ち、四人の仲はお互いに信頼を置ける仲へと進展した。


『この時の閃一は、まだおかしくなかった・・・』


 そして場面は切り替わり、陽華村のとある日の夜になった。

 昼間は賑やかな村だが、夜は静まり返っている。その静かさは不気味なほどであった。

 そんな村のある場所で、綾と閃一は隣り合わせで座っていた。


「ねえ、閃一・・・。明日からは、別々で行動することになるんだよね・・・」


「そうだな。それも別の地へ向かう上に、長期間だ。忙しい時期だから仕方無いさ。でも俺達なら、一人になってもやれるさ」


「だよね。こんなことで心配してちゃいけないね」


 すると、閃一は緊張した様子で、かつ真剣な眼差しで話し始めた。


「・・・この長期間の依頼の前に言っておきたいことがあるんだ」


「何?」綾は少し期待していた。


「俺と、付き合ってくれ。結婚を前提に・・・!」


 その言葉に綾は顔が赤くなり、汗が噴き出す。

 一瞬返事に困るも、閃一の表情を見て一瞬にして冷静になった。


「・・・うん、よろしくお願いします」


 そして二人は、月が静かに美しく照らす中で、唇を重ねた。


『ああ・・・これが私の人生で一番幸せだった日・・・。初めてお互いを恋人として認め合い、確かめ合い、体を許した・・・』


 この華々しい記憶の中に、綾は浸っていた。

 それでも時間が止まることは無い。


 二人は離ればなれになってしまったが、長期に渡る依頼を無事にこなし、再開することとなった。

 そして運命の時は訪れた――


 綾は閃一よりも一足先に依頼を終わらせており、しばらく待つ形で陽華村に滞在していた。


「閃一まだかな・・・。ソワソワしちゃうなぁ~」


 “ 会えない時間が愛を育む ” という言葉があるように、綾の頭は閃一でいっぱいだった。彼に会いたい、また愛を確かめ合いたい、深月村のみんなにも教えてあげたい。そう想って待つ時間も、また至福の刻だった。

 しかし、二人は多忙の身である。デビュー祝いの日から深月村に帰れていない。そのため、久しぶりの帰宅で付き合った報告をすることになるのは、とても幸せなことだった。


 すると――


「閃一が帰ってきたよ!!!」


 ミラが綾の元へ飛んで来て教えてくれた。


「!!!!」


 綾は部屋を飛び出し、髪型などに注意を払いながらミラに導かれるがままに向かっていった。

 そして遂に、閃一に再会した。


 だが、彼の様子はおかしかった。


「閃一おかえり!・・・って、どうかしたの?」


「ああ綾か、ただいま。あまり気にしないでくれ・・・」


 彼の顔色は悪く、元気が全くない。

 閃一は綾の横を通って、自宅へと歩いて行ってしまった。


「閃一・・・?」


 呆然としている綾に、レオが駆け寄ってきた。


「あ、綾さん。さっきから閃一さんがあんな感じで・・・、何か知っていることは無い?」


「ううん、何も知らない・・・」


「そっか。多分依頼で疲れてるだけだろうし、今日の間はそっとして置いてあげよう?どうせまた無理したんだよ!」


 そしてこの日は、綾の想いが無下にされて終わりを迎えた。


『この日からだ・・・閃一がどんどん変わっていって・・・』


 次の日からは、閃一はまるで人が変わったかのように暗くなった。


「閃一、何かあったの?悩みがあるなら話してよ」


「いや、何でも無い・・・。本当に、気にしないでくれ」


「そっか・・・。じゃあ、結婚のことで――」


「その話はまた今度にしよう。まだ忙しい時期だし・・・な?」


 閃一はずっと俯いていた。


「・・・うん、分かった・・・」


 そして、時間は残酷な程に過ぎていく。


 ある日の閃一は、やるせない想いを吐き出すかのような夜を綾と共に過ごし、朝を迎えていた。


「ん・・・閃一おはよ・・・」


「・・・」


 寝ぼけているから聞こえなかったからなのか、閃一は返事をしなかった。

 この日から閃一は口数が減っていった。


 そしてまた別の日に、深月村に帰ることを予定してた日が来たが、閃一は帰ることを拒否した。


「どうして嫌がるの?疲れてるなら一度帰った方が良いよ」


「いや・・・乗り気じゃねえ。帰るなら一人で行ってくれ」


「じゃあ、私も残る・・・」


「・・・」


 二人はこの日、故郷には帰らなかった。


 さらに別の日には、ついに閃一が綾に当たるようになってしまった。


「さっきからしつこいんだよ!!気にすんなって言ってんだろ!!」


 閃一はそう叫び、綾に拳を振るってしまった。その拳は綾の頬に直撃し、彼女が地面に倒れた。


「・・・ごめんなさい。でも、あなたの事が本当に――」


 綾は頬を押さえ、涙ぐみながら言った。閃一はそんな綾の様子を見て正気に戻ったのか、視線を逸らして部屋から出て行ってしまった。


 さらに時間は経ち、閃一の素行は日に日に悪化していった。表ではいつも通りの閃一だったが、二人きりになると以前の面影は消え去ってしまう。いつしか、綾はそんな閃一の顔色ばかりを伺うようになっていた。


 そんなとある日、閃一は驚愕の言葉を口にした。


「なあ綾」


 綾は僅かにビクついた。

 もうこの時の彼女は、閃一の欲求とストレスのはけ口になっているだけだった。

 だがそれでも彼女は、彼から離れられなかった。今まで支え合ってきた唯一の幼馴染みだからこそ、執着してしまっていた。

 だが、今回の綾は違った。今回こそは彼に反論し、問い詰めるのだと意気込んだ。


「きょ、今日は――」


「こんなの手に入れたんだよ」


 閃一は綾の言葉を遮り、何やら怪しい液体を取り出した。


「何・・・それ・・・?」


「さあな、何だろうな~?」


 今の閃一は綾の知らない所で、やってはいけない事に手を出していた。


「いや・・・絶対に嫌!!」


 もはや彼からは恐怖しか感じられなかった。綾はとっさにその場を立って逃げだそうとしたが、閃一に押さえられてしまった。


「俺だけってのもズルいだろ?だからお前もさ」


 閃一の目はいつもとは違い、あきらかに様子がおかしい。普通とは程遠い。


「痛ッ・・・!離して!」


「抵抗すんなよ。お前は俺のモノなんだから」


「お願い、止めて・・・!」


 そして閃一は無理矢理に綾を押し倒し、彼女の首筋からその液体を――


『・・・思い出したくも無いのに、このことが脳裏に焼き付いて離れない・・・。こんなに乱暴に扱われたのに、私はまだ彼のことが・・・』


 謎の液体を注入されたのはあの日限りでは無かった。その後もそういった行為と共に、無理矢理迫られる時が何度もあった。一時的な快楽を得ることが出来ても楽しんでいるのは閃一だけであり、綾の心は日を追うごとに、音を立てて壊れていった。


 その後の綾は、真実を知るものからすれば見るに堪えない存在となった。 

 彼女は閃一に付けられた痕を隠すために、インナーを首周りまで隠すことのできるものに変えていた。加えて以前までのインナーは袖が肩までしかないものだったが、不自然なまでに突然、袖が手首まで伸びていた。


 そして、深月村にはまだ帰れていなかった。閃一の気が乗らない日々を繰り返している内に、綾自身も自分の容姿の変貌ぶりから、故郷に帰りづらくなっていた。


 幼馴染みの男の子と、大きな夢を掲げて進んできた人生。その夢を叶え、好きだった幼馴染みとも結ばれた。そんな人生は、一瞬にして崩れ去った。


 だが、運命の分岐点はまだもう一つあった。


 そして綾の精神が壊れかけていた所に、一つの依頼がやって来た。深紅の厄災があった時以来の恐ろしいものだった。

 その依頼とは、陽華村の周辺の標高がかなり高い所にある危険地帯に強大なモンスターが現れたというものだった。そのモンスターは陽華村だけでなく、深月村をも脅かしていた。

 この依頼は緊急で対応しなくてはならず、現在動けるハンターで最も実力のある綾と閃一が担当することとなった。


『もう、ここから先は見たくも無い・・・』


 深月村からの依頼ということで二人は張り切って・・そんなことは無く、綾と閃一の間には歪な関係が出来ており、依頼どころでは無かった。


 綾は悲しみを抱えながら依頼に出た。そして目標のいる地点へと辿り着いた。


 危険地帯の中にある目的地とは、草木の一つも生えていない殺伐とした場所だ。

 しかし、二人がその目的地に辿り着くと、以前と雰囲気は変わっていた。

 いつも通りの殺伐とした空気に加え、空模様は雨が降っていないだけで大荒れ、それどころか高い所から見下ろす景色は嵐のようなものに遮られ、一切見えなかった。

 そこにいる強大なモンスターを探して見ると、そのモンスターに近づいているのか徐々に空模様や雰囲気が暗くなっていった。

 そして進んだ先にいたのは――


 幻龍だった。


 二人は最初、それが幻龍だと知らずに、果敢に立ち向かっていった。

 だが相手は幻龍だ。全く刃が立たず、すぐに防戦一方となてしまった。


「オイオイオイ!どうすんだコイツ!?」


「分からないよ!!こんなモンスター・・・遭ったことない!!」


 より荒れていく天候、戦いの衝撃で変形していく地形。その幻龍が天に向かって咆哮を上げる度に、雷が降り注いだ。

 雷を避けるなど不可能。そのため、二人が生きているのは紛れもない運。しかし、幻龍の強さは人知を超えた能力だけではなく、その脚による一薙ぎすらも背物としての一線を画している。

 まるで厄災そのものような存在から、逃げ惑っていた。


 二人は岩陰に隠れていた。幻龍は未だに二人を探しており、天候は荒れたままだった。

 閃一は体力を消耗しきり、肩で息をしている。一方綾はというと、閃一と同様知体力を消耗しきっている上に、幻龍の脚の一薙ぎによって脚を負傷しており、走ることもままならなくなっていた。


「閃一、私もう、無理かも・・・」


「・・・そうか、なら――」


 すると閃一は岩陰から出て、幻龍の方めがけて炸裂弾を投げた。その炸裂弾は幻龍の近くで爆発し、大きな音を立てた。すると幻龍は、注意を綾の方へ向けた。


「なっ、何で!?どうして――」


「もう無理なんだろ!?だったら最期ぐらい役に立つんだな!!」


 そう言い残して閃一は逃げていった。

 そして綾は一人残された。


『私は閃一に見捨てられて・・・幻龍と一人で戦った。脚の怪我も、その後に負った怪我も気にならないぐらい、絶望した・・・。でも、死にたくはなかた・・・』


 綾はただ一人残されても、戦い続けた。村のために、なによりも、自分の生きている意味を全て失いたくはないから。


 彼女は死に物狂いで戦い続け、その果てに幻龍の撃退に成功した。戦いを終えた時の綾は、生きているのも奇跡のような状態だった。


 それでも、綾は残された力を全て振り絞り、翌日、陽華村へ帰還した。村中は大騒ぎになり、綾は急いで医療設備へと運び込まれた。

 その後、閃一に関して判明したことがあった。彼は綾を見捨てて逃げた後、“綾は死んで自分は命からがら逃げてきた”と言っていたそうだ。綾は閃一に見捨てられていたため、その情報に絶望することは無かった。 そして、閃一は何かから逃げるように、村から出て行ってしまったそうだ。

 だが、閃一の行方を知るものは一人もおらず、彼は行方不明となった。


 そこから数日間、綾は戦いの傷による痛み、そして閃一に無理矢理摂取させられ続けていた、謎の液体の反作用によって苦しんでいた。

 それでも彼女は、苦痛に悶え続けた末に回復・克服し、故郷である深月村へ帰るよう村長に言い渡された。

 この依頼の最中、彼女は閃一に裏切られた挙句、一人で幻龍と戦うことになってしまった。その肉体的・精神的疲労を故郷に帰って癒やして欲しいということで、村長が事前に長めの休暇を取っておいてくれたのだ。


「綾よ・・・、この度の依頼、大義であった。そして、すまなかった。この村の村長として過ごしてきたのにも関わらず、君達二人の関係に気づくことが出来なかった。だから、故郷でその傷を癒してきて欲しい」


「はい・・・ありがとうございます、村長」


 およそ4年ぶりの故郷だった。

 そして綾が深月村へ向かうための準備を終わらせると、村の門にはレオとミラが立っていた。


「綾姉・・・その・・・大丈夫?」


 いつもの明るいミラからは想像できないくらいに、モジモジとしている。


「私はもう大丈夫。心配を掛けたね」


「二人の関係に違和感は持ってたんだ・・・なのに、ごめん」


 レオも言葉を選びながら綾に接している。


「あなたが謝る必要なんて・・・、本当に私はそこまで気にしてないから」


 綾はいつものような明るさの無い二人に、壁を感じていた。まるで壊れやすい造形物を触っているような慎重さを感じたからだ。


「大丈夫な訳無いよ・・・。だって綾さん、ついこの間まで何かに悶えてたんだよ?体は大丈夫でも、心はまだ・・・」


「でも――」


 すると、ミラが綾の首元のインナーを捲った。そこには、閃一に無理矢理付けられた痕が残っていた。

 ミラはある程度予想できた上でインナーを捲った。だがレオもミラも、いざ目の当たりにして目を大きく見開いている。


「こんなになるまで私達に隠して・・・、どうして相談してくれなかったの!?」


「・・・」


 綾は俯いて何も返せずにいた。そんな綾をミラが抱きしめ、涙を流しながら言った。


「それでも、閃一の事が好きだったんだよね?怖くて言えなかったとしても、誰にも知られたくなかったから言わなかっただけでも、私達は綾姉の味方だから!」


「私は・・・」


「もういいんだよ、これ以上言わなくっていい。僕たちが言っていることが響かなくても、僕たちはいつでも綾さんの居場所になるって事だけ理解してくれれば、それでいいから・・・。だから、これからは、もう・・・」


 綾も涙を浮かべ、ミラに抱きついた。


『この時の二人は、絶対に無理してた。・・・今でも、無理してるのかな・・・』


 そして綾は門を潜り、深月村へと向かった。


 最後にレオとミラと話したからなのか、彼女の足は少し軽くなっていた。

 村が近づくにつれて、母親に会えることに対する高揚感が、ほんの少しずつ募っていた。


 陽華村も完全に見えなくなった頃、空はすっかり暗くなり、星空が美しい。冷え切った風が綾の首筋を掠め、閃一を失った喪失感を改めて感じさせた。

 そして丘を越えようとしたとき、その先から明かりが浮かんできて、深月村に到着したことを確かなものにした。綾は高まる高揚感と共に、その明かりに向かって走り出した。そして丘を越えた先にあったのは――



 燃え盛る村だった。



「何・・・これ・・・?」


 綾は手に持った荷物を地面に落とし、炎を見つめている。それは暖かな村の灯火ではなく、村を焼き尽くす火炎だったのだ。


「一体何があってこんな・・・」


 放心状態の綾を、炎で物が焼ける臭いが正気に戻した。そして綾は落とした荷物を拾い、その炎をへ向かって再び走り出した。


 村に飛び込んで生存者を探しつつ、ひたすらに自分の家を目指す。


「誰か!!生きている人はいないの!!?」


 大声を上げて確かめるものの、誰一人として声に返す者はいなかった。聞こえるのは炎のパチパチという音と、何かが破裂した音ばかり。


「どうか母さんだけでも、無事でいて・・・!!」


 綾は自分の家があったであろう所に辿り着くと、そこにはなんと、


 閃一がいた。


 しかし、閃一は何かを掴み上げている。


「あれは・・閃一!? それに掴んでいるのは、・・・いけない!!!」


 閃一が掴み上げているのは、綾の母親だったのだ。燃え盛る綾の家を横目に、閃一は綾の母親に対して槍を突きつけていた。


「駄目!!母さん!!!」


 綾の母は、綾の叫びに気づき、走っている彼女の方を向いた。そして綾と目が合った瞬間、閃一の槍が母の胸をを貫いた。


「嫌あああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 母が地面に落ちると、閃一はどこかへと消えていった。

 そして綾は母の元へ駆けつけた。


「母さん、母さん!!・・・今手当をするから!!」


 綾は母の傷を手当てするために荷物から道具を取り出そうとした所、母が綾に話しかけてきた。


「綾・・・、手当なんていいから・・・聞いて欲しいことがあるの・・・」


 綾はその言葉を無視して、道具を使って手当をしようとした。しかし、傷は深く、もう死んでしまうこと事は、火を見るよりも明らかだった。


「だから・・・聞いて?」


「・・・何、母さん・・?」


 綾は諦めたかのように道具を地面に置いた。そして母を抱きかかえた。


「まずあなたに謝りたい・・・。私は、お父さんの分まで、親らしいことは、あまり出来なかった・・・、ごめんなさい」


「どうして皆して謝るのさ・・・!母さんは・・・ちゃんと母さんだったよ!」


 母の苦しそうな表情が徐々に薄れていき、死に近づいていることを感じさせる。


「それと・・・閃一君のことは、憎まないであげて・・・」


「どうして・・・!?あいつは私を傷つけて、母さんを殺して、多分だけど、村をこんなにしたのも、あいつなんだよ!?」


「村がめちゃくちゃになったのは、閃一君のやったこと・・・。でも、それでも、彼を憎まないであげて・・・。彼にだって、何か事情があるはず・・・」


「でも・・・そんな事で、憎まないはずが・・・」


「・・・母さんからのお願いよ、聞いて」


 綾は思い出した。父が最後に言い遺した言葉は、母の言うことはちゃんと聞くことだったことを。


「・・・うん、分かった・・・」


「ふふっ、偉いわね・・・。あ、これ・・・」


 母は笑うと、綾の耳に手を伸ばしてきた。綾は反射的にその手を握った。


「私が記念にあげたピアス・・・。よかった、付けてくれてたんだ・・・」


 そして母の命は、尽きた。


「母さん・・・目を覚ましてよ・・・」


 母の亡骸を抱いている間も、炎は広がり続ける。しかし、綾は逃げようとはしなかった。愛した人に裏切られ、守るべき故郷は滅び、唯一の肉親は目の前で殺されたからだ。彼女が人生を諦めるには、十分だった。


 しかし、運命のいたずらか、突然雨が降り始めた。

 雨によって村の火は一瞬にして鎮火され、そこには建物の残骸と村人の遺体、そして母を抱える綾だけが残った。


『最後に遺ったには、このピアスだけ・・・』


――――――――


 翌日の朝早くに、綾は陽華村に戻ってきた。その時の綾の様子は、以前よりもさらに暗く、俯いたままトボトボと歩いている。

 村人の一人が、帰ってきた綾の様子を見て、心配そうに声を掛けてきた。


「綾ちゃん・・・? どうしたの・・・何かあったの?」


 綾は俯いたまま、低い声で答えた。


「大丈夫です・・・。今から村長の所へ・・・」


 そして綾は源八の所へ向かって行った。そこまでの道のりですれ違った人々は、いつもとかけ離れた様子の綾を見て、目を見開いた。


 綾は源八の元へと辿り着くと、深月村で起った出来事の全てを話した。源八も例に漏れず、ますます暗くなった綾の様子に驚いていた。


「な、何だと!?・・・一先ずは、よくぞ無事に帰った。後の調査は任せてくれ」


 そう言葉を掛けると、源八は直ぐさま深月村に向けて調査隊を派遣した。


――――――


 綾は閃一に告白された時にいた場所に座っていた。あの時とは違い太陽が眩しく、逆に綾の表情は暗い。そして彼女の隣には誰も居ない。

 ボーッと空を眺めている綾に、レオとミラが後ろから声を掛けてきた。


「・・・綾さん、ですか?」


「・・・レオ?」


 綾は振り返り、二人を見つめた。この二人も綾の顔を見るなり、僅かに顔を歪めた。


「綾姉、私からなんて言ったらいいか分からないけど・・・私から出来ることはもう、これぐらいしか・・・」


 そう言うと、ミラは綾をふわりと抱きしめた。綾が深月村に向かう前と同じだ。


『この子は、昔からレオ以上に無理をする子だった・・・。勿論、この時も・・』


 しかし、綾の心は少しも満たされなかった。そしてミラの袴の袖を握りしめて小さく、低い声で言った。


「あなたは、私のより所になってくれる・・・?」


「綾姉・・・?」


 ミラは何か違和感を感じ取った。それも暗く、哀しいものを。


「私には、何も残っていない・・・。閃一も、父さんも母さんも、故郷も・・・全部・・・全部失った。私は、誰かに救って貰いたい。私が、私のままでいられるように・・・」


 綾の声はかすれ、震えていた。しかし、その言葉にはどこか押し付けるような執着が滲んでいた。


「だったらミラ、レオ・・・あなた達が私の全てになって。私を見捨てないで。私から離れないで。私を受け入れて。二人さえいれば、私は・・・」


 その瞬間、綾の掴む手の力が強くなり、ミラは思わず綾から離れてしまった。

 ミラの顔は一瞬恐怖に染まっており、綾をわかりやすく拒絶していた。しかし、すぐに正気に戻り、必死に取り繕おうとした。


「ち、違うの・・・!別に拒絶した訳じゃ・・・無いから・・・」


 ミラの声は震えていた。一瞬だけ、彼女はその場から逃げ出したい衝動に駆られたが、それを必死に堪えていた。

 綾の表情は変わっていなかったが、その瞳の奥深くは更なる悲しみで満ちていた。


「ごめんなさい・・・。私がどうかしてた・・・」


「待って・・・!綾姉は――」


 するとレオがミラを引き留めた。


「これ以上は駄目だ・・・。今の俺達じゃあ、どうすることも・・・」


 レオはどうすればいいのか思いつかない自分に憤りを感じていた。

 そして、綾はどこかへ去ってしまった。


――――――


 翌日の夜、綾は家に籠もっていた。彼女はあれから完全に塞ぎ込んでしまい、ずっと家に閉じこもっていた。

 すると、家の扉が叩かれたことに気がついた。それまでの間、ミラが綾を元気づけようと訪ねてくることはあったが、その全てを無視した。しかし、今回は何かが違う気がした。

 そして綾はその扉を開けた。その先には、源八が立っていた。


「・・・夜分遅くにすまない」


「いえ・・・、一体何の用ですか・・・?」


 その綾の姿は変わり果てていて、綺麗だった髪はボサボサで、目元には深い隈が刻まれており、両手首と首元には包帯が巻かれていた。しかし、陽華村に戻ってきた時の綾の手首に傷は無かったため、彼女が自傷行為を行っていたことは明確だった。


「調査報告をしに来たのだが・・・」


 源八は報告を始めたが、綾は報告の殆どを聞いていなかった。しかし、村の生き残りがいないこと、閃一は見つかっていないことは聞くまでも無かった。


「・・・そしてこれが、君の母親の遺品だ」


「・・・!」


「すまない、これだけしか見つけられなかった」


 そういって源八から手渡された母の遺品は、煙草と古めかしいライターだった。


「それでは、私はこれにてお暇させてもらおう。・・・くれぐれも、変なコトは考えないように」


「・・・はい」


 そうして綾は、夜の自室で一人、母の形見である煙草を見つめていた。


『母さんの気持ちが、ここでようやく分かったんだ・・・』


 すると綾は煙草を一本取りだして、おもむろにライターを使って煙草に火を付けた。そして煙草を口元へ運び、人生で初めて、煙草を吸った。


「・・・ゲホッ ゲホッ!!」


 初めての煙草は、咳き込んでしまう。

 窓の外へとゆらゆらと舞い上がって空気に溶けていく煙と、吸う度に胸に広がる感覚に、綾は思った。


「母さん・・・、あなたの煙草を吸う気持ちが、少し分かった気がします・・・」


 過去の栄華は消え去り、残り僅かだったより所も消えて無くなってしまった。まるで夢を見ていて、その夢から覚めたかのように。そして綾には虚しさだけが残った。


―――――――――――

―――――――――――


『今までの記憶は、まるで夢のようだった・・・。今の私には何も残っていないからこそ、日が経つにつれて、さらに輝きを増していく・・・』


 綾は無限に広がる虚無の空間を彷徨っていた。さっきまで見ていたかつての記憶が嘘のように消えた空間に、ただ一人残された。

 もはや、今見たのが走馬灯なのか何なのか、定かでは無かった。


『アセロンも私も、関わった人を不幸の渦に巻き込む存在・・・。愛した人達が皆、手指の間からこぼれ落ちていった・・・。それに、リディアまでも巻き込んで・・・』


 アセロンも綾も、目の前で最愛の人を失い、看取っていた。だからこそ、アセロンに対して僅かに心を開いたのかもしれない。


『だから私は、彼に懐かしさを感じて、閃一探そうとした。それなのに、私はアセロンを庇って・・・。どうしてこんなことを・・・』


 彼女の意識は戻っていく。まるで、深い海から浮かび上がってくるように。


『あれだけ拒絶しようとしても、失うのは嫌だったんだ・・・』


 そして綾は意識を取り戻した。


「どうして私ってこんなに、生きるのが下手なんだろう・・・」


 意識が現世に戻った綾は仰向けで倒れており、アセロンを庇ったことによって、体を引き裂かれていた。


 爆発の影響で燃え盛る王宮の中心で、綾は生死の境を彷徨っていた。


「どうして・・・?どうして俺を庇ったんだ!?」


 アセロンは理解出来なかった。

 彼に大斧が迫っていたため、閃一の注意は全てアセロンに向かっていた。そのため、綾は閃一を討ち取る事が出来る状況にいた。アセロンを見捨てれば自分の願いを叶えられるのだ。なのに、そのチャンスを無駄するどころか、自分の命を投げ捨ててアセロンを庇ったのだ。彼に理解出来るはずが無かった。


 それを見た閃一は、酷く落胆していた。


「あ~あ~。最後の最後で、会って間もない男を庇って死ぬなんてなぁ~。笑わせてくれる!」


「どうして、俺なんか・・・」


「どうしてって、お前に死んで欲しくなかったからに決まってんだろ?でも皮肉なことに、あいつが自分の命を投げ捨てると、返ってお前の負担になるだけ。本当に哀れな最期だな」


「どうしてそこまで、あいつをコケに出来る!?あいつは・・・お前にとって何だったんだ!?」


「俺にとってあいつは、ただの欲求の捌け口だよ。そんなのに情なんて湧かねえだろ?」


 そう言って閃一は斧を持ち直した。


「そろそろ終わらせねえとな。それでも死ぬのは、お前だったようだ」


 アセロンは、報いを受ける時が来たのだ。私怨に身を任せた報いを。


「庇ったところで・・・意味なんて無かったじゃねえかよ・・・!」


 彼は回復できていなかった。立ち上がることが出来ずに、うずくまっているままだった。


「今度こそ、死にな」


 閃一が斧を振り下ろした瞬間――


 彼の斧を持つ腕と両膝が切り裂かれた。そして、閃一は地面に倒れた。


「何だ!? ・・・アセロンが居ない!!」


 アセロンが何かしたのかと彼の方に視線を向けるも、奴は消えていた。咄嗟に辺りを見渡すとそこには、アセロンを抱えたシリウスがいた。


「何とか間に合ったみたいだね、アセロン」


 閃一の腕を切り裂いたのはシリウスだった。


「シリウス・・・?お前、どうしてここに・・・?」


「説明は長くなるから後でね。ほら、これ飲んで」


 シリウスは優しい口調で話し、アセロンに幻龍の血の混ざった異形の血を飲ませた。アセロンにゆっくりと飲ませようとしたが、彼は一瞬でそれを飲み干した。


「確かに、話すと長くなりそうだな・・・」


 そう言いながら、アセロンは立ち上がった。


「僕はすぐにここから向かわなくちゃいけない。だからまたね、アセロン」


「おう。また後でな」


 そして、シリウスは一瞬にして王宮の外へと消えていった。


『あのシリウスという男、中々出来るではないか』


『そりゃあ、俺の家族みたいなもんだからな。・・・さっきは無茶苦茶して悪かったな』


『・・・もうそんなことは良いのだ。今は奴に集中するのだ』


『分かった』

 

 完全復活のように見えるが、限界を迎えた時の反動のせいで血液の順応が遅くなっている。そのため、体を正常に動かせるようになっただけで、身体強化や再生は出来なくなっている。


『血液の順応が遅い。身体の動作に問題は無いが、再生のようなことは一切出来なくなっているな・・・。いけるか?』


『いくしかない。あいつらの為にも』


 そしてアセロンは大太刀を閃一に向けて構えた。片腕の彼だが、その気迫は研ぎ澄まされ、激情に駆られている様子は一切無い。それでも、彼の中の激しい怒りは未だに煮え滾っていた。


「閃一、お互い片腕での勝負だ。フェアにいこうぜ」


 閃一はわなわなと震えており、斧を構えて叫んだ。


「毎回毎回、良い所でええぇぇぇ!!!!」


 そして、彼らは再び激突した。

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