第1話 かくしてろくでなしは少女と出会う その2
少女が必死の逃走劇を繰り広げ、小屋へと駆け出すそのすこし前。小屋の中では一人の男が苦しそうにうめき声をあげていた。
無造作に横たわる酒瓶に囲まれたべッドの上で、悪夢でも見ているのだろう。その表情には苦悶と焦燥が浮かび、まるで何かから逃れようとするようにその身体をよじっている。
男の名は「カイン・アレイスター」。
彼はある時を境に、時折こうして悪夢を見てうなされるようになり、その度に、苦しみを忘れようと酒に頼るようになったのだった。
整えられていないぼさぼさの黒髪、汚らしい無精ひげ、鋭い切れ長の目の下に濃くうかびあがるクマ、そしてベッドの下に無造作にいくつも転がっている空の酒瓶、すべてがその生活の荒みようを物語っている。
そんな彼の見る悪夢の内容はいつも同じ。その心に刻み込まれた、忘れたくても忘れられない、彼の最低の記憶の再現であった。
――冗談じゃねぇ!!そんな!そんなこと俺にはできねぇよ!!
夢の中に男の声が響き渡る。それは自分の声だった。かつて自分自身が仲間に言い放った言葉であった。
そうしてどんどんと在りし日の光景が映し出されていった。
炎につつまれ、崩れゆく城、ボロボロになった大切な仲間たち、幼いころからの親友。そんな彼らに対し力も才能も足りなかった自分自身への罪悪感。悲しそうな眼で見つめてくる仲間たちの姿。
――カイン……それでも俺はお前を……
親友が悲しそうに声をかけようとする。それが憐みとかそういう感情から発しているものではなく、本気で自分のことを思って声をかけようとしているのはわかっていた。
しかしその優しさが、その表情が、全部、その時のカインに耐えられるものではなかったのもまた事実で、そこから先の言葉をもう聞きたくはなかった。
――……じゃあな……!!!
敵の姿が迫りくる中、親友の声を遮り、仲間たちの向ける悲しみ、優しさ、それらすべてからどんどん遠くへと遠ざかっていく自分の姿。この夢はいつもこうだ。自分が仲間を捨てておめおめと一人生きている腐りきったクズだということを忘れさせないためにか、こうして時折、自分の最低な姿を見せてくるのだ。
夢の中での苦しみが膨れ上がるにつれて、現実の彼も全身が汗でびっしょりとぬれ、呼吸が尋常ではないほどに荒くなっていく。その苦しみが最高潮に達する、ちょうどそんな時であった。
「にいさん!にいさん!大丈夫ですかい!?」
突如男の声が頭に響き、身体を揺すられると、カインは夢の中から現実へと引き戻された。
「う……ん?」
ゆっくりと意識が戻ってきて、カインはその目を開ける。そして
「ああ、目ぇ覚ました。大丈夫ですかい?」
「……おわぁああ!!」
目をあけると眼前にいきなり褐色肌の男の顔があったものだからカインはおどろいて、悲鳴を上げてしまった。その様子を唖然とした表情で男が見つめる。
「びっくりしたぁ……。なんでぇ、人の顔見ていきなり悲鳴上げやがって」
不服そうにそう言う男の声には聞き覚えがあった。
「……うん?」
徐々に意識を覚醒させつつあるカインは、男の顔がよく知ったものであることを理解して口を開く。
「あんだよ……ウーロンじゃねぇか……。」
「ご無沙汰ですねぇ。半年ぶりくらいですかい?ってか……ちったぁ片づけねぇんですか?」
不衛生ですぜ、とウーロンと呼ばれたその男は皮肉っぽく笑みを浮かべた。
「ああ……」
まだぼんやりとした頭で適当な応答をするカインだったが、「待てよ」とおかしな点に気づき、そして怒鳴った。
「てかお前、何平然と人の家に上がり込んでんだ!!」
不法侵入じゃねぇか、とそう続けて怒鳴るが、ウーロンはケタケタと悪びれる様子もなく笑っている。
「へへ、いいじゃねぇですか?いつもこのあたりに来たら必ず立ち寄ってるんですから。それにあたしのおかげで嫌な夢から覚めれたみてぇですしね?」
そう恩着せがましく言われ、カインはなにか言い返してやろうかと思ったが、「まぁこういうやつだからな」と溜息を一つ吐いてすぐにあきらめた。それから面倒くさそうにベッドを下りると、食器棚へと向かい、中からジョッキを二つ取り出した。
「顔洗ってからの方がいいんじゃないですかい?」
「け」
悪態をつきつつも、カインはジョッキをウーロンに手渡す。
「ま、にいさんが良いなら始めますか。なんてったって今日は特別な日ですからねぇ。にいさんの喜びそうな上等な酒、仕入れときましたぜ」
(……特別な日……?なんかあったっけか?)
全くピンと来ていないカインだったが、そんな彼をよそにウーロンは床に置かれた重そうな大型の背負いカバンをがさごそと漁り、中から一本の酒瓶を取り出した。
カインはいかにも名品といった風情のその酒瓶を見て
(まぁどうでもいいか、飲めるなら……)
と、すぐに考えるのをやめた。それから「ん」とそう言ってジョッキを差し出した。ウーロンは「はいはい」と笑いながら酒を注ぎ、その後自身のジョッキに酒を注ぐ。
こうした光景はウーロンが彼の家を訪れる時にはもはや当たり前のものとなっていた。
彼が来たらどちらから「飲もうぜ」と言い出すこともない。今が朝だからとか寝起きだらとかも関係ない。とりあえずカインがジョッキを用意して、ウーロンが持ってきた酒で酌み交わす、諸々の用は乾杯のあとに始まるのである。
「んじゃあ乾杯!」
「おう」
ジョッキをぶつけあい、互いに一口飲む。
寝起きの身体に染み渡らせ、なんだかんだいまだぼんやりとしていた頭を完全に覚醒させ、カインが口を開いた。
「ぷはぁ……で?最近はどうなんだよ?商売の調子とか」
「ん?ああ、まぁぼちぼちっすねぇ。特別良くもなく、特別悪くもなく」
そう答えたこの男、ウーロンは行商人である。
標準的な体型で清潔感のないカインに対し、背が高くスラっとした体を持ち、きれいに整えられた黒い長髪をオールバックでまとめているこの男は、まだ23歳という若さながら確かな商才をもっており、床のあの重そうな背負いカバンを相棒に、世界各地を渡り歩いて様々なものを商い生計を立てている。彼には世界中に取引先が存在しており、今飲んでいる酒もそんな仕入先から卸したものなのだろう。このあたりでは珍しい褐色の肌を持つことから、おそらく遠い国の出身なのだろうなとカインは思っていたが、かと言って、特にどこの出身だとかまでは詳しく聞いたことは無かった。
ちなみにカインを「にいさん」と呼んでいるが血縁関係は無い。
「んで?にいさんこそどうです?いよいよ今日で30でしょう?どうです?なんか変わりありますかい?」
「……3……30!?」
「なんだい?まだ寝ぼけてんのかい?あんたの節目の誕生日祝いだから、こんな上等な酒もってきてやったんですぜ、あたしは」
呆れたようにそう言うウーロンを見つめながら、カインはぼんやりと頭の中で30という数字を反芻させていた。
(そっかぁ……。30なぁ……あっという間だったなぁ)
7年ほど前にこの山の中に住むようになって以来、自堕落なその日暮らしの生活を送っているうちに、気が付けば何も成せぬまま30歳という節目を迎えていたことに、カインはいやな焦燥感のようなものを覚えた。そんな現実から目を逸らすように酒を勢いよく流し込む。
「その感じだと、特に変わった感じもなさそうですかねぇ?」
「け!節目迎えるからってそうそう変化があるわけねぇだろうがよ」
むくれたようにカインはそう言う。
「……まぁそれもそうか」
妙な地雷を踏んでしまったために気まずい沈黙が場を包んでしまった。そんな気まずさに耐えかねてかウーロンはわざと明るい調子で話題を切り替えた。
「まぁあれだ。今日は誕生日ですからね。大サービスで普段より高値で品物を買わせてもらいますよ。なんかありますかい?」
「お!まじか!!」
ウーロンのその言葉にカインもつい先ほどまでの暗い顔とは打って変わり、その表情が明るくなった。現金なその調子に思わずウーロンは苦将する。
「じゃちょっと待ってろよ!最近手に入れたものがいくつかあるからよ!」
そういうとカインはベッドを横にずらし、露わになった部分の床板を3枚ほど外す。すると床下に収納されていた大きな木箱が顔を出した。
「どっこらせっと」
カインは重そうにそれを持ち上げると、テーブルの横にゆっくりと置いた。それからその蓋を開け、中からいくつかの品を取り出す。いうまでもなくこれはウーロンに売りつけるためのものだ。
「どれ、じゃあちょっとよく見させてもらいますよ」
そう言って品定めを始めるウーロンに期待の眼差しを向けながらカインはまた酒を仰いだ。この光景も、二人がこうして酌み交わすときには当たり前のものとなっていた。
というのも、二人はただの飲み仲間、という間柄なわけではではなく、取引相手、という間柄でもあったのだ。
ウーロンが行商人で生計を立てているのに対し、カインは「トレジャーハンター」という職で生計を立てている。
「トレジャーハンター」とは、その名の通り価値のある珍しい宝を手に入れ、それらを金に換えて生計を立てる職業だ。
「ダンジョン」と呼ばれる危険な魔物が巣くう迷宮や遺跡に潜り込み、その中から値打ちのある品を手に入れるという職である。
ダンジョンは世界創成の頃よりあると言われ、未だ解明されていない謎が多い。その中には神や先人が遺したとされる珍しい武器や防具、道具のほかに、失われた文明の技術が使われた遺産が眠っている。特に時折見つけ出される先史文明の遺産は、未だ解明されていない歴史の謎をひもとく重大な鍵であるとして、高い値がつけられる。そのため、この職につく人間のほとんどが命を危険にさらすようなリスクの高いダンジョンに潜り込み、一攫千金を狙うのである。実際、中には大成功をおさめ、一大財産を築く者もいた。
しかし……。
(こ、こいつは……)
品定めをするウーロンからおもわず溜息が漏れる。それは品物に対しての関心や感動故の溜息などでは断じて無く、呆れからの溜息だった。
(毎度のことながら、やっぱりガラクタしかねぇや……。)
そう。カインの手に入れてくる品は、ほとんどがまともな行商人なら値もつけないようなガラクタばかりであった。たまに値がつけられるものが紛れているにしても、結局は二束三文にしかならない物ばかり。
ウーロンは個人的にこのカインという男を好ましい人物だと思っているから、友達価格として普段からだいぶ色を付けて買ってやっている。言ってしまえばボランティアのようなものだった。逆にそうでなければだれもこの男を取引相手としては見ないだろう。それを考えればカインは実質無職と変わらないのである。
それもそのはず、カインは近場の危険性が少ないダンジョンにしか潜らないのだ。いわゆる低レベルダンジョンと言われるそれは、中に巣くう魔物の数も少なく、しかも危険性の強い魔物も生息していないのである。そうしたダンジョンに値打ちのある珍しいものが眠っていることはほとんどなく、従って好んで潜る人間もまた、ほとんど存在しないのであった。
しかし、カインはそれを理解しつつも、危険なダンジョンへと潜るつもりはないようだった。
(べつに強い魔物と戦う力がねぇって訳じゃないはずなんだがねぇ……)
ウーロンは怪訝そうにカインを見つめる。
付き合いこそそれほど長くはないが、少なくとも初めて彼と知り合ったとき、彼は確かに高位の炎系の魔法を操っていた。
だからカインにその気があれば、もっと高レベルのダンジョンに潜っても平気のはずだ。それこそ今みたいなガラクタを持ち出して満足するような、そんな状態には決して甘んじていないだろう。それがウーロンには不思議でならなかった。
(……そろそろ言うべきか……)
いくら本人に実力があってもやる気がないならしょうがない。しかしこのままではいけない。
ウーロンはこれまでの交流の中で何度か言おうと思ったが伝えられなかった「言いづらい言葉」を、節目である今日だからこそ言わねばならないと決意した。
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