第2話 その名は…… その4
少女が目を覚ますと、見知らぬ天井が広がっていた。
起き上がろうとすると全身に痛みが走る、見ると体中に手当のあとがあり、それでようやく気を失う前のことを思い出した。
(そうだった……ボク……)
必死に逃げ、ボロボロになりながらも生きようと懸命に足を動かし、ようやくたどり着いたこの場所で助けを求めたのだった。傷の手当がされているところを見ると、どうやら彼らは自分のことを助けてくれたらしい。
ホッと息を吐いて、少女は自分が今こうして生きていることを改めて実感する。
(助かったんだ……)
そうして改めて自分の全身の手当のあとを見て、自然と涙がこぼれた。
(ボクにもまだ……優しくしてくれる人がいたんだ……)
考えてみればベッドで休むというのもずいぶんと久しぶりな気がする。本当に久しぶりにいま「ホッとした」ような気がしていた。しかし
「……おじさん」
ここに来る直前まで共にいた「彼」のことが思い出されてしまう。
自分がいまこうして生きているのは、その身を呈して守ってくれた「彼」の存在のおかげだ。その彼は今どうしているのだろう……。やはりもう殺されてしまっているのだろうか……。そんな不安からぎゅっと寝具を抱きしめたその時だった。
ギィ……
「ひ!」
玄関の戸が開き、その物音でびくっと少女は身体を強張らせた。しかし、よくよく玄関の方を見ると見覚えのある褐色肌の青年が目を丸くしてこちらを見つめている。どうやら助けてくれた人のようだと認めた彼女は、すぐに姿勢を正して礼を言おうとした。がしかし……。
「にいさん!! にいさん!!!」
彼女が声をかけるよりも早く、青年は慌ただしく「にいさん!」と叫びながら外へと飛び出していってしまった。
それから、再び玄関の戸が開くと、先ほどの褐色肌の青年ウーロンが、ぶすっとした表情のもう一人の男カインを連れて戻ってきた。カインは、ウーロンとは対照的に怖そうな雰囲気で、それが少女の緊張をさらに高める。そんな二人の視線が自分に注がれるのが痛いほどに感じられたが、それでも、助けてもらった礼を言わなければ、と少女は意を決して声を張り上げた。
「あ、あの! た、助けて頂いてありがとうございます!!」
しかし、目の前の男たちの表情は変わらない。ウーロンの方は、なにやらそわそわとしているし、カインの方もぶすっとしたままだ。やはり、自分のためになにか不利益を被ってしまったのかもしれない。
「……すみません……。ご迷惑……でしたよね……?」
変わらず注がれ続ける二人の視線に、どんどん少女の不安は加速する。
そんな彼女に追いうちをかけるようにウーロンが問いかけた。
「とりあえず、嬢ちゃん……!嬢ちゃんは何者なんだ?なんであんな連中に追われたんだ!?」
彼の不安そうな表情や語気の強さから、やはり自分のためになにか不利益があったのだろう。と少女は確信した。
その確信は少女の胸を痛めつけ、彼女の不安は恐怖へと変わっていった。
「あ……あの……」
何とか答えようとする。しかしうまく声が出ない。もしかしたらこの後、早く出ていけ、などと言われるかもしれない。仕方ない。自分は追われている身の厄介者で、助けてくれたこと自体が奇跡みたいなもので……それはわかっているのだが、それでもやっぱり冷たい言葉をかけられるのは怖い……。それはとても身勝手な話だ、分かっている!それでも……分かっていても怖い。考えれば考えるほど怖くて、呼吸が早く、荒くなる。息が整わないまま心が恐怖に支配されてしまう。それが彼女にうまく声を発することを妨げていたのだった。しかし
ボカ!
鈍い音がしたかと思うとウーロンが頭を抱えてカインをにらみつけていた。
「痛ってぇなぁ……なにするんですかいにいさん!?」
しかしカインはその問いを無視して少女に目を向けた。そして、彼女が全く想像していなかった問いを投げかけた。
「んなことより、傷の具合はどうだ?ある程度の応急処置はやったつもりだが」
「え!?あ……だ、大丈夫です……」
急に予想外のことを聞かれたので、少女は少し戸惑いながらもそう答えた。実際、まだ傷は癒えきっていないので所々痛むが、それでも止血などの処置もしっかりされており、すくなくとも気絶する前よりはだいぶましになっていた。
(そっか……この人が……)
カインの顔を見て、それから手当の後を改めてじっと見つめると、少女の中に何か熱いものがこみ上げてきた。
「そうか。ならよかった!」
そう言ってカインは笑いかける。その笑顔が、優しい声が、何故だか少女にはたまらなくて、彼女の中にこみ上げた熱いもの涙がとなってこぼれ始めた。
「う……ひぐ……」
「お、おいどした!?」
「だ、大丈夫かい?」
急に泣き出した少女に、二人は訳が分からず慌ててしまう。少女自身もなぜ自分が泣いているのか正直よくわかっていなかった。強いて言うならば、「うれしかったから」だった。
「う、うええええええ……!!」
少女の涙が堰を切ったように勢いを増していく一方、二人は訳が分からずさらに狼狽えてしまう。
「あ~! あれか!? やっぱまだ痛むのか!!?」
「にいさん! やっぱ手当が不十分だったんじゃねぇですか!?」
「いや結構頑張ったつもりだぜ俺は!!」
「だいたいアンタ、あんな原始的な方法じゃなくて回復魔法とか使えねぇんですかい!? 魔法使えるんでしょう!?」
「しょぅがねぇだろ! 回復系は専門外なんだよ!! てかあれだろ! お前がいきなりあんな詰め方するから怖かったんだろ!!」
「あ、あたしのせいですかい!? いやでも確かにそうかもごめんね!!」
男たちが自分の涙のせいで狼狽えて言い合いをするのを見て、少女はなんとか誤解を解こうと喋ろうとした。のだが……。
「ひぐ……えぐ……違ぐ……で……」
「ああ?違う?じゃあどうしたんだ?」
「……うぐ……すみませ……ううう……うあああああ!!」
やはり涙が止まってくれず、しっかりと喋れなかった。どれだけ止めたいと思っても、後から後から、勝手に溢れ出してしまうのだ。
思い返せば、「外」に出てからは一緒に旅をしてきた「彼」以外に、心配や気遣いといった優しい感情を向けてもらえたことはなかった。しかし、今目の前の「人間」たちは、そんな感情を自分に向けてくれている。ベッドで目を覚ました時点で、それはわかっていたのだが、こうして実際に目の当たりにしたことで改めて少女は「こんな優しい人間がいるんだ」と強く実感できた。それがたまらなくうれしくて、彼女に涙を溢れさせていたのだった。
「ごめ……! ごべんなざい!! うああああああん!!」
それから数分の間、少女の涙の理由がわからない二人は困惑しながらも、しかし泣いている理由の何かを察したのだろう。どこか優しい表情で彼女が落ち着くまで見守っていた。
やがて、彼女の涙が落ち着いてくると、カインが口をひらいた。
「まぁ……身体の方が大丈夫そうならいいんだ……。あ~……まぁあれだ……! とりあえず、腹減ってないか? なんか食うか?」
「……いいえ……! ここまでお世話になってご飯までなんて……そんな……!」
ただでさえ匿ってもらったというのに、そこまで調子に乗っていいはずはない。そんな思いから、少女はなんとか涙を抑えながらその申し出を辞退しようとする。が……。
ぐぅ~~~……
突如、少女の腹から出た間の抜けた音が響きわたった。
「……」
部屋の中に一瞬の静寂が訪れる。そして
「ぶわっははははは!!!」
「アハハハハハ!!」
男たちが大きな声で笑いだした。
「す、すみません!!」
少女は恥ずかしさのあまり顔を赤らめて謝罪するが、男たち二人に全く気にした様子はなく、頬をゆるめたまま彼女を見つめている。
「やっぱ腹減ってるんじゃねぇか! いいって気にすんな! 俺らもそろそろ腹が減るころだしよぉ、飯にしようや? な?」
そう笑いかけて提案するカインからは、さきほどまで感じていた怖そう、という雰囲気はまったく感じなかった。そんなカインの笑顔を黙って見つめる少女にウーロンも声をかける。
「そうだぜ嬢ちゃん? 甘えられるときはとりあえず甘えときな?にいさんがだれかにご馳走するなんざ、滅多とあることじゃねぇしよ?」
「あ? 飯はてめぇの品物から用意するに決まってんだろ? こちとら寒貧だぞ?」
「は? なんですって!?」
「んじゃあ、とりあえず鞄のなかにある食い物なんか出せ。腹減らしてて可哀そうだろうがこのガキ……とおれが」
「はぁ!?」
そんな二人のやり取りを唖然と眺めている少女だったが、やがて
「ク……アハハハハハ!」
大きな声で笑いだしていた。彼らのやり取りがおかしかったのもあったが、何よりも、そんな二人の様子に心底から安心して、緊張の糸がようやく切れたからというのも大きかったのかもしれない。
「ど、どうした急に……大丈夫か?」
急に笑い出したものだから、男たちは目を丸くしている。
「す、すみませ……アハハハハハ!!」
笑い続ける少女を呆然と見つめ、やがて男たちもつられたように笑い出した。
「ぷ……ダハハハハハ! 全く笑ったり泣いたり、忙しいやつだなぁ!!」
「ハハハハハ! 全くですねぇ!」
「すみません! ……ほんと……に! アハハハハハ!!」
そうして3人でひとしきり笑い、それからウーロンが改めて口を開いた。
「しょうがねぇ! 嬢ちゃんへの詫びってことで、とっておきを出しますかね! んじゃあちょっと待っててくださいな? 荷馬車の方の積み荷から取ってくるんで」
そう言って外へと出て行くウーロンを二人で見送ると、カインはそういえば、とつぶやいてから少女に喋りかけた。
「なんだかんだ自己紹介がまだだったよな? 俺はカイン。カイン・アレイスターだ。で、今出てったやつがウーロン。改めてよろしくな」
まっすぐな目で少女を見つめて手を差し伸べるカインの手を握り、少女もまたまっすぐな目で見つめ返して答えた。
「ありがとうございます! ボクはアイラ! アイラ・ブレイバーです!!」
アイラか!いい名だな、などと言って笑っているカインとアイラだったが、すぐにあるとんでもない事に気づき
「「えええええええええ!!!???」」
と同時に驚愕のあまり叫び声を上げていた。
それは二人の名前がお互いにとってとてつもなく大事な意味を持っていたからだった。
カイン・アレイスター、それはアイラが「彼」とともに二年間の旅の中で探し続けていた人物の名であった。
一方、カインが驚いたのはアイラの名ではなく、その姓だ。
アイラの持つ「ブレイバー」の姓、それはかつて世界を救うために戦った勇者であり、人間を裏切り魔族についた人間史上最悪の大罪人であり、カインの無二の親友「アベル・ブレイバー」と同じ姓であった。
……それはこの世にはもう存在しないはずのものだった
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