第2話 夢堕ち

 アセロンは目が覚めた。

 朝早くの寝起きの、あの意識が朦朧とする感覚が、さらなる眠気を誘い、体が布団に吸い込まれそうになる。

 しかし、いつもの朝を迎えたように感じるが、彼の全身には冷や汗が滲んでいた。それは、彼が悪夢を見ていたからだ。何者かの襲撃によって自身の腕を奪われただけで無く、最終的に命までもを奪われたからだ。


「夢か・・・、なんてたちの悪い・・・」


 アセロンが起き上がろうとすると、彼は体制を崩してしまい再びベッドへと倒れ込んでしまった。

 しかし、先ほどから違和感がある。視界がいつもより狭く、胸に閉塞感を感じる。そして、左腕が思うように動かせなかった。

 すると、突然彼の部屋の扉が開かれた。


「おはよー」


 そう言いながら、彼の幼馴染みの一人であるシリウスが扉を開け、かごを片手に部屋へ入ってきた。

 彼は部屋に入ってくるやいなや、起き上がったアセロンを見て驚いた表情を浮かべていた。

 その直後、シリウスはかごを置いて部屋から一目散に出て行ってしまった。そのかごの中には、果物や病気平癒祈願のお守りが入っていた。

 シリウスがあまりにも驚いた表情を浮かべたため、アセロンは自分のどこかがおかしいのかと、自分の全身を見渡した。すると――


 アセロンの左目が無かった。


 左腕だけでは無い。彼の胸には包帯がぐるぐる巻きにされており、まるで重症を負ったかのようだった。そして、先程から違和感のある左目にも触れると、アセロンの視界は手で覆われることは無く、そのことは彼の左目が失われていることを示唆していた。

 彼の見た悪夢は、現実だったのだ。

 その事を少しずつ認識していく度に、別のことが彼の心の中で大きく、荒々しく渦巻いていた。

 そんなことを考えてる最中、扉が今度は勢いよく開けられた。


「「「アセロン!!!」」」


 シリウスとミラやレオ、他の村の人々などの大勢の人達が、アセロンの部屋へと入ってきた。


「心配したんだよ!?あんな大怪我で帰ってくるから・・・!」


 レオが涙ぐみながら言った。彼は心優しい青年であるが、決して涙もろい訳では無い。その泣きじゃくるレオの顔を見て、アセロンの心は少しキュッと締め付けられた。


「心配をかけてすまなかったな。でもその様子からして・・・俺は一体どれだけ寝てたんだ?」


「「「1週間」」」


 部屋に居る人達が口をそろえて言った。


「1週間!?」


 アセロンは思わず驚きの声を上げた。1週間も眠るほどの怪我だったのかと、事の重大さに改めて気づいた。しかし、彼の見た夢では、今生きていることが奇跡以外では説明がつかない程の怪我を負っていた。


「あとアセロン、自分の姿がどうなっているのか、知っておくべきだ」


 シリウスが普段とは違う物々しい雰囲気で話す。

 そして、アセロンはシリウスに手を取られ、鏡の前まで連れてきてもらった。その途中で薄々気づいていたが、鏡の前に立ったときに答え合わせとなった。アセロンに巻かれた包帯を取り替えるついでに、彼は怪我の状態を確認した。

 そこには驚くべき姿があった。


 顔の左半分と胴体左半身のほとんどが傷跡になっていた。左目は潰されたためか、開かなくなっており、視界が僅かに平面的になっている。さらには左耳が無く、顔の左半分が抉り取られていたことを再認識した。それでも左耳があるかのように、音は聞こえており、気持ち悪さが増していく。

 そして肝心の左腕は、二の腕から下全部が無くなっていた。


「は・・ハハ・・・、随分と左側に集中してるんだな・・・。左耳もないし、目ぇ開かねぇし、でも髪の毛はちゃんと生えてる・・・ラッキー・・ハハ・・」


 乾いた笑いとともに訳の分からない冗談が出てくる。

 自分の体の大半が失われ、少し前までとは別人といえるほどの姿になってしまった。

 さらに悪夢が現実だったというのなら、生きているのが明らかにおかしい重症を負っていたはずだ。なのにその傷は塞がっている上に自分は生きている。

 まったく状況が飲み込めず、気持ち悪さが徐々に湧いてきた。


 だが、依然としてアセロンの中で渦巻いているものは、ますます大きくなっていき、荒々しさを増していた。


「アセロン・・・!別に片腕になってもハンターは続けられるし、それに――」


 必死にフォローしようとするレオの言葉を遮って、アセロンは自分の中にある渦に耐えきれずに訊ねた。


「なぁ、ルーカスはどこにいる?」


――――――


 アセロンはシリウス達から、悪夢の続きを教えて貰った。

 シリウス達が気づいたときには、アセロンは村の出入り口で血まみれの状態で倒れていたようで、本来は弾け飛んでいるであろうアセロンの頭部だが、そんなことはなかったそうだ。

 その後、別のメンバーでアセロン達の行った場所へ再調査に行った時の話を、シリウスから聞いた。シリウスが淡々と話している中、この凄惨な話に耐えられなくなった人が次々に部屋を出て行き、アセロンとシリウスと、レオとミラだけになった。


「・・・で、僕たちが調査して発見できたのは、無残なルーカスの遺体だけだった」


 シリウスは包み隠さずに話した。彼は淡々と語っているように聞こえるが、彼の声はいつもより低く、元気が無いのは簡単に感じ取れた。


「・・・俺はあの場で死んだはずだ。どうして村の前で倒れていたんだ?」


「それを君が知らないなら、僕たちも知らない。・・・でも、一つだけ解消されないことがあるんだ。その時の君は血まみれだったのに傷口らしきものが塞がり始めているように見えた。あの傷はどういうことだい?あの時、一体何があったんだ?」


 シリウスは話しかけた。

 今度はアセロンがことの顛末を語り出した。

 遭遇した謎のモンスターは、初めて見る異形のモンスターだったこと、その直後に謎のフードを被った女が現れ、自分の命を奪っていったこと、そしてその女がルーカスの命を奪ったことを話した。


「・・・ということがあって、その謎の女に俺たちは殺された。本当になぜ生きているのか分からないんだ。傷のことも分からない」


「そうか・・・、これ以上はまた後で聞こう。気持ちの整理がつくまでゆっくりしていてくれ」


 シリウスはアセロンの心を一旦休ませることが大切だと判断したため、この部屋を後にした。


「せっかく目が覚めたんだし、何か食べなよ。取ってくるよ」


 明るく振る舞い、アセロンの機嫌を取り戻そうとするレオだったが、彼が無理をしていることは簡単に分かった。


「・・・いらない」


 アセロンは冷たく返した。その声は相変わらず低く、レオの柔らかな言葉を勢いよく弾いた。


「そっか・・・。何か用があったら呼んでね・・・」


 レオは肩を落とし、そう言い残して出て行った。


「えっと・・・その・・・」


 何かを言うことができずにモジモジしているミラだけが残った。アセロンがこんな状態でなければ、いつものようなはっきりとした物言いで、アセロンに渇を入れるか生意気を言う所だったが、ただ二人でこの状況に取り残されては、何も言うことが出来ない。

 アセロンはそんな彼女を見て、冷たく突っぱねるかのように話しかけた。


「どうしたんだ?いつもみたいな生意気を言ってみろよ」


 苛立ちと陰鬱さを隠せないアセロンは、ミラに強く当たってしまった。

 やってしまったと思いはっと顔を上げると、ミラは作り笑いをしているが、怯えていた。


「ごめん・・・」


 そう言い残して、ミラは逃げるように出て行ってしまった。


「なんで謝るんだよ・・・」


 部屋に一人残されたアセロンは、果てしない孤独と喪失感を噛み締めながらうずくまっていた。


―数週間後―


 アセロンはすでに決意を固めていた。ルーカスを殺し、自分をこんなにしたあの女を殺してやると。

 しかし、手がかりが全くと言って良いほどに無い。

 そこで彼は村にある少しでも関係がありそうな書物を読みあさった。モンスターの生態のようなハンターとしては当たり前のような知識から始まり、モンスターの進化論のような新しい知識、挙句の果てには神話や童話のような空想話など。可能性を微塵でも含んでいるものは殆ど読み漁った。


「まったく・・・神話のそれっぽい事以外、情報が無いな・・・」


 情報だけではいけない。あの謎の女には、およそ人間とは思えないような身体能力(瞬発力)が備わっていた。アセロン自身は、並のハンターとは比にならない程の力を持っている。それこそ、彼の使っている大剣だと、一般的な成人男性2人分の重量がある。

 アセロンは対人戦をしたことは無い。というかすることが先ず無い。対人戦とは言っても、素手の喧嘩なら何度もある。そのため、人と戦うことに関して問題はあまりない。

 そんな彼を、ましてや横にルーカスがいる中で圧倒したあの女を殺すためには今のままではいけない。


「今のままでも大剣は振れる。でも、振れるだけじゃあダメなんだ・・・」


 そしてアセロンは、体と頭を鍛え、謎の女を追うための準備を着々と進めるのだった。


―さらに1ヶ月後―


 シリウスがアセロンの元へ訪れて部屋の扉を開けると、アセロンは荷物をまとめていた。


「・・・何をしているんだ?」


 呆気にとられたようにシリウスは言った。アセロンの纏めている荷物からして、引っ越しのようなものでは無いことは明らかだ。その荷物は、どこか旅に行くかのような大きさだった。


「決まってるだろ。あの女を殺しに行くんだよ」


 アセロンは低く、重く話す。


「・・・正気なのか?」


「俺は正気だ。ルーカスを殺した奴のことが憎くて仕方が無いだけだ。前にも言ったはずだろ?」


「ああ言ったさ。まさか本気だとは思わないだろう・・・!それに当ては無いだろ?無謀すぎる!」


「当てなんてどうでもいい。当てなんてもの、足を進めるまで手に入るわけ無いんだからな」


 アセロンの中で渦巻いていた気持ちは、あれからさらに大きく、激しく広がり、彼の心を蝕んでいた。

 アセロンは続けてこう言った。


「あれから1ヶ月半くらいが経った。その間、俺はただ頭を抱えていたわけじゃない。あの女を殺すための手立ては・・・藁にもすがるようなものならある」


「確かに傷は回復したし、武器も振れるようになった。それに体も、以前より逞しくなった気がする。それでも無茶だ!だって、今の君は最早・・・」


 もう止められないことを悟ったシリウスは、彼を必死に止めようと焦り始めた。

 しかし、その言葉の最期に言おうとしたことを、途中で止めてしまった。まるでそれが禁句であるかのように。


「無茶は承知だ。でもこの体のことも、少しずつ分かってきたんだ。それに俺が生き返ったのは、ルーカスが復讐しろと言ってるからだと思うんだ。だから、始めなくてはならない」


 荷物をまとめ終えたアセロンはシリウスの横を通り、部屋を出て行った。

 

「みんなによろしく伝えておいてくれ。別に会えなくなるわけじゃ無いんだ。またすぐに会えるさ」


「ッ・・・!!じゃあ・・・、じゃあせめて、リオラの所へ顔を出しとけ!」


「元からそのつもりだ」


 こうしてアセロンは、己の失敗を償うため、その敵を追う決意を固めた。

 彼はここまでに自分の体への理解や、異形に関する資料のようなものをいくつか手に入れていた。しかし、それはとても人に言えるようなものでは無かった。

 


 シリウスがアセロンを見届けると、まるで彼が暗闇に向かって進んでいるように見えた。それは気のせいか、それとも――

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