第21話 残響を抱いて

 アセロンは閃一と別れた後、綾を抱えてリディア達の所へ戻った。リディアや閃一の仲間達は綾の様子を見て驚いていたが、アセロンの中にはとある疑念が渦巻いていた。閃一が共に行動していた彼らに敵意はあるのかと。しかし、彼らと閃一はただの急造メンバー同士であり、互いのことなんて今日初めて知ったといっていた。彼らは、アセロン達に危害を加える存在出ないことが分かった。

 

 そして彼らは依頼を中断し、ヴァルドリアへ戻った。


― 翌日 ―


 綾はヴァルドリアにある医療施設の一室にいた。

 その部屋の空気は冷たく、薬草など、薬の香りがかすかに漂っていた。窓の外では風が吹き荒れ、木々の枝がガタガタと揺れている。

 彼女はベッドに座っており、自身の左目にそっと触れた。その目には包帯が巻かれており、左目を失ってしまったことを示している。その感触はまだ慣れないもので、失ったものの重さを感じさせた。横の鏡に映る自分の姿は、どこか違って見えた。


 この虚無ともいえる感覚に苛まれている中、部屋の扉がゆっくりと開いた。


「起きてる・・・? あ、起きてる!お見舞いに来たよ!」


 リディアだ。しかし、やってきたのは彼女一人のようだった。


「案外元気そうだね。流石に、まだ立てない感じ?」


「いや・・・立てる――」


 そう言って綾がベッドから足を下ろして腰を上げた瞬間、彼女の胸に激痛が走り、その場に倒れてしまった。綾が自身の胸に目をやると包帯が巻かれており、そこには僅かに血が滲んでいるように見えた。


「ッ――!」


「無理しちゃだめ!!お医者様を呼んでくるからじっと寝てなさい!」


――――――


「それで、あの後どうなったの?」


 リディアは自分の知る限りのことを綾に話した。


「分かれた後、アセロンが突然あなた達の方へ行ったと思ったら、大怪我を負ったあなたを抱えてきたの。帰った後はお母様に報告をしたのだけれど、殆どアセロンが報告してくれて、彼がいてくれなかったらまともに報告できなかったわ・・・」


「そう・・・。閃一を連れてた奴らは?」


「彼らは閃一さんとは殆ど無関係だったそうなの。アセロンと聞いたけれど、知らなかったと言ってたから本当よ」


 綾はまだ一つ気になることがあった。それは――


「閃一はあの後、どこにいたかとか分からない?」


「それね、お母様にも頼んで探してもらったわ。でも居なかった。しらみつぶしに探し回ったのだけれどね。・・・あ、そういえばあなたの服?袴?を修繕に出しておいたけど、いいわよね?」


「あぁ、ありがとう・・・」


 やはり彼女のモヤモヤは消えなかった。閃一という、誰にも明かしていない男を追いかけていた結果が、今の彼女だ。胸の傷口からぽっかりと心に穴が空いたような、やるせない気持ちが渦巻いていた。


「依頼と指導はアセロンが代わりに行ってくれるから、ゆっくりしてなさい。じゃ、またすぐに依頼兼指導だから。あとコレ、煙草。あの時はワガママ言って無理矢理消させて、ごめんね」


 そう言い残して、リディアは部屋を後にした。


 しばらくすると、綾の悲痛な叫びが部屋中に響き渡った。


――――――


「ふう、依頼終了!!!想定の何倍もの早さで終わったわね!」


「そうだな。なら、余った時間で指導な」


 アセロンとリディアは二人で依頼を消化していた。しかし、まだ出会って一日しか経っていないというのに、リディアは見ただけで分かる程に成長していた。

 今回はヌシビトの他に、様々なモンスターの撃退を引き受けた。以前はヌシビト相手に多少は緊張していたが、今はその雰囲気を全くといっていいほどに感じさせなかった。


「えー!」


「わーってるよ。先ずは飯に決まってんだろ?」


 アセロンがそう言うと、途端にリディアは上機嫌になって足早に飲食店へと進んでいった。


――――――


 そして二人はご飯を食べ終え、女王のいる宮殿へと戻っていった。

 宮殿に着くなり、女王の下へ報告に行った。


「アセロンさん、リディア、ご苦労様です。それで・・・、リディアの指導をしていただいていますが、この子はどうでしょうか?」


「そうですね・・・、想像よりも遙かに高い実力をお持ちでした。・・・お言葉ですが、これ以上訓練するまでも無いのでは?」


 女王はアセロンの言葉を聞き、彼女の表情は哀愁あふれるものへと変わった。女王は手元にあるカップを撫でた。その動きは、どこか繊細で愛情を込めているように感じられた。


「私も、これなら良いのではと思うときは何度もありました。ですが夫のことが忘れられず、娘には・・・この子には、同じような目に遭って欲しくないのです。夫なら一体、どのようにしたのでしょうか・・・?」


「お母様・・・」


 独り言のような語尾が混じることがあったが、それは深い愛情と喪失感を反映しているように聞こえた。


 その表情、その言葉を見て、聞いたアセロンの心が何故か疼いた。


「(なんだ・・・この感情・・・)」


『それは恐らく、私のせいだろう。この女王という者から、何か違和感のような・・・おかしな感覚を覚える』


『ノク!?・・・お前、いつもとは違う感覚と言ったな?それは敵意か?それとも他の何かか?俺じゃあこの感情は分からないぞ』


 アセロンがこの違和感の正体を探っている時。、リディアが女王に言葉を返した。


「大丈夫です、お母様。私は、自分の“王女”という立場を重々理解しています。だからこそ、あなたの言うことは、夢を諦めたくない私を思ってのこと。立場すら心配されなくてもいいようにならないと、ハンターなんてやれません」


 リディアは女王に寄り添い、自らの腕で包み込んだ。女王の表情が、柔らかく、穏やかになった。


「ありがとう、リディア 。 ・・・さぁ、しっかり指導してもらって来なさい」


「はい、お母様 。それじゃあ、行きましょうアセロンさん。・・・アセロンさん?」


「・・・!あぁ、すまない。行こう」


――――――


 アセロンとリディアは宮殿の中庭で、訓練を開始した。


 中庭は、鮮やかな緑に包まれ、静寂の中に風が葉を揺らす音だけが響いていた。噴水の水が優雅に跳ねる音が、穏やかな雰囲気をさらに引き立てる。だが、今この美しい庭園は、単なる憩いの場ではなく、厳しい訓練の場として使われていた。


 アセロンは庭園の中心に立ち、いつもの大剣とは違う普通の剣を使っている。その手に握った剣を軽く振るった。銀色に輝く刃が陽光を反射し、一瞬の閃光を放つ。その向かいに立つリディアは、長い髪を風に揺らしながらも冷静な瞳でアセロンを見据えていた。彼女の両手には剣が握られ、冷えた空気を感じ取るように軽く上下させている。


「二刀流か・・・」


「何よ、どこか問題でもあるの?・・・あ」


 リディアはアセロンの腕を見て、思わず声を出した。彼には片腕が無いから。これでは二刀流の指導が難しい。


「いや、そういうつもりじゃなかったの」


「言い出しっぺは俺だ。何の問題も無い。二刀流の心得はあったが、それだけじゃ難しいままだな」


 気を取り直し、二人は各々の武器を構えた。


「モンスターの活性化が起きているが、こういった対人やり方も少なからずやっておくべきだろう。・・・相手は人間だが武器は訓練用の物だ。俺をモンスターだと思って、遠慮せずにかかって来い」


「だったら、遠慮せずにやらせてもらう・・・ねっ!!」


 そう言うとリディアは軽く地面を蹴り、風を切るような速さでアセロンに向かって剣を振り下ろした。彼女の動きはまるで舞のように滑らかで、力強さを伴っていた。

 そんな攻撃でも、アセロンには遠く及ばなかった。彼は僅かに身を傾けるだけで避けて見せた。

 リディアは立て続けに攻撃を仕掛けた。しかし、その攻撃全てが見切られ、軽く身をよじるだけで避けられてしまう。


「はあぁぁぁぁ!?クソゲー!!!」


「そりゃそうだろ、俺はフォルガーだぞ。もっと速くて圧倒的なモンスターともたくさん戦ってきたから、人の攻撃でもある程度は見切れる」


「まぁそれくらいじゃなきゃやり応えが無いけど・・・でも何かムカつく!!」


 彼女は止めていた腕を動かし、再度攻撃を開始した。アセロンに剣を当てることに夢中になっていると、アセロンの反撃が飛んできた。


「ぎゃあぁ!」


 変な叫びと共に、リディアは超反射でその攻撃を回避した。


「おぉ、これを躱すか」


「こんのぉ・・・舐めるんじゃない!」


「お口がお悪いですよ」


「黙らっしゃい!!!」


 リディアは一瞬だけ剣を引き、再び攻撃を繰り出す。今回は真っ直ぐではなく、回り込むようにしてアセロンの側面を狙った。

 当然、アセロンには攻撃が当たらず、アセロンは余裕の表情を浮かべている。


「まだだ。もっとその身軽さを活かして動き回れ。避ける動きが大げさすぎだ。それに――」


「ぐぬぬ・・・!」


 庭園の中庭は、二人の緊張感と力のぶつかり合いで満たされていく。


 風が再び吹き抜け、周囲の木々が揺れる。その中で、リディアはアセロンと言葉を交わして、さらなる高みを目指して励んだ。庭園の美しさとは裏腹に、ここでは真剣勝負が繰り広げられていた。


――――――


 リディアとの訓練を終えた頃には、既に日は沈み、暗くなっていた。

 アセロンは綾に会うために、医療施設へと向かっていた。そして綾がいるという部屋へ辿り着き、扉を開けた。その部屋から、僅かに煙草の匂いがした。


 「よぉ、元気か・・・ってなんか匂うな」


 そう言って綾の方を見ると――


彼女が自身の手首にハサミの刃を立てていた。


 綾は驚いたような顔でアセロンの方をみている。そして、アセロンは反射的に飛び出し、ハサミを持っている方の腕をつかみ上げた。


「何やってんだお前!!」


「痛ったい・・・離して!!」


 アセロンに離す気は全くなかった。

 彼がふと落とした視線の先に、刃を立てていた左腕があった。その手首には、以前にも自ら付けたであろう痕がいくつもあった。


「嘘だろお前・・・」


「・・・あんたもそんな反応するんだ・・・」


 アセロンはこの一瞬で、以前レオに言われたことを思い出した。


『気がついたら、自傷行為にも走り始めて――』


 彼はとっさに綾の腕を離し、取り繕うようにして言った。


「いや・・・違うんだ。そんなつもりじゃないんだ」


「もういい・・・、煙草取ってくれない?」


 そう言って綾が指を指した。その先には煙草の箱があり、既に一箱吸い終わっているのが分かる。大方、リディアが持ってきたのだろうと見当が付く。


「あのバカ・・・ッ!怪我人に煙草を与えるなんて・・・!」


 アセロンは頭をかきながら応えた。


「お前、自分が怪我人だってこと分かってんのか!?今ぐらい我慢しろ!」


「うるさい、早くして」


「・・・わーったよ」


 アセロンは仕方無く煙草を取って綾に渡した。綾は貰うなりすぐに火をつけて吸い始めた。

 病院の一室に煙草の煙が広がる。窓から換気しているものの、病院で吸っているという現象にアセロンは気分が悪くなった。


「・・・不味い」


「煙草の味なんて、俺は分からねぇな。それにしても、そんな状態でよく吸うな」


「煙草は吸い始めて気がついたときには、中毒みたいになってるものなのよ」


「そうなのか」


「・・・」


 しばらく無言の時間が流れたが、アセロンが重い口を開いた。


「綾。あの男・・・閃一との関係を教えてくれないか?」


 彼の言葉は重く、何かを探るようだった。


「どうして?」


「知りたいだけだ。嫌なら結構だ」


 綾は一瞬、言葉を詰まらせたが、深呼吸してから話し始めた。


「・・・私たちは子供の頃、同じ村で育った。彼はいつも明るくて、村中の誰からも愛されていた。私たちは一緒に狩りを学んで、いつか村を守るハンターになるって誓い合ってた」


 アセロンは無言で彼女の言葉を待っている。綾は失われた左目を触りながら、過去の思い出を振り返るように続けた。


「閃一は、私の友達だった。とは言っても、ただの友達じゃない。幼馴染で・・・ずっと一緒にいた。私にとって彼は、もっと特別な存在だったんだ。お互いに愛し合ってたし・・・身体も許した仲だった。でも・・・ある日、彼は豹変した」


 彼女の声は少し震えていたが、抑えるように続けた。


「始めはただのストレスかと思ってたけど、長い仕事が一段落しても元に戻らなかった。暴力も振るようになったし、無理矢理迫られたことも沢山あった・・・。それにこれ・・・」


 綾はそう言うと、首に巻いていた包帯をほどいてアセロンに見せた。アセロンは思わず目を見開いた。

 彼女の首には針で刺されたような痕が複数あったのだ。さらに両腕の肘関節にも同じような痕があった。


「これが何か分かった?・・・注射跡。どうしてか、決して消えない痕。彼に強要されたけど、その時の私はもう断れなくなってた・・・。そして、狩りの最中、彼は私を見捨ててどこかへ行ってしまった・・・。その後が一番辛かった・・・」


 アセロンが少し眉をひそめ、綾の言葉に耳を傾けた。


「痛いことや悲しいことをされても、彼はいつか元に戻ってくれるって信じてた。彼は私を裏切ったのに、まだどこかで希望を抱いていた・・・」


 綾は少し声を詰まらせた。


「私が甘かったんだ。初めから私が一人で思い上がってただけなのかもしれない。なのに彼と一緒に居ようとした代償がこれ」


 綾は自嘲気味に話したが、その目には深い悲しみが宿っていた。アセロンは一瞬、言葉を失い、綾の痛みを感じ取るように視線を外に向けた。


「綾、お前は・・・それでも彼と共にいたいと思っているのか?」


 綾は静かに首を横に振った。


「もう閃一は、私を見てはくれない。もう諦めてるよ。だから、どうしてこうなってしまったのか、真実を知りたいだけ――」


 言葉が途切れたが、アセロンはその意味を理解していた。綾の目を見て、アセロンが言った。


「お前が選んだ道を、俺は尊重する。だが、俺の前で死んでくれるなよ。これ以上人に死なれるのはごめんだ」


「死ぬつもりは・・・今のところは無いわ。あんたは自分の心配だけしてればいい」


 失ったものは多かったが、今はまだ進むべき道が残されている。それを再確認した綾は、まっすぐ窓の外を眺めていた。


 その道が確固たるものでなくとも、進んでしまったからには引き返せない――

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