第22話 血に溺れて

『おい、アセロン』


 アセロンは目を覚ました。自身の頭にノクの声が響き、無理矢理起こされた。

 そのため目覚めが悪く、窓から差し込む日光とは裏腹に、彼の気分は悪くなった。


「なんだよ・・・ノク」


『貴様も薄々気づいていると思うが、血のストックが減ってきている。この国を出て採取に向かうか、新たに対策を練る必要があるぞ』


 アセロンは重い足を動かして自身の荷物の中を確認した。改めて数えると、この国に来た当初に比べ、残りは3割弱程度となっている。


「確かにそうだな・・・。激しく消耗した分は完治したが、維持する分だけで考えても残り・・・1,2週間といったところか?節約すれば3週間はいけるか?」


『節約という手段は取らない方がいい。いつあの女やリオラのような存在に接触するか分かったものじゃ無い』


 アセロンは頭を抱えた。


 代用できる物質を探そうにも、できそうなものは粗方試していた。その上で判明した代用品は・・・無し。


「・・・あと5日間でストックが確保できなかった場合、この国を出ることにする」


『分かった、我の方でも消費を極力抑えるようにする。・・・だが時にアセロン、リオラは我らと似た部分があった。あの者の血液なら代用品となり得たのではないのか?』


「・・・黙れ。彼女の遺体にあれ以上手を加えてはならない。もうノルス村へと送った、諦める他無い」


 万策尽きたかのように思えたが、アセロン達はあることを思い出した。それは、リオラが言っていたことだった。


「リオラは・・・自分は幻龍と融合した存在だとか言っていたよな。ならば、幻龍なら代用できるのではないのか?」


『可能性は十分にあるが、生前の我は幻龍ではない。可能性は低い』


「だが、この可能性もあるということを覚えておこう」


『・・・そうだが、幻龍なんて早々いないぞ。アセロン、貴様は幻龍と何度対峙したことがある?』


 アセロンはばつが悪そうにして言った。


「・・・3回。いずれも討伐はできなかった」


『あと1,2週間で入手できるとは思えんな』


 だが時間は刻一刻と過ぎていく。二人は僅かな希望も抱けないまま、今日も依頼を受けに行く。


――――――


 綾が閃一と交戦してから二日間が経過した。綾はまだ怪我を治している最中で、復帰できずにいる。


 アセロンは身支度を終わらせると、綾に頼まれていた品を届けるために、その品を買っていた。


「ああ・・・102番・・・かな?これです、それお願いします。え、個数? あ~」


 彼が頼まれた品は、煙草だ。怪我人へ届ける品が煙草というのは相変わらず気が乗らない。

 だがしかし、綾は激しいストレスを負ったせいか、摂取量が増えているように見える。それだけではない。手持ちの煙草が無くなった時の荒れ方もひどい。なのでアセロンは、泣く泣く煙草を買わざるを得なかった。


「あ~、じゃあ3・・・4箱で。・・・高っ」


 アセロンが四苦八苦しているところに、ふいに背後から聞き覚えのある声が響いた。


「アセロン、久しぶりだな」


 その声にアセロンは振り返り、目を見開いた。そこには彼の幼馴染み、シリウスが立っていた。彼は穏やかな微笑みを浮かべている。


「シリウス・・・?」


「あぁ、僕だよ。思ったより早めの再開になったね。あれから大体・・・3ヶ月ぐらいかな?」


 アセロンは幼馴染みとの再会で嬉しいはずなのだが、なんとも言えない感情が渦巻いていた。


「・・・どうしてここに?」


「ヴァルドリアの活性化が異常な状況だと聞いて、上から派遣されたんだ。支援が必要だろうと考えてね。だが、君がここにいるとは驚きだったよ」


「そうか・・・」


 シリウスは、アセロンがいつもとは違う態度であることは気にしていないが、彼が煙草を買っていることが一番気になっていた。


「というかアセロン・・・煙草なんて吸う柄じゃないだろう?」


「いや、これは――」


――――――


 綾の部屋では、定期的に行われる包帯の巻き直しが行われていた。

 それを行っている看護師は、彼女の胸の傷を見て、驚いた表情を浮かべていた。


「もう傷が塞がってきてますね・・・。予定より早めに退院できるかもしれません」


「そうですか・・・」


 綾は退院が近いことを教えられた。

 彼女自身、傷自体は既に気にならない程には回復していた。


「よかったわね、綾!依頼には出れなくても、私の指導ぐらいはできるんじゃない?」


「そうですね・・・退院とはいっても激しい運動は厳禁なので、それさえ守れば可能だと思いますよ」


 看護師の方は優しく微笑んで言った。その言葉を聞いたリディアはさらに表情を明るくした。


 そんな中、突然部屋の扉がノックされた。


「まだダメ!!」


 まだ包帯が巻き終わっていなかったため、リディアがとっさにノックした人物の侵入を防いだ。そして巻き終えたのを確認し・・・


「・・・いいわよ!」


「失礼した・・・ほい、お見舞いの品だ」


 中に入ってきたのはアセロンだった。彼は綾に頼まれていた煙草を4箱持ってきた。

 しかし、綾はアセロンの方を見向きもしなかった。


「・・・どうも」


 そんな綾の態度にアセロンは「チッ」と舌打ちで返し、彼も視線を逸らした。


「それが買ってきて貰った相手に対する態度か」


「あれ・・・、二人と何か距離感が・・・」


 この二人の間からにじみ出る空気は、いつにも増して気持ちが悪かった。そのためリディアは戸惑い、看護師の方はいつのまにかいなくなっており、気まずい空間をただせる者がリディアしかいなくなった。


――――――


「これで・・・よし、書けました」


 一方、シリウスはヴァルドリアに到着したことを報告していた。場所は、この国で最も多くのハンターが行き来する集会所。そこで書類を書き、到着の手続きを終えていた。

 シリウスは、アセロンの幼馴染み達の中でも一番派遣されることが多く、フォルガーの中でもかなり上位の活躍を見せている。その理由は、彼が一人で活動しているため、自由が利きやすいからである。


「長旅お疲れ様でした~。早速で悪いのですが、この依頼をお願いしてもよろしいでしょうか?」


「えぇ、構いませんよ。それでお姉さん、この仕事はいつも何時頃に終わるんですか?」


 シリウスは受付をしている女性に対し、いきなり下心を露わにした。周りの目などお構いなし。

 しかし、シリウスの顔が良いばかりに女性も満更では無い顔をしている。


「えっと・・・、日によってまちまちですが、今日なら・・・20時頃です・・・。でも、この時間までに終われるんですか?」


「任せて下さい。僕なら時間通りに終わらせてみせますよ」


「おい、シリウス」


 シリウスが楽しんでいる所に、アセロンが横やりをいれた。


「お前またナンパしてんのか・・・」


「来ていたのか。別にいいじゃないか、断られたら僕は素直に引き下がるつもりだったから」


「別に私は構いませんので・・・」


 シリウスのナンパは成功した。


「そうだアセロン、煙草を渡すつもりだった人について聞きたいんだけど・・・、それは終わってからでいいか」


「俺の今回の依頼は、数日間は帰ってこられない。俺が帰ってきた時までに会っておきたいなら案内するぞ?・・・またナンパか?」


「違うし、今じゃなくて君が帰って来てからでいいよ。じゃあ、また後日ね」


 シリウスは一足先に依頼へと向かっていった。


――――――


 ヴァルドリア周辺の森がまだ静寂の中に佇む中、アセロンは単独で依頼に当たっていた。

 今回の依頼も、活性化した小型モンスターたちを討伐し、周辺地域の安全を確保すること。表向きは地域防衛のためだが、実際には彼自身の血液の供給のために幻龍を探していた。


「流石に・・・幻龍なんてそうそういねぇよな・・・」


『気配を感じるどころか、小型のモンスター共のせいで散漫になっている』


 小型モンスターを相手にしながらも、アセロンは常に代用品となり得る存在を探していた。


「なぁ、ノク。このクサリビトの血液・・・いけると思うか?」


『そういえば試してなかったな。だが、絶対無理だな』


「物は試しだ――」


 そう言うとアセロンは、自身の足下に倒れているクサリビトの死骸から血液を採取し、一気に飲み干した。

 しかし、その血液の味は終わっていた。まさしく木。雨上がりの日に森に入ると嗅ぐことの出来る、あの湿った樹木の臭いそのままの味だった。さらには、人間とはかけ離れた緑色の血液をしており、その見た目が不味さを助長させている。


「――どうだ?」


『効果なし。・・・オイ、病原菌が大量に侵入したぞ』


「何とかしておいてくれ」


『全く・・・。こういった行為も消耗するんだぞ』


 異形のモンスターに匹敵するほどの濃密な血液が他の何かで得られるなら、彼の命をつなぐための依存も緩和できる。だが、どのモンスターを討伐しても、彼が必要とする濃さの血液は手に入らず、失望ばかりが募っていた。


 森の中でしばらく歩いていると、獲物の気配を感じ取った。アセロンは慎重に木々の影に身を潜め、音を立てないようにゆっくりと歩みを進める。

 視界に入ったのは、活性化の影響を受けて少し大きくなった二頭の猛獣だった。アセロンはさっと大剣を構え、彼らの動きを観察し始めた。


「おいノク、こいつならいけるんじゃないのか?」


『・・・お前、こいつと戦った事無いのか?あいつは幻龍とはあまりにも程遠い存在だぞ』


「あるに決まってんだろ。ここに来てまだ摂取したことの無いものは、片っ端から試しておくべきだろ」


『・・・それもそうか』


 アセロンはその猛獣を狩り、血液を飲んだ。

 しかし、その猛獣たちは活性化前でも周辺で出没しており、この依頼の対象には含まれていなかった。それでも殺そうとする程、アセロンには余裕が無かった。


「・・・獣臭いな」


『効果なし。無差別に殺しているのに文句を言うでない』


 アセロンは依頼の目標であるモンスター以外も狩っていった。そしてついでと言わんばかりに、狩ったモンスターの血液を採取し、飲んでいく。


 全身を鉱物で覆い、岩と見分けがつかないモンスターの血や、


『効果なし』


 長い身体を持ち、ウネウネと移動する巨大な蛇のようなモンスターの血、


『効果なし』


 不快な足音を立てる節足動物のようなモンスターの血、


『効果なし』


 頭上の葉に付いていただけの虫、


『効果なし』


 モンスターにやられたであろう、人(ハンター)の死体から拝借した血、


『・・・効果なし』


 その人を殺したと思われる、全身から腐敗臭を放つ巨大なモンスターの血、


「ウ゛オ゛エ゛ェ ェ ェ ェ!!! 」


『吐くぐらいなら飲むな!』


 どの生物の血肉も、アセロンの命をつなぎ止めるものにはなり得なかった。


――――――


 翌日、アセロンは狩りを続けていた。


「この程度じゃどうにもならんか・・・」


 ため息をつきながらも、自身の命のため、復讐のためには探さねばならない。


 日が暮れ、ヴァルドリアの森は静寂に包まれていた。風の音すらかき消され、活性化による異様な圧力が森全体に漂っている。アセロンは枝葉を掻き分け、鬱蒼とした森林の奥へと歩みを進めていた。

 血の残量は少なく、体力も削がれ、片目と片腕での行動は厳しさを増している。だが、彼は諦めることなく前へと進んだ。


 狩りの途中、ふと森の奥から重低音が響いた。それは森の奥に生息する生物たちが警戒し、息を潜めている様子だった。アセロンは音のした方向に意識を集中させ、気配を探る。風を切る何かの影、規模の大きな動きを捕らえた瞬間、彼は自身の狩人としての勘が鋭く研ぎ澄まされていくのを感じた。


「ノク、感覚神経と神経系を強化しろ」


『分かった。・・・やはり何かを感じるな』


 アセロンは自身の勘、そして強化した感覚を頼りに、強大な気配のする方向へと進んでいった。その気配へと辿り着いた時、思わず彼は息を呑んだ。


「まさか・・・あれは――」


 彼が視線を向ける先には、巨大な影が森の奥から現れた。その姿は他のモンスターとは異質で、まるで幻のように揺らぎながら現れている。

 

 それは人知を超えた存在、幻龍だった。


 鋭い金色の眼光とともに、森の深部をゆっくりと歩む姿は圧倒的で、ただその存在感だけで他の生物を圧倒していた。アセロンはその場に足を止め、幻龍の動きを慎重に観察する。


「そうか・・・こいつが活性化の原因か」


 幻龍が突如としてこの地に現れたことで、他のモンスターが次々に生息域を追われ、新たな住処を求めて活性化したのだろう。

 アセロンはその推測が確信に変わると、鋭く息をついた。彼はすぐさま行動に移ろうとしたが、血液不足のために再生能力を使うことができず、限られた手段で立ち向かうしかなかった。

 片腕で握る重厚な大剣が、あの未知の生物にどこまで通用するのか不安もあるが、狩人としての技量に賭けるほかなかった。


「あいつさえ狩れば・・・」


 アセロンは静かに幻龍に向かって歩を進め、少しずつ距離を詰める。そして、森の影を利用し、幻龍の死角を見つけながら徐々に接近していく。幻龍が気づかぬように、微細な動きで距離を縮めた。


 いよいよ数メートルまで迫ったその瞬間、アセロンは攻撃を開始した。手にした大剣を一気に振り上げ、狙いを定めて幻龍の脚に向かって振り下ろす。


 しかし、次の瞬間、目の前の光景が歪んだ。時空の歪みがアセロンの攻撃を阻み、彼の体は一瞬で別の位置へと投げ出された。

 アセロンは、過去にも幻龍と戦ったことがあるため、この時空の歪みは、幻龍の力だとすぐさま理解した。


 そもそも幻龍とは人知の及ばない超常的な存在であり、目撃された数も、集められた情報も極端に少ない。アセロンのようなフォルガーが、危険度が解らない依頼やターゲットに派遣された時に極希に遭遇できるモンスターである。


「くそっ、なんて厄介な・・・!」


『こちらでも分析しておく。とりあえず、反射神経だけでも上げておくぞ』


 幻龍は一切の表情も見せず、淡々とアセロンを見下ろしていた。アセロンは何度も剣を振り、狙いを変えて攻撃を繰り返すも、幻龍の能力によって攻撃の軌道はことごとく歪められ、アセロン自身が別の場所に飛ばされたりもする。


「クソが・・・ッ!!避けねぇなら当たれよ!!」


 血液不足の影響で片目と片腕だけで戦っている彼にとって、この状況は極めて不利だった。

 時間が経つにつれて、体力も限界に近づいていく。目の前が霞む中、アセロンは戦略を立て直そうとするが、相手の力は圧倒的だった。幻龍の攻撃が一閃され、彼はかろうじて体をひねりながら受け流したものの、その衝撃で地面に叩きつけられた。

 彼は力を振り絞って立ち上がり、再び剣を構えるが、次の一手を考える余裕がなかった。

 幻龍の眼光が彼を見つめ、その存在自体が圧力となって彼の動きを縛り付けているかのようだった。今受けた攻撃に加え、数日間にわたる無差別の狩りによる極度の疲労の蓄積が、顕著に表れるようになっていた。

 彼は苦悶の表情を浮かべながらも、退却の決断を下すしかなかった。


「今のままでは勝てる気がしない!!逃げるぞノク!!」


『脚力の強化をしておくぞ』


 アセロンはその場を離れ、ヴァルドリアへと戻った。彼の胸には敗北の痛みが残り、血液を補給できなかった現実が重くのしかかっていた。

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